パパとママは、突然いなくなってしまった。
二人がいなくなった時のことは、よく覚えてない。
気が付いたら、私は病院のベッドの上だった。

家は燃えてしまった。
大事なものは燃えてしまった。
パパとママも燃えてしまった。

私に残されたものは、とても大きくて、とても少なかった。

「ねえ、水葉ちゃん、うちにいらっしゃい?」

知らない人が、気持ち悪く笑って聞いてくる。
パパとママがいなくなったという実感も沸かないまま、怒涛のようにお通夜、お葬式、そして遺産のお話。
まだ小学生の私を前に、見たこともない人達が、パパとママのお金を取り合う。
小さい私の面倒を見る人を、私の意志と関係なく決められる。

「私は昔から水葉ちゃんのお父さんとは仲良くしていてね」
「お母さんを小さい頃から見てきたのよ」

知らない人。
聞いたこともない話。

「あ………」

けれど、私は何も答えることが出来なかった。
この頃から吃音の症状が出始めて、私はうまく話すことも、人とどうやって接したらいいのかも分からなくなってきた。

「ねえ、水葉ちゃん」

けれど親戚の人達は、戸惑い怯える私を気にせず、決断を迫る。
パパもママもどちらもいっぱいお金を持っていて、どちらもすでに両親もなかった。
パパとママのお金を受け継ぐ権利があるのは、私と、そしてもう一人。

「あんた達に渡す金なんてある訳ないでしょ」

ハイエナのようにたかる親戚らしき人達の群を掻きわけて不敵に笑う綺麗な女の人。
何度か話したことがある、パパの妹。
来るたびにお菓子やおもちゃを買ってきてくれるけど、話しかけてくることは少なく、どんな人は分からない。
近づきがたい空気を纏った人だった。

「悪いけど、兄さんと義姉さんの金を、ビタ一文だってあんた達に渡す気はないの。兄さんの生前からたかりにたかって。おかげで人間の裏表ってものがよく分かったわ。水葉は私が引き取ります。あんた達には関係ないわ」

周りの親戚の人達より随分若い叔母さんは、けれど誰よりも偉そうに笑う。
勿論皆は怒って、生意気だ、まだ若いのに育てられる訳がない、財産目当てだ、一人占めする気か、水葉を利用しようとしている、なんて口々に叔母さんを責め立てる。
けれど叔母さんは動じず、私に問いかけた。、

「水葉、あんたはどうしたいの」

こうしなさい、ではなく、どうしたいのか、を聞いてくれたのは叔母さんが初めてだった。
だから、私は、叔母さんの後ろに隠れて言った。

「お、叔母さん、に、あげる。」

こんな、争いの種になるものなんていらない。
皆が喧嘩するものなんていらない。
誰もパパとママがいなくなったことを哀しんでいない。
誰も私がパパとママのために泣く時間をくれない。

「おか、お金、なんて、いらないっ!こんなの、いらないっ!」

こんなのがあるから、いけないのだ。
こんなのがあるから、皆喧嘩するのだ。

「叔母さんに、あげる!」

けれど叔母さんは私を見下し、馬鹿にしたように鼻で笑った。

「私が他人からほどこしを受けると思ってるの?いらないわよ、そんなお金。それはあんたのものよ。私の金は、私が稼ぐわ」

叔母さんはいつも怖くて近づきがたかった。
けれど、それでも、その強さが羨ましくて、ずっと憧れていたのだ。



***




「おい、水葉」
「………はい」

夜遅くに、家の前に呼び出された。
昔はよく一緒に遊んだ庭で、カガ君が怖い顔で私を見下ろす。
私はカガ君の顔を見ることが出来ずに、俯いて手をぎゅっと握る。
カガ君は、怖い。

「俺は、あいつに近づくなって言ったよな」
「だ、だって」
「言い訳するな!」
「ひっ」

叱りつけられて、体がびくりと震える。
カガ君と一緒にいると安心して、ほっとする。
けれど、それと同時に、怖くて、逃げ出したくもなる。

「いいな、水葉」
「あの、あのね、でも、でもね。すごく、蛇穴君ね、い、いい人、なんだよ」

けれど、私は、この命令は聞くことは出来なかった。
カガ君の言葉に背くことなんて、滅多にない。
それでも、精一杯勇気を振り絞って伝える。
蛇穴君と、離れるのは、嫌なのだ。

「水葉」
「………っ」

一際低い声に、ぎゅうっと心臓を握られたように痛んだ。
カガ君が、怒ってる。
怒ってるカガ君は、怖い。
いつもより、ずっとずっと、怖い。

「お前が何かをするたびに尻ぬぐいするのは俺なんだよ」
「………」

それは、そうだ。
転んで泣いた時も、物を壊してしまった時も、学校で用事を言いつけられた時も、そしてあの誘拐されそうになった時も。
全て、その後始末をしてくれたのはカガ君だ。

「お前の両親にも頼まれてるんだ。いいから、言うことを聞け」
「………」

高圧的に言われて、唇を噛みしめる。
いつもなら、すぐに頷いてしまっていただろう。
けれど、今日はどうしても、言うことを聞きたくなかった。
義務で、責任感で、私をずっと面倒見てくれるカガ君には、感謝している。
カガ君が言うことは、ほとんど正しい。
それは分かっている。

「水葉」

手を握られ、引っ張られる。
カガ君の手は冷たくて、握るとじわりと温かい。
それは、とてもとても懐かしい、ずっと傍にあった手。
それでも、もう。

「か、カガ君が、わた、わたしの、私の面倒、見ることなんて、ない。だ、だから、わたしは、もう、一人で、へ、平気なんだから」

もういい。
義務で、責任感で、嫌々面倒をみられるのは嫌だ。
私だって、意志はあるのだ。
私だって、傷つくのだ。
私だって、自分の体を好きにする権利ぐらいはあるのだ。
何にもない私だけれど、私だけは、私のものだ。

「水葉?」
「か、カガ君が、面倒、み、見てくれなくても、へい、平気、なんだから!」
「おい!」
「もう、カガ君は、好きにして!」

手を思い切り振り払うと、カガ君は驚いた顔をしていた。
その顔に、少しだけおかしくなる。
私にもカガ君に、こんな顔をさせることが出来るのだ。
少しだけ胸が梳いて、そしてそれ以上の罪悪感に、涙が出そうになる。
目をぎゅっと瞑って堪えてから、私は家の中に駆けこむ。

私はもう、私を好きにする。
だって、どうなってもいいのだ。
蛇神様が迎えに来てくれるなら、それが一番いい。
でも、パパとママが迎えに来てくれるなら、それでも、いい。

私は、私を好きにする。
そして、カガ君は、カガ君を自由にする
ずっとずっと、傍にいてくれたカガ君。
でも、もう私の傍にいる必要なんて、ないのだ。

もう、自由に、生きてくれて、いいのだ。



***




「あれ、水葉ちゃん。一人?」
「………うん」

学校から出ると、下駄箱で蛇穴君に会った。
蛇穴君はいつものように穏やかに笑っていて、その顔を見るとほっとした。

「どうしたの、顔腫れてるよ」

昨日は家に帰って、いっぱい泣いてしまった。
カガ君にこれまであんなに面倒みてもらったのに、私はその恩を仇で返したのだ。
自分の弱さが情けなくて情けなくて。
そしてカガ君に、ついに離れていていいと告げてしまったのが、哀しくて、寂しくて、苦しくて。
自分で言ったのに、なんて勝手なのだろう。
でも、もうこれ以上カガ君と一緒にいるのは、辛かった。
カガ君に我慢させるのも、私が我慢するのも、辛かったのだ。

「………」

何も言えないでいる私に、それ以上蛇穴君は何も聞かなかった。
代わりに笑って私の手を握る。

「これから帰るの?」
「う、うん」

蛇穴君の手は、とても温かい。
その温かさに一日中重苦しかった心が、ゆるゆると溶けて行く気がする。

「じゃあ、一緒に帰ろうか」
「あ、で、でも」

カガ君と学校に来なくなった途端、蛇穴君とこんな風に帰ったりしたらきっとまた色々言われるだろう。
私はもう今更どうだっていいが、蛇穴君は困らないだろうか。
戸惑う私に、蛇穴君は哀しそうに眉を顰める。

「迷惑?」
「ううん!

迷惑なんかじゃ、ない。
むしろ迷惑をかけているのは、私の方だ。
だから思い切り首を横にふると、蛇穴君は嬉しそうに笑った。

「じゃあ、帰ろう」

なんだか騙されたような気がするぐらい、鮮やかだった。
もう断る隙もなく、手をひかれるまま一緒に歩く。

「そういえば、朝も磯良と一緒に来なかったんだって?」
「………」

いつもよりも早起きして、カガ君が迎えに来る時間よりも前に家を出た。
お手伝いさんに伝言を頼んでおいたので、カガ君に私の意志は伝わっただろう。
帰りも、迎えに来るよりも前に教室から逃げ出した。
あんなによくしてもらったのに、こんな態度で接するなんて、本当になんて私は恩知らずなんだろう。

「やっぱり店もいっぱいあるよね。ここうろついてるだけでしばらくは退屈しないいや」

信号が赤になって、二人で交差点で止まる。
蛇穴君は辺りを見回して、苦笑交じりに言う。
ものすごい都会って訳じゃないが、確かに田舎なんて言えなくて店は沢山ある。
カガ君のことを頭から振り払って、私は努めて明るく聞く。

「蛇穴君の、おうちの方は、どんなお店があったの?」
「何もないよ。本当に何もない。スーパーなんて名ばかりの商店だけ」

悪戯っぽく笑う蛇穴君に、私も少し笑う。
蛇穴君と一緒にいると、気分が軽くなってくるから、不思議だ。

「本当にすっごいからね。山奥だから」

人里離れた、山奥の村。
人が踏み入れないような、隠れた集落。
それは、とても気になる単語だ。

「ね、あの、あのね、あの………」
「どうしたの?落ち付いて」

勢い込んで興奮して言葉が出てこなくなった私に、蛇穴君が優しく頭を撫でてくれる。
すーはーと深呼吸を繰り返して、蛇穴君を見上げる。

「あの、蛇穴君は、その………」

あなたは、蛇神様なの?
何度も聞こうとしていまだに聞けない、問いかけ。
答えを聞きたくて、けれど聞きたくない。
真実を知ってしまうのが怖くて。
もし蛇穴君が蛇神様じゃなかったらどうする。
そして、もし蛇穴君が蛇神様だったら、どうする。

「まだ、早いよ」
「………蛇穴、君」

けれど蛇穴君はやっぱり、穏やかに笑うだけ。

「まだ早い。でも、俺は待つよ。ずっと君の傍にいる。俺は君の傍にいる」

一瞬だけ背中をすっと手の平でなぞって、離れる。
そこにあるあざを辿るように。

「そのために、君が生まれてきた時に、その背中に印をつけたんだからね」
「あ………」

私の背中のあざ。
パパがずっと言っていた。
このあざは蛇神様のものであるっていう、印なんだよ。
だから何も心配することはないんだ。

「………あっ!」

その時いきなり背中を押されて、私は車道に飛び出してしまう。
ブブー!キキー!
耳をつんざくクラクションの音、ブレーキの音。
近づいてくる車に、私は驚いて動くことが出来ない。

「水葉ちゃん!!」
「っ」

けれど腕を引っ張られ、すんでのところで歩道に戻った。
ブレーキを踏んでいた車は私のいた場所を通りすぎ、なんとか後ろの車との衝突も避けられたようだ。
そしてそのまま通り過ぎて行く。

「………」

バクバクと、心臓が、痛いほどに波打っている。
耳に、血液が流れる音がするぐらいに、鼓動が速い。
頭が真っ白で、何も考えることが出来ない。

「大丈夫!?」

歩道に二人で座り込んでいると、蛇穴君が心配そうに私の顔を覗き込む。
その顔を見て、ようやく今何が起こったのを認識していく。

「だ、だい、だいじょうぶ」

とりあえず蛇穴君を安心させるために、私は大きく呼吸を繰り返してなんとか落ち着こうとする。
蛇穴君がゆっくりと肩を抱いて立たせてくれる。

「どうしたの?貧血?大丈夫」

なんで、車道に転んでしまったのか。
なんで。
それは。

「ち、ちが、誰か、が、背中………」

その先は、言っていいのかどうか分からなくて、言葉を飲みこんだ。
けれど、確かに背中に残っている感触。
誰かが私を、車道に突き飛ばした。

「………」

そう言えば、この前学校から落ちてきた本は、なんだったのだろう。
どこから落ちてきた、とか気にすることもなかった。
あれは、偶然?
今のも、何かの事故?

「っ」

震える私を、温かい腕が優しく抱きしめる。
そして耳元で、柔らかい声が、囁く。

「大丈夫。俺が君を守るから」

私は、その温かい腕に、落ち着かない心のままそっと凭れかかった。






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