昼の喧騒に包まれ、ざわざわと騒がしい半地下の広い学食。
かろうじて陽の差し込む窓際に、背の高い、制服をアクセサリーとシャツで自分なりに着こなした派手な少年と、髪を加工しても化粧をしてもいない古風な少女が座っていた。
少年はかぶりつく勢いで自分の丼をかっこみ、少女は洗練された上品な仕草のせいで一見分からないが、少年と同じぐらいのスピードで箸を進めていた。

「ごちそうさま」
少女、館乃蔵冬子(たちのくら とうこ)はお茶をすすりながら満足気に息をついた。
「ハンバーグはおいしかった?」
対して少年、春日一清(かすが かずきよ)は紙コップに入ったコーラをすする。
「ええ、うちのシェフが作るハンバーグと全く違ったわ!なんて言うかとっても不思議な歯ざわりで美味しかったわ!」
興奮で目を輝かせる冬子。
春日はまた出てきた単語に目を遠くさまよわせる。
「うちのしぇふ………」
「ええ、まあうちのシェフが和食が専門だから、ハンバーグは専門外なんだと思うのだけど。それにしても、不思議な味」
「………」
それは多分、合挽き肉だからだと思うよ、という言葉は飲み込んだ。
「今度、こういうの作ってって頼んでみようかしら」
春日の様子など気づかず、口に手を当てて真剣な目で空いた皿を眺めている。
「いや!多分失礼だから!とんでもなく!お前んちのハンバーグのが正しいから!」
「……そう?この前牛丼作ってって言ったら変な顔されてしまったけど」
「言ったのかよ!」
思わず裏拳でつっこむ春日。冬子は不思議そうに首を傾げる。
「え、ええ?何かおかしかったからしら?丼料理って和食でしょう」
「いや、それはそうなんだけど!確かに和食なんだけど!」
でもうちの学食の肉は、多分和牛じゃない。
そんな言葉も、炭酸の強い黒い液体と共に飲み込んだ。
「……で、作ってくれたの?」
「いいえ、お兄様に怒られてしまったわ……」
両手で備え付けの安っぽい湯飲みを包み込みながら、しょんぼりと冬子はうつむく。
「そりゃそうだ」
お嬢様然とした妹が、いきなり牛丼を食べたいなんて言い出したら兄としては止めるだろう。
納得したように、そしてどこかほっとしたように何度も頷く春日。
それでも本気で落ち込んでいるらしい冬子を見ると、なんだか可哀想になってしまう。
「ま、いいじゃん、学食で食えば」
そう言うと冬子はようやく顔を上げた。
「ええ、そうね。家で食べれないのは残念だけれど。私、もう完璧に学食をマスターしたわ」
打って変わって得意そうに胸をそらす。誇らしげに顔が輝いてすらいる。
先週末に学食を体験してからすでに学食は4回目。
食券を買うため小銭を用意することは忘れないし、セルフサービスのお茶を入れることにもなれた。
最初機械の前で洪水を起こしそうになったのも、遠い過去のこととなっている。
「そだねー。じゃあ、後は自転車だね」
また表情がころっと暗くなる。
近頃の冬子は、春日に様々な表情を素直に見せるようになっていた。
「………自転車って、やっぱり才能がいるんじゃないかしら」
「いや、自転車は練習すれば誰でもできるものだから」
「嘘ついてない?」
「ついてない」
唇をかみ締める冬子。
顔を赤らめ本当に悔しそうなその表情に、春日が口を開こうとした時、背中から高い声が聞こえた。
「あ、カズじゃん!」
春日の後ろから現れ、親しげに肩に手を置いたのは、髪を複雑にピンでとめ、目元に何層もの色を重ねた少女だった。
小柄ですらりとした活発そうなかわいらしい少女。
「あれ、ゆっこ?」
春日が後ろにのけぞるようにして、少女を見返した。
「なーにやってんの、こんなところで」
「なにって、見りゃわかんだろ。飯食ってんの」
「あんたが学食で飯食えるほどの金あったんだ」
「俺はどれだけ金ねーんだよ!」
ぽんぽんと軽口を叩く二人。随分と親しい仲のようだ。
もっとも春日の親しい女性などダース単位で数えられるが。
少女は冬子に目をやると、驚いたように目を見開く。
「あー!!!本当に館乃蔵さんじゃん!!」
大きな声と共にまっすぐ冬子に指差す。
その不躾な態度に、冬子の眉間にしわがよる。
それに気づいたのか、春日がその腕を下ろさせた。
「館乃蔵。こいつ、1−Aの三沢優子。ゆっこ、こっちは館乃蔵冬子さん」
不愉快な気持ちを抱えながら、軽く会釈をする冬子。
三沢は春日のように、にこにこと子供のように笑った。
「よろしくー!」
そうして春日にまた向きなおす。
「ていうか、あんたが館乃蔵さんに手出してるって本当だったんだ!絶対デマかと思ってた!」
「は!?」
「あ、ちょっと待てそれ」
同時に声を上げる二人。
春日が止める動作を見せたが、三沢は気づかない。
「有名だよー。カズが今度は館乃蔵さんに手ぇ出してるって。落とせるかどうか賭けまでしてるらしいよ」
「どーせ胴元は廣田あたりだろ」
楽しそうに笑いながら説明する三沢に、呆れたようにため息をつく春日。
冬子はあまりの情報に頭の中が真っ白になっていた。
散々色々な噂を立てられていたのは知っていたが、そんなものまで含まれていたとは。
湯飲みを壊しそうなほど握り締め、手は真っ白になっている。
三沢は今度は冬子に顔を向ける。
「だめだよー、館乃蔵さん。こんなのに引っかかってちゃ。こいつ口だけはうまいんだし。館乃蔵さん世間知らずっぽいし」
「馬鹿いえ、顔も中身も伴っております」
「あっははー、すんげーうけるんですけど」
なにやら楽しそうに話をする目の前の二人に、冬子はだんだんと感情が戻ってきた。
羞恥と屈辱感。
春日に言い寄られていると見られていたこと、そしてなにより冬子がそれに『引っかかっている』と見られていたこと。
そんな話をしているのにいつも通り、へらへらしている春日にも腹が立つ。
努力している自分をそんな下世話な目で見られているのが腹だたしくてしょうがなかった。
何も知らない目の前の少女に、世間知らずだの言われる筋合いは全くない。
冬子は強く唇をかんだ。
まだ掛け合いを続けている二人を尻目に、立ち上がる。
それでもかすかに残った理性で声をかける。
「私、先に失礼させて頂くわ」
「うわ!『頂くわ』だって!すげー!」
本気で驚いたように目を丸くする三沢に、唇を更に強くかみ締めるとらしからぬ乱暴な所作で学食を後にした。

残された二人はそんな冬子の後ろ姿を見ていた。
「あり、なんか怒ってた?」
「馬鹿…」
春日は珍しく深くため息をついた。



***




「今日は来ないかと思った」
「………」
いつもの公園。
いつものように待っていた春日の前に、冬子はいつものように姿を現した。
帰りに送ろうと姿を探したところ、すでに冬子はいなかったのでふてくされてこないかと思っていたのだ。
「明日から、送り迎えは結構よ」
「でも、それじゃどすんの?お前朝弱いんだろ」
不機嫌そうに眉間にしわを寄せたまま、それでも強い口調で言い切る。
春日は困ったように頭をぽりぽりとかいた。
「どうにかなるわ。これまでどうもありがとう」
礼を言いながら、全く感情はこもっていない。
大きくため息をつく長身の男。
「あー、そんなにショックだった?あの噂」
冬子の顔に一気に朱がさす。
「……っ!よりによってあなたと!」
「うわ、ひど」
ぼそりと言う春日に、冬子は気づかない。
放課後だって、いつもの冬子だったら声をかけていくぐらいはしただろう。
よほど頭に血が上っているらしい。
「あー、だからお前に知らせんのヤだったんだよなー…」
「あなた、知っていたの!?」
春日はしまったというように、口元に手をやってから目を泳がせる。
冬子の顔は更に赤くなっていった。
唇と強く強く噛み、手を握り締める。
「……知ってたけどさー。お前絶対必要以上に気にすると思って…」
「気にしない訳ないでしょう!」
冬子が一際大きな声を上げた。
「うわ、なに、痴話げんか?」
そんな時、後ろから声がかけられた。
昼休みの時と全く同じ状況、同じ声。
冬子は後ろを振り返る。
そこには私服姿の三沢の姿があった。
「こんちわー。何してんの、こんなところで、デート?」
その言葉の一つ一つが冬子の感情に火をそそぎ、怒りで目の前が真っ赤になっていく。
春日が上を向いて、手で顔を覆った。
「ダメだよ、こんなところで痴話げんかとか」
「そんなんじゃねーよ」
あくまで痴話げんかで進めようとする三沢に、仕方なく春日がため息交じりに答える。
「えー、じゃ何々?こんな人気のないところで。館乃蔵さんもこんなやつと一緒にいたら襲われるよー」
場の空気を読もうとせず、けらけらと笑いながら春日の背中を叩く。
「ゆっこ、ちょっと今はあっちいっとけ」
「えー、なんでー。て、あれ、これ京ちゃんの自転車じゃん」
春日の傍らにおいてあった自転車に目を留める。
京とは春日の妹の名前だ。
「そいえば館乃蔵さんもジャージだし。あ、わかった!自転車の練習でしょ!館乃蔵さんいかにも乗れなさそうだし!」
三沢はパンと手を叩いて笑顔で言い放つ。
春日が慌てて三沢を後ろから取り押さえて、口を覆った。
突然の行動に三沢はじたばたと暴れて抗議をする。しかし春日は一睨みして騙らせた。
「あー……、ちょっとごめん。こいつこれで悪気ないんだわ。結構いい奴だし、お前と友達になれたらいいかなあ、とか思ってたんだけど…」
ずっとそれまで黙って唇をかみ締めていた冬子が顔を上げた。
赤かった顔は、感情がいきすぎて青ざめている。
「冗談じゃないわ!」
肩で息をしながら上げた声は、怒りのため震えていた。
「なんで、私がその人のような軽薄な人と友人にならなくてはいけないの!そもそも私があなたの口車に乗せられたのが間違いだったわ!あなたような無神経で恥知らずな人に!そんなあなたに引っ付いているその人もその人だわ!そんな軽薄な…」
そこまで言った時、冬子の右頬に痛みが走った。
いや、痛みというほどのものではなかったかもしれない。
しかし、その衝撃で冬子の言葉が止まった。
呆然としたまま、勢いで左を向いた顔を前に戻す。
そこにはいつのまに三沢は解放したのか、怖い顔をした春日が立っていた。
こんな怖い顔は初めてかもしれない。
足をひねった次の日に怒らせたときでも、こんな顔はしていなかった。
「こら、そんな言葉は使ったちゃだめでしょ。ゆっこは確かに悪かったけど、館乃蔵のが今のは良くないよ。俺は別にいいけど、よく知らない人のことそういう風に言うのはだめ」
怖い顔とは裏腹に、口調は幼い子に言い聞かせるように優しい。
しかし混乱した冬子にはそんなことは分からなかった。
頬を叩かれたショックと、たしなめられたことに悔しさと哀しさが浮かんでくる。
顔と共に、目も熱くなってくる。
唇を強く噛むと、目の前の長身の男の頬を思い切り平手で打った。
「失礼するわ!」

そしてその後の反応を見ないまま、くるりと踵を返し公園を後にした。






BACK   TOP   NEXT