俺の答えに、湊さんは静かに目を伏せた。
何かを考え込んでいるように眉を寄せる。

「………」
「すいません、答えになってませんね」
「いえ………、変な質問に答えてくださってありがとうございました」
「………いえ」

混乱させてしまっただけではないだろうか。
しかもこんなネガティブな答え、してもよかったのだろうか。

「少し、考えてみます」
「………うん。あ、もしかしたら、弟の方がそういう質問、答えられるかもしれない」

俺の答えになってない答えより、天の方がずっとためになることを言えそうだ。
ちょっと違うけれど、同じような立場なんだし。
でも、天がストレートに答えてくれるだろうか。

「………難しい奴だから、ちゃんと答えてくれるか、分からないけど」
「ありがとうございます」

つい付け加えると湊さんは小さく笑った。
それからまた恐る恐る口を開く。

「三薙さんは、家に囚われてるとは、思わないんですか」
「………俺は、ずっと家の役に立てたらいいなって思ってる。なんの役にも立てないから。だから、こんなこと言うとあれだけど、ちょっとだけ、湊さんのことが羨ましいとも思ってる」

囚われてるとは、感じたことがない。
むしろ家が俺のために尽くしてくれているとすら思っている。
父さんも母さんも一兄も双兄も天も、俺のために多くのものを与えてくれている。
だから俺も何かを返したいと思っている。

「家に、必要とされてるから」
「………家が大事、ですか?」

俺の答えに、湊さんはまた細めの眉をきゅっと寄せる。
家が大事か。
そういえばこの問いは前に雫さんにもされたっけ。
俺は家が大事な訳じゃない。

「家、というよりは家族、かな」

俺にとって家とは、一兄であり双兄であり、天。
父さんや母さんや、志藤さんや熊沢さん。
それらをひっくるめたものが、家なのだ。

「家族が、大事だから。家族の役に立ちたい」

これだけは確かだから、しっかりと言えた。
俺の言葉に湊さんは、目を伏せながら頷いた。

「そう、ですね」

それからちょっと表情を緩めて顔を上げた。
心なしかすっきりとしているように感じる。

「ありがとうございます。三薙さん。参考になりました」
「ごめんな、本当にあんまり答えられなくて」
「いいえ。真剣に答えてくれて嬉しかったです」
「えっと、ならよかった」

湊さんは丁寧に頭を下げてくれた。
本当に一つ下だとは思えないぐらい礼儀正しい。
まあ、天も礼儀正しいっちゃ正しいんだろうけど、あれはまた違う。

「ありがとうございました。そろそろ昼食の時間です。行きましょうか」
「あ、掃除の邪魔しちゃってすいません!」
「いえ、引きとめたのは僕ですから」

最後にもう一度だけ湊さんはお礼を言ってくれた。



***




量も味も申し分ない昼食を終え、俺たちはさっそく仕事に向かった。
結界を張る場所は三か所。
それぞれたつみの出入り口となる場所だ。

「まずは一つ目」

一番メインの大通りには、一際立派な龍を模した注連縄が飾られている。
短冊や人型などもつるされて賑やかに風で揺れている。

「兄さんやる?」

注連縄の様子を伺っていた天が振り返って聞く。
突然振られて驚くけれど、俺がやれるのならやりたい。
仕事に関しては天はふざけたりしない。
俺でも出来ると判断したから委ねたのだろう。

「………うん、やる」
「ではどうぞ」

意地悪そうに笑って、横にのく。
もっと素直に応援してくれればいいのに。
まあ、文句を言っていても仕方ない。

落ち着け。
目を閉じて、心を研ぎ澄ませろ。
青い青い、晴れ渡った空の下の海。
澄みきった空気。

「………古い力が、残ってる。これをつなげばいいんだよな」

多分繰り返し繰り返し張られてきただろう結界が、いまだに力を持ってそこにある。
ただ、境が破られたと言っていた通り、力の循環がめちゃくちゃになっている。
本来入ってくるものを防ぎ、邪気を吐きだすような力の流れじゃなければいけないのに、今はどちらも通行自由な状態だ。

「そう。新しく作りだす必要はない。ただ力の流れを正しくするのを手伝えばいいだけ」
「………分かった」

それなら、俺にも出来そうだ。
細かい力の使い方は、それなりに得意だ。
では術は、この古い龍神の力を利用する形に組み立てなければいけない。

「古きより龍神の恩恵を受けし守護の結界、宮守の力にその力を………」

考えて術を組み立てながら、自分の力を境に注ぎ込んでいく。
あちらこちらにほつれている力を宥め正しく導き結びつける。
なんだか編み物でもしているようだ。

「………たつみを守りし境とならん」

自分の力も編み込みながら、結界を作りあげる。
組み立て終わり、目を開けて改めて確かめるとピンと張りつめた布のように、力が綺麗に折りあげられている。
自分でも中々のものだと思う。

「どう、だ?」
「うん、上出来。うまくなったね」
「へへ」

天が様子を見ながら頷いてくる。
上から目線の褒め言葉に少しだけイラっとするが褒めてくれたことは確かだ。
素直に受け取っておこう。

「三薙さん、すごいですね!境がとても綺麗になってる」

横で見ていた湊さんが感心した声で、結界を見上げている。
こんな純粋に褒められることはそうないから、嬉しいけれど戸惑ってしまう。

「あ、ありがとうございます」
「やっぱ宮守の人ってすごいんですね!」
「え、えと、どうも」

きらきらした目で見てくれるのは嬉しいけれど答えに困る。
その通りとか胸を張るだけの実力は俺にはない。
天だったら恐れ入りますとか一言いってスマートに流すんだろうけど。

「湊、こちらに」
「あ、はい」

注連縄の様子を確かめていた水魚子さんに呼ばれて、湊さんが行ってしまう。
助かった。
これ以上純粋に褒められたどうしたらいいのか分からなくなる。

「湊と話をしたのですか?」
「あ、はい。さっき玄関先で会って」

その様子を見ていた露子さんが聞いてくる。
俺の答えに、嬉しそうに目を細めた。

「ありがとうございます。湊は少し大人しく人見知りする性質なので話してくれると嬉しい」
「そう、なんですか?礼儀正しいし、よく話してくれました」

大人しいのは確かかもしれない。
でも、人見知りって感じでもなかったような。
いや、そうだったかな。

「三薙さんは親しみやすい空気がありますからね。湊も警戒しなかったのでしょう」
「なの、かな。それだったら嬉しいです。いい弟さんですね」
「ええ、ちょっと生真面目すぎるところがあるが、いい弟だ。姦しくて自由な姉達に囲まれたせいで苦労症になってしまったようだ」
「え、と」

自由な姉達というのは、霧子さんと露子さんのことなのだろう。
なんと答えたものか迷う。

「姉も自由な人だったからね。自由すぎて飛び出してしまったぐらい」

ますます答えに困る。
露子さんは朗らかに笑っているだけなのだが。

「湊にも自由に生きてもらいたいんだが」

けれど優しい声で、優しい表情でそんなことを言った。
そこには弟を想う姉の思いやりがこもっていた。
まるで双姉が、俺を抱きしめる時のような甘い声。
本当にお姉さんなんだな。
でも、霧子さんも湊さんも自由に生きたら、露子さんはどうなるのだろう。

「その、露子さんは………」
「ん?」
「あ、いえ、なんでもないです」

露子さんは自由じゃなくてもいいんですか、なんて俺が聞くことじゃない。
他家の事情に関わるな。
それは、確かに正しい判断だ。
俺が聞いたって、どうすることもできないのだから。

「龍神の花嫁になることは別に嫌ではないですよ」
「え!?」

言わなかったはずなのに、露子さんはあっさりと答えてくれた。
心が読まれたのかと、思わず顔を上げた。

「はは、三薙さんは本当に親しみやすい。表情豊かだ」
「す、すいません!」

露子さんは俺の失礼も気にせず朗らかに笑っている。
どうにも俺は表情にも態度にも出過ぎるようだ。

「しかし管理者としては、それではやりづらいだろう」
「………すいません」
「謝ることはないでしょう」

それは長所でもある、と言ってはくれても、そうだとは思えない。
時と場所を考えずに態度に出るなら、それは立派な短所だ。

「だが、そうだな。表情を隠すことが苦手なら、ずっと笑っているといい」
「笑う?」
「ええ、無表情よりも笑っている方が簡単でしょう。なら、辛くても哀しくても笑っていればいい。そうすれば表情は隠れる」
「そう、ですね」

表情を隠そうと思うと、確かに大変だ。
でも笑うことなら、できるかもしれない。
いや、それも難しいけれど、無表情よりは少しは楽そうだ。

「ええ、笑っているといいでしょう。それに泣いたり怒ったりするより笑っている方が楽しいものだ。表情だけでも笑っていればそのうち楽しくなる」

露子さん自身、にこにこと笑いながら言われるとそんな気がしてくる。
それに、笑っているっていうのは、確かにいいことだと思う。

「それは、そうですね。確かに笑ってる方がいい」
「でしょう。ほら笑って」
「え、え」
「笑顔です笑顔。ほら、にー」

そんな急に無茶ぶりされても困る。
でも、自分の頬に手をあてて引っ張ってる露子さんのコミカルな動きに、つい面白くなってしまう。

「こ、こうですか?」
「ええ、いい感じです」

恥ずかしいけれど満足げに頷く露子さんには敵わない。
露子さんも同じようににっこりと綺麗に笑った。

「笑っていればいつかいいこともあるんじゃないですかね」

笑う門には福来る、か。


***




無事三つの結界を張り直し、一日目の仕事は終わった。
軽く疲れてはいるが、たつみの空気はよくなっているので気分はいい。
食事も終え、風呂も入って、寝巻代わりの浴衣に着替えて、後は明日に備えて寝るだけだ。
でもまだ早い時間なので、布団に寝っ転がって持ってきたゲームをやっている。

「なあ、天」
「ん?」

同じように暇にまかせて、壁に背を預けて本を読んでいた天が気のない返事で答える。
ちゃんと話すために、ゲームの電源を切って座り込む。

「お前さ、家が重荷だって感じたことある?」

天は俺の問いかけに、本から視線をあげてこちらを見る。
いつもと同じようにややつまらなそうな感じで。

「誰かが何か言ったの?」

相変わらず、鋭い。
ていうかそんなに俺は分かりやすいのだろうか。
まあ、隠すことじゃないだろう。

「あのさ、湊さんっていただろ。あの人にさ、家へ対する使命感みたいの持っているかって聞かれてさ。湊さんは水魚子さんとか露子さんが家のために尽くすのが理解できないって言ってた。そういうのが重いみたい。あ、露子さん達には内緒な」
「別に話さないよ」

まあ、天はそんなことを吹聴する奴でもないだろう。
むしろそんな時間が無駄ぐらいに思ってそうだ。

「お前はさ、一兄と一緒に、多分、次期当主見込みの扱いだろ。そういうのって、やっぱり重い?お前は使命感って持ってる?」
「使命感ねえ」
「うん、湊さんにちゃんと答えられなかったから」

天は本を隣に置いて、膝を立て、その上に肘を置いて頬杖を付く。
浴衣を着ていても、その裾はあまり乱れないのがすごいなといつも思う。

「それと、お前がどう思ってるのか、知りたい」
「知ってどうなるもんでもないし」

天がつまらなそうに、ため息をつく。
最近気付いた。
天はこんな風に興味ない振りで、話を逸らそうとする。

「そうかもしれない。でも、俺はさ、今までお前にコンプレックス感じてばっかりだった。強くて、頭良くて、冷静で、父さんにも一兄にも信頼されてて、俺とは全然違う」

でも、今回は話を逸らされないようにしたい。
天のことが、もっと知りたい。
自分の弟が、何を感じ何を思っているのか、知りたい。

「だから妬ましくて悔しくて憎くすら、あった。軽々と俺の前を行くお前が、大嫌いだった」

だから自分の気持ちも曝け出す。
こんなの、もう天は十分知ってるんだろうけど。
天は俺の気持ちを知っているのに、俺は天の気持ちを知らない。

「でも、お前だって、辛くて、苦しい、よな。俺が力がないのは俺のせいじゃないけど、お前の力が強いのだって、お前のせいじゃない。家の重圧がかかるのは、お前が望んだことじゃない」

家が嫌いだと言った、天。
ずっと家が重荷だったのだろうか。
俺が妬んで憎んでいる間、天はずっと苦しかったのだろうか。

「お前は、家のこと、重いのか?」
「聞いたら何かしてくれるの?」
「え」

俺が天に出来ることなんて、あるだろうか。
そもそも家が重いと言われても、俺には何もできない。
重圧を軽くしてあげることも、代わりに家を継いであげるよ、なんてことも言えない。

「………分からない」

俺に出来ることがあるなら、してあげたい。
俺が迷惑をかけた分、返したい。
でも出来ることがあるだろうか。
分からない。

「………そうだな」

天はそんな俺を見ながら、どこか呆れたようにため息をついた。
そして黒く艶やかな髪を掻き上げる。

「重圧ね。感じてはいるかな。重いね。宮守家は重い。重くて重くてうんざりする」

俺はあまり感じたことのない、重さ。
そこまで重く感じるというのは、今まで家のために沢山尽くしてきたのだろう。
天が大変だと思いながらも、感じられないことに悔しくなる。
俺って本当にどこまでも、小さくて情けない奴だ。

「それと使命感。これも感じている。家のために動こうって気はある」

俺の葛藤には当然気づかないまま、天はそう言った。
きっとこれは嘘ではない。
でも、多分全てでもない。

「………辛い、か?」
「………」

天は目を一度伏せた。
それから開けて、いつものように皮肉気に笑う。

「辛くないわけないでしょ。小さい頃から無理矢理やらされてるんだから」
「………だよな」

天は嘘は言ってない。
でもやっぱり、全部じゃない。
天は話を打ち切りたい時、こんな感じで茶化す。
それも最近気付いた。

「それより兄さん、供給はしなくていいの?」
「あ、そっか。そうだな」

案の定、話を逸らされる。
これ以上踏み込みたいけれど、踏み込ませてはくれないだろう。
でも、いつかは、もっと話してくれることがあるだろうか。

「あまり減ってないけど、でも、うん。何があるか分からないから、今のうち頼めるか?」
「本当に素直になったね」
「何度も言っただろ。後悔はしたくない」

供給を頼むのに気が引けても、力が足りなくて失敗するよりは全然いい。
ああしておけばよかった、こうしておけばよかったなんて後悔は、もうしたくない。
それに、これ以上、天は話には付き合ってくれないだろう。

「それはいい心がけだね」

笑いながら天が布団に座っている俺の元へ来る。
そういえば、こうやって改めて天に供給をされるのは、久々だ。
この前の時は極限状態だったから、あまり覚えていない。
冷たい指でそっと頬に触れられて、思わずびくりと震えてしまう。

「………っ」

天が小さく馬鹿にしたように笑う。

「そんな緊張しないでよ」
「………変なことはすんなよ」

天が、ますます意地悪そうに唇を吊り上げる。
獲物をいたぶる、猫のように。

「変なことって、どんなこと?」
「うるさい!」

天がくすくすと笑いながら、呪を唱える。
緊張が、抜けない。
やっぱり少し、怖い。
冷たい唇が重なるその瞬間にも、体が震えてしまった。

「んっ」

舌がぬるりと入り込んできて、粘膜が俺の粘膜に触れる。
その瞬間に回路が繋がって、どろりと白い力が入りこんでくる。

「………っ」

やっぱり圧倒的なその力の奔流に、警戒も理性も何もかもが吹っ飛びそうになる。
白い光に、脳内が焼き切れそうになる。
注がれる力をもっともっと受け止めたくて、自分で舌を差し出してしまう。

「は、あ」

弟の襟もとを掴みながら、後ろに倒れ込む。
天は俺の反応に、喉の奥で笑う。
その時、浴衣が肌蹴た足に、冷たい手が這うのを感じた。
敏感になってる全身が、その感触に総毛立つ。

「ん、や、天」
「どうせ、これからするのに?」
「や、だ」

天が唇を解き、鼻先で笑う。
その手は俺の太腿の当たりをなぞり、内股に向かう。
白い力は、天の手からも感じてそれを快感として受け止める。
払いのけようとした手は、もう一方の手で押さえこまれる。

「いやだ、てん、ぅんっ」

また唇を塞がれて、舌を含まれ、唾液を注ぎこまれる。
飲み込むとまた一つ、理性が焼き切れていく。
天の手が、浴衣を払いのけて、更に奥へと進む。
ビリビリとした電流のような刺激に、足が跳ねる。

「もう反応してるのに」
「やめ、ろ!」

嗤われるのが嫌で、好き勝手されるのが嫌で、意志を無視されるのが嫌だ。
最後の理性と力を振りしぼって、天を押しのけようとする。

「でも、ほら、濡れてる」
「やめ、ろ!やだ!」

けれど圧し掛かる天を、どかすことは出来なくて、涙が出てくる。
もうしないと、思ったのに。
どうして、こうやって俺の意志を無視するんだ。
近づけたと思ったのに。
少しは分かったと思ったのに。

「三薙さん?」

その時、障子の向こうから、声が聞こえた。
心配そうな、穏やかな、優しい声。
熱に浮かされそうなっていた頭が、冷水をかけられたように冷たくなる。
駄目だ、なんとか誤魔化さないと。

「あっ、くぅ!」

志藤さんをここから離れさせようと口を開こうとしたその瞬間、天の手が俺の性器を下着越しに掴む。
咄嗟に防ぎようのない声が出てしまった。

「三薙さん、どうされたんですか!?」

焦った声。
障子に手がかけられるのが、影で分かる。

「え………」

勢いよく開けられた障子の向こうで、志藤さんが目を見開いた。





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