一矢が居間に近づくと、中から騒がしく言い争う声が聞こえた。
よく耳に馴染んだ幼い声は、弟達のものだ。

「違うもん!」
「なにが違うんだよ。このマセガキー」
「ませがき、じゃない!」
「お、泣くのか。泣き虫三薙。泣け泣け」
「な、泣かない!」

中に入ると予想通り次男が三男をからかって遊んでいるところだったようだ。
真っ赤な顔で涙目になった三薙を、双馬が嫌みたらしく笑って弄っている。

「また喧嘩か?」

ため息をつきながら、一矢が居間に入り込んだ。
すると三薙が顔を輝かせて、一矢の元へと駆け寄ってくる。

「一兄ちゃん!」
「おっと」

そして双馬から隠れるように、一矢の後ろに回り込む。
長兄は苦笑しながら三男の頭をぽんぽんと撫でる。

「どうした?また苛められたのか」
「まーた兄貴の後ろに隠れる」
「双馬兄ちゃんが悪いんだよ!」
「今度はなんで揉めているんだ」

よく喧嘩する次男と三男の間に入りながら、一矢は肩をすくめる。
すると双馬はにやりと顔を歪めて笑った。

「いっひひー。それがさー」
「あ!駄目だよ!内緒だよ!双馬お兄ちゃんの馬鹿!」
「誰が馬鹿だ、このマセガキが!」
「ませがきじゃない!」

おそらくませがきという言葉が何かは分かっていないのだろう発音で、けれど悪口だと言うことだけは理解できるらしい。
三薙は顔を真っ赤にして、一矢の後ろから双馬に噛みつく。

「ほら、やめろ。何やってるんだ」
「三薙が好きな人出来たんだってさー」
「へえ。なんだ、それだけか。で、誰なんだ?」

一矢は双馬の答えに興味深そうに聞き返す。
すると三薙が一矢の後ろから飛び出して、再び双馬に飛びつくその体をばしばしと叩く。

「あー!内緒って言ったのに!馬鹿!馬鹿!嘘つき!双馬兄ちゃんなんて嫌い!好きじゃない!違うって言ったのに!」
「いて、いててて、いてえって、なんだよ。別にいいじゃねーか」
「嫌い!馬鹿!馬鹿!嘘つき!」
「いてえっつってんだろ!」
「痛い!」

頭やら肩やらを叩かれてさすがに怒った双馬が三薙の体を抑え込む。
首を締め上げられて、三薙が叫び声をあげる。
しかし負けじと次兄の腕に思い切り噛みつく。

「痛って!」
「うー!」
「やめろ、お前ら!」

一矢が静かな、けれど厳しい声で叱責すると、二人の争いが止まる。
長兄は腕を組みながら苛立たしげに眉を潜める。

「いい加減にしろ。とりあえず離れろ」

呆れたような声に、二人は罰が悪そうに体を離す。
まとめ役の長男は、深くため息をついてから、二人に平等に拳骨をくらわす。

「双馬、からかいすぎだ」
「はあいー」
「それに、別にいいだろう、三薙。いいことじゃないか」
「………だって」
「学校で友達が出来たのか?それならよかった」

学校で友達が出来なくて思い悩んで泣いていた三男に、好きな人が出来たと言うことはいいことだろう。
けれど三薙は俯いてしまう。

「学校の先生だってさ。優しくて綺麗なんだって」
「………なるほど」

友達が出来たわけではないらしい。
一矢は写真で見たことのある三男の担当教師を思い浮かべる。
確かまだ年若い女教師だったはずだ。
苦笑して、しゃがみこみ三薙に視線を合わせる。

「三薙、なんで内緒なんだ?」
「………あのね」
「うん」

ちらりと俯いた顔をあげて、兄の顔色を窺っている。
一矢は焦らず、三薙が話し始めるのを待つ。

「………美香先生、好きだけどね」
「うん」
「………」

そこで一旦言葉を聞いて、また俯く。

「三薙?」

もう一度優しく促すと、三薙は顔をあげた。
そしてなんだか悲壮な顔で一矢をじっと見つめる。

「なんだ?」
「あの、ね。あのね」
「うん?」
「一兄ちゃん、この前、綺麗なお姉さんと一緒にいたでしょ。一兄ちゃん、あのお姉さんのことが、一番好き?」
「………」

思わぬ質問に、一矢が言葉を失う。
すると横で見ていた双馬が身を乗り出してくる。

「なになに、兄貴、彼女?」
「………参ったな」
「………」

三薙は口を結んでじっと一矢を見ている。
一矢はその真っ直ぐな視線から、目を少しだけ逸らす。

「………一兄ちゃん、僕よりも、あのお姉さんのこと、好き?」
「うわ。どういうヤキモチだよ、それ」
「やきもちじゃ、ない!」
「じゃあ、なんだよ」
「えっと、えっと、違う!違うの!双馬兄ちゃんの馬鹿!」

また双馬に殴りかかろうとする三薙をひきとめて、一矢は言葉を探す。

「えーとだな」
「一兄ちゃん?」

大きな目でじっと長兄を見つめる三薙の目を見つめ返してにっこりと笑う。
その小さな頭を大きな手で優しく撫でた。

「三薙、大丈夫だ」
「え?」
「俺は三薙のことが好きだよ」
「本当?」
「ああ、勿論だ」
「あのお姉ちゃんいても、僕のこと忘れない?」
「当たり前だろ」

そこでようやく三薙がほっとしたように強張っていた表情を緩める。
どうやら大好きな兄が自分を忘れてしまうかもしれないという幼い嫉妬心だったようだ。

「で、兄貴、その彼女って誰」
「三薙は、それが気になってのか?」

双馬の質問を遮って、一矢が三薙に聞く。
三薙は恥ずかしそうに顔を赤らめる。

「あのね、美香先生好きだけどね」
「うん」
「僕ね、一番一兄ちゃんが好き」
「………」

一矢が面喰ったように言葉を失う。
三薙がまた不安そうに顔を曇らせて首を傾げる。

「………お兄ちゃん、僕のこと、嫌いになった?」
「いや、なんでだ?」
「僕、好きな人出来たけど、僕のこと、好きじゃなくならない?」
「ならないよ。だって三薙の一番は俺なんだろう?」
「うん!」

三薙は今度こそ満面の笑みを見せて頷く。
一矢も微笑み、三薙の頭を優しく撫でる。

「俺も三薙が大好きだよ」
「うん!一兄ちゃん大好き!」

嬉しそうににこにこと笑う三薙に、一矢が苦笑する。

「………うわー、ない」

そしてそれを見ていた双馬がぼそりと言った。





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