「ねえねえ!片山町の幽霊屋敷いかない?」 佐藤が顔を輝かせて、そんなことを言い出した。 活発な印象のお団子を派手な髪飾りで飾って、にこにこと笑う佐藤は、かわいい。 だから、つい頷いてしまった。 「やった!宮守ゲット!宮守には絶対来てほしかったんだ!」 そうやって俺が頷いたことに犬歯を見せて笑う佐藤は、やっぱりどうしてもかわいい。 だから一瞬見とれてしまって、何を言っているのか理解できなかった。 「阿部、チエコ、アヤ、平田、宮守行くって!」 佐藤は後を振り向いて、佐藤と仲のいいいつものメンバーに声をかける。 それで、ようやく自分が何に返事をしてしまったのか、認識する。 「え、は?幽霊屋敷って何?」 「ほら、夏だしさ、肝試し肝試し」 佐藤の話はいつも要領を得ない。 いや、そこがまたかわいいんだけど。 いや、そういう問題じゃなくて。 「肝試しって、え?」 「ずっと行ってみたかったんだ、本当にでるらしいよ、あそこ。3組の椎名も見たって!」 「いや、えっと、ちょ、待った」 「宮守、そういうの分かる人なんでしょ?」 そう言って笑う佐藤は、やっぱりかわいかった。 どうしようどうしようどうしよう。 結局断りきれなくて、行くことになってしまった。 これもそれも佐藤がかわいいのがいけない。 ドタキャンも考えたが、俺がいかないことで佐藤が危ない目にあったらと思うとそれもできない。 どうしてもっと真剣に止めなかったんだ、俺。 佐藤とそのグループは、何を言っても聞かなかった。 試験も終わって、夏休み前の一騒ぎをしたかったようだ。 幽霊を見たいといっても、結局はその存在を信じていないのだろう。 危ないと言っても、それがいいんだと笑う。 本当にそこに危険があるとは、思っていないのだ。 いるなんて、信じてないのだ。 そこにある、その存在を。 彼らが求めているのは、ちょうどいいスリル。 ジェットコースターと一緒だ。 弄べる恐怖を求めている。 それが、自分の手に余るものだとは分からずに。 ああ、どうしよう。 俺は頷いてはいけなかった。 こういうのには関わるなと、再三言われている。 遊び半分で、関わるな、と。 それを行うような輩と付き合うな、と。 お前は、魅入られやすいのだから、と。 でも、しょうがないんだ。 佐藤がかわいすぎるのがいけない。 あああ、でもどうしよう。 いや、俺だって多少は修行を積んでいる。 これくらいなら、どうってことないはずだ。 そうだ、そのはずだ。 俺だって一人でやったことぐらいある。 たとえ俺みたいな落ちこぼれでも、町中のありふれた幽霊屋敷ぐらい、どうってことないはずだ。 そうだ、そのはずだ。 それでもやっぱりちょっと不安で、俺は家に帰って支度した後、居間にいた母に尋ねた。 「………母さん、一兄(いちにい)はいますか?」 「一矢さんならお仕事に行かれています。いらっしゃいませんよ」 「では、双兄は?」 「双馬さんは学校にいかれています」 「じゃあ………」 言いかけて、飲み込んだ。 そうだ、大丈夫だ。 兄たちがいなくたって、俺だけだって出来る。 俺だって、宮守の人間だ。 いつまでも、頼ってばかりいられない。 「そうですか、ではいいです」 「三薙さん?」 「すいません、友人と用事があり、少し遅くなります」 「どちらにいかれるんですか?」 「すいません、急いでいるので」 「三薙さん!」 母の声を背に廊下を駆け抜け、俺は玄関から飛び出す。 追及されたら、しらを切りとおす自信はない。 なにせ、あの母だ。 何もかも暴かれて、知られたら反対されるだけだ。 下手したら家から出してもらえなくなるだろう。 帰ってからが怖いが、それはしょうがない。 ああ、廊下を走ったことも怒られる。 怒られる時に父が帰ってこないことを祈るばかりだ。 大丈夫、俺は大丈夫。 大丈夫だ、できる。 ずっと、修行も重ねてきている。 細やかな力の使い方なら、誰よりもうまいと言われている。 まあ、それくらいしかできないんだけど。 大丈夫。 今までだって出来た。 大丈夫、できる。 「うわあ、雰囲気あるねえ、ねね宮守どう?」 「………さあ」 「なんか感じたりしないの?ジャアクな気配とか」 「俺には、なんとも」 「なーんだ、やっぱりいないのかあ」 佐藤はがっかりしたように肩を落とした。 表情豊かな佐藤は、そんな姿もやっぱりかわいい。 他の連中は、最初から俺が見える人間だのなんだのは信じていなかった様子で空き家の探検を楽しんでいる。 きゃいきゃいとピクニック気分だ。 電車で二駅先の人気のない山裾。 そこにこの古びた洋館はあった。 日本にはそぐわない広い敷地と見た目。 前の住人が無理心中しただのなんだの、いかにもなイワクつきで。 辺鄙な場所だからかそれとも何かあったのか、住む人もおらず取り壊されもせず緩やかに朽ちるだけの運命だったようだ。 もうテンプレート通りのお化け屋敷。 そんな場所に、馬鹿な人間が興味をもたないはずもなく。 すでに先に来た人間の痕跡は所狭しと残されていた。 割られたガラスにスプレーでの猥雑な落書き。 誰が読んだのか古雑誌の束、空き缶空きビン、なぜか服。 ありがちなミステリースポットの姿だ。 雑誌なんかでもよくみるような。 けど。 ピリピリと静電気を感じるように、腕の産毛が逆立つ。 足が泥沼の中につっこんでいるように重い。 一歩歩くのにも、気力を要する。 こちらに向けられているらしいねっとりとした悪意に、吐き気がする。 やばい。 これほどまでとは思わなかった。 なんでこいつらは何も感じないんだ。 今にも目が回って、倒れそうだ。 ポケットにいれた、鈷をしっかりと握る。 大丈夫。 倒れることなんてない。 これくらい、なんともない。 「……なあ、何もないし、そろそろ帰らない?」 「えー、まだいようよ、ほら、あと二階もあるし」 「……二階いくの!?」 「そりゃ行くよ!二階がメインでしょ、ね、アヤ」 「うん、確かそうだったよ」 二階がメインか、そりゃ、そうだ。 このねっとりとした悪意の塊も視線も、上から降り注ぐように圧力を感じる。 二階への階段に近づくにつれ、圧迫感は増してくる。 バタークリームの中を歩いているような気分だ。 単に懐中電灯の明かりだけっていうんじゃなくて、辺りが暗い。 月の光は差し込んでいるはずなのに、薄暗く前が見えない。 荒れている床は、歩きづらくて何度も何度もけつまづいた。 「な、なあ、やっぱりそろそろ帰らない?」 「なんだ、宮守、ビビってんのかよ?」 俺の静止に、阿部がからかうように笑う。 阿部の言葉に平田も笑う。 くそ、何もわかってないくせに。 お前らが喰われても、俺は知らないからな。 「宮守君、顔色悪いね。大丈夫?」 心配そうに槇千絵子が俺の顔を覗き込んでくる。 少々ふっくらとしていて白い肌の槇は、その優しげな容貌にふさわしく人に気を使える優しい女子だ。 思わず弱音を吐きそうになるが、阿部と平田の明らかに馬鹿にした視線につい虚勢を張ってしまう。 「あ、大丈夫。ただ、ここ空気悪くて。足元悪いし、怪我しそうでやなんだよな」 「そうだよね、飽きてきたし。暑くて汗かいて化粧落ちそう」 派手な外見の岡野彩は、指輪の沢山ついた綺麗な指で、髪をだるそうにかきあげた。 大人っぽい岡野のそんな仕草は、少しだけどきりとする。 「うーん、もうちょっとだけ行ってからかえろっか。カラオケでも行く?」 「そうしようよ」 岡野の言葉に、佐藤が気遣うように提案した。 槇もうなづく。 女子二人のたのもしい同意を得て、俺はほっとした。 女王様タイプの岡野が言えば、平田も阿部も文句は言えないだろう。 とりあえず、ここから早く出た方がいい。 「じゃあ、その廊下の奥まで行って、帰ろうぜ」 「そだね」 ちょっと拍子抜けしたように、けれど佐藤は頷いた。 佐藤も、飽きてきたのだろう。 それに、友達の意見を却下するような性格でもない。 ちょっと軽率だが、友達思いのいい子だから。 よかった。 後は2メートルほど先の壁までいって、帰るだけだ。 それぐらいなら、きっと大丈夫。 二階までいかなきゃ、平気だ。 後、3歩ほどだ。 壁へ向けて、足を速める。 1歩。 2歩。 3歩。 「はい、タッチ。じゃあ、帰ろうか」 そして、後を振り向こうとした途端。 ぞくん、と背筋に寒気が走った。 圧迫感が、増す。 急な衝撃に、対処できずにかくんと膝から力が抜ける。 そのまま、その場に膝をつく。 ねっとりと、悪意が体に絡みつく。 まずい。 だめだ、振り払え。 一瞬だけ目をつぶって、精神を集中した。 自分にまとわりつく糸を、鋭い刃で切り裂くイメージ。 しゅっと音がした気がして、体が軽くなった。 慌ててその場から立ち上がり、後を振り返った。 「大丈夫か!?」 「え!?」 急に膝をついて、さらにいきなり慌てて振り返った俺に驚いたように眼を丸くするメンバー。 丸い目を更に丸くする槇、胡散臭そうにけだるげに髪をかきあげる岡野、いつもの自信にあふれた顔に、どこか怯えをにじませる阿部。 「な、なんだよ、お前。驚かせんじゃねえよ、このビビリ!」 驚いた自分を誤魔化すように俺に毒づいてみせる阿部。 だが今はそれにムッとしている暇もなかった。 「おい、佐藤と平田は!?」 「え?」 「あれ!?」 3人は慌てて辺りを見回す。 しかし、確かに阿部の前にいたはずの2人の姿はどこにもいない。 もしかしたら廊下に並ぶどこかの部屋にはいっているのかもしれないが、3人の様子を見るに、そんなことはないようだ。 なにより、壁に向かって歩いた、たった2分ほどの間だ。 俺に気付かれずに隠れるような時間はない。 「ああ………」 やられた。 俺のせいだ。 |