すでに日も沈みそうで、空は赤と青のグラデーションを描いている。
夏に徐々に近づくこの季節、日は長くなってはいるものの6時を過ぎると真っ暗だ。

「あ、北川様。うち寄ってかない?」

帰り道に軽く声をかけると、北川はアーモンド形の大きくも小さくもない目を怪訝そうに眇めた。

「何、突然?」
「いや、せっかくだから。うちすぐそこなんだ。お茶でも飲んでいって」
「………ふーん」

北川がその本性に相応しく、嫌らしくにやりと笑う。
いつも浮かべている人好きする穏やかな笑顔よりこっちの方がずっと似合う。

「どうしたの?」
「見返りは?」
「へ?」

内心少しギクッとするが、務めて何も分からないように首を傾げる。
北川はそんな私の態度を鼻で笑う。

「僕が君の家に行く、見返りは?」
「なんで見返りがいるのさー。ただのお誘いじゃない。嫌なら来なければいいんだし」

やっぱり北川は敏い。
家に誘ったのは友情半分、打算半分なのは確かだ。
しかしこれぐらい素直に乗ってくれてもいいものを。

「君のそのセコイ趣味は、ご家族には理解されてないって言ったよね」
「セコいんじゃないよ。節約主義なの!かしこい主婦なの!」
「それで、バイトも禁止されてて、性格についても心配されていると」
「それじゃまるで私が性格悪いみたいじゃない。基本的に私、自分の損にならない限りは性格いいよ!多分!」
「君のような性格の人がバイトや外出も控えているとなると、君はかなり家には気を使っているんだろうね。さぞやご家族の前では大人しやかに過ごしているのかな。つまりその拝金主義な性格は隠したいわけだ」
「拝金主義って、それじゃまるで私が政治屋さんみたいじゃないですかー」
「そこに育ちが良さそうで賢そうで身綺麗なクラスメイトを連れていけば、親御さんはきっと安心するだろうね。健全な生活を送ってるってことで」
「いくらなんでも自画自賛過ぎやしませんかー?」
「僕の自己評価、何か間違ってる?」
「いえ、一言一句否定すべきところはございませんでした」
「でしょ?」

ああ、その自信満々に断言できる傲慢さ。
本当に北川様はどこまで言っても北川様だ。
そんな何様俺様北川様は、人を見下しきった態度で腕を組む。

「それで、そんな風に話を逸らそうとするってことは、僕の言ってることは当たってる訳だね?」
「あはははは」
「正直に言ってくれれば協力しない訳でもないよ?」

それなら、正直に言って協力してもらった方がいいだろうか。
いや、でも、北川は最初に報酬を求めていたはずだ。

「………でもお高いんでしょう?」
「君もそういうのが好きなんじゃないの?ギブ&テイク」
「いえ、別にギブ&テイクじゃなくてもいいんです!むしろ私に対してはギブ&ギブでいいんです!与えてください!見返りを求めない無償のギブを!ギブを!ボランティア精神って素敵!人の心って美しい!」
「あはは。資本主義を根本から否定した言葉だね。共産圏に移住したら?」
「嫌ですよ!自分の財産が持てないとか!」
「まあ、完全マルクス主義の共産国なんてないけどね」
「自分、資本主義の犬ですから!」
「それで、どうするの?僕はどっちでもいいけど」
「…………」

ここはどうするのが正解だろうか。
まあ、別に北川を無理に家に呼ばなくてもいいのだ。
確かに連れていけば父さんも母さんも兄ちゃんも安心しそうだなーとは思うけれど。
絶対条件って訳ではない。
でもまあ、とりあえずは交渉だけはしてみるか。

「………見返りは、何がいいんすか?」
「そうだなあ、何がいいかなあ」
「じゅ、ジュース3本分」
「僕の自給300円な訳?君の安い人生と一緒にしないでくれる?僕のトイレの時間にも満たないよ」

そういえば北川もトイレとか行くんだな。
いや、今日行ってたけど。
でもなんだかこの完璧な容姿の口からトイレとか出てくると嫌に生々しい。

「じゃ、じゃあ、それにうまい棒10本セットつけます!」
「なにそれ?」
「うまい棒を知らないと!」
「知らないよ。そんなもの」

そんなのとか言った。
うまい棒に対するひどい侮辱だ。
それはつまり日本人全てを侮辱をする言葉だ。
けれど今はそこにつっかかってる場合ではない。

「すっごいすっごい素晴らしく美味なお菓子なんです!もー感動もの!未知の食感と魅惑の味、その感動をあなたに!」
「へえ、そんなに美味しいんだ」
「もー、あれぞ天上のお菓子です!」
「そう、じゃあやだ」
「なんですと!」

まあ、そう返ってくるんじゃないかとは思ってたけどね。
私がプッシュすればプッシュするほど断るだろうってことは分かってたけどね。

「そんな風に言われたら誰だって断るよね」
「う、ううう、じゃ、じゃあ、分かった大奮発だ!おっぱいアイスとラムネもつけようじゃないか!」
「いきなり卑猥なこと口走らないでくれる」
「大丈夫、日常ワードです!」

北川が蔑む視線で、不快気に顔を歪める。
ああ、そのゴミを見下ろすような目はやっぱりゾクゾクする。
なんかもうもっと罵ってください。

「まあ、どちらにせよ君からの条件なんて飲む気ないんだけどね」
「ここまで来てなんたるドS!」
「あはは。君はMなんでしょ?じゃあ、虐げられる喜びに浸ってよ」
「それは勿論Mなんですが、利害関係が絡む場合はまた別というか!」

と言いながらも、なんかもう、こうやって断られ続けるのも段々気持ちよくなってきた。
こうやって翻弄されるのも悪くないなあ。

「どうしようかなあ。何をしよう。というかさせよう」

思案するように口元に手を当てる北川。
何をさせる気なんだろう。

「な、何をさせてくれるんですか」
「そんな嬉しそうな顔されると萎えるからやめて」
「ちょっと言ってみてください。やだ、ドキドキする」
「しないで。本当に心底気持ち悪い。生理的に受け付けない。不快」
「そこをなんとか!」
「なんかもうどうでもよくなってきた。もういいや。帰ろう」

うんざりとした様子で足を早める。
ああ、その断りっぷりもいいのだけれどもうちょい粘ろう。
せっかくだし。
なんか何を要求されるのかも、気になってきたし。

「待った!北川様、退屈なんですよね?」
「うん。退屈だね」
「じゃあ、いい退屈しのぎですよ。私を育てた両親とか、兄とか見てみたくないですか?親の顔が見てみたい、とか思ったことありませんか!」
「あるけど、自分で言わないよね、それ」

よく言われる言葉だ。
ご両親はどんな教育をしたのか、家に強いられているのではないか。
正直両親に対する罪悪感はかなりある。
だからこそ大人しくして家族やご近所さんなんかにはバレないようにしているのだが。

「ほーら、ありますよね!じゃあ、いい機会ですよ!親の顔がばっちり見える!どのような環境がこんな守銭奴を生み出したのか!隠された過去が今解き明かされる!」
「まあ、隠されたも何も、事情は君がさっき全部言ってたけどね」

確かにペラペラ話し過ぎだ。
いつもはここまで自分の事情なんて話さないのだが、北川にはなんだか言ってしまう。
これが恋って奴なのか。
なんて考えていると、北川がため息混じりに小さく肩をすくめる。

「ま、いっか。暇だし」
「はい!そうですよね、暇つぶし!」
「そうだね、見返りはの条件は保留にしておこうかな」
「え、やっぱりつけるの!?」
「だって、君の良きクラスメイトとして振る舞ってほしいんでしょう?」
「………それは」
「だから、僕が精一杯大人受けのいい好青年を振る舞ってあげるよ」
「う、ぐ」
「君にとってはいい条件だろう」

確かにそれは結構いい条件だ。
この人なら完璧な優等生を演じきってくれるだろう。
家族を安心させて心証をよくしておけば、後々かなりやりやすい。
それならこの人の条件を飲んでおいた方がいいだろうか。
無理難題を押し付けられるのは問題ない。
むしろどんと来い。
でも、私のキャパシティを超えるようなものは無理だ。
契約の条件を明確にしておくのは基本。

「報酬については保留ってのはちょっと怖いです!今ここで決めておきたい!」
「だって思い浮かばないし」
「じゃあ、私から提示しますから!」
「貧乏くさいから却下」
「く、くく………。分かりました。ではそれは長期間に及ぶものではないこと。そうですね、一か月以内。金銭的負担は、せん……うぅ、さ、3000円以内に収まること。肉体労働や多少の暴力なら全く問題ないですが、折ったり切ったりなど完治まで長引いたり跡が残るような被害を受けたりするものではないこと。あ、勿論命に関わるものではないこと。すいません、この辺商売道具なんで」

3000円と言うのもかなり大奮発で胃が痛い。
血を吐いてしまいそうだ。
私の破格の条件に、北川はうんざりとしたように手を振る。

「分かった分かった。君に金銭的、身体的な被害を及ぼしたりもしないし、一生を拘束したしたりするものではないことを約束するよ。そうだね、ちょっとした罰ゲームぐらいのものを考えておく」

まあ、私のようなプロレタリアの財産なんてこのブルジョアジーには関係ないだろう。
けれど契約は契約。
そこんところははっきりさせておかないと。

「約束ですよ!」
「了解です。約束だ」
「では契約成立です。約束破っちゃだめですからね!」
「はいはい」

北川は面倒くさそうに手をひらひらとふる。
よし、これで大丈夫。

「では、行きましょう!うち、本当にすぐそこなんです。ちょっと設定について道々相談させてください。あ、今なら兄ちゃんもいるかな」

北川が根負けしたように苦笑した。
そしてゆったりと優雅に歩きはじめる。

「中村は本当に馬鹿だね」
「へ?」

駆け足で近寄って、その顔を覗き込む。
北川も面白がるような表情で私を見返す。

「どちらにせよこんな口約束なんてどちらも拘束力はないんだ。僕が無理難題をふっかけたら君は黙って破棄すればいいだけのことだ」
「あー、まあ、そりゃそうなんですけど」

確かにそれはそうだ。
書面にしてない約束なんて、吹けば飛ぶような儚いもの。
けれど、だからこそ大切だ。

「でも約束は、約束だし。信頼は商売の基本です」
「君は本当に変人だね」
「ありがとうございます!」

北川は呆れたようなため息をもう一度ついた。





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