「お前の軽率な行動が、邪を招く。何度も言ったはずだ」
「………はい」

狩衣に身を包んだ父の低い声に、平伏する。
先日の一件では、家にも随分迷惑をかけた。
父や母、宮守一統の力を借りて、あの件は何事もなかったかのように済まされた。

天の使鬼が、平田に化け家族に顔を見せ、その後失踪。
捨邪地であるあの家で消えた、という痕跡はなくなった。
その時様子が変だったということもあり、家出で落ち着いたようだ。
早々に捜索などが打ち切られたのは、宮守の家が手をまわしたせいもあるのだろう。
夏休みに入ったことも手伝って、大きな騒ぎにはならなかった。
そして平田は誰からも忘れられていくのだろう。
それでもきっと、家族はずっと覚えているのだろうけれど。

「以後、身を慎むように」
「はい、申し訳ございませんでした」
「では、さがっていいぞ」

言われて、立ちあがり青く真新しい畳を踏みしめる。
障子に手をかけ、少しためらう。

「父さん…、その」
「どうした?」
「あの時は………」

本当に、平田を、核にするしかなかったのか。
他に方法は、あったのではないか。
助かる方法が、あったのではないか。

「………いえ、なんでもないです」

聞いてどうする。
もう、どうしようもない。
もう、手遅れだ。
聞いて、どんな答えを期待している。
それを聞いて、どうするつもりだ。

どちらにせよ、俺には、何もできなかった。

父が何かを言う前に、俺はその場を立ち去った。



***




「三薙(みなぎ)」

庭に面した廊下に出ると、低く落ち着いた大人の男の声が聞こえた。
その大好きな声に、俺はすぐに後を振り向く。

「一兄(いちにい)!」

そこには長身の精悍な顔つきの男が穏やかに微笑んで立っていた。
俺より頭一つ分高い背に、男らしく、けれどよく整ったかっこいい顔。
綺麗に筋肉のついた体は、ダークグレーのスーツがよく似合った。

「俺もいるぞ」
「双兄(そうにい)も!」

その後ろには、長兄よりも更に高い背をもつ、けれどずっと細身の長髪の男の姿。
色を抜いた金茶の痛んでいる髪を、緩く後ろで結っている。
この髪型は、かなりかっこよくなきゃ痛いと思うのだが、少しだらしない、けれど男の色気を感じる双兄にはよく似合っている。
立派な学生なのだが、ホストのようだ。

「いつ、帰ってたの!?」
「さっきだ。先宮(さきいみや)に報告を」
「あ、父さんに?」
「ああ」

俺は片山町の幽霊屋敷で失態をみせ、帰ってすぐに寝込んだ。
気がついたら、二人の兄はすでに仕事で出かけていた。
それから、今日まで1週間半ほど会っていなかった。
尊敬する二人の兄に会えたことは、鬱々していた心が少しだけ浮上する。

「………大丈夫か?」

帰ってきたばかりのはずなのに、すでに事情は知っているらしい。
一兄は心配げに眉をひそめ、俺の髪をくしゃりと撫でる。

「………俺は、平気だ、けど」

俺はなんともない。
ここにいて、平和に暮らしている。
気絶していて何も知らない佐藤はともかく、岡野や槇、阿部は俺を胡散臭げな目で見るようになった。
平田の失踪も、不審に思っているようだ。
何も聞かれてはいないが。
もう、親しく話すことは、きっとないだろう。
それは仕方のないことだ。
俺がすべて招いたこと。
受け入れるほかない。
それでも俺は、ここにいる。

でも、平田は、戻ってこない。

「後悔だけしても、何にもならない。次は気をつけろ」

一兄はそう言って、慰めてくれる。
だが、反省も後悔も、人一人の存在と引き換えにするにはあまりに重い。

「引き込まれるってことは、そいつにもなんか業があったのさ。この世界はうまいこと出来ている。きっと、どちらにせよ、イケニエになった奴はいずれ死んでただろ。気にすんな気にすんな」
「双馬」
「すいませーん」

双兄の言葉に、一兄がたしなめるように名前を呼ぶ。
次兄は舌を出して、にやりと笑った。
そんな蓮っぱな態度が、よく似合う人だ。

「だが、双馬の言うことも一理ある。お前が気に病んでもどうにもならない。後悔で足を止めるな。精進を続けろ。繰り返すな」
「………はい」

長兄は、優しさと厳しさでもって、俺の肩を叩く。
その大きな手に、頼もしさを感じる。
そして身が引き締まるような、確かな温かさをもらう。

一兄と一緒にいると、安心できる。
自分のいたらなさに恥じ入ることはない。
ただ、前向きに精進をつもうという気に、なれる。
何をしても、どうにもならない、なんて自棄にならない。

一兄の色は、深い深い青。
濃く深い揺るがない、青。
新月の夜の、星がよく見える空の色。
自分を厳しく律し、常に努力を怠らず血の滲むような修練の末に手に入れた、青。
俺の憧れの色。

「兄貴は堅いなあ。いいんだよ、三(みつ)。俺たちの稼業は、どうせ誰かをイケニエにすることで出来上がっている。お前一人がイジけててもどうにもならねーよ。俺のおかげでゴミ捨て場が一つ綺麗になったぐらいに思っとけ」

一兄の肩に腕をかけ、双兄が馬鹿にしたように笑う。
双兄はどこか露悪的なところがある。
清濁分かれず異ならずの言葉を基とする、宮守の家への皮肉のように。

俺は困って、ただ笑う。
双兄のように、開き直ることはできない。
俺にもっと力があれば、また別の結果があったのではないかと、思うから。

兄達のように、力を持ち、その上で全力を尽くした上にある結果ではない。
脆弱な俺の精神と力が招いた、結果だ。

俺の表情に、双兄が器用に片眉をあげて苦笑する。

「お前も真面目だな。ま、後で気晴らしにどっか連れてってやるよ」

ぽんぽんと、少しだけ乱暴に頭をはたかれる。
結局双兄も俺を気遣う。
二人の兄は、頼もしく温かく優しい。
大好きな、一兄と双兄。

優しいけれど厳しさの勝る父と母よりも、遊んでくれて優しい兄達の方がずっとずっと近しい存在だった。
強く優しい兄達。
俺も大きくなったら、二人のように強くなれると思っていた。

「また、力が少なくなっているな」

一兄の手が頬にかかり、顔を上げさせられる。
まっすぐに見つめられて、目を逸らす。
そういえば、あれからまた、供給を怠っている。
別に、わざとではないのだけれど。

「………俺か、双馬から供給をうけるか?」

俺が、供給をしない訳を知っている兄は気遣うように聞いてきた。
双兄も軽く頷いて、それに同意する。
少しだけ心が揺れる。
兄達からもらうほうが、ずっとずっと気が楽だ。
だが。

「いや、一兄達は仕事帰りで疲れてんだろ。大丈夫、天からもらう」

末弟の名を聞いて、二人の兄は少しだけ顔を曇らす。
一兄は、さっきよりも顔を曇らせる。

「大丈夫か?」
「大丈夫だよ。ささっともらってくる。もう、後悔したくねーし」

そうだ、もう力の供給を怠ったとかくだらない理由で、あいつらに利用されたくない。
弱いなら、せめて、自分の出来ることを、しなくては。

「四天がなんか生意気言ったら、俺に言えよ。お兄様がしめてやる」
「そん時は頼むぜ、双兄」

双兄の言葉に場が和み、笑う。
二人から力の供給を受けられたら、どれほどいいだろう。
でも、父と母から、なるべく供給は天から受けるように言われている。
俺もそれが、一番いいことだと分かっている。

誰よりも、もしかしたら当主の先宮たる父よりも、力を持っているのは四天なのだから。





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