二の社に車で移動して、いよいよ俺の初仕事だ。
四方を清め、火を焚き、場を作り上げる。

準備の間、俺は気分を落ち着かせるために、境内の外に出る。
社に続く階段の下、そこには村の人らしい小さなお婆ちゃんがいた。
境内に向って手をあわせ、必死に頭を下げている。

「………あ」

俺が思わず声を出すと、お婆ちゃんは顔をあげた。
そして曲がった腰を更に曲げて頭を下げてくる。

「あなたが今回の祭りでお祓いしてくれるお方かね」
「あ、えっと、はい」
「よろしく頼むよ。よろしく頼むねえ」

何度も何度も拝むように、俺に頭を下げる。
俺は思わず階段の中腹で立ち止まって、おろおろと声をかけた。

「あ、その、顔あげてください!」
「お祭りをして、ワラシモリ様を慰めてさしあげないとねえ。みんな東条の人と、ワラシモリ様のおかげだよ。本当に申し訳ないねえ。ありがたいねえ」

婆ちゃんは聞こえているのか聞こえていないのか、未だに頭を下げている。
手をあわせて境内と俺を拝む。
き、気まずい。

「は、はい。だから顔をあげて……」
「この村が栄えてるのも、全部ワラシ様のおかげだよ。東条家の人たちのためにも、お願いするよ。祭りを成功させておくれよ」

祭りを実際やるのは、俺達じゃないんだけど。
でも、どうしよう、更にプレッシャーを感じてきた。
この祭りって、この村の人にとっては、当たり前だが本当に重要なことなんだ。
失敗したら、どうしよう。
だ、だめだ。
まだ境内にいた方がマシだ。

「ぜ、全力を尽くします!頑張りますので!」
「お願いしますね。申し訳ないね。ありがたいことですよ」

逃げるようにお婆ちゃんに背を向けると、階段を駆け上った。
境内に戻ると、準備はすっかり整っている。
やばい、心臓が破裂しそうだ。
外になんて出なきゃよかった。
喉から内臓が出てきそう。
トイレに行きたくなってきた。
手が震える。
落ち着け落ち着け落ち着け。

次第を頭の中で確認。
中央に進んで、社に一礼、柏手を打って祓いを開始。
俺は天みたいな力はないから、しっかりと呪言を最後まで唱えて。

「誰も期待してないから別に失敗しても大丈夫だよ」

鈷を握りしめてぶつぶつと復習していると、横から俺にしか聞こえないぐらいの小さな声でさらりとムカつく声が聞こえた。
思わずそちらを睨みつける。
天は面白そうに笑っていた。

「大丈夫、東条家の人も父さんたちも兄さんが失敗しても何も言わないよ。安心して玉砕してきて?」
「………黙れ」

くそくそくそ。
本当にムカつく、こいつ。
なんなんだよ、失敗しろとか思ってるのかよ。
そんなに俺を馬鹿にしたいか。
このコールドブラッドが。

「尻ぬぐいはちゃんと俺がするよ」
「だから黙れっ」

俺の精神統一を乱すつもりか、こいつ。
ああもう、怒りが緊張が吹っ飛んだ。
絶対失敗してやるもんか。
大丈夫、宮守の管理地では何回もやったことがある。
出来る。

もう天は完全に無視して、唾を飲み込む。
顔を上げる。
こじんまりとした社を見渡す。
なんだ宮守の管理地の社より、ずっと小さい社じゃないか。

さあ、初仕事だ。
いくぞ。

「それでは、始めさせていただきます」

境内の真ん中にゆっくりと足を進める。
一歩進むたびに、少しづつ心を落ち着ける。
青い、真っ青な海のイメージ。
空の青を受け止めて、どこまでも透き通る青。
体に清らかな水を纏わせる。
それをじわりと場に広げていく。

この場を海の青で、染め上げる。

中心まで来て、社に向って跪き、深く頭を下げて、この地の神に挨拶をする。
この地の神は、ワラシモリか。
大人びて美しい、神秘的な少女の姿が脳裏に浮かぶ。
よろしく頼むぜ、ワラシモリ。

「これより、追儺の儀を執り行います。かしこみかしこみ奉り申す」

顔を上げて、柏手を一つ。
柏手には邪気を祓う効果がある。
だが、柏手一つで吹っ飛ばすなんて業、俺にはできない。

今のはこの地の邪への挨拶。
今からお前たちを清めるぞ、と。

そして呪言を唱え始める。
俺には簡略化はできない。
言葉に込められた一つ一つの力をなぞり、術式を組み立てる。
長い長い呪。
唱えるごとに俺の中の青が増幅されていく。
今、力はフルだ。
俺には結局大きな力は練れないが、いつもより力を操るのが容易い。
水滴が地を濡らすように小さな力を染みわたらせ、じわりじわりとこの地の清めを与える。

境内の中が、海で沈む。
心が真っ青に染まって穏やかになる。
雑念が消えていく。
この瞬間は、いつも好きだ。
供給を受けている時のようなトランス感。
力と俺が、一体になれる時。

呪言を唱え終わり、前に置いてあった鈷をとる。
ゆっくりと立ち上がり、四天の剣舞とは型の違う、舞をはじめる。
小さい頃から、繰り返し繰り返し練習をしてきた。
体に馴染んだ動きは、考えなくても手足を動かす。

しゃらりと、鈷の装飾が揺れて音を立てる。
しゃらり、しゃらり。
耳に心地よい、涼しげな音。
気持ちがいい。
嫉妬からも羨望からも、負の感情から今だけは解き放たれる。
ただ自分の青に空間を染め上げる。

手を振るうと、空気が。
足を踏みしめれば地が。
清らかに青く染まっていく。

雑音は聞こえない。
雑念も消えている。
今はただ、力と一つ。

境内の中が透き通る水の中に沈むと、俺は静かに境内の中央で座りこむ。
ゆっくりと額づく。
そして、顔を上げて柏手を一つ。

パン!

空気が引き締まる。
邪のざわつきはすっかり消えていた。
境内は清浄な空気で、充ち溢れている。

よし。
どうだ、ワラシモリ。
綺麗になっただろ。

心地よい疲労。
満足からため息をついて、俺は立ちあがる。
舞っている時は気付かなかったが、暑い。
そりゃこんな恰好していたら暑いに決まっている
汗だくだくだ。
額を拭って、観衆に向き直る。

「二の社の祓い、完了しました」

一礼して顔を上げると、天と婆ちゃん啓司さんがこちらを見ている。
沈黙。
だ、ダメだったかな。
綺麗になったと思ったんだけど。
東条家の当主は無表情に口を開く。

「初仕事と聞いて、実は少々不安に思っておりました。代々続く伝統ある東条家の祭りを、そんな未熟者に任すのか、と」

………ごもっともです。
だ、ダメだったかな。
やっぱり、俺じゃだめかな。

へこみかけ、視線を下に移す瞬間、けれど婆ちゃんは表情を崩してにっこりと笑った。
昔は美人だったんだろうな、と思わせる品のある笑顔。

「しかし浅はかな私の杞憂でございました。さすが宮守総家のお方、美しい祓いで見とれてしまいました。お役目、ありがとうございました」

そして深く頭を下げてくれた。
一瞬何を言われたのか分からなかったが、徐々に褒められたのだと理解する。
嬉しくて、作法とかすべてふっとんで、俺も勢いよく大きく頭を下げる。

「あ、ありがとうございます!」

婆ちゃんは微笑んで頷いてくれた。
啓司さんも表情を緩めて、頭を下げてくれる。

「お疲れ様でした。四天さんとはまた違う、けれどとても清浄な美しい舞でした」
「ありがとうございます!」

喜びが、胸にふつふつと沸いてくる。
気分が高揚して、もう一度踊り出したい気分。
飛び跳ねて叫びだしたい。
あ、だめだ、にやにやしちまう。
頬を押さえて表情を整えようとするものの、うまくいかない。
だって、嬉しい。
初仕事が、ちゃんと人に認めてもらえた。

ふと顔を上げると、そんな俺をじっと天が見ていた。
………なんだ、またなんか文句をつけるつもりか。

「………なんだよ」
「お疲れ様。綺麗だった。兄さんの舞は好きだよ」

けれど天はすんごい珍しく優しく笑って、年に一度あるかないかぐらいの褒め言葉をくれた。
俺はよほど変な顔をしたのだろう。
天が笑顔をひっこめ、つまらなそうに鼻に皺を寄せた。

「何その顔」
「………どうしたんだ、お前がそんな素直に褒めるなんて。なんか悪いものでも食ったか?なんか企んでんのか?」
「失礼だなあ。俺のことなんだと思ってるの?俺はちゃんと認めるべきところは認めるよ」

確かに、そうか。
そうなのかな。
もしかしたらそうかもしれない。

天は確かにきついことを言うけど、それは俺が馬鹿をやった時が主だ。
後は単に空気が読めないだけで。
てことは今のは本当に、認めてくれたのか。
やばい、顔が熱い。

「そ、そっか………、あ、ありが」
「まあ、認めないところは認めないけど。舞は綺麗だったけど、祓いは70点。力無駄に使いすぎ。これじゃ後持たないよ」

その後に続けられた言葉に、むしろほっとしてしまった。
うん、これが天だよな。
そうだよ、こいつが素直に褒める訳ないんだよ。
うん、納得した。

「お前って、本当に一言多い」
「伝えなきゃいけないこと伝えているだけ。耳に痛いなら、それが真実だからだよ。良薬口に苦し、忠言耳に逆らうってね」

鼻で笑って、天が更に追い打ちをかける。
こういうしたり顔が、大っ嫌いだ。
更に言い返そうとすると、天は俺から視線を移す。

「三の社は、午後ということで問題ないでしょうか」
「はい。では、屋敷に戻り昼食としましょう」

そうだった、まだ二人がいたんだった。
今のやりとり、聞かれてたよな。
恥ずかしくなって、黙りこんで顔を伏せる。

「さ、兄さん行くよ。午後も頑張ってね」
「………分かってるよ」

我ながら、機嫌悪そうだな、という声で返す。
初仕事成功の興奮なんて、すっかりと消えうせていた。





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