天がドアの前に立ち、剣を一度持ち直す。
抜き身の刃は、暗闇でも天の力を纏い白く輝いている。
やっぱり天が持つ剣は、とても綺麗で、こんな時にも身惚れてしまう。

「………そういえば、お前、鞘は?」
「ああ、邪魔だから置いてきた。この屋敷の中で忘れても面倒だし」
「置いてきたって、どこに」

天が今持つ剣は祭事の時に使う神剣などではないが、それなりの業物だ。
その鞘もそれにふさわしくそれ自体が術を施され力を持つ一級品。
まあ、ここに持ってくるよりはいいだろうけれど、何かあったらどうするのだろう。

「屋敷の前、大丈夫。それより開けるよ、構えて」

天がノブに手をかける。
俺と雫さんは顔を見合わせて、同時に頷く。

「………分かった」
「うん」

この奥には、阿部と、そして岡野がいるのだろうか。
心臓が、ギリギリと引き絞られる。
喉が締め付けられて、息が出来ない。

岡野岡野岡野。
無事でいてくれ、岡野。
岡野の姿を、早く見たい。

カチャ、リ。

抵抗もなくスムーズにノブは廻り、ドアが開く。
咄嗟の攻撃に身がまえ、力を身にまとうが、予想に反して何もない。
ただ、部屋の中から、嫌らしく粘つく声が聞こえてきた。

「待ってたぜえ、宮守」

ドアの向こうには、にやにやと笑う阿部が奥にいた。
その笑顔はぞっとするほど醜悪だった。
こいつは、こんな風に笑う奴だったか。
もともと親しくもなかった。
でも、佐藤達と話す阿部は、もっと朗らかで明るかった気がする。

「………阿部」
「おせーよ」

天が開いたままのドアから、警戒しながら部屋の中に入り込む。
特に何か罠があったりする様子はない。
視線を部屋の中にゆっくりと移す。
そこは書斎のようで、何も入ってない本棚やでかいデスクが置かれていた。
その前に、阿部が立っている。

「………っ、岡野、岡野!」

そして部屋の奥に横たわる制服姿の女性の姿を見て、頭が真っ白になった。
何も考えず、足が動き、駆け寄ろうとする。

「わっ」

その瞬間腕がぐいっと引っ張られて、後ろに倒れ込みそうになる。
腕を引っ張った誰かに文句を言おうと振り向く前に、視界の隅でギラリと銀色のものが光った。

「おっと、動くなよ」
「………っ」

阿部が大きな10センチ以上はありそうなナイフを俺の方に付き付けている。
バタフライナイフ、という奴だろうか。
このまま俺が駆け寄っていたら、どうなっていたのだろう。
ゾクリと、背筋に寒気が走る。

「………落ち着いて」

耳元でそっと慣れた低い声が囁く。
それで、少しだけ乱れていた思考が戻ってくる。

「なんかぞろぞろといるな。一人で来る勇気もなかったのか?相変わらず愚図だよな」

阿部が俺の後ろの二人に視線を向けて、馬鹿にしたように鼻で笑う。
なんだろう、この違和感。
最近の阿部は確かにおかしかった。
でも、こんなに重く黒い空気を纏う奴だっただろうか。

「ああ、そっちがオトートだかオニーチャンだか?強いんだっけ?」

後ろの天を指し示して、首を傾げる。
阿部は、なんで天のことを知っているんだ。

「変な動きすんなよ。お前らの化け物みたいな力は知ってて、対策もしてるからな。3人ともそこに座れ」
「………」
「座れって言ってんだろ!岡野がどうなっても知らねーぞ」

岡野。
辛うじて上下する肩で、呼吸をしているのは分かる。
無事なのだろうか。
怪我はないのだろうか。
長い髪に覆われて、顔は見えない。
早くこんな家から、連れ出したい。

「………阿部、岡野を、放してくれ」
「とっとと座れよ!」
「………っ」

大人しく、傍に跪く。
後ろで天と雫さんもそれに倣った気配がした。

「………座った。だから、阿部、岡野を………」

阿部の敵意は、俺に向いていたはずだ。
なぜ、岡野を傷つけるような真似をするのだろう。
刺激してはいけない。
なんとか、岡野をここから解放しないと。
頼み込む俺を、阿部はひらりとナイフを閃かせて笑う。

「なんだよ、焦るなよ。もうちょっと話そうぜ。お前を待ちくたびれてたんだからよ。本当に遅かったよなあ。後少しで飽きて、岡野と遊んじゃうところだったよ」

ねっとりしたしゃべり方が、不快で吐き気がする。
邪気がこの部屋は濃くなっている気がする。
やっぱり、この屋敷で術を使っていたのは、阿部なのか。

「………下の階の術は、お前がやったのか?」
「楽しめたか?ゲームみたいだったろ?」

確かにまるで、ゲームのようだった。
非現実的な、悪意に満ちた世界。

「………お前に、そんな力、あったか?」
「こういう力があるの、お前だけかと思ってたのか?ははは!」

阿部が何がおかしいのか、大声で笑い始める。
しかしその一瞬後、哄笑を消し去り、眉を吊り上げ、怒気の孕んだ声で怒鳴りつける。

「なんだよ、偉そうによ!ヒーロー気取りかあ!?超能力が仕える俺かっこいいってか?」

人の怒りや悲しみといった激しい感情は、苦手だ。
阿部の唐突な怒りと別人のような表情に気圧される。

「平田のことを見殺しにして、女だけ助けてモテて楽しかったかあ?」
「………っ」
「ああ、それとももしかして、平田のことは、わざと殺したのか?その後あいつらと楽しそうだったもんなあ?邪魔ものいなくなってよかったな?」

そして、その言葉に鋭く、身を貫かれる。
喉が、引き攣る。

「あんた、さっきから、なんなのよ!」

言葉が出なくなった俺の代わりに、後ろにいた雫さんが身を乗り出す気配がする。
阿部の視線が、雫さんに向けられる。

「ああ?」
「雫さん!」

駄目だ。
阿部を刺激したら、いけない。

「事情は全然知らないけど、三薙はそういうことする奴じゃないんだから!さっきからネチネチネチネチ、気持ち悪い!」

阿部が、目を細めて鼻白む。
それからまた俺に視線を向ける。

「なんだよお前、岡野だけじゃなくて、そんな男女にまで手を出してたの?ホント、地味な空気クンの癖に意外とヤリチンだよなあ。もうどっちともヤったの?どうだったよ?」
「阿部!」

あまりに聞き苦しい言葉を掻き消したくて、声が大きくなってしまう。
阿部の言葉が、ねっとりとヘドロのように絡みついて、悪臭を放つような気がする。

「俺のことは何を言ってもいいけど、岡野と雫さんにそんなこと言うな!」

俺の言葉に、阿部はますます顔を顰める。
赤黒く染まったそれは、いつも教室の中心で笑っていた少年のものではない。
まるで人ではないもののように、歪んでいる。

「またいい子ぶりっこかよ。気持ち悪いんだよ。人殺しのくせに僕何も悪いことしてませんって顔しやがってよ!」

吐き捨てながら、阿部が岡野の元に近づく。
そしてその凶悪な形状の刃を横たわったままの少女に突きつける。

「阿部!」
「この女もだよ!人のこと散々馬鹿にしやがって!ヤリマンのくせして生意気なんだよ!」

綺麗な栗色の髪をひっぱり、憎々しく吐き捨てる。
その瞬間見えた岡野の顔は苦しげで、焦燥感が増して行く。

「阿部!やめろ!やめてくれ!頼むから、やめてくれ!」

あのナイフを、どうにかして岡野から引き離さなければ。
怪我なんて、絶対にさせたくない。
重ねて頼むと、なんとか阿部は俺の懇願に、興味を向けてくれたようだ。

「とりあえず宮守、そこに土下座しろよ」
「………」
「許して下さい、阿部様って言ってみろよ」

阿部が、瓦礫やゴミが転がった床を指し示す。
どうして、こいつは、こんなになってしまったのだろう。
元々、少し性格が悪かったところはあったが、こんなことを言うような奴ではなかった気がする。
だって元々岡野達と、仲が良かったはずだ。

「そしたら岡野のことは放してやるよ」
「………本当、か?」
「ああ、勿論だよ」

阿部が笑って、ゆっくりと頷く。
それを見届けて、俺は少し前に手をつく。

「三薙!」

雫さんが苦しそうに名前を呼ぶ。
心配してくれている、優しい人。
でも、大丈夫だ。
土下座なんて進んでしたいものでもないし、悔しい気持ちはある。
でも、それで岡野が無事ならこんなの、なんでもない。
頭を下げて許してくれるなら、いくらでもする。
平田がいなくなったのは、確かに俺のせいでもあるのだから。

「………」

そのままざらざらとする床に手をついて、頭を下げる。
そこら辺に転がる小さな瓦礫が手や足を傷つけて、痛い。

「ほら、もっと頭さげろよ!床なすりつけろ。謝罪してんだろ!もっと反省しろよ!」

阿部が岡野にナイフを突き付けながら命じる。
俺は黙って、床に額をつける。
じゃりじゃりとした砂や瓦礫が、痛くて、不快だ。

「ほら、お願いは?」
「許して、ください、阿部様」

捩じ伏せられることに対する悔しさはどこかにある。
でも、なんでもいい。
岡野が無事なら、なんだってする。

「ぎゃっははは、ほんとに言ってやんの!ばっかじゃねーの!そんなこと言って恥ずかしくねーの!」

阿部の声が頭上から響いてくる。
げらげらとさも楽しそうに笑っている。
頭を下げる俺を、散々に罵る。

「こ、の」
「………駄目、雫さん」

雫さんの怒りに満ちた声をそっと制する。
阿部は、どこかおかしい。
刺激しないで、早くこの屋敷から出たい。

「はー、面白かった。んじゃ、お前の前で公開レイプショーでもすっか?」
「なっ!」

でも、次の言葉でそんなのは吹っ飛んだ。
下げていた頭を上げてしまう。
阿部は岡野の傍らに座り、嫌らしく笑ってその髪を撫でている。
沸騰したお湯のように熱いものが、腹の中から煮えたぎってくる。

触るな触るな触るな。
岡野に、触るな。


「阿部、約束が違う!」
「約束ぅ?すぐ放すなんて言ってねーし?放すのはヤった後だな」
「阿部!」

立ち上がりかけると、阿部がナイフを岡野の顔に付きつける。
切っ先が頬にのめり込んで、動けなくなってしまう。

「阿部、やめてくれ!」
「どーせ、処女でもねーんだろ、このビッチ。お前も可哀そうになあ。童貞捧げたのがこんなガバガバなんじゃ、イケなかったんじゃねーの。特にお前の皮つきじゃ、入れてる感触もなかったんじゃね?」

耳を塞ぎたくなるような、醜悪な言葉。
怒りが体を支配していく。
あのぺらぺらとよく廻る口を殴りつけ、黙らせたい。
その頭を抑えつけ床に這いつくばらせて、岡野に謝罪させたい。
人をこんなに傷つけたいと思ったのは、初めてだ。
ぐらぐらと、腹の中が煮えくりかえる。

「………クズ」
「ああ!?」
「………」

雫さんの言葉に、阿部がナイフを更に岡野の頬にのめり込ませる。
白い頬に、血が一筋垂れていく。
その赤い色に、頭の中が真っ赤に染まる。
あいつを今すぐにでも、ボコボコにしてやりたい。
でも駄目だ、今動いたら、あのナイフがどこに向けられるか分からない

「まあ、いくらユルユルヤリマンでも、胸はでけえしな。そこそこ楽しめるかな」
「………阿部!」

岡野の胸元に手を伸ばそうとする。
触るな。
これ以上、岡野を汚すな。

「おっと動くなよ。岡野のアソコ、これ以上広げられたくねーだろ」
「阿部………っ」

拳を握って、感情をなんとか抑え込む。
阿部がおかしいなんて、どうでもいい。
罪悪感なんてどうでもいい。
あいつが、許せない。

「情けねえなあ。好きな女の一人も守れねえの?」

嘲笑されようが、なんだっていい。
岡野に触れようとしているその汚い手を、叩き落としたい。

「阿部、俺には、何してもいいから。殴っても、切っても、刺しても、いいから、だからっ」
「ああ?何お前、ドM?そういう趣味なの?気持ち悪りー。この変態」
「いくらやってもいいから、だから、岡野を、放してくれ!」

俺が傷けられるのは、いい。
でも、岡野がこれ以上傷つけられるのは、見たくない。
岡野が無事なら、なんだっていい。

「だーかーらー、そういういい子ぶりっこなところがムカつくんだよ!」

けれど俺の言葉は阿部の気に障ったらしく、阿部が眉を吊り上げる。
その後、嫌らしく見苦しく、唇を歪めて、笑う。
なんて醜い、笑い方なんだろう。

「きーめた。お前ボコにしてもよかったけど、やっぱ岡野ヤった方が楽しそうだな」
「阿部!」
「そこで見てろよ」

阿部がまた動こうとした俺を制して、岡野にナイフを付きつける。
顔に付きつけたナイフを下に動かし、セーターを切り裂く。
その顔を岡野に近づけて嫌らしく笑う。

「なー、全部の穴につっこんでやるぜ、彩ちゃん」

どうすればいい。
どうしたらいいんだ。
動いたら岡野が傷つけられる。
だからってこのまま見ていることなんて出来ない。

力を使うか。
術を紡ぐまでの時間、持ちこたえられるか。
でも対策をしていると言っていた。
はったりだろうか。
でも、試すのはリスクが高すぎる。

阿部の顔が、岡野の顔に触れそうになる。
今ならナイフも岡野の体から離れている。
出来るか。
駆け寄って、蹴り倒して、岡野から引き離す。
でも跪いている状態から立ち上がるその時間、阿部は動かないでいてくれるだろうか。
でも迷ってもいられない。
動かなければ、最悪の事態になる。
迷うな、やれ。

「ぐっ」

立ちあがろうとしたまさにその時、くぐもったような男の声が、薄暗い部屋の中に響いた。

「え」

誰の声か認識出来なくて顔を上げると、阿部が顔を抑えてのけ反っていた。

「ぎゃっ、がはっ」

そしてまた更に悲鳴をあげて、そのまま後ろに倒れ込む。
なんだ、何があったんだ。

「え………」

突然の出来事についていけずに、呆然とその光景を見ている。
すると、今度は高い澄んだ声が、部屋に響く。

「お、断りだ!」

声の持ち主は、ふらふらと足をもつれさせながらも立ちあがる。
そしてその長い足を振りかぶり、思い切りスイングさせた。

「てめーみてーな最下層の汚ねえポークビッツ突っ込ませる訳ねーだろ、身の程わきまえろ、死ね、クズ野郎!」
「ぎゃあ!」

そしてその足は、思い切り横たわる阿部の股間にヒットした。
阿部が股間を抑えて、床をのたうちまわる。

「臭っせえ息吹きかけんな!生ゴミ臭えんだよ、ゴミ!」
「お、岡野!」

阿部の前でふらつきながらも仁王立ちしてるのは、さっきまで横たわっていた少女だった。





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