「あ、美味しい!」

蛇穴君が今日の夕飯のビーフシチューを口にしてにっこりと笑う。
表現が素直な蛇穴君を見ていると、私まで胸が温かくなってくる。
ビーフシチューも、一際美味しく感じるから、不思議だ。

「よかった」

結局勝田さんにカガ君と蛇穴君と一緒に送ってもらった。
勝田さんが私の方を見てにやにやするから何かと思ったら、二人に夕食を一緒にどうだと誘った。
蛇穴君の自己紹介で、私がいつも話している人だと分かったようだった。
慌てる私に、蛇穴君は喜んでと言って誘いに乗ってくれた。
カガ君は家に夕食があると言って帰ってしまったが。
最後に睨んでいたので、きっと今日の夜にも、事情を説明させられるだろう。
それを考えると、頭が痛くなってくる。

「へえ、あんたが磯良君以外の男を連れてくるなんてね」
「あ、えっと、え、と」

今日は早く帰ってきた叔母さんも家にいて、一緒に夕飯を取ることになった。
ワインを飲みながら、蛇穴君を値踏みするようにじろじろと見る。
蛇穴君は気付いているのか気付いてないのか、にこにこと笑っている。

「俺、転校生なんです。ここに来てからそろそろ半月になるんですけど、その間水葉ちゃんによくしてもらってるんです」
「この子が?この鈍くさい子が?」
「………」

馬鹿にしたような叔母さんの言葉に、胸がきゅうきゅうと痛くなる。
快活な叔母さんにとって、私みたいなノロマは、見ているだけで苛々するのだろう。
分かってはいるし、何度も言われていることだが、やっぱり哀しくなる。

「水葉ちゃんは確かにはきはきしたタイプじゃないですけど、でも優しいしいつも一生懸命でいい子です」
「………」

フォローするでもなく、自然と言ってくれた蛇穴君の言葉に涙が出そうになる。
誤魔化すようにお水を飲んで、涙が必死でこらえた。
こんなことで、こんなところで泣くなんて、蛇穴君にすら呆れられてしまいそうだ。

「へえ」

叔母さんがつまらなそうに鼻を鳴らす。
蛇穴君はやっぱり穏やかに笑いながら、今度は叔母さんに質問する。

「えっと、和江さんは水葉ちゃんの叔母さんなんですっけ」
「そうよ。この子の父親の妹」
「じゃあ、水葉ちゃんのお父さんの家系は美人の家系なんですね」
「ま、口がうまいこと」

蛇穴君は私も真っ赤になるようなことを言って、からからと笑う。
叔母さんも蛇穴君のあけすけなものいいを悪くは取らなかったらしい。
和やかな雰囲気で、食事は進んだ。
私も蛇穴君の話を聞いているだけで、とても楽しかった。

「あら、電話。失礼するわ」

叔母さんの携帯が鳴り、立ち上がって話し始める。
ちょっと難しい顔をした叔母さんが、5分ぐらい話してからため息をついた。

「ごめんなさい、会社に行かなきゃいけなくなったわ。失礼します」

その言葉を聞いて、勝田さんも立ち上がる。

「君は飲んでるだろう。送るよ」
「ありがとう。ちょっと待ってて」

用意をするためか、二階に上って行く叔母さんを見送って、私は勝田さんに聞く。
最近叔母さんは家にいないことがますます増えた。

「叔母さん、忙しいんですか」

勝田さんが困ったように笑って頷く。

「うん、最近会社の方がゴタゴタしてるみたいでね」
「そう、ですか」

それを聞いても、私には何も出来ない。
叔母さんの力になることなんて、出来ないのだ。
せめて叔母さんに家ではゆっくり過ごして欲しいと思っても、私では苛立たせることしかできない。
無力な自分が、本当に嫌になる。

「じゃあ、俺は行くね」

勝田さんが部屋から出ようとすると、蛇穴君も続いて立ち上がる。

「あ、俺も出ますね。二人きりは魅力的だけど、まだ早いですね」
「さ、蛇穴君!」
「あはは、勝田さんに怒られそうだし、今はやめておくね」

蛇穴君が朗らかに笑うと、私の顔がどんどん熱くなっていく。
勝田さんも同じように明るく笑った。

「そうしてくれ。君も送るかい?」
「近くだから大丈夫です」

そのまま勝田さんは叔母さんと一緒に家を出て行ってしまった。
最後に、蛇神様の使いは素敵な子じゃないかなんて言って。
その言葉で私はますます胸がドキドキしてしまう。

「あの、あの、さ、蛇穴君」

呼びとめると、蛇穴君は門を出たところで振り向いた。

「ん?」
「きょ、今日ね、今日はね、ありがとね」
「こっちこそ、美味しいご飯を食べさせてくれてありがとう」

ご飯も嬉しかった。
一緒に食べたご飯は、本当においしかった。
こんなに楽しい食事は、久しぶりだった。

「う、ううん。それとね、あのね、あの、守ってくれて、ありがとう」

それに、守ってくれたのが、嬉しかった。
そして、ずっと聞きたかったことがある。

「あのね、それで、あの、わ、わたしの」

背中の事を、なんで知っているの。
けれど、聞く前に、蛇穴君はそっと私の手を握る。
その温かい感触に、びっくりして言葉を失った。

「当たり前でしょ。俺は君を守るためにいるんだから」
「………え」

いつの間にか俯いていた顔を持ち上げると、月明かりの下、蛇穴君は私を見つめていた。
いつものように穏やかに笑って、見つめている。

「誘拐犯からも、ビルから落ちた時からも」

私は、蛇神様に守られている。
だから、どんなに危険な目にあっても、大丈夫。
だって、誘拐されそうになっても、ビルから落ちても、火事に遭っても、私は無事だったのだから。

「そして炎の中からも」

誘拐のことは、さっき言った。
けれどビルから落ちたことも、火事に遭ったことも、私は何も言ってない。

「俺は、君を守るためにいるんだから」

蛇穴君が、ぎゅっと私の手を握る。
私は何も言えなくなって、ただ蛇穴君を見つめる。

「………さ、蛇穴君」

不思議なことは、いっぱいあったのだ。
誘拐犯は、逃げようとした時に転んで、あっさりと捕まった。
後から、何かに足を取られたと言っていた。
ビルから落ちた時も、私は無傷だった。
何もなかったはずなのに、何かクッションで支えられたとしか思えないと言われた。
火事の時もそうだ。
パパとママは死んでしまったが、私はびしょ濡れになって、庭に放り出されていた。
パパとママが私だけは窓から逃がしたのだろうと言われているけれど、それでもどこで濡らしたのか、どうして窓から投げられたのに無事だったのか、不思議なことが一杯だった。

それに。
そうだ、それに。
頭がズキズキと痛む。

「蛇穴君は」

だから私はずっと、蛇神様に守られていると、ずっと信じていたのだ。
いつか蛇神様が迎えに来てくれると信じていたのだ。

「なんて、ね。それじゃあ、また明日!」

けれど聞こうとする前に、やっぱり蛇穴君はするりと逃げてしまう。
まるで蛇のように、するりするりと、逃げてしまう。





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