深呼吸を一つして、拳を握って気合を入れる。
隣で見ていた北川が、そんな私の様子を見て眉を顰める。

「自宅って、そんなに気合いれる場所?」
「覚悟してください。敵は中々の強敵ですよ」
「どんな戦闘地域なの、ここ」
「自衛隊すら立ち入れないと心してください!」

そう、ここは後方地域と認められない前線だ。
そしてドアノブに手をかけ、がちゃりと開く。

「ただいまー」

精いっぱい明るく朗らかに帰宅を告げると、奥からスリッパの音が響いてくる。
この人の突破が何よりの難関だ。

「おかえりなさい、円。フリーマーケットに行ったって言ってたけど、また変な売り方とかしてないわよね。変な大道芸の真似事とかもしてないわよね」

母ちゃんの心配そうな声に、北川がぼそりとつぶやく。

「………そりゃ心配するわけだ」
「面目ないなー」

若気の至りなんだから許してほしい。
今は懲りてあそこまで目立つ真似はしていない。
誰にだってやんちゃしたい時期はある。
認めたくないものだな、自分自身の、若さ故の過ちというものを。

「もう、そういうことは、ってあら、ど、どなた」

玄関先に現れた母ちゃんは、北川を見て目を丸くする。
隣にいる非の打ちどころのない美少年に見惚れているようにも見える。、

「お母さん、私のクラスメイト。仲良くしてもらってるんだ、北川さ、北川君」

危ない、北川様とか言おう物ならまた何を言われるか。
母ちゃんは私と北川を交互に何度もみて頬に手を当てる。

「あ、あら、あらあら、まあ」

年相応に綺麗で上品な奥様って感じの母は、下町の肝っ玉ばあちゃんとは全然違う。
正直、実の母ながらたまによその人って感じてしまう。

「こんばんは、突然お邪魔して申し訳ありません。北川と申します。今日は中村さんに無理を言ってフリーマーケットを案内してもらっていたらこんなに遅くなってしまって。ご家族の方にお詫びを申し上げたかったんです」

なんてことを考えていると、北川が完璧な笑顔とともに流れるように挨拶をする。
まるで舞台の上かと思うような完璧な口上だ。
やばい、さすがだ北川様。
なんて素敵な厚いツラの皮。
惚れるぜ。

「そんな、ご丁寧に………、えっと、クラスメイトの方なの?」

母ちゃんは目を白黒させて、戸惑うように私に視線を向ける。

「そうそうー。フリーマーケット行ったことないっていうからさ、案内したのー」
「そ、そうなの。娘が何かご迷惑おかけしてないかしら」
「中村さんはフリーマーケットにとてもお詳しくて、色々勉強になりました。おいしいお弁当も用意していただきました」
「そ、そうですか。失礼なことしてないならいいのですけど」

フリーマーケットで値切りまくったり、効率よく値打ちものを見つける方法とかを確かに教えてあげた。
節約お弁当も、食べさせてあげた。
貧乏臭さが移るからあまり近寄るなって言われたなー。
あ、そういや北川、失礼なことも迷惑なこともされてないって言ってない。
お世話になったとも言ってないな。

「お礼といってはなんなのですが、こちらご家族でお召し上がりください。甘いものはお嫌いでないと聞いたので」

途中で買った焼き菓子の詰め合わせを渡して、北川がにっこりと笑う。
母ちゃんはその笑顔で、顔を一気に真っ赤にした。

「まああ、お気づかいありがとうございます。どうぞ上がって。よければお夕飯を食べていって」

すげえぜ、北川、マダムキラーの称号を与えてもいい。
一番の強敵を打ち負かすとは。



***




夕食の準備が出来るまで部屋にいろと言われ、自室に引っ込んだ。
ようやく私は、息をつく。

「さすがだな、北川様………、あの強敵を突破するとは」
「一兵卒じゃないんだ」
「むしろラスボスでしたよ!さすがマダムキラー」
「変な名前で呼ばないで。夕食にお呼ばれする気はなかったんだけど、まあ仕方ないか。時給アップだね。君に何してもらおうかな」

北川はにやりと笑うけれど、今の気分ならなんだってしたい。
これで母ちゃんの風当たりも、だいぶ弱まるだろう。
監視の目が弱まれば万々歳だ。

「もう今ならなんだってしてあげたい気分ですよ。キスでもハグでもどんとこい!靴磨きましょうか、むしろ舐めましょうか!」
「なにその嫌がらせ」
「ええー、じゃあ、脱ぐとか」
「どんな罰ゲーム」
「運動好きだから結構引き締まってますよー。胸小さいけど」
「これ以上僕を不快にさせるなら、全部ばらして帰るけど」
「さ、そろそろ下に行きましょうか」

北川は割と下ネタが嫌いだ。
本当に男なのだろうか。
男じゃないと言われても信じられる綺麗な顔だけど。
まあ、怒らせるのは得策じゃない。
まだ戦いは終わっていない、気分を害さないようにしないと。
私の自由な高校生活は、北川の腕にかかっている。

「わあ、すごい豪華」

リビングに行くと、いつもよりは1.4割増し位豪華な料理がテーブルの上に乗っていた。
母ちゃんはご機嫌で料理を次々並べている。
さっき挨拶をした父ちゃんもにこにこと笑ってみている。

「ごめんなさいね、突然で、大したもの用意してなくて。もうこの子ったら早く言えばいいのに」
「まったくお前は気が利かないからな」
「ごめんごめん、途中で解散する予定だったんだけど、北川君が送ってくれるっていうからさ」

普通娘が男を連れて帰ったら怒るんじゃないのか。
なんだこの友好的ムードは。
いや、険悪よりいいけどさ。
食事をつつきながらも、父ちゃんと母ちゃんのテンションはどんどん上がっていく。

「まあ、北川君はそんなに成績優秀なの」
「うん。すごいんだよ」
「円も見ならないなさい」
「そうだね。勉強も頑張らなきゃ」

一応頑張ってはいるけど、お金儲けの方が楽しすぎて困る。
数学とか家庭科とかはかなり成績いいんだけどな。

「そんな、僕は勉強しかやることがないだけですし」
「いやいや、その若さでそんな落ち着きがあって礼儀正しいなんてすごいな。円と同じ年とは思えない」
「恐れ入ります。老けているとはよく言われます」
「いやいや、まったく謙遜だ。君は本当に今時見ない感心な子だ」
「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」

仕事をバリバリなエリート気味な父ちゃんはちょっとエラそうで上から目線だが、言動が分かりやすくて一番とっつきやすい。
いやー、父ちゃん、北川は謙遜してないよ。
褒め言葉一つも否定してないよ。
全部肯定しているよ。

「ただいま」

そんな団欒を過ごしていると、玄関が開く音がした。
声が響き、ぺたぺたと廊下を歩く音がする。
そしてリビングのドアを開いた兄ちゃんは軽く首を傾げた。

「あれ、お客様?」
「お帰りなさい、お兄ちゃん。円のお友達が来てるの?」
「円の?」

その言葉にさっきの母ちゃんのように目を丸くして、私を見て、そして北川に視線を送る。
そんなに驚かないでもいいだろうに。

「お帰り、お兄ちゃん。クラスメイトの北川君」
「お帰りなさい。北川です。お邪魔しています」
「あ、ああ。よろしく、廉(れん)です」

北川に釘付けになった兄ちゃんは、呆然としたまま頭を下げる
病弱だったせいか少し線の細い穏やかな兄ちゃんは、いい人だ。

「円に、友達がいるとは思わなかった」
「ひどいなあ。私だって友達ぐらいいるよ」
「だってお前みたいなのに、まともな子が友達になってくれるか?」
「ひっどーい」

一応友達ぐらいいるぞ。
たまには出かけることだってある。
お金がもったいなくて中々いかないけど。
でもたまにはある。
たまに。

「中村さんはとても楽しく、明るくて、よく人に囲まれていますよ」

そこで北川がにっこりと笑ってフォローしてくれる。
兄ちゃんがやっぱり納得いかないように怪訝そうな顔をする。

「本当に?」
「ええ。悩み事の相談とかもされて、頼られています」

いや、まあ、嘘は言ってないな。
人に囲まれてるし、相談もされてる。
うん、間違ってない。

「そう、なのか………」
「ええ。僕もそんな中村さんだからこそ話しかけやすかったんです」
「嘘でもそう言ってくれると嬉しいな」
「嘘ってなによー!」

兄ちゃんの複雑そうな顔に、一応つっこんでおく。
つーか鋭いなあ。
ばれてないよなあ。
でも北川の演技は完璧だしな。
さっさと話を変えていこう。

「ほら、お兄ちゃんもご飯食べようよ」
「ああ、そうだな」

そして兄ちゃんも混じって、まだ和やかな食事は続く。
話の流れで、ついに嫌な方向に行ってしまった。

「この子、しばらくおばあちゃんのところにしばらく預けてたんだけどね、それでちょっと風変わりになっちゃって」
「母さんは昔から変わってたからな。預けたのは失敗だった」
「妹がこんなになって、僕もどうしようかと思ったよ。おばあちゃんはいい人だったけど、今時の子育てには向いてなかったね」

私が失敗をやらかしたせいで、ばあちゃんまで悪く言われるようになってしまった。
これを聞くたびにとても居心地悪くて反論するのだが、反論すると余計にばあちゃん批判がひどくなる。
ばあちゃんは、何も悪くないのになあ。
まあ、こんなのばあちゃんが聞いても鼻で笑うだろうけど。

「中村さんは、真っ直ぐで朗らかで、人を悪く言うこともない、いい子だと思いますよ」

そこで北川が、あくまで穏やかに笑顔で、スマートに三人の会話を制する。
さりげなく、嫌味らしきものも含まれている。
なんだ、これ。
惚れてまうやろ。

「君は、円のこと、よく知ってるんだね?」
「ええ、親しくさせていただいてますから」

兄ちゃんが苦笑して問うと、北川は優等生の仮面で頷いた。
その大きな猫は、まったく剥がれることはない。
本当に素晴らしい演技力だ。

「付き合ってるの?」
「いえ、そんな、中村さんに申し訳ないですよ。もったいないです」

これ、中村に俺はもったいないって意味なんだろうな。
そうなんだろうなー。

「北川君なら大歓迎だよ」
「ね」

父ちゃんと母ちゃんはそんなこと気づかずに、楽しそうに笑っている。
本当に娘が連れてきた男にこの態度はいいのか。
まあ、それだけ心配されてたんだろうなあ。
そう思うと何も言えなくなってしまう。

「あはは、私には北川君はもったいないよ」
「本当にそうだな」

兄ちゃんも私の頭をぽんと叩いて、笑った。



***




見送りに玄関先まで訪れると、仮面を外した北川はいつもの冷たい表情で皮肉げに笑う。

「見当違いの善意ほど不快なものはないね」

ああ、やっぱりこっちのほうが落ち着くな。
学校で優等生然としている北川も変な感じがするし、本性の方がしっくりくる。

「あははー、私のこと心配してくれてるんだけどね」
「本人の意思を尊重しない心配は、ただの自己満足だ」

まあ、父ちゃんも母ちゃんも兄ちゃんも、私を心配してくれてるのは分かる。
でも、見当違いの善意。
ぴったりくると、ちょっと思ってしまった。
犯罪行為はしないんだけどなあ。

「ま、君を心配して、お祖母さんの教育を嘆く気持ちは痛いほどに分かるけどね」
「う」

続けられた嫌味に、小さく呻く。
まあ、確かに、自分が一般的女子高生とはだいぶずれてしまっているのは、理解している。
その原因にばあちゃんがあることも、確かだから何も言えない。
でももう、変なことは極力してないのになあ。

「なんていうか、あれだったんだよ、ちょっと前まではほら、私も若かったし。これからは金を稼いで一人で生きてやるぜ!みたいな、なんていうかちょっと自立精神が旺盛すぎだというか、厨二病だったというか」

ばあちゃんが死んで、駄菓子屋がなくなって、私の世界が一気に変わってしまった。

「ばあちゃんがいなくなって、張り切りすぎて、やりすぎちゃった」

多分お金をためて、取り戻したかったのだ。
もう失われてしまった、ばあちゃんがいる、あの駄菓子屋を。

「で、落ち着いた状態が今?」
「私も落ち着いたもんだよ。あのころは若かった」
「うん、おばあさんの教育は失敗だったね」
「あうー」

家族に言われると突き刺さるが、北川に言われると何も言い返せなくなってしまう。
でもそんなことを言いながら、さっき庇ってくれたデレを、私は忘れていない。
このツンデレめ。

「でも、かばってくれてありがとね。私はいいけど、ばあちゃんのこと悪く言われると、さすがに辛いからさー」
「君が人に貶められていると、腹が立つもんだね」
「え!?」

突然の優しい言葉に、思わず素で驚いてしまう。
なんだ私に対する愛情か同情か恋情か。

「馬鹿なペットを自分で貶すのはいいけど、人に貶されるのは不快だ」

所有欲だった。

「ぺ、ペットだなんて」
「喜ばないで」

北川にペット扱いされて独占欲をあらわにされると普通にときめく。
きゅんとくる。
こういうペット魂だから、北川になにを言われても怒りが沸かないのだろうか。

「はあ、疲れた。じゃあ、僕は帰るね」
「あ、送っていこうか?」
「で、その君を今度は僕が送るの?」
「だって私より北川様の方が、襲われそう」

綺麗で線が細くて、弱そうで金持ちそうだ。
色々な方面から狙われそう。

「確かに僕の方がか弱く綺麗だしね」
「うん。男の劣情を煽ること間違いなしだよ」
「ま、自分の身ぐらい自分で守れるから平気だよ。むしろ君に襲われそうだ」
「逆レイプは傷害罪扱いですっけー」
「強姦罪にはならないね」
「げへへ」
「その笑い方、不快」

そんな軽口を叩いていると、北川はその形のいい眉を心底不快そうに顰めた。
そしてさっさと振り返ってしまう。

「身の危険を感じるから帰るよ」
「はあい。気を付けてください」

手を大きくふって、見送る。

「今日は、ありがとう」

そして心からの感謝を、告げた。
北川は後ろを振り返って、ふっと笑う。

「お給料、考えておくね」
「はい、いつでもどこでもなんででも!中村は北川様のご期待に添える努力をいたします!」
「昭和時代のキャッチコピー?」

そんな憎まれ口を叩いて、北川はさっさと帰っていった。
残された私はその背中を見て、ふっとため息をつく。

駄菓子屋の夢を笑わなかった。
ばあちゃんを笑わなかった。
私とばあちゃんを庇ってくれた。

「………惚れるぜ」

今までお金にしか感じたことのない温かく優しい気持ちが、胸に溢れていた。






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