どうしよう。 どうしようどうしようどうしよう。 どうしたらいいんだ。 こんなの聞いていない。 こんな力が強いだなんて聞いていない。 だかが近所の幽霊屋敷で、なんでこんな化け物がいるんだよ。 人間を消せるなんて、かなり強いやつだ。 俺一人で、太刀打ちできるはずがない。 「ね、ねえチヅどこ?」 岡野が気の強そうな顔に、焦りを浮かべる。 槇もすでに泣きそうに顔を歪めていた。 阿部も顔が真っ青だ。 「やだ、何これ、どういうこと」 「お、おい、なんの冗談だよ。あいつら隠れてるんだろ。おい」 だめだ。 そうだ、俺がビビってる暇はない。 こいつらを止められなかった責任を、とらなくちゃ。 このままじゃ、こいつらも持ってかれる。 なんとかしないと。 ここでなんとかできるのは、俺しかいないんだ。 俺が、なんとかしないと、こいつらは。 そう、俺しかいない。 俺しかいないんだ。 天井を仰いで、一呼吸する。 未だに空気は重く、体の中に黒い悪意が入ってくる。 でも、惑わされたら終わりだ。 心を穏やかに。 とらわれず、柔らかく、強く。 青い、晴れ渡った海のイメージ。 凪いでいる、広い海。 心が真っ青に染まる。 音が遮断される。 現実が、遠くなる。 一瞬だけ、何もかもから解放されたような浮遊感を得る。 「………よし」 少し、呼吸が楽になる。 体も、軽くなった。 テンパってこんなことも忘れていた。 落ち着け、別にあいつらを消そうとか、勝とうとか考えなくていい。 ただ、こいつらを無事に帰す。 そして、佐藤と平田を見つけて、逃げる。 それだけだ。 それだけでいい。 「落ち着け、とりあえずお前らは一回出ろ」 「は!?何言ってるの!?チヅと平田どうするのよ!」 俺の言葉に、岡野が綺麗な指輪をいくつもした指を振り上げて抗議する。 岡野も、友達思いなんだな。 派手な外見してて、きついから分かりづらいけど、優しい。 「大丈夫、俺が探しておく」 「あ、危ないよ、宮守君、み、みんなで手分けしてさがそ?」 槇が怯えで引き攣った顔をしながら、それでもおずおずと言ってくる。 この子は、本当に優しくて、穏やかだ。 絶対、帰さないと。 「みんなで探した方が、危ないんだ。俺は大丈夫だから」 落ち着かせるようになんとか笑うと、槇と岡野複雑な顔で、お互いを見合う。 逃げたい気持と、俺をここに置いて行く罪悪感と、友達を思う不安。 その気持は嬉しいけれど、本気でこいつらがここにいる方が足手まといだ。 こいつらを守りながら佐藤を探す、なんていうのは絶対に無理。 俺は、そこまでの力はない。 「そ、そいつがそう言うなら、そうしようぜ。どうせ佐藤と平田もふざけてるだけだろ。どっかでしけこんでんだよ、きっと」 阿部は、震える声でそんなこと言って今にも逃げ出しそうなくらいそわそわしていた。 女子二人の軽蔑の眼を浴びても、全く気にならないようだ。 気にする余裕が、ないのか。 もしかしたら、あいつらの気配を一番嗅ぎ取っているのは阿部なのかもしれない。 あいつらの気配が濃厚になってから、動揺が激しい。 「ったく、かっこつけやがって。どうせあいつらとグルになってんだろ?」 阿部、こいつはどうでもいい。 喰われても絶対助けない。 「いいから、とりあえずここから出ろ」 ムカついてしょうがないが、ここでこんなことをしていてもしょうがない。 時間がたてばたつほど、佐藤と平田がどうなるか分からない。 もうすぐ夜も深くなる。 そうしたら、奴らの力も増す時間だ。 ガシャン! ガシャガシャ! ドアはまるで、厳重な鍵や鎖をつけられたかのように、押しても引いてもビクともしない。 最後まで一緒に探すと言っていた岡野と槇をなんとか説き伏せて、玄関まで戻ってきた。 開けっぱなしで入ってきたドアは、なぜか閉まっていた。 鍵なんてかかっているはずがないのに、開かない。 そもそも鍵は内側からかけるもの。 外から開かないなんて、ありえるはずがない。 「な、なんだよ、これ。嘘だろ!なんの冗談だよ!いい加減にしろよ!」 止める間もなく、阿部が焦って玄関脇の大きな窓ガラスを素手で殴りかかる。 その後の事態を予想して、俺と女子二人が破片を防ごうと顔を隠す。 が。 ゲン! まるでゴムでできた板か何かを殴ったような音がした。 窓を叩き割ろうとした音とは、思えない。 「な、なんだよ、なんだよ、おかしいだろ!なんで割れないんだよ!くそ!くそ!くそ!」 何度も何度も、阿部が拳を窓ガラスに叩きつける。 しかし窓ガラスは揺れもせずに、ただその衝撃を受け止める。 打ちつける阿部の拳の方が、血が滲んでいく。 「や、やめて、阿部君、やめて!」 槇が慌てて、阿部の腕に飛びついてそれを止める。 阿部は肩で息をしながら、信じられないように何度も何度も顔をふる。 槇はすでに泣いていて、必死に阿部の腕にしがみついてる。 「………ちょっとは、落ち着いてよ、ダッサイ」 「んだと!」 岡野の強気な言葉も、しかし語尾が震えている。 だめだ、恐怖と焦りで、どんどん負の感情が高まる。 それは、奴らが好物とするものだ。 「大丈夫、開く。落ち着け。深呼吸して」 空間を閉ざしている。 もう、ある意味異空間だ。 ここは、奴らの腹の中。 そんなん、雑魚にできるはずがない。 本当に厄介だ。 俺が今まで相手にした奴らの中で、トップクラスの強さだ。 こんなん、一人でどうにかなる訳ない。 とりあえずこいつらを返したら、一兄と双兄のどちらでもいい助けを呼ぼう。 間に合うかどうかは分からない。 でも、できることはやっておいたほうがいい。 岡野と平田の言い争いが聞こえる。 槇の泣き声が、響く。 「落ち着け」 言いながら、俺も目を閉じて深呼吸する。 岡野と阿部の言い争いがうるさい。 気が散る。 黙れ。 うるさい。 くそ、情けない。 これだから、こんなだから俺は。 だめだ、落ち着け。 心を乱したら、終わりだ。 焦るな。 青い海を、思い浮かべろ。 自分の体の中を、巡る水。 自分の腹のあたりから、水を練るイメージ。 俺は大きな力は使えない。 力を取り出すのが下手だ。 それに、最近供給してなかったから、もうすぐ力が尽きそうだ。 くそ、こんな時に。 意地張らずに、供給しておけばよかった。 くそ。 落ち着け。 だめだ。 今は今やらなきゃいけないことだけ考えろ。 細く、するどく。 最小限の力で、道を開ける。 尖ったナイフ。 細くて鋭い、槍のような刃。 ドアに絡みついている、蔦のような黒いものを切り裂く。 全部じゃなくてもいい、結び目だけだ。 ドアノブのあたり。 あそこだ。 向こうから攻撃してくる気配はない。 ただの飾りだ。 よし、いける。 しゅっ。 脳裏に音のイメージが響く。 「よし。早く、ドア開けて」 「え?」 「早く!」 「え、だって、ドアは」 「早くしろ!」 岡野が慌ててドアに飛びつく。 一瞬熱いものにでも触れたように手を離すが、恐る恐るもう一回触れる。 かちゃり。 ドアは音を立てて、ゆっくりと開いた。 「な、何!?なんで、どういうこと?」 岡野が焦ったようにノブから手を離す。 ぎぎ、と金具が錆びついたドアは嫌な音を立ててまた閉ざされようとする。 「離すな!早く出ろ!」 「え、え!?」 「早く、槇と阿部も」 まだ阿部の腕にしがみついていた槇と阿部をセットで背を押し出す。 植物のツルのような黒いものは、しゅるしゅると音が聞こえるようにまたドアに絡みつこうとしている。 造り出した刃でそれを防ぎながら、3人をドアの外に放りだした。 よし、大丈夫だ。 外はなんともない。 「み、宮守君」 「早く帰れ。後で佐藤と一緒に連絡するから」 「で、でも」 「お願いだから、早く。お前らがいると、何もできない」 正直にそう言うと、槇は言葉を飲み込んだ。 岡野は心配と、お前は何ものだといいたげな不審の色を浮かべている。 阿部は、化け物でも見るように視線に恐怖をにじませている。 ああ、くそ。 なんでこんなことしちまったんだ。 いつもだったら、こんなの断ってるのに。 「じゃあ、な。1時間経っても俺からも佐藤からも連絡なかったら、俺の家に連絡して」 「あ、宮守!ま」 岡野の言葉を最後まで聞かず、俺はドアを閉めた。 がちゃん! ノブがひねられる音がする。 がちゃがちゃ。 俺は何もしてない。 けれど、開かない。 便利なもんだ。 少しだけ、助かる。 一人になって、心細さが増したが。 でも、あいつらがいても、なんの足しにもならないしな。 ドアにもたれて、館の中をもう一度見渡す。 夜の闇が、増している気がする。 今日は月が明るかったはずなのに、大きな窓ガラスが並んでいる廊下も、薄暗い。 懐中電灯を照らしても、よく見えない。 廊下はがれきやごみで埋まっている。 転びそうだな。 窓ガラスと反対側の壁には部屋が何室か続いている。 ドアの陰から、何かが出てきそうだ。 薄闇の中に、何かが蠢いているような気がする。 怖い。 唇をかみしめる。 心を落ち着ける。 大丈夫。 大丈夫だ。 なんとかなる。 いや、なんとかしなきゃ。 佐藤を、助けなきゃ。 ついでに平田も。 ポケットの中の鈷を握りしめる。 体温が移って生ぬるい金属は、それでも確かな感触がある。 何度もやってきたことだ。 俺一人で、できたことだってある。 そうだ、それに、俺には頼もしい家族がいる。 俺は弱っちいが、両親も兄たちは比べ物にならないくらい、強い。 それに。 いや、いい。 とりあえず兄のどちらかにつなぎをつけておこう。 あいつらにも頼んだが、やっぱり早いところ呼んだ方がいい。 怒られようが、手遅れになるほうがやばい。 二人が辿りつくまで、間に合うかはわからないが、俺が駄目になっても二人なら始末をつけてくれるだろう。 せめて佐藤だけでも、助かればいい。 反対側のポケットから、携帯を取り出す。 家ではなく、一兄の携帯に直接コールする。 しばらくして、電子音がなりだす。 1回。 2回。 3回。 プツ、音が途切れる。 「もしもし、一兄!?」 「………どうした?」 電話が遠いせいか、少しくぐもっている。 でも、その声にほっとした。 膝から力が抜けそうだ。 頼もしい長男がきてくれれば、きっと大丈夫。 何か、知恵も授けてくれるはずだ。 「一兄、助けてくれ!違う、えっと」 落ち着け。 まず、何をつたえなきゃいけない。 場所だ。 そう、場所を伝えて、来てくれと。 「一兄、今俺、片岡町の幽霊屋敷にいて……」 「どうした?」 「あ、その、肝試しで……ごめん、それは後で謝るから」 「どうした?」 「その、来てほしくて」 「どうした?」 「一兄?」 「どうした?」 「…………」 ひやりと、全身が冷たくなる。 頭が真っ白になる。 「どうした?どうした?どうした?どうした?どうした?どうした?」 「………誰だ、おま、え………」 「どうしたぁ?どうしたぁああ?」 「やめろ!」 「どうしたぁあああ、あはははは、きゃははははは、きひいいいいいいいいい」 耳障りな金属音のような笑い声が耳元で響く。 俺ははじかれるように携帯を放り投げた。 |