古い校舎の裏、小さな森のようにも見える林に囲まれた一角。
歴史を持つ学校がゆえの建て替えにより、無理の出た設計で出来上がった場所だった。
日当たりもよく気持ちのいい場所なのだが、校舎から離れているせいかいつでも人気はない。

けれど今、ここに二つの人影があった。



***




1人は長身の少年。
両方あわせて3つ開いたピアスホールに、それぞれ個性的なピアスが光っていた。
1人は綺麗な黒髪をした少女。緊張に強張らせた顔で、少し青ざめて見える。
けれど視線は、しっかりと目の前の男を捕らえていた。
校舎から離れたこの場所は、昼休みだというのに喧騒も届かない。

「ゆっこに呼び出されるからなにかと思えば……どしたの?」
男はつまらなそうに、金茶の髪をかき回す。
そのどこか不機嫌そうな様子に、少女、冬子は開きかけた口を閉ざす。
視線も下に向きそうになるが、そこは踏みとどまった。
震える声で、どうにかして声を絞り出す。
「そ、その、え、えっと、あの………」
「はい」
その先を続けることが出来ず、何度も同じ言葉を繰り返す冬子。
そんな冬子を相変わらずつまらなそうに、けれど律儀に待ち続ける少年、春日。
どこか冷たい春日の態度に、冬子は唇を強く強くかみ締める。
春日の態度は今まで、怒っていてもどこか温かかった。
それを今、改めて気づくことができた。
春日の態度は当然のものだ。
冷たくされるぐらいのことを、冬子はしてきた。
むしろ、付き合ってくれている春日は、やはりとても優しいのだと思う。
だから、冬子に傷つく権利はない。
たとえ許してくれなくても、自分がしなければならないことをなさなければならない。

冬子はもう一度強く唇をかみ締めると、胸元をの制服を強く握った。
「その、と、突然呼び出して、ごめんなさい」
「はい」
また一つ、短く返事を返す。
返してくれるなまだいい。
立ち去って背を向けるまで、いや向けられても謝らないければいけない。
「そ、それで私、貴方に言いたいことがあって……」
「そりゃあ、こんなところに呼び出すぐらいだから、なんかあるんでしょうね」
「え、そ、そうね。その通りだわ。前置きが長いわね……」
「あなたなんてきらーい、もう話しかけないでちょうだい!とか?」
どこか茶化すように、そしてまだ冬子と親しくなる前に見せていた意地悪な笑みを浮かべる春日。
冬子は即座に否定する。
「ち、違うわ!そうじゃなくて!……いえ、私がそういう態度をとっていたのね。反省するわ」
結局うつむいてしまい、冬子は地を見つめる。
忙しなく動くアリの歩みを見るともなしに眺めた。
「ふーん?」
「あの、ご、ごめんなさい!」
「ん?」
がばっと勢いよく頭を下げる。
肩より長いまっすぐな髪が宙を舞った。
冬子はゆっくりと頭を上げると、胸元をつかんだまま視線をさまよわせ、たどたどしく言葉を紡ぐ。
「この前は、ひどいことを言って、ごめんなさい。その後も、貴方が私にせっかく話しかけてくれたのに、無視をして、ごめんなさい。私が、本当に悪かったわ」
「おやまあ、こりゃまたものすごい方向転換だね、どうしたの?」
やはり茶化すような春日。
その言葉に、冬子はびくりと体を震わせる。
けれど、また、真っ直ぐな視線を春日に向けた。
「あの、貴方にひどいことを言ってしまった後、私、すっきりしたと思いつつも、どこか後悔していたの。すごく後ろめたかった。貴方と…三沢さんに対して罪悪感を抱いたわ。自分が悪いことを認めたくなくて、ずっと1人で意地を張って………」
今度は春日は口を挟まず、右足に重心を乗せながら冬子をまっすぐと見ていた。
「でも、毎日が本当に味気なくて、色褪せて見えて……。おばあさまと、そして三沢さんと話して……ようやく、遅いけれど、ようやく、自分の姿を客観的に見ることが出来て、それで、貴方に謝りたくて」
「それで、謝ってどうするの?」
小首をかしげ、どこかかわいらしい仕草で問う長身の男。
それは、謝罪と共に、今度の一番の目的だったことだ。
冬子は一度目を閉じると、大きく息を吸う。
「まず、ごめんなさい。それで、もし貴方が許してくれるなら………」
「許してくれるなら」
「私と……」
「私と?」
鸚鵡返しに聞く春日。
冬子はその先の言葉を口にしようとして、緊張で唇が震える。
心臓が激しくなみうち、息が苦しくなってくる。
どうにもその先が口に出来ず、冬子は落ち着こうとまた大きく息を吸う。
大きく。大きく。大きく。

と、冬子の視界が揺れた。

「て、おい!!!」
慌てて、かしいだ華奢な体を受け止める春日。
「吐け!とりあえず息を吐け!吸ったら吐け!」
肩を支えながら、あせった様子背中を叩く。
それに、冬子はようやく息を吐くことが出来た。
「あ、私……」
息を切れ切れに吐きながら、更に顔を白くさせている。
「あー、もう!まったくもう!」
「か、春日君……?」
春日は丁寧に、後ろにあったブロック塀の残骸に、冬子を腰掛けさせた。
座り込んだ冬子の前に、しゃがみこむ。
まだ苦しい呼吸を整えながら、しゃがみこんでうつむいた男に目を向ける。
春日は小刻みに震えていた。
「……春日君?」
「あっははははは!もうはずさねーなあ!」
冬子の小さな呼びかけに、顔を上げる。
春日は笑っていた。
盛大に、心の底から楽しそうに。
「そんなに落ち込んでる館乃蔵って見たことねえしさ、俺もまあ、そりゃあちょっとムカついてたしさ。ちょっとぐらい怒って見てもいいかなあ、と思ってたんだけどさあ」
ぴくぴくと痙攣しながら、涙目で、金茶の髪の男は笑い続ける。
「……春日君?」
冬子の声は、さきほどよりも低くなっていた。
「もー、お前面白すぎ!だめ!本当ごめん!無理!」
「春日君!」
ようやく自体を飲み込めた冬子は、笑いを止めることすら放棄している目の前の男を怒鳴りつける。
それでも男はしゃがみこんで、のけぞって笑っていた。
「もう!」

真剣に悩んでいた分、今まで落ち込んでいた分、春日に対して反省していた分。
冬子の平手は、いつもよりも鋭いものとなった。



***




「ごめんなさい」
「もういいわ」
先ほどとは打って変わって、腰から深々と頭を下げる長身の男。
左頬が、赤く染まっている。
春日の目の前に座り、少女は頬を膨らませている。
「本当にごめんって!」
「いいって言ってるでしょ」
そう言いながら、冬子はまだそっぽを向いている。
「ごめんなさい!館乃蔵さん!冬子様!お嬢様!」
「いいったら!」
「そんなこと言わずに女王様!」
頭を下げたまま、真顔でとりすがる春日。
黙っていれば、どこか怖い印象をただよわせるくせに、今は大変情けない。
その必死な様子に、冬子はようやく頬を緩めた。
「……もう」
「許してくれる?」
「分かったわよ」
そう言って、強張らせた顔を元に戻し、春日に視線を戻した。
目の前の男は、体を起こすと、安心したように大きく息をつく。
「あー、よかった。せっかく館乃蔵が折れてくれたのに、これでダメにするかと思った」
「なら、あんなこと、しなければいいのに……」
冬子は本当に怖かったのだ。
いつもふざけてばかりいる優しい男の、怒った顔。
本当に嫌われたかと、怖かった。
「いや、それはさあ、俺もシカトされまくってちょっぴりムカついてたし」
「シカト?」
「無視」
「それはその………ごめんなさい」
痛いところをつかれ、再度うつむきそうになる。
が、冬子が完全に落ち込む前に、春日が明るい声を上げた。
「でも、こうやってまた話しかけてくれて、マジ嬉しい。よかったー!」
「じゃ、じゃあ私のこと、許してくれる?」
「許す許す。俺も悪かったしさ」
「え?」
「お前がああいう噂を嫌うの分かってて、なんの対処もしなかったし、腹立ったとしても殴ることはなかったし、その後フォローも下手だったし」
「で、でもそれは私が………」
指折り数えて、自分の悪いところを挙げる。
けれど冬子には、それは慰めに思えた。
三沢も春日も、優しすぎる。
「そだね。だから、館乃蔵も悪いってことで。喧嘩両成敗でいいじゃん!」
「でも……」
「それに館乃蔵には偉そうでいてくれないと、調子狂うしさ」
「ちょっと!」
「そうそう、それそれ」
そうして、子供のように無邪気に笑う。
久々に見た、春日の全開の笑顔。
冬子は、涙が出そうになった。
「貴方は………優しすぎるわ」
「そうか〜?まあ女の子には優しい人間であることを目指してるけどね」
「ええ、貴方は優しいわ」
真っ直ぐな褒め言葉に、ごまかすように軽口を叩く春日。
けれどそれにも、冬子はまっすぐに答えを返す。
それは、冬子の偽らざる本心だった。
「あー………」
ストレートな褒め言葉に、それもいつも喧嘩腰だった冬子からのものに、春日は困ったように髪をかき回す。
「あ、えーと、そうだ、さっきお前はなんて言おうとしたの?」
「え?」
照れ隠しにか、疑問を口にする。
なんのことか分からず、冬子は首をかしげた。
「ほら、さっき。俺が許したらどうすんのって?」
「あ…それ、の、こと、ね」
歯切れ悪く、視線をそらす冬子。
春日はそんな冬子を気にすることなく、重ねて問いかける。
「そうそう、それ。なんだったの?」
「え、そう、ね。それも、その、貴方に聞いて欲しいことで……」
「うん、聞くよ?何?」
先ほどまで青ざめてすらいた冬子の顔に、みるみる朱がさしていく。
「お、おい?」
胸元を掴み、大きく呼吸を繰り返す。
繰り返す。繰り返す。繰り返す。
「て、だから吐けって!」
慌てて冬子の背中を叩く春日。
冬子は肺にためるだけだった酸素を、大きく吐き出した。
「ご、ごめんなさい」
「いや、いいけどさ。なんか言いたくないことなら言わなくても……」
「い、いいえ!」
気を使って、背中をぽんぽんと叩きながら言う春日に、冬子は勢いよくかぶりをふった。
驚いて身をそらす春日。
「うわ」
「き、聞いてくれるかしら」
「う、うん。聞くってば」
「じゃ、じゃあ言うわね」
「うん」
冬子は背筋を伸ばし、おおきく息を吸う。
今度は吐くことができた。
漂う緊張感に、春日まで背筋が伸びてくる。
「あの………」
決心して口にした言葉は、しかし小さくて春日の耳に届かない。
「ん?」
「だから………」
小さく息をついて、春日は屈みこんで座る冬子の口元に耳を寄せた。
身を引きかける冬子。
しかし、また深呼吸をする。
吐いた息が、わずかに春日の耳に触れた。
「もし許してくれるなら……と……」
「と?」
「わ、私と、と……」
「と?」
「私と、友達になってください」
小さな声。
しかし距離をつめている春日の耳にはしっかりと届いた。
数秒間の沈黙。
耳から、脳までに意味がたっするまでにわずかな時間を要する。
「か、春日君……?」
不安げな声で、返事を促す冬子。
わずかに震えて、今日一番頼りなかった。
それでも沈黙を続ける春日に、冬子はさすがに不安になり、唇をかみ締める。
その時、春日が腰をかがめた不自然な格好のまま、口を開く。
「か……」
しかしその言葉は先ほどの冬子のように、意味をなさない。
「か?」
同じように問い返す春日。
「か」
「か?」
「かっわいいな、おい!」
言うと同時に、目の前にしゃがみこんだ冬子を抱きしめる。
というより抱きついた。
「え、ちょ、ちょっと、か、春日君!?」
「うわ、ちょっと今マジかわいかった!すげえ、ぐっときた!うわー、ちょっと館乃蔵、かわいい、かわいいって!」
そう言ってぐりぐりと、満面の笑みで冬子の頭を撫で回す。
それは、女性に対する扱いというよりは、どこかペットに対するような扱いだ。
けれど冬子は、初めての男性との接触に、体を堅くしてされるがままになっている。
兄とだってここまで接近したことはない。
「か、春日君……か」
「あーもう!やべえな!お兄さんマジ萌え!」
「ちょ、か、かすが………」
テンションが上がりつづける春日を止めることが出来ず、恐怖すら感じてくる冬子。
そこに、救いの女神は現れた。

「何してんのよ!」

空気を切り裂く声と共に、春日の体は引き剥がされた。
「学校で痴漢行為働いてんじゃないわよ!この性犯罪者!」
「ってー!てめえ、なにしやがる!」
「なにしやがってんのはてめえだ、セクハラ野郎!」
現れたのは三沢。
冬子に抱きつく春日に見事なとび蹴りを食らわし、今は仁王立ちで説教だ。
その声に、ようやく冬子の様子に気づく春日。
冬子は、いつもだったら怒り狂って平手の一発でも食らわしているだろう春日の行為に、固まって放心状態になっていた。
「うわ、ちょ、ごめん、館乃蔵、ごめん!大丈夫!」
「………」
「ほら、館乃蔵さん別の世界に行っちゃったじゃない!」
「館乃蔵ー?館乃蔵ー!?」
「大丈夫館乃蔵さん?」
心配そうに何度も呼びかける声に、なんとか意識が戻ってくる冬子。
「え、あ、うん、大丈夫よ」
「ご、ごめんな、館乃蔵。つい」
「うん、大丈夫よ」
そういいながら、どこか堅い表情と、イヤに背筋の伸びた座り方が、冬子の衝撃を表していた。
「マジ……ごめんな」
「あ、うん」
そこでようやく、顔に笑顔が戻ってきた。
「大丈夫よ。さすがに、びっくりしたけど」
「ごめん………」
「………これからは気をつけて頂戴」
「はーい」
軽い返事だが、顔は真面目だ。
冬子は春日の返事に、満足そうに、頷いた。
2人の話が一段落したところで、心配そうに見守っていた三沢が恐る恐ると口を開いた。
「それで、仲直りできたの?」
その問いはどちらともなく、2人に問うようなものだった。
冬子はその言葉に、まだ反省しているような様子の春日に目を向けた。
「あの……それで、さっきの答えは……」
「ああ、そうだな」
春日は顔を上げると、冬子に対して子供のような笑顔を向けた。

「俺からもお願い。友達になってください」

言葉と共に、差し出される手。
冬子は、恐る恐るその手に自分の手を重ねた。
自分の頼りない手より、ずっとずっと大きな、筋張った熱い手。
心臓が、おおきく波打つ。
「ありがとう……。お願いします」
安心して、嬉しくて、やりとげた満足感で、そして胸から湧き上がる熱い何かで、目尻に涙のつぶが浮かぶ。
けれど目を強くつぶって、流れ落ちるのをこらえた。
「なんかすっげー、照れるな、これ」
優しく手を離し、照れたように頭をかき回す春日。
去っていた温もりを惜しむように、冬子は右手を左で抱いた。
「でもよかった!これでやっと解決だね!」
パンと、手を打って明るい声を出す三沢に、冬子は呆けていた思考を元に戻した。
明るく優しく笑っている快活な少女に、同じように笑顔を向ける。
「ええ、よかった、これで三沢さんとの約束の果たせる」
「約束?」
変な単語に、首をかしげる春日。
冬子は、目の前の男にも目を向けた。
「あのね、春日君、三沢さんと、春日君と、私とで、えっと、『まっく』?へ、行きましょう」
「はあ!?」
思いかげない単語にすっとんきょうな声をあげて驚く。
「え、な、なんかおかしかったかしら!?」
「いや、おかしく、ない、けど………」
「じゃあ、行きましょう!」
「あ、うん、いいけど……」
春日はどこか納得しないように眉間に皺をよせて、首をひねる。
そんな男を無視して、女性二人は嬉しそうに盛り上げる。
「よかったね、館乃蔵さん!」
「ええ、よかった。三沢さんも、ありがとう」
「なーんか、2人ともいつの間に仲良くなっちゃったの?」
「へへー、秘密だよね?」
「ええ」
のけ者にされ、疎外感を覚える春日をくすくすと笑いあう少女達。
「館乃蔵さん、あんたのせいで、大変だったし」
「ええ、えーと、『まじへこんだ』だわ」
「ちょっと待った!」
また出てきたとてつもなく違和感のある単語に、春日が思わずつっこむ。
「なんだその言葉は、ていうかこれ教えたのゆっこか!?」
「そだよー」
「変な言葉教えんじゃねえー!!!」
「え、へ、変だったかしら?」
「ううん、変じゃないよ?」
「変じゃねーけど、館乃蔵には言ってほしくねえっつーか、ていうか変か?変なのか?」
「え、え?」
「とにかく館乃蔵はそーゆーの禁止!だめ!」
「どこの親父だよお前!」

人気のない林の中、少年と少女達は騒ぎ続ける。
笑い声は、静まり返った木々の中を軽やかに通り抜けて言った。



***




「あー、もう授業始まっちまう。とりあえずその話は後だ」
「つーかマジうざいよ、カズ」
「うるせーな、ほら、館乃蔵、行くぞ。」
そういって、1人座っていた冬子を促す。
しかし冬子は動かない。
「館乃蔵?」
「あ……」
困ったように、眉を下げる黒髪の少女。
今日は本当にこんな顔ばかりをみせている。
「館乃蔵さん?」
「その……」
『うん?』
2人同時に振り返り、首を傾げる。
幼馴染ならではの、息のあった仕草だった。
「その……安心して、腰が抜けて、立てないわ」
「………」
「………」

その数秒後、林には朗らかというには激しすぎる笑い声が響き渡った。
その数秒後、怒声と平手の音が響き渡ることになる。






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