最後の祠。
立見家の当主部屋から行くことの出来る半島のような小島にある祠での祓いを終える。

「………」

天が難しい顔をして、じっと湖を見つめる。
湖面はただ静かに、澄み渡っている。
龍が動く気配は、ない。
ただ静かだ。
しばらく眉根を寄せて見つめていたが、ふっとため息をついた。

「露子さん、水魚子さん、よろしいでしょうか」

天が振り返って、当主と前代当主を呼ぶ。
水魚子さんは正確には前々代か。

「どうされましたか」

露子さんが不思議そうに首を傾げ、天に近寄る。
天は二人に視線を向けて、淡々と説明する。

「術は成功でした。私も兄も滞りなく邪気祓いを終えています。しかし湖の邪気が祓いきれておりません」
「え」
「ふむ」

水魚子さんは、驚いたように口元に手を当てる。
露子さんは軽く首を傾げた。

「言い訳のように聞こえるかもしれません。ただ信じていただけるのでしたら、湖の中に、何か原因があるように感じます」

天がちらりと視線を湖に向ける。
それからもう一度前を向き直して、露子さんを見つめた。

「血が流れたと、おっしゃいましたね。ここで何があったんですか?」

水魚子さんと、その後ろにいた湊さんが息を飲む。
露子さんは特に動揺することもなく、一つ頷く。

「ああ、三人がいなくなったと説明したかな」
「ええ」
「三人がいなくなった次の日の朝、そこが血まみれだったんだ」
「ええ!?」

思わず、俺が声をあげてしまう。
皆が静かにしているので、慌てて口を抑える。
露子さんが指さしたその先は、祠のすぐ横だ。
そこに血があったなんて気配は、微塵も感じられない。

「すぐに雨が降ってしまってね、誰の血だか分からないままだ」
「調べればわかったのでは?」
「そうかもしれないね。だが、警察の捜査を入れると思うか?」
「いえ」

警察とかそういったものを、管理者の家は基本的に嫌う。
事情が分かっていればいいが、分かっていない普通の人達は俺たちのような人間を認めないし、余計に騒ぎが大きくなるだけだ。
基本的に何があっても、内内で処理するのが常だ。
天はもう一度湖に顔を向けて顎をさす。

「この中に、誰か沈んでる可能性は」
「あるかもしれないね」

露子さんはあっさりと頷いた。
ぞくりと背筋に寒気が走る。
天も特に動揺することなく、淡々とした話し方だ。

「邪気祓いを行うなら、そちらを先にはっきりさせるのがよろしいかと思います。今のままでは恐らく何度やっても同じ結果かと。他の人間を呼んでもよろしいですが、変わりないかと思います」
「お二人の力は信じている。四天さんがそういうのなら、それが本当なのだろう。………そうだな」

天の提言に、露子さんが顎に手をあてて考え込む。
しばらく考えてから、天を真っ直ぐに見詰め直す。

「とりあえず明日の婚儀まで済ませてしまうか。失敗したらその後考えよう。宮守の方たちにも、契約を延長するかどうか、その後考えるということでどうだろう」
「そんな行き当たりばったりでよろしいのですか?」
「どうせ行き当たりばったりなことばかりだろう。儀式をするのも失敗するのも龍の一存だ。どんなに準備をしていても、龍が気に入らなければ終わりなのだから」

それは、確かにそうかもしれない。
どちらにせよ、俺たちは邪なものに振り回されてしまうのだから。
でも準備に準備を重ね万全をきたすのが普通なので、露子さんのざっくりとした計画はさすがに驚く。

「まあ、明日龍が私を貰ってくれれば、ある程度よくなるはずだ。自浄作用も生まれるだろう。そうしたら延長も必要ない」

露子さんは、本当にどこまでもさばさばとしている。
不安だったり、心配だったり、迷ったりとか、しないのだろうか。

「宮守の人達にはすぐに今後の方針を返事をすることが出来なくて申し訳ないのだが、契約の期間終了後にまた助力を頼むことも可能だろうか」
「私には回答する権限はありません。宮守当主にご相談いただけますか」
「そうだな、そうしよう」

天も淡々と返事をする。
不安になっているのは俺だけなのだろうか。
辺りを見渡すと、水魚子さんと湊さんは、心配そうに露子さんを見つめている。
やっぱり露子さんのやり方が、立見家スタンダードって訳ではなさそうだ。

「ひとまず今日はこれで休んでくれ。お疲れだろう。長い間お手数おかけした」
「はい。お心遣い痛み入ります」
「夕食を取って、早めに休んでくれ。また明日。最後の婚儀まで、お付き合い願う」
「承知いたしました。立見家の華燭の典、慎んで出席させていただきます」

天と露子さんの淡々とした会話を続け、露子さんが最後に居住まいを正す。
そして深々とお辞儀をした。

「どうぞ引き続きよろしくお願いいたします」

誰かが眠っているのかもしれない湖。
それを前にこんなに冷静な露子さんと天に、ちょっとだけ恐れを抱いた。




***




促され家に入ろうとすると、湊さんがじっと湖を見つめていた。
顔色が悪い。
元々肌が白い人だが、今は白いを通り越して青いぐらいだ。

「湊さん、大丈夫ですか?」
「あ、ええ。大丈夫です」

恐る恐る話しかけると、湊さんははっと気付いたようにこちらを見る。
そしてぎこちなく笑った。

「心配、ですよね」

声をかけたものの、俺も何を言ったらいいか分からなくて、間抜けなことを言ってしまう。
湊さんはそっと目を伏せる。

「………ええ。考えなかった訳じゃ、ないんですけどね」

血まみれになった湖のほとりを見た時から、最悪の考えは浮かんでいただろう。
誰が血を流したか、一人なのか、それとも三人なのか、無事なのか。
答えは、分からない。

「恐らく、止水が、使われたんでしょうね」

そういえば三人の失踪と共に、家宝の刀が無くなったと言っていたっけ。
誰かが、刀で何かをして、血まみれになった。
そういうことだろうか。
何もなければ、いいのだけれど。
いや、何かはあったのだろうけど、それが最悪の結果でなければいい。

「………」
「努と霧子姉さんは、気が弱くて逃げるようにも思えないんです。でも桂の智和も霧子姉さんと逃げたりはすることはないと思う。それくらいだったら立見を乗っ取るぐらい考えそうな人だった。龍に対する敵愾心も強かったし」

湊さんが自分に言い聞かせるように話す。
俺は霧子さんも桂の人も高尾の人も知らないから何とも言えない。
でもよく知っている湊さんが変だと言うなら、変なのだろう。

「あの日は、霧子姉さんの、本当の意味での婚儀の日でした。たつみの人間は外に出ることは禁じられています。あの三人はなんで、外に出たんだろう。最初から逃げようとしてたのかな。あの日は曇っていて、辺りも暗かった。人もいなかったし、逃げるのは、簡単だったんでしょうね」

なんて返事をしたらいいか、やっぱり分からない。
俺は失言が多いし、下手なことを言わないように口を閉ざす。
すると、湊さんがそれに気づいて慌てて頭を下げる。

「………すいません、変なことを言いました」
「あ、いえ」

湊さんが苦しげに、でも笑顔を作る。
俺もそれに合わせて笑う。

「何はともあれ、明日で決着がつきますね」
「………はい。全力を尽くさせていただきます」
「よろしくお願いいたします。家に入りましょう。ここは冷える」

湖のほとりは相変わらず凍りつくように寒い。
狩衣は厚くて嵩張るが割と薄着でもある。
ぶるりと震えて、俺も部屋の中に向かう。

当主の部屋に上がりこんで、そのまま自室に向かおうと出口に向かう。
するとその寸前で声を掛けられた。

「………三薙さん、よろしいでしょうか」
「え!?………あ、志藤さん」

志藤さんが待っていてくれたらしい。
部屋のすぐ前で、立っている。
強張って、緊張した顔。
眼鏡の奥の目に揺れているのは、不安か嫌悪感か。
判別がつかない。
何を言われるのだろう。
これで、終わりなのだろうか。

「少し、お時間いただけますか」
「は、はいっ」

志藤さんが丁寧に聞いてくれる。
思わぬ言葉に声をひっくり返ってしまった。
心臓がバクバクとすごい勢いで波打っている。
何を言われるのだろう。
苦しい、怖い。
でも、聞かなきゃ。
友達を止められるのは、怖い。
でも、仕方ないだろうか。
でも、引き留めたい。

「少し、外に行きましょうか」
「は、い」

混乱する思考をまとめることは、出来ない。
志藤さんがくるりと振り返って、前を歩く。
この人が俺の前にいるなんて、珍しいことだ。

怖い顔をした志藤さんの背中を見ながら、俺は黙ってその後に続いた。





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