「菅野さん、一緒のクラスだね」 「さ、蛇穴君。あ、あの、あの」 転校生である蛇穴君がホームルームにクラスにやってきた時は、みんな色めき立った。 結構見栄えのする転校生に、女の子は喜び、男の子も少しの嫉妬と、でも好奇心で持って皆群がった。 私も凄い話したかったのだが近づける訳もなく、遠巻きにじっと見ているだけだった。 話すことが出来たのは、授業が全て終わってホームルームが始まるまでの短い休み時間だった。 「そんなに慌てなくていいよ。ゆっくり話して」 「う、うん」 私がうまく話せないのが分かったのか、にっこりと笑って優しくそう言ってくれる。 そう言ってくれる人は、カガ君以外あまりいない。 ほとんどの人は、私がうまく話せないのを苛立った顔で見るだけだった。 だから私は嬉しくて嬉しくて、また興奮しそうだった。 でも興奮するとまた失敗するから、なんとかうまく話そうと、深呼吸を繰り返して、ゆっくりと話し始める。 ずっとずっと朝から聞きたかったことがあるのだ。 「蛇穴君は、どこから転校してきたの?」 答えてくれた県名は、聞いたことはあるけど行ったことはない場所だった。 行ったことある?って言われて私は首を横にふる。 蛇穴君は気を悪くした様子もなく笑った。 「すっごい山奥。父の転勤でさ。こんな都会に来れてよかった」 その言葉に、またドキドキとしてくる。 興奮で、口の中が渇く。 「山奥、なんだ。どんなところ?」 「人が全然こない集落でね。周りは過疎化が激しいんだけど、うちの集落はまだ若い人も結構いるんだ」 「へえ」 頭の中が、真っ白になりそうだ。 蛇穴君はそんな私に気付いてか気付かないでか、にこにこと笑っている。 「蛇穴君は、今ご両親と住んでるの?」 「うん、父さんと母さんと一緒」 「そうなんだ。どこに住んでるの?」 「えっとね」 その後も家族構成や、田舎での暮らしなんかを色々聞いてしまった。 ものすごい興奮していたことに気付いたのは、チャイムが鳴ったことでだ。 「あ、き、聞き過ぎて、ご、ごめんなさい。えっと、その、ご、ごめ」 「いいっていいって。落ち着いてよ。転校生なんて、皆興味があるものでしょ?」 「あ、ありがと」 転校生だから、ではなく、蛇穴君だから彼に興味がある。 でもそれを言っていいのかどうか分からない。 しかし私との会話なんてつまらないだろうに、蛇穴君は楽しそうににこにこ笑いながら話してくれた。 とてもとても、優しい人だ。 気付けば遠巻きに、女子がこっちを睨みつけていた。 ああ、調子に乗ってしまった。 「ご、ごめんね、席戻って。先生、来ちゃう」 「そうだね。お返しに今度は俺も菅野さんのこと聞いてもいい?」 「う、うん」 「じゃ、今度ね」 でも蛇穴君はそんなこと気付かずに、手をひらりとふって自分の席に戻って行った。 とてもとてもいい人だ。 蛇の名前を持つ人。 山奥から来た人。 ねえ、パパ、彼が私が待っていた人? 「なんだ、しまりのない顔して」 「あの、あのね、カガ君」 下駄箱で待っていてくれたカガ君は私の顔を見て眉間に皺を寄せる。 いっつも怖い顔をしたカガ君は、私の顔を見ている時いっつも怖い顔をしている気がする。 「リボンずれてる。荷物はちゃんと持て!」 「ひっ!」 慌ててリボンを直し、ファスナーが少し開いていたバッグを直し、抱え直す。 そしてまた猫背になっていた背を伸ばした。 「で、それで?」 「え、え」 「本当にトロくせえな。それでそのにやけ面の理由はなんだ」 まだ何か怒られることがあるのだろうかと思って、きょろきょろ自分の姿を見るが、そうじゃなかったらしい。 私はさっき報告しようと思っていたことをようやく思い出す。 「あの、て、転校生が来たの」 「ああ、なんか聞いたな。そんなんで、お前がそんなに興奮してるのって珍しいな」 確かに私はいつもそこまで人に興味がない。 けれど今回は違うのだ。 「その人ね、蛇穴君って言うんだって」 「うん」 「だからね、すごいなって」 同じように驚いてくれるかと思ってカガ君を見上げると、カガ君は深く深くため息をついた。 「意味が分からない!主語、述語、修飾語をきっちりつけろ!」 「ひっ。あ、えっと、えと、あの、ね、サラギって、ね、その」 また慌てて、言葉が出てこなくなってしまう。 そうするとカガ君は苛立ちを抑えるようにもう一度ため息をついて軽く私の背中を叩いた。 「落ち着いて話せばいい」 「あ、うん、えっと」 「深呼吸」 「うん」 すーはーと何度も深呼吸すると、気分がようやく落ち着いてくる。 カガ君は私を怖がらせるけど落ち着かせてくれる。 でも落ち着かない理由はカガ君なことが多かったりするから、どっちが先なのだろう。 「あのね、サラギって、蛇の穴って、書くんだって。だからね、それで蛇穴君って、山奥の村から来たんだって」 「………ああ、なるほど」 私が言いたかったことが分かったのか、カガ君は朝と同じようにうんざりしたようにため息をついた。 同じように驚いてくれなくて私は少しだけがっかりする。 まあ、確かにカガ君がこんなことで一緒に感動してくれるはずはない。 「で、そいつが蛇神様の使いだって?」 「分からないけど。でも」 そうだったらいいなと思っているのだ。 「お帰り、水葉ちゃん」 「………勝田さん。た、ただいま、帰りました」 半年前から一緒に住み始めた叔母さんの恋人は、笑顔で出迎えてくれた。 私はその顔を見て、ほっとする。 この人が来てくれてから、この家は少しだけ明るくなった。 「疲れただろう。すぐご飯だ」 「は、はい」 叔母さんと二人きりの時は、一緒に食事を囲むなんてこともなかった。 パパの妹である叔母さんは、パパから受け継いだ事業が忙しくて中々家にいない。 それでなくても、独身の叔母さんにいきなり押し付けられたお荷物に、叔母さんはうんざりしているのだ。 けれどこの人が来てから、一緒にご飯を食べることが多くなった。 「あら、帰ってたの」 「お、叔母さん」 「そんな暗い顔しないでちょうだい。どうしてあんたはそう陰気臭いの。見てると苛々するわ」 「………叔母さん」 「どうせ、私の顔を見るとそんな暗い顔になるんでしょうけど」 「ち、ちが」 美人でキャリアウーマンの叔母さんは、パパと年が離れていたこともあってまだまだ全然若々しい。 そんな人が、いきなりこんな荷物を押し付けられたらこんな態度になるのは当然だ。 元々疎遠だったこともあってあまり付き合いはなかった。 それでも最初は、この人も私に笑いかけてくれたこともあった。 けれど、私もパパとママを亡くしたショックでこの人の差し伸べた手を振り払ってしまった。 それっきり、私たちの仲はもう修復不可能だ。 「おいおい、ほら、そんな水葉ちゃんを苛めるな。さあ、夕食にしよう」 「う、うん」 でも、勝田さんが来てくれて、一緒にいるときはご飯も食べるようになって、少しだけ近づけたのではないかと思っている。 私の気のせいかもしれないけれど。 「今日、転校生、来たんだ。それでね、蛇の穴って書いて、蛇穴君って、言うんだって」 勝田さんは私と叔母さんの仲を取り持つように、色々話をしてくれて、聞いてくれる。 私も、話上手な勝田さんには色々話せる。 「へえ、蛇かあ」 「う、うん」 「じゃあ、もしかしたらその子が水葉ちゃんのお婿さんなのかな」 「そ、そういう訳じゃないけど」 顔がカーッと熱くなってくる。 優しくていい人な、蛇穴君。 別にお婿さん、なんて考えてなんていないけれど、ちょっとドキドキしたのは確かだ。 「まだそんな馬鹿馬鹿しいこと言ってるの?いい加減にしなさいよ」 「おい、和江」 けれど私の浮き立った心は、叔母さんの冷たい言葉でキューっと縮んでしまう。 確かに馬鹿馬鹿しい夢物語だ。 蛇神様がいつか迎えに来てくれる、なんて、そんなのあり得るはずがない。 「あんたももう子供じゃないんだから、いい加減大人になりなさい」 分かってる。 でも、信じたいだけなのだ。 パパの言葉を、信じたいだけなのだ。 夜、叔母さんと勝田さんの目を盗んで外をふらふら歩くのが習慣になってしまった。 元々二人は不在がちだし、あまり私に関心もないので、抜け出すのは簡単だ。 あの家は息苦しくて、あそこにいると押しつぶされそうになってしまう。 10月の終わりは風が結構冷たくて、羽織ったパーカーだけじゃ肌寒く感じた。 「あれ、菅野さん?」 「え、え、さ、蛇穴君!?」 そこでコンビニの袋を下げた、蛇穴君が声をかけてきた。 私服姿の彼は、なんだか制服姿より大人っぽく見えた。 やっぱりにこにこと人懐こく笑いながら近づいてくる。 「どうしたの、こんな夜遅くに」 「えっと、あの、お、お散歩」 「そっか。でも危ないからほどほどにしなよ。うちの田舎みたいにどこ歩いても顔見知りって訳じゃないんだろうし」 私がなんて答えたらいいのか分からないのと、突然のことに混乱していると、蛇穴君は更に笑う。 「マジすごいから。村中の冷蔵庫の中身まで全員分かるレベルだから」 「あはは」 そしてそんな冗談を言うから、思わず笑ってしまった。 私が笑うと、蛇穴君も満足そうに笑って頷いた。 「まだお散歩は続行するの?」 「う、うん」 「そっか。じゃあ、付き合うよ。一周りして来よう」 「あ、で、でも、さ、蛇穴君の、用事は」 「俺もお散歩。新しい街に来て興奮して眠れないから」 絶対私に気を使っているのだろう。 申し訳なくてどう断ろうかと考えていると、コンビニの袋を持った右手とは逆の手で、手を取られた。 「だから付き合って」 そしてそうやって笑ってくれる。 温かい手の感触に、気恥ずかしくて、でも振り払うことも出来なくて、私はただ引っ張られるまま歩く。 「しっかし、やっぱり都会だよなあ、こっちは。コンビニが24時間空いてるとか信じられないもん」 「あ、でもね、ここもね、昔は、すごい、何もなかったんだよ。家の周りなんて畑と山」 その土地は元々、うちのものだったのだが、パパとママが死んだ時に相続税とかで結構売り払ってしまったのだ。 燃えた家は建て直して、ずっとそこにいるのだが、辺りは随分と変わってしまった。 「へえ、でもこんなに家があって、電灯があって明るいと、やっぱり都会に感じる」 「そ、そう?」 「うん。元いたところに比べればもう昼間と夜ぐらいの違いだよ。ま、その代わりあっちは月明かりと星明かりがものすごかったけどね。月明かりで、全然道とか見えるし」 その光景が、なんだか目に見えるようだった。 昔からパパの話を聞くたびに、そんな光景を思い浮かべてきた。 生い茂った森の中、道なき道を、月明かりだけを頼りに歩くと、出てくるのは不思議な村。 そこで不思議な住人達に、温かいもてなしを受けるのだ。 「すごい、ね。見てみたいな」 「本当に?じゃあ、今度おいでよ」 冗談めかして、蛇穴君が言う。 目を瞑ると、まるでその山道を蛇穴君と一緒に歩いているようだ。 「行って、みたいな」 「え」 「行ってみたい」 自分でも驚くような、しっかりとした言葉だった。 ぴたりと、蛇穴君の足が止まる。 私もつられて立ち止る。 「何もない田舎だよ?」 「で、でも、行ってみたい」 振り向いた蛇穴君は、なんだか真面目な顔をしていた。 私は気押されて俯きそうになるが、けれど唾を飲んで頷いた。 「行きたいの?」 「うん」 そう言うと、電灯の明かりの下、蛇穴君は笑った。 綺麗に綺麗に穏やかに笑った。 「じゃあ、もう少ししたら連れて行ってあげる」 「え」 「だって、まだ早いよね」 『パパが娘を嫁にあげるって言ったら、村の人はとても喜んで、娘が年頃になったら迎えに行くって言ったんだ』 「もう少し、だよ」 「蛇穴、君?」 蛇穴君は笑っている。 握った手がじわりと汗を掻いて、冷たく感じた。 |