「水葉(みつは)は蛇の神様に守られてるから大丈夫だ!」

死んだパパは泣く私によくそう言っていた。
私が生まれる前に、パパは山で道に迷ったことがあるらしい。

水と食べ物も尽き、日も暮れかけ、不安と共にふらふらと彷徨っていた時に不思議な村に辿りついた。
山奥で不便な場所なのに人が結構いて、住人は皆に似通った顔をしていた。
不審を感じる暇もなく助けを求めたパパは、親切にも一晩泊めてもらい、ご馳走とお酒で歓待してもらい、帰り途を教えてもらったそうだ。
ただ、その代わりと、言われた。

この村は蛇神の村。
最近は血が濃くなりすぎて、困っている。
お前に娘が生まれたら、神の嫁として貰い受けに行く。

パパは冗談だと思って、あなたたちは命の恩人だ、勿論娘が生まれたら嫁に出そう、なんて安請け合いしたらしい。
村の人達はとても喜んで、ではあなたの娘には神のものだという印をつけておこう、年頃になったら迎えに行くと言ってパパを返した。

「だからな、水葉のその背中の痣は蛇の神様のものだって印なんだぞ」

それを聞いて、私はまた泣くのだ。

「私、蛇のお嫁さんになるの?やだよ!水葉、蛇のお嫁さんなんてやだ!」

そしてママはいつも怒るのだ。

「酒で娘を売り飛ばすなんて、ひどい父親だわ」

そしてパパは慌てて自己弁護する。

「いや、だって本当に娘が生まれるとは思ってなかったしなあ。でもな、酒つっても、あの人達はパパの命の恩人なんだぞ!それにな水葉が危ない目にあっても絶対に問題ないのは、蛇の神様が助けてくれてるからだぞ!」

それでも蛇のお嫁さんなんて嫌だと泣く私に、神様のお嫁さんなんて玉の輿だぞと言っておどけて、ますますママは怒るのだ。
そんなところに嫁にいったら、中々実家にも帰ってこれないじゃないなんて言って。

「でも、水葉は神様に守られてるんだからな。何があっても大丈夫だぞ」
「まあ、それなら許そうかしら。それで水葉はずっと幸せになるのよね?」
「勿論さ!水葉はこんなにかわいいんだから蛇の神様だってイチコロで大事に大事にしてくれるに決まってる!」

最後に必ずパパはそう言って私を抱きしめる。
そしてママは調子がいいって言って笑う。
大好きなパパ。
大好きなママ。

私の背中には確かに不思議な形の痣がある。
絡みつく蛇のような、細長い赤い痣が首筋から腰にかけて一筋ある。
ママは女の子なのにって嘆いたし、肌が出る服は着られないが、私はそれを鏡で見てほっとするのだ。

大丈夫、私は、蛇の神様に守られている。



***




「おはよう」
「お、おはよう」

お隣のマンションに住んでいるカガ君が、いつものように迎えに来てくれる。
生まれた時からの幼馴染のカガ君は、いつもピリピリしていて怖いけど、カガ君のお母さんから言われた通りずっと面倒を見てくれる。
今日も朝からピシッとした背筋で、制服もきっちりと着こなしている。
衣替えも終わったばかりでまだまだ暑いのに、長袖を着ても汗一つ掻いてないように見える。

「背筋曲がってる!」
「ひっ!」

猫背気味の背中を叩かれて、私は慌てて背筋を伸ばす。
それでもカガ君はもう癖になってるんじゃないかという眉間の皺をますます寄せるのだ。

「リボン、ずれてる。髪寝ぐせ」
「ご、ごめんなさい!」

反射的に謝って、私は制服のリボンを直し、髪を手櫛で頑張って直す。
けれど頑固な癖っ毛はふわふわと広がるばかりで跳ねた一筋の髪は直ってくれない。
カガ君は後で水で濡らしておけと言ってため息をつく。
私は何度も何度も頷いた。
どうしても朝寝坊な私は、身支度すらしっかり出来ない。

「なんかすごい音が聞こえたけど、叔母さん?」
「………うん」
「大丈夫か?無理そうなら言えよ?俺の家に来てもいいんだから」
「だ、大丈夫。ちょ、ちょっと、叔母さんと、あ、あの人が喧嘩するぐらいだから」

私は慌てたり緊張したりすると、吃音が出てしまう。
パパとママが死んでしまった8年前から出てきたのだが、中々よくならない。
それを知っているカガ君は少し声を穏やかにしてくれた。

「ゆっくり話していい」
「う、うん、ありがとう」

すーはーと深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。
落ち着いてゆっくり話せば、そこまで酷くはないのだ。

「嘘つくなよ。お前はすぐ嘘つくからな。俺にばれないと思うなよ」

けれどカガ君のきつい目で睨みつけられて、私はまた緊張してしまう。
落ち着けと言うカガ君が、一番私を落ち着かなくさせている気がする。

「う、嘘なんてついてないよ。大丈夫、私には蛇神様がついてるんだから」
「またそれか」

私の口癖に、長年付き合っている幼馴染はうんざりしたようにため息をついた。
でも本当に、私には蛇神様がついてるのだ。

「だ、だって、本当に、わ、私はすっごい運がいいし、神様、ついてると思う」
「火事の時も一人助かって、誘拐されそうになっても助かって、ビルから転落しても助かってって、お前それ、運がいいっていうか、運が悪いけど間一髪で助かってるだけじゃねえか」
「う」

まあ、確かにそうかもしれない。
そんな状況になるだけで、運が悪いってことで、決して運がいい訳じゃないのだろうか。
でも、誘拐されそうになった時もギリギリで助かって、ビルから転げ落ちても傷一つなかったり、家が火事になってパパとママが死んでしまっても一人助かったり、奇跡だと言われ続けている。
最後のは、本当に運がいいのか分からないけれど。

「お前全く運よくないから。自覚しとけ。まあ、間一髪助かるだけ、確かに蛇神様とやらついてるのかもしれないけどな」
「う、うん」

それでも私はここで、こうして、生きている。
それならきっと、パパが言った通り、私は蛇神様に守られているのだ。

「で、お前はその蛇神が来たら素直に嫁に行くの?」
「………」

カガ君の質問に、少しだけ考える。
昔は蛇のお嫁さんなんて嫌だってよく泣いた。
でも、今は、それでもいいって思える。

「格好よかったなら、いいな」
「調子がいいな、おい」

カガ君に頭をはたかれる。
それに私は少し笑う。

でも、それでも、ここから逃げ出せるなら、蛇神様に迎えに来てもらいたいって、思うんだ。



***




「また磯良君と一緒に来たんだ」
「磯良も迷惑だよね、こんなのが隣だからって纏わりついてたら」

カガ君と別れると、下駄箱でカガ君のクラスメイトの女の子が寄ってきた。
人気のあるカガ君に、私みたいな鈍くさいのがうろちょろ纏わりついてるのが嫌みたいで、よくこうして色々言われる。
昔からよくあることだから、私はただ謝るしかない。

「あ、あの、ご、ごめんなさい、か、カガ君は」

ただの幼馴染で、隣にいるから、親切にしてくれるだけで、それだけなのだ。
格好良くて頭も良くて運動神経もよくて完璧なカガ君。
確かに私が隣にいるだけで不釣り合いなのだ。

「はあ、なあに、聞こえない」
「何か言ってる?」
「聞こえなあい」

私の蚊の鳴くようなぼそぼそとした声は、彼女たちの大きな声にかき消される。
そうやって被せて言われるだけで混乱してしまって、ますます何を言ったらいいか分からなくなる。
もっとうまく話せれば、彼女たちにもきっと誤解されないだろうに。

「い、磯良君は、その………、おか、お母さんに」
「あははは、ほんっと訳わかんない」
「何言ってんだかわからなーい」

ますます笑われて、涙が出そうになる。
けれどここで泣いたらきっともっと彼女たちを苛つかせるだけっていうのは、これまでの経験上分かってる。
だからぐっと我慢して、涙を堪える。
それに、文句を言われるぐらいで、そこまでひどいイジメはされない。
前に物を隠されたり少し叩かれたりするところまでエスカレートしたところで、カガ君が本気で切れて首謀者の女の子を徹底的につるしあげた。
お前もしっかりしろと言って、私も怒られたのだが。
それがあるから、イジメはそこまでエスカレートすることはない。
ただ、陰湿さを増して、友達は益々いなくなったのだけれど。

「あの」

その時、恐る恐ると誰かかが話しかけてきた。
そちらを見ると、見たことのない男の子がこちらに笑いかけてきた。
彼がどうやら話しかけてきたようだ。
女の子たちが素早く飛び退いて、何事もなかったかのように立ち去る。

「あー、えっと、その」

皆いなくなって、残されたのは私と、知らない男子一人。
困ったように頭を掻きながら、彼は近づいてくる。
柔らかい髪の色をした、すっきりと整った穏やかな顔立ちの人だった。

「あ、あの」
「俺、転校生なんだよね。職員室って、どっち」

どんな表情をしたらいいか分からないと言った感じに笑う彼は、さっきの様子を見ていたのだろう。
恥ずかしくなって俯いて、誤魔化すように後ろを向く。

「あ、こ、こっちです」
「ありがとう。あ、俺、サラギって言うんだ。よろしく」
「サラギ、君?」
「そう、蛇の穴って、書いてサラギって読むんだ。蛇穴。変な名前だろ」

その言葉に、私は恥ずかしさもさっきの恐怖も悔しさも哀しさも吹っ飛んでしまう。
蛇という単語は、私の中ではとても大切なものだ。

「へ、蛇」
「そう。あんま気持ちのいい名前じゃないんだけどね」

後ろを振り向くと、蛇穴君と名乗った人は、髪をいじりながら笑った。
思わずその顔をまじまじと見てしまうと、彼は首を傾げて不思議そうにする。

「何?」

それで私は自分が恥ずかしいことをしていたことに気づく。
慌てて、視線を逸らして、俯く。

「あ、わ、私、菅野水葉って言います。い、一年生です」
「あ、俺も一年なんだ。よろしく」

同じクラスになれるといいねと言って、蛇穴君は笑った。





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