昼食を終えて、午後は湖の邪気祓いになる。 今度は湖を囲むようにしてある3つの祠を中心として行う。 まずは最初の祠は天。 弟はなにやら難しそうな顔で湖を見つめて、志藤さんと話している。 どうしたんだろう、そこまで難しい仕事じゃないだろうに。 気になるけれど、近づけない。 近づくと、志藤さんの顔が強張ってしまう。 話すことはおろか、近づくことすらできない。 どうしてこんなことになってしまったのだろう。 折角、仲良くなれてきたのに。 友達だって言ってくれたのに。 「大丈夫ですか、三薙さん」 つい俯いてしまっていたら、湊さんが心配そうに覗き込んでいた。 慌てて顔をあげて、首を横に振る。 「大丈夫です。ありがとうございます」 「すいません、お疲れですよね。いつもなら龍神の力を借りて10日ぐらいかけてやる儀式なんですけど」 「そ、そうなんだ」 通りでハードのスケジュールだと思った。 いつもだったらもうちょっと余裕はあるのか。 「はい。当主の代替わりの場合はもっと時間をかけます。今回は事情が差し迫っているので、突貫ですが」 代替わりしだばかりの当主がいなくなったから、仕方ないのか。 きっと俺たちを呼ぶ前にも大分時間が経っているのだろうし、予断を許さない状態だったのだろう。 俺も気を引き締めていかないと。 「僕や露子姉さんも学校もあるし、すいません」 「露子さん学生なの!?」 思わぬ事実につい声がひっくり返ってしまった。 別にここまで驚くような事実ではないだろう。 そういえば、露子さんはまだ二十歳だ。 すっかり忘れていたが。 湊さんは俺の驚きに驚いている。 「え、は、はい」 「あ、す、すいません」 また失礼な態度をとってしまった。 と、反省していると、後ろから肩を掴まれた。 「おや、何か意外かな、三薙さん」 「うわ!」 思わずその場で飛び上がると、からっとした笑い声が響いた。 後ろを振り返ると、露子さんが楽しそうに俺を覗き込んでいる。 「私はそんなに学生のように見えないのかな」 「え、えっと、いえ、露子さんしっかりしてるから」 「そうか、褒め言葉として受け取っておこう」 「本当に褒め言葉です!」 なんだか一兄と同じぐらいに思えてしまっていた。 ていうか一兄よりも年上のように感じていた。 なんだろうこの落ち着きっぷりは。 そう言えばよく考えれば双兄より年下なのか。 全然見えない。 「はは、ありがとう」 「大変じゃないんですか?」 「まあ、これから家の手伝いするにしても、大学は出ていた方がいいだろう。ハッタリが効くしね」 「当主業と両立って、出来るんですか?」 「さて、やってみないと分からないかな。まあやってみればいい」 露子さんは特に気負うことなく首を傾げた。 その飄々とした態度に、この人なら両立ぐらい軽いだろうと思ってしまう。 こういうところが、露子さんを嫌う人には嫌なのだろうか。 「まあ、家業の方は父と母と伯母がなんとかするからいいとして、問題は旦那様のご機嫌だな。嫁が週末しか帰らないことをお許しいただけるか」 ちらりと湖に視線を送って、肩を竦める。 「その辺は婚姻成立後に徐々に擦り合わせていくしかないな」 そして楽しげに笑いながら、そんなことを言った。 冗談のようにも、本気のようにも聞こえる。 弾んだ声は、本当に結婚を控えた人のようだ。 「………楽しそうですね、露子さん」 「ん?」 「結婚式、楽しみなんですね」 俺の言葉に、露子さんが破顔する。 とても晴れ晴れとした表情だ。 「ああ、楽しいな。新しいことを始める時は、いつだってワクワクして仕方ないね」 そう思えるところが、本当に露子さんは度胸がある。 俺はいつも新しいことを始める時は、ビクビクしてばっかりだ。 「俺は、怖いと思っちゃうけど」 「新しいことをして失敗すると想像するから怖いんだな。失敗も楽しいものだ。何、たいていの失敗は割と巻き返しが効くものだ。恐れず楽しもうじゃないか」 といっても、巻き返しが効かないものも、結構あると思うんだけどな。 どうしてこの人はこんなに自信に満ちているんだろう。 なんだか一緒にいると自分がちっぽけに思えてくる。 ああ、みんなこう思ってこの人を苦手だと思うのか。 「露子さんでも、嫉妬とか、怖いとかって思ったりするんですよね」 「するさ」 けれど露子さんはあっさり言った。 「といっても、基本私は喜怒哀楽の喜楽に偏りがたちなんだけどね。それでも私だって怒と哀を感じる時だってあるのさ。腹の中を焼くような激情、というものをね」 露子さんが自分の胸を抑えて、目を伏せる。 そして、にっこりとほほ笑んだ。 「それを感じる時、私は生きてると実感して気持ちがいい」 「………」 やっぱり、ちょっと人とは感性が違うのかもしれない。 確かに俺も、露子さんが羨ましい。 「露子姉さん、三薙さんが困ってます」 「おっと、変態くさい発言をしてしまったね。失礼。さて、四天さんの邪気払いが始まるようだ。行ってくる」 湊さんが苦笑しながら間に入る。 すると、露子さんはからからと笑いながら天の方へ行ってしまった。 湊さんがそれを見送って、軽くため息をつく。 「すいません、露子姉さんは変わってるから」 「う、うん」 「昔から、兄弟の中でも随分浮世離れした人でした。いつでも、僕や霧子姉さんとは違ったものを見てた気がします」 湊さんの言葉の端々に感じる寂しさのようなものが伝わってくる。 尊敬しながらも、近づけない。 なんとなく、わかる。 「露子が、何かご迷惑をおかけしたのかしら」 「あ、いえ!」 「伯母さん」 午後からは合流していた水魚子さんが、困ったように笑って聞いてきた。 俺たちの会話を見ていたのかもしれない。 「全然。よくしてもらってます」 「そうだったらいいのですが。少々失礼なところがあるかもしれないのですが、ご容赦くださいますか。悪気はないんです」 「あ、本当に失礼だと思ってないし」 特に失礼だと感じたことはない。 あ、でもそういえばすでに敬語ではなくなっているかもしれない。 別に気にしないけれど。 俺が首を横に振ると、水魚子さんは微笑んだ。 清潔そうな美貌は露子さんによく似ているけれど、なんだかより儚さを感じる。 「ありがとうございます。とても賢い子なんだけど、それゆえに人を寄せ付けないところがあるから。本人は悪意なく人が好きだし、誰にだって分け隔てなく接しているんですけどね」 「優してしっかりしていて、いいご当主になられそうですね」 「………」 水魚子さんはそこで困ったように眉を寄せて苦笑した。 何か変なことを言ってしまったかと焦る。 「え、えっと」 「ああ、すいませんね」 水魚子さんは俺の戸惑いに気づき、軽く首を横に振る。 「あの子が家を盛り立てていくことは、確かだと思います。そう言った意味では、私のようなお飾り当主ではなく、名実ともに立派な当主となるでしょうね」 「えっと」 「でも、本当なら、霧子が当主となって、それを露子と湊が支えるというのが、一番よかったんだけど」 やっぱり困ったような顔で、小さくため息を付く。 こちらもどうしたらいいか分からなくて、湊さんを見ると湊さんも困惑した様子だった。 「だって、あの子が龍の花嫁なんか向いていると思います?」 「え、えと」 「あの子は昔から、花嫁と言う立場を受け入れてはいたけれど、たつみの花嫁には向いていないわ」 独白のような言葉に、俺はただ沈黙するばかりだ。 すると、湊さんが静かにたしなめてくれる。 「伯母さん、三薙さんが困ってます」 「あ、ごめんなさい。失礼しましたわ。いやね、年を取ると余計な話が増えて。こんなおばあちゃんの相手をさせてしまってごめんなさいね」 「い、いえ、全然お若いですし」 俺は何を言ってるんだ。 いや、心からの言葉なんだけど、これも失礼なんだろうか。 分からない。 1人で焦っていると、水魚子さんはくすくすと楽しそうに笑った。 「ふふ、ありがとう。でも、私はもう、花嫁ではいられないぐらい、年を取ってしまったわ」 どこか寂しそうに、目を伏せる。 その言葉は、解放される喜びよりも、切なさを含んでいた。 龍の花嫁でなくなるのは、嫌なのだろうか。 「………龍は、どんな人、なんですか。あ、人じゃないけど」 「ふふ」 なんて聞いたらいいのか分からなくて、そうとだけ聞いた。 水魚子さんは優しげに目を細める。 「とても優しくて、魅力的よ。周りの人がどう思っているかはしらないけど、私は龍神の花嫁となれて、幸運だと思っていたの」 「伯母さん………」 湊さんが困惑したように水魚子さんを呼ぶ。 水魚子さんはもう一度にっこりと笑うと、湊さんを促した。 「さあ、私達も行きましょうか」 水魚子さんが綺麗な仕草で頭を下げて、話は終了する。 花嫁に向いているかどうか。 そう言われると、確かに向いてない気がする。 でも龍の花嫁、なら向いているような気もする。 いや、今はそれよりも仕事だ。 そのまますぐに邪気払いが始まり、湖の端にある祠で一回目を終える。 けれど天はなんだか難しい顔をしたままだった。 「………」 「天?」 じっと湖を見つめている弟に、小さく話しかける。 何か問題があったのだろうか。 けれど、天は首を振った。 「………いや、とりあえず次に行こう」 「う、うん」 そう言って、さっさと湖に背を向けてしまった。 二つ目の祠は、一つ目の祠と丁度真向いに位置する、湖の端だった。 「この地を統べる龍神に奉り申し上げる。常に恩恵を与えし、慈悲深き龍神へ………」 天のように短い呪では術が組み立てられないから、考えながら徐々に組み立てていく。 先ほどよりも濃い邪気を感じるから、より精密な術を組み立てる。 「この地に恵みをもたらすこの龍湖に、清めを施さん」 呪を組立てて、術を発動する。 俺の浄化の力は、湖を行き渡り、辺りを清浄にしていく。 そこまで強くはないが、向こうも強くないので、じわじわと綺麗に澄み渡って行く。 「………あれ」 だが、なんとかんく違和感を感じた。 しっくりと行かない、不思議な感覚。 自分では判別つなくて、近くにいた弟と使用人を呼ぶ。 「………天、志藤さん」 天は何も言わずただ近づいてきた。 立見の人は、やや離れたところにいるので声を顰める。 もしかしたら、気のせいとか、俺の力が弱いのかもしれないし。 「………なあ、なんか、しっくりいかないんだけど」 「あ、やっぱり?」 天はしたり顔で頷いた。 俺の気のせいではなくてほっとする。 「天も同じ感じだった?」 「うん、祓いきれない。術は完璧なはずなんだけど」 「………うん」 俺の力は弱いけれど、その分組み立てた術は完璧だったはずだ。 特に問題があったとは思えない。 もう一度湖を見つめると、神聖さと圧倒的な威圧感を感じるが、やっぱり清浄になりきれない。 志藤さんも、心配そうに顔を曇らせる。 「残っているということですか?」 「はい。なんていうか、こびりついているみたいな感じで」 俺の力では、祓いきれない感じがする。 天も不快そうに眉を顰めた。 「どうしよう、天。三つ目をどうにかしたらいけるかな」 「………そうだね。とりあえず三つともやってみようか」 ひそひそと宮守の家の人達で話していると、露子さんが不思議そうに声をかけてきた。 「どうかされましたか?」 「大丈夫です。残されたのは一つですね」 「ええ。何かありましたか?」 「いいえ。とりあえず次に行きましょう」 それだけ告げて、天が背を向ける。 露子さんも不思議そうな顔はしながらも、それに続く。 俺はもう一度だけ、湖を覗き込む。 水は青く、澄み切っている。 この底に、龍神がいるのだろうか。 そんなことを考えながらじっと見つめていると、ざばっと音がした。 「う、わ!」 湖が大きくうねり、俺たちに向かってその牙を剥く。 波が起り、大きく揺らぎ、向かってくる。 気づいた時にはすでに遅く、何も出来ずにただ目を瞑る。 「三薙さん!」 その水の勢いにびっくりして固まった俺の体を、腰を抱いて志藤さんが引き寄せる。 勢いでそのまま、志藤さんと一緒に尻餅をついて座り込む。 水は俺がたった今までいた場所まで飲み込むと、そのまま引いて行く。 「び、びっくりした」 座り込んだまま、ただ、そんな言葉しか出てこない。 心臓がいまだにバクバクと大きく波打っている。 一体、何が起こったんだ。 「大丈夫ですか?」 志藤さんが俺の体を支えてくれたまま、顔を覗き込んでくる。 ああ、なんかこんな顔を見るのも久々に感じてくる。 「は、はい。あ、ありがとうございます」 俺を心配、してくれたのだろうか。 ちょっとは、前のように、近づけるだろうか。 「失礼しました」 「あ」 けれど志藤さんは、すぐに俺の体がから手を離した。 離れていった温もりの痕が、嫌に寒く感じる。 やっぱり、嫌われているのだろうか。 「三薙さん、大丈夫ですか!?お怪我などは」 湊さんが慌てた様子で近づいてくる。 俺はぶんぶんと首を横に振る。 何もなかった。 ただ、びっくりしただけだ。 「あ、大丈夫です」 「ならよかった」 露子さんも近づいてきて、じっと湖を見つめる。 「随分とご機嫌斜めなようだな」 そして堅い声でそれだけ言った。 |