浅い眠りから目を覚ますと、カーテンからうっすらと朝日が差しこんでいた。
もう一回目を瞑るが、頭がさえて眠れそうにない。
仕方なく、ベッドの上で、体を起こした。

「………いた」

筋肉痛もまだ抜けてなくて、全身が痛い。
泣き過ぎて頭が痛い。
顔がパンパンに腫れていて、痛い。
胸がしくしくと痛む。
体が、だるい。

美香の家から帰って、夕食も食べずに部屋に引きこもった。
何も考えずに、ただ泣いていた。
部屋の隅の鏡をのぞくと、酷い顔をしたみっともない女が映っている。

もう少ししたら、学校へ行く時間だ。
学校になんて、行きたくない。
どうせ別れ話をするなら、週末にしてほしかった。
休みの日なら、いくらでも泣いて過ごせたのに。
一日引きこもって、過ごせたのに。

「やすみ、たいな」

ぼそりとつぶやいて、少し笑ってしまう。
なんで、恋愛なんかでこんなに振り回されないといけないんだろう。
中学校の頃は、恋愛できゃあきゃあ言ってる女の子たちを馬鹿にしていた。
そんなもので生活の全てを振り回されている子たちが、滑稽に見えて仕方なかった。
それがどうだ。
この半年で二回も恋して、二回も振られて、そのたびに大ダメージを受けて、こんなに生活に支障をきたしている。
生活の中心を、恋愛になっている。

こんなことで、学校を休むことを考えている。
勉強にも、部活にも手がつかなくなってる。
男と恋愛に振り回されてる、馬鹿女そのもの。

「………ばっかみたい」

高校生になったからって浮かれていたのか。
藤原君を好きになって、ふられて。
野口を好きになって、ふられて。
私ごときが調子に乗ってるから、こういうことになるのかな。
身の程知らずって、ことか。
元々ガサツで、女らしいところなんてない、人並み以下の私だ。
私みたいなみじめな女が、恋愛しようっていうのが、すでにギャグだ。
はたから見たら、きっと笑えてしょうがないんだろうな。

「本当に、馬鹿みたい」

階下で、人が動き回る音がする。
お母さんが、起きて朝食の用意を始めたのかな。
絵理やお母さんに見つかる前に、この顔なんとかしなきゃ。
冷やして、マッサージして、顔の腫れをなんとか隠そう。
見つからない内に、洗面所に行こう。
男にふられて泣いているところなんて、絶対に見られたくない。
見せたくない。

「………ふられるなんて、大したことない」

そう、部活だってあるし、勉強だってあるし、友達だっているし、やることはいっぱいある。
ただ、生活の一部分が変わるだけ。
それだけ。

「………うん」

学校は休みたくない。
お母さんに事情を詮索されたくない。
野口にふられたせいで休んだなんて、思われたくない。
これ以上、みっともないみじめな女でいたくない。

だから歯を食いしばって、ベッドから降りる。



***




なんとか顔洗って、冷やしてマッサージして化粧して、顔のむくみは誤魔化せた。
お母さんにちょっと顔がはれてるって言われたけど、寝不足って言った。
だから大丈夫。
誰にも何も、気付かれない。
大丈夫。
大丈夫だ。

「………」

教室に入ると、野口はもうすでに来ていて、席に座っていた。
眼鏡の奥の冷たい目が、ちらりと私を見る。
けれどすぐにそれは、そらされた。

「………っ」

いつもだったら、少しだけ表情を緩めて挨拶をしてくれた。
軽口の一つでも叩いて、私が怒って、殴って、そして笑った。
そんな朝が、普通だった。
私が先に来ていた時は、野口が寄ってきて、私が挨拶をして、他愛のない話をした。

胸がズキズキと痛んで、息が、出来ない。
くそ、また目が熱くなってくる。
駄目だ、こらえろ。
こんなところで泣くような、馬鹿な女になりたくない。

「おはよ、由紀」

美香も来ていたらしく、いつのまにか横に来て私の肩をポンとたたく。
そしてにっこりとかわいらしく笑って、私の手を自然にとる。
柔らかく優しい手の感触に、肩からすっと力が抜ける。

「今日、私古文当たりそうなんだよね。由紀やってきた?後でちょっと訳見せて」
「………うん」

手を引かれるままに、私は席につく。
ああ、情けないな。
また気を使わせた。
どうして、私はこの子みたいに、強くなれないんだろう。
美香は本当に、どこまでも優しくて、綺麗。

「今日もまだまだ暑いよね」
「………うん」

美香が普段通りの雑談をしてくる。
私は上の空で、それに生返事を返す。

「………」

視線は自然と、廊下から二列目の、薄い背中を追う。
見慣れた、いつも見ていた背中。

ああ、そうだ。
私は、教室に入って、まず、野口の姿を、探していたのか。
いつの間にか、誰よりも最初に、野口を、見つけようとしていた。
気が付けばいつだって、あの背中を見ていた。

「………由紀、大丈夫?」
「………うん、ありがとう」

小さな声で、心配そうに顔を曇らせる美香に、無理矢理笑顔を作る。
けれど余計に眉を寄せたから、うまく笑えていなかったんだろう。

恋愛なんかで、ぐだぐだになってしまう私。
みっともない私。
情けない私。
自分が馬鹿にしていた、恋愛体質女そのもの。

こんなはずじゃ、なかったのに。
野口なんて、そんな好きじゃなかったのに。
好きじゃなかったから、楽だった。
嫌われてもいいから、楽だった。
一緒にいるのが楽だったから、付き合うことにした。

それなのに、どうして、こんなにも痛い。
こんなにも、苦しい。

つい、一昨日までは、すぐ傍にあった手。
私を呼ぶ声。
抱きしめる腕。
注がれる気持ち。
受け止めてくれた、心。

セックスをして、シャワーを浴びて、野口のシャツを着て、二人でお茶を飲んだ。
ものすごい恥ずかしくて、顔を見ていられなかった。
顔をそむけたまま、痛いって、ずっと文句を言った。
ごめんね、好きだよ、ありがとう、大好き、と野口が何度も繰り返した。
何度も何度も好きだって言われた。
優しく抱きしめられた。

「………っ」

スピーカーから、機械音のチャイムが、鳴る。
それでなんとかこらえることが出来た。
顔を覆って、膝を抱えて、大声で泣いてしまいたい。
けれど、ここは、教室だ。

「由紀………」
「授業始まるよ」

心配そうな美香を、席に戻るように促す。
こんなところで、泣いてたまるか。
苦しい。
痛い。
でも、これ以上みじめになりたくない。

何が、悪かったんだろう。
痛いって、文句を言ったこと?
でも、ただ、照れ隠しだった。
文句をつけるのなんて、いつものことだ。
いつも文句を言っていたのが、悪かった?
でも、素直になんて、なれなかった。
それがいけなかったのだろうか。

殴ってばっかりだった。
文句を言ってばっかりだった。
注がれる愛情を、もらうだけだった。

もっと私は、素直になって、感謝するべきだったのかな。
どうしていたらよかったのかな。
分からない。
分からないよ。
何が悪かったの。
どうすればよかったの。

それとも元々私になんて、興味なんてなかったのか。

最低だ。
あの男は本当に最低だ。

どうしてこんなに好きになる前に、捨ててくれなかったんだ。





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