次の日、熱は下がったものの大事をとってもう一日休ませられた。
学校へ行くと主張したものの、兄に強く反対されてしまった。
兄はいつまでたっても冬子を子供扱いして、過保護だ。

冬子はベッドの上で軽くため息をつく。
ただ休んでいるだけでは、悩み事は大きくなるばかりだ。
こんな風に答えのない答えを探し続けるぐらいなら、いっそ外に出て行動してしまいたい。
ゴロゴロとベッドの上ではしたなく転がっているうちに日も落ちかけて、無為に過ごした一日に更にため息が出てくる。
いい加減起きて汗でも流そうかと思っていると、軽いノックの音がした。

「はい?」
「お嬢様、お客様がお見えになりました」
「お客様?」

体調を崩し、室内着を着ている状態で通されるような緊急性のある客なんて心当たりがない。
冬子に会いに自宅に来るような客は、最初からアポイントメントを取ってあることが常だった。
首を傾げてドア越しに家政婦に問いかける。

「美鈴様がお通しするように、と」
「お祖母さまが?それじゃお通ししてちょうだい」

美鈴が通すようにいった客なら身元も怪しくないし、こんな恰好の冬子にも気軽に会える人間なのだろう。
親戚の誰かと予想して、傍らにあったカーディガンに一応手を通す。

「かしこまりました。少々お待ちください」

しばらくして再度ノックがされ、ゆっくりとドアが開く。
家政婦が几帳面な声で、後ろにいた人物を通す。

「失礼します。お客様をお連れいたしました」
「ありがとう」

ベッドヘッドに背をもたれさせ、軽く身だしなみを整える。
本当はこんなみっともない格好で客に会いたくはなかったが仕方ない。
せめて背筋だけは伸ばす。

「よ」

しかし、軽く手をあげて気まり悪そうに出てきた見慣れた顔に、冬子は背中に立てたクッションからずり落ちた。
そのままベッドから転げ落ちそうになる。

「お嬢様っ!?」
「館乃蔵!?」

すんでのところで布団にしがみついて転げ落ちるのは逃れられた。
しかし予想外の出来事に心拍数は上がったまま、冬子の顔は赤く染まる。

「あ、え、え、ええ?春日君?な、ななな、なんで!?」

昨日の祖母との問答で、会いたいとは思っていた。
会って、自分の感情がなんなのか確かめたい、と、そう思っていた。
その勇気も振り絞っていたところだった。
けれど、こんな不意打ちはフェアじゃない。

「え、いや、お見舞いなんだけど、えっと大丈夫?」
「あ、だだだだ、大丈夫よ。なんでもないわ、ええ平気よ。私はなんともないわ。ええ大丈夫」

必死で平静を取り繕い、再度ベッドの中央へと戻り背筋を伸ばす。
乱れた髪を撫でつけ、いつものように冷静さを取り戻そうとする。
そんなことをしても動揺は隠せてない上にすでに手遅れなのだが、よく出来た家政婦は何もなかったかのように頭を下げた。

「それでは、私は下がらせていただきます。何かありましたらお呼びください」
「あ、え、ええ。あ、ありがとう」
「あ、ありがと、お姉さん!」

お姉さんと呼ぶには少々トウのたった壮年の家政婦は、その言葉にちらりと笑うと春日にも頭を下げた。
いつも冷静に仕事に従事している女性の、人間らしい表情に冬子は一時目を奪われた。
春日に目を移し、誰の警戒心を解いてしまうその無邪気な笑顔になんだか、胸が痛くなる。

「えーと、元気?にしてもびっくりした。何このでかい家。予想以上ていうか予想外。マジ逃げようかと思った。お見舞いだけ渡して帰ろうかと思ったんだけど、なんか綺麗なばーちゃんに捕まって部屋通されちゃった」

春日も緊張しているのか、いつも以上に忙しなくまくしたてるように口を開く。
冬子は逆にそんな春日を見ているうちにようやく心拍数が元に戻ってくる。
カーディガンを掻き寄せて胸元を隠すと、首をかしげた。

「綺麗なおばあさん?」
「なんか背筋がぴーんと伸びて、目が大きくて品のある」
「ああ、お祖母さまね」

そういえば、家政婦も美鈴が通したと言っていた。
春日を通したことによって、冬子が焦ることもお見通しだろう。
上品に、けれど楽しそうにくすくすと笑う祖母の顔が冬子の脳裏に浮かぶ。

「全く、春日君を通したならそう言ってくださればいいのに……」
「あれが冬子自慢のばーちゃんか。確かに美人で優しそうだったな。思ったよりすっげ元気そうだったけど」

金髪をぽりぽりと掻きながら、春日はどこか悪戯を見つかった子供のような顔をしている。
結構強引に連れてこられたのだろう。
祖母の悪戯に少々腹をたてた冬子だが、それでも自慢の祖母を褒められ頬が緩む。

「おばあ様は私よりお若いから」
「いや、マジそれは思った。ばーちゃんやるなー」
「ふふ」
「あ、ばーちゃんとか言うの嫌だった?」
「いえ、呼び方なんて、どうでもいいわ」
「そっか」

そこでなんとなく言葉が途切れる。
冬子の寝室といういつもと違う場所で、お互いどことなくぎこちない。
何か会話を探そうとして、ようやくそこで冬子は春日が立ったままだったことに気付く。

「あ、ごめんなさい。かけてちょうだい」

ベッドの横にある小さな書き物机の椅子を手でさして促す。
春日は頷いて、長身には小さすぎる華奢な作りのイスに腰掛けた。
座り心地を確かめるようにしばらくもぞもぞとすると、先ほどより近くなった距離で冬子の目に視線を合わせる。

「で、大丈夫?」
「あ、もう熱は下がってるの。今日は大事をとりなさいって、お兄様が」
「お兄様………」
「どうしたの?」
「いやいやいやいや、なんでもないです」

黙り込んだ春日に首をかしげるが、相手は手をふって誤魔化した。
何となく納得できないが、疑問は胸にしまい込み、冬子はベッドの上で深々と頭を下げる。

「わざわざお見舞いにきてくれて、ありがとう」
「いやいやいや、かわいい冬子のためだもの」
「か、かかか」
「変な笑い方するなよ」
「笑ってないわ!それと、冬子って言わないで頂戴!」

かわいい、なんて祖母はともかく父や兄からも言われることは少ない。
まして他人の男性である春日には、何回言われても慣れない。
顔を赤くして視線を彷徨わせる冬子に、ひとしきり春日は声をあげて笑う。
口を尖らして睨みつけると、くすくすと笑いながら手に持っていた紙袋を差し出した。

「はい、これ。お見舞い」
「何かしら?そんな気を使わないでいいのに」
「いいのいいの」

遠慮する冬子だが、押し切られるようにその紙袋を受け取ってしまう。
自然と、中を見るとそこには10枚以上のプラスティックケースがあった。

「………CD?」
「そ、館乃蔵、この前カラオケで流行りの歌知らないってなんかいじけてたから」
「いじけてないったら!!」

ただ、ちょっと決まり悪かっただけだ。
優しい春日と三沢のおかげで冬子でも楽しめたが、もっと歌を知っていたらもっと楽しめたんじゃないかと、そう思ったのだ。
春日と三沢にも、もっと楽しんでもらえたんじゃないかと、そう思ったのだ。
一言そんなことを漏らしたのだが、それを、覚えておいてくれたのか。
先ほどとは違い、なんだかほんわりと胸が温かくなる。。
黙り込んだ冬子にどう思ったのか、春日は心配そうに顔を覗き込んでくる。

「俺のお古で悪いけどね。中古はいや?」
「い、いえ」

思わぬ距離の近さに、冬子は自然と体を引く。
がつん、とベッドヘッドに背中をぶつけたが何事もなかったように表情だけは平静を取り繕った。

「別に無理に聞く必要も覚える必要もはないけどね。暇があったらまあ、気軽に聞いてみて。好きな歌があったら言って。やっぱり合わないってんならそれでもいいから」
「え、と」
「歌なんて、自分が好きだと思ったのを聞けばいいから。カラオケは声を出すのが楽しいんであって、歌うのはなんだっていいんだしね」

天井を見たり頬を掻いたりしながら、いつになく落ち着きなく春日は言葉を探す。
そこまできて、照れたようににかっと笑って冬子に視線を戻した。

「無理に俺らに合わせる必要はないから。冬子のペースでお友達になろうな」

押し付けがましくないように、けれどまっすぐな好意をぶつけられる。
冬子の胸の温かさが、更に熱をもつ。
熱くなって、膨らんで、はじけそうになる。
けれど、胸の熱さとは裏腹に冬子が言えたのはたった一言だった。

「…………ありがとう」

その言葉に、春日は眼を細めて子供のように笑う。
冬子も、自然と笑みがこぼれてくる。

「本当に何から何まで、ありがとう」
「いやいや、冬子なんてなんでも持ってるだろうし、気の利いたもの浮かばなくてさ」
「ううん、すっごく、嬉しいわ。本当にありがとう」

そして、冬子の髪をくしゃくしゃと撫でた。
病み上がりで洗っていない髪を触られて、冬子は羞恥で赤くなる。
急に、自分の匂いや髪が汗でぬれていることが気になり、室内着でいることが恥ずかしくなってくる。

「本当に、冬子、素直になったなー」
「わ、私は前から、す、素直よ」
「まあ、そういうことにしておいていいけど」

冬子は小さく身じろいで、春日の手から逃れた。
今すぐシャワーを浴びて、身支度を整えたい衝動に襲われる。
そんなことできるはずもなく、冬子は顔を赤くしてベッドに視線を落した。
春日は相変わらず笑っている。

「なんか、本当に冬子って妹みたいなんだよな。出来の悪い妹ほど、かわいいってな」
「……………」

おそらく、それは嬉しい言葉。
春日が自分を身内のように思っていてくれる。
それは、とても嬉しいことだ。

それなのに。

「あれ、怒らないの?」
「え?」
「誰が出来が悪いのよ!って」

胸の熱さは急に熱を失い、冷たさをもってきゅうっとしぼむ。
どうしてそうなるのか分からなくて、冬子は取り繕うように慌てて声を上げた。

「あ、そ、そうよ!誰があなたの妹よ!あなたの成績で出来が悪いなんて言われたくないわ!」
「そうそう、それそれ」
「春日君!」

いつものように怒鳴り返した冬子に、春日はケラケラと笑う。
その笑顔は、本当に心が温かくなるのに。

冬子は、合わせるように笑った。
自然と零れおちる笑顔じゃない。

なんとか、笑顔を作った。





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