「勘違い?」

二人が不思議そうに、同時に首を傾げる。
それがなんだかとてもシンクロしていて、私は思わず少し笑ってしまった。

「………うん」

すーはーっと深く深呼吸。
落ち付いて、ちゃんと喋らなければいけない。
私はこれから、したくないことを、しなければならない。
胸が痛くて、きゅうきゅう軋む。
この痛みを、いつか忘れられることは、あるのだろうか。

「あの、ね、叔母さん、叔母さんが、わ、私を、怪我させても………、たとえば、殺しても、得しないの」
「え」

優しい勝田さん。
優しい蛇穴君。
信じていた。
信じようと、思ってた。
私は、ずっと、信じたかったよ。

「お、叔母さんは、わ、私のおか、お金は、私のものだって、言って、くれて。あのね、だから、私が、大人に、なるまでに、私に、何かあったら、お金、全部、き、寄付されるの」

叔母さんは物の分からない小学生の私に、しっかりと説明してくれた。
あんたのお金は、大人になるまでしっかり保管しておく。
大人になってからどうするか、決めなさい。
大人になる前にあんたに何かあったら、それは全部、恵まれない子供に寄付するわ。
あくまでもパパとママのお金に固執しない叔母さんを、私は心から尊敬していたのだ。

「だから、叔母さんが、私を、殺しても、な、なんの得もないの」

怖くて二人が見れなくて、私は無意味に手をいじりながら、自分の爪の色を見ていた。
遠いところに、行ってしまいたい。
どうしてこんなところに、いなきゃいけないのだろう。

「そ、それとね、私が、大人に、なるまで、せ、生活費と、学費以外は、凍結、されてる、の。私でも、か、簡単に、触れないの。弁護士さんと、叔母さんと、一緒に、じゃないと、お金、取り出せないの」

大人になるまではあんたにもお金を触らせないと言って、叔母さんはその手配をした。
叔母さんと私の同意の元、弁護士さんと一緒でなければ遺産には触れない。

「二人は、お金、欲しい、んだよね」

そこでようやく、顔をあげる。
二人は口を軽く開いて、私を強くじっと見ていた。
その顔は、驚いているように見えた。

「だ、だから、優しく、してくれたん、だよね」

蛇穴君も勝田さんも、優しかった。
私にとても優しかった。
裏があるなんて、考えなくなかった。
でも、私を純粋に愛してくれる人なんて、誰もいない。
そんなの、分かってた。

「それで、叔母さんから、わ、私を、引き離そうと、し、したんだよね」

二人がこの後、どうしようと思っていたのは分からない。
きっと叔母さんへの不信感を植え付け引き離して、私が持っているお金を自由にしようとしたのだろう。

「でも、ごめんね。お金、あげられ、ないの。ごめ、ごめん、ね。私をどうこう、しても、あのね、お金、どう、にも、できないの」

でも、それは無駄な努力だとしか言えない。
私を殺そうと懐柔しようと、私がどうにか出来るお金なんて、お小遣いぐらいだ。

「………水葉ちゃん」

蛇穴君が、哀しそうな顔で私をじっと見ている。
その顔を見ていると、やっぱり信じたくなってしまう。
彼の優しさは、嘘なんかじゃなかったと思いたくなってしまう。

「水葉ちゃん、誤解だよ。俺は………」

穏やかな柔らかい声。
穏やかな優しい笑顔。
温かい手と抱擁。

「蛇穴君が、蛇神様だったら、よかったな」

その優しさが、偽りなく私に与えられるものだったらよかった。
私をここではない遠くへ、連れて行って欲しかった。

「俺はっ、俺はずっと、君を守って」

蛇穴君が苦しそうに、哀しそうに顔を歪ませて、私に手を伸ばす。
けれど私はその手から逃れて身を引き、首を横に振った。
でも、もうこれ以上の嘘は、いらない。

「あの、ね。蛇穴君、言ったよね。私が、生まれた、時に、せ、背中に印を、つけたって」
「そうだよ!君を見つけるために」
「違う、の」

私は思わず、笑ってしまう。
信じそうだった。
彼が蛇神だと、信じていた。
信じたかった。
そんなおとぎ話を信じてしまいそうなぐらい、遠くへ行きたかった。

「私の、背中のあざはね、き、傷跡、なの」
「え」

首筋から腰にかけて、蛇が巻き付くように走る、一筋の赤い跡。
興奮したりお風呂に入ったりすると色が濃くなるそれは、確かにあざのようだった。

「誘拐、されそうに、なった、って言ったよね。あの、あの時に、ね、私、お、おじさんに、背中、ナイフで、切られたの」

ギラギラと光る大きなナイフは、逃げる私の背中に振り下ろされた。
痛みと恐怖で、私は泣き叫んだ。
あの時カガ君が駆け付けてくれなかったら、私はもしかしたら死んでいただろう。
命は助かった。
けれど傷は、背中にしっかりと残った。

「い、今背中に、残ってるのは、その時の、傷跡、なの」

そして今もなお、カガ君を縛り続けた傷跡。
カガ君はずっと、私の傷跡を後悔し続けていた。

「………」
「だか、だからね、これは、生まれた時から、あるものじゃ、ないの」

あざだと言ったのは、パパ。
あの時のことを思い出しては泣き喚く私を抱きしめて、大丈夫、それは蛇神様の印なんだと言ってくれた。
これは悪いものじゃない。
これはいいものなんだ、と、何度もいい聞かせてくれた。
恐怖に彩られた記憶は、そのうちお守りのあざへと変わった。

「………それに」

続けようとした言葉は口の中で消えた。
私は緩く首を振って、蛇穴君をもう一度見つめる。
蛇穴君は呆然として私を見ていた。

「………さ、蛇穴君、私の、こと、詳しかった、ね。叔母さんと、カガ君の他に、そ、そんなに、詳しいの、勝田さん、だけ。だからね、二人、し、知り合い、だよね。叔母さんと、カガ君は、私の背中のことも、ちゃんと知ってる」
「………」
「………」

蛇穴君が嘘をついていると、気付いた。
そうしたら、誰が教えたか分かった。
そして、その理由は、すぐに思いついた。

「でも、ごめ、ごめんね。お金、ないよ。あげられ、ないよ」

私が持っているもので価値のあるものは、パパとママが遺してくれたお金ぐらいなんだから。

「叔母さんの、ためなら、いいって、思った。でも、でもね、二人、違うよね」

もしかしたら勝田さんは叔母さんの会社を心配して、私にお金を出させようとしているのかと思った。
けれど叔母さんから私を引き離そうとするということは、叔母さんのためではないのだろう。
わずかな期待は、砕け散った。
残ったのは、痛みと哀しみだけ。

「おば、叔母さんには、言わないよ。でも、私、嘘、つくの、下手だから、ばれちゃうと、思う」

叔母さんが知ったら、きっと哀しむ。
叔母さんは勝田さんと一緒にいて、楽しそうだった。
勝田さんも叔母さんには優しかった。
だから、邪魔する気はない。
私のお金のことさえなければ、きっと二人はうまくいくんだから。

「だ、だから、ごめ、ごめんなさい。家、出て行って」

本来なら私が出て行けばいいのだろう。
けれどきっとそれは叔母さんが許してくれない。
だから、勝田さんに消えてもらうしかない。

「ごめん、ね。蛇穴君。私、お金、ないよ。ごめんね。優しくしてくれて、う、嬉しかった。あり、ありがとう」

たとえそれが目的があってのことだとしても、それでも優しくしてもらったのは嬉しかった。
夜の散歩は、とても楽しかった。
笑いかけてもらって、心が一杯になった。
蛇穴君といると、穏やかな気持ちになれた。
それは、本当。

「………水葉ちゃん、もっとボケボケしてると思った。意外と勘がいいんだね。蛇の神様なんて信じてる痛い子だと思ったのに」

蛇穴君が苦笑しながら、肩をすくめる。
蛇神様のことを否定されて、胸が痛む。
それでもどこかで、蛇穴君が蛇神様なんじゃないかと思っていたから、余計に痛かった。
そんなはず、ないのに。

「………」
「結構あんな臭い台詞いうの大変だったんだよ?うまくいってると思ったのになあ。俺の演技、バレバレだった?」
「ほ、本当だと、思った、よ」

私は首を横に振りながら正直にいった。
蛇穴君が、あざのことを言うまで、私は、蛇穴君を信じていた。
蛇神様だと、思っていたのだ。
遠くへ連れて行ってくれると、期待していたのだ。

「でも、ごめん、ね」

気付いてしまった。
いっそ気付かずに騙されていたなら幸せだっただろうか。
でも駄目だ。
私は、彼の欲しがるものを持っていない。

「うーん、結構いい線いってると思ったのになあ」
「お前の演技が下手だったんだろう。高い金出したのに」
「勝田さんのリサーチ不足でしょ。あざとか金とか」
「………」

勝田さんが苦々しく舌打ちをする。
いつも優しく朗らかに笑っていた勝田さんの見たことのない顔。
それがこの人の本当の顔なんだろうか。
やっぱり人は、皆、こんな顔をしているのだろうか。

「で、どうするの?」
「………」

蛇穴君の問いかけに、勝田さんは眉を寄せて黙りこむ。
それからしばらくして、にやりと嫌らしく笑った。
私を誘拐しようとした人と、家に火をつけた人達を、同じ顔。
不快感に、鳥肌が立つ。

「仕方ない。この子が出せないなら、和江に金出してもらうか」
「どうやって?どうやっても出そうとしなかったんでしょ?」
「ああ、この子から金引き出せつっても、がんとして譲らなかったからな」

その言葉を聞いて、こんな時だけれど嬉しくなった。
叔母さんは変わってなかった。
やっぱり叔母さんは強くて賢い、叔母さんのままだったのだ。
叔母さんが言ったら私はいくらでも自分のお金を引き出す。
それでも叔母さんはその道を選ばない。

「そうだな。この子の恥ずかしい写真でも撮って和江を脅かすってのはどうだろうな。かわいい姪の一大事だ。金ぐらい出すだろ。ま、予定より少なくなるだろうけどな」

勝田さんの言葉が、遠い国の言葉のように聞こえた。
何を言っているのか、分からない。

「うわ、えげつな」
「言ってろ。上品下品で金が入るなら苦労はしない」

そして勝田さんがソファを立って、私に近づいてくる
恐怖と動揺で、頭が真っ白になる。

「か、勝田、さん」

勝田さんはにやにやと、気持ち悪く笑う。
それはいつかを思い出して、吐き気がする。

「ごめんね、君がもっと俺達を信じてくれたらこんなことしなくても済んだのに。疑り深いのはよくないよ」
「や、や、やめ」
「何言ってるか分からないよ。ああ、その話し方も本当に苛々してたんだよね。とりあえず黙ってみようか」

ようやくソファから立ち上がり、家から出るために駆けだす。
けれど腕を簡単に掴まれて、ソファにもう一回放り出される。
顔からつっこんで、一瞬息が止まる。
脂汗で背中がじっとりと濡れて行く。
混乱し萎縮する私の感情とは打って変わって、穏やかで優しい声が耳に響く。

「うわあ。下衆な感じ」
「お前は見てるか?」
「まあ、お金も貰ってるし、手伝うよ。仕方ないから。蛇の神様役だったら、ロマンチックでよかったのになあ」

腕を引っ張られて、ソファに仰向けに転がされる。
見上げると、蛇穴君は穏やかに笑っていた。

「て、ことでごめんね水葉ちゃん。大丈夫、俺優しいから」

いつもと同じように、笑っていた。





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