「あ、天………」
「天、じゃないよ。ねえ、電車の中で言ったこと聞いてた?」
「………え」

弟はぼやきながら、座りこんだ俺にゆっくりと近づいてくる。
そして、俺の前に立ち、呆れたように溜息をついて見下ろしてくる。

「余計なことはするな。俺の目の届くところにいろって、そう言ったよね?」
「あ」

そう言えば、そう約束していた。
俺は、そんなことするほど馬鹿じゃないとかなんとか、答えたはずだ。
それが、このざまだ。

「まだ到着して一日も経ってないんだけど」

上から押さえつけるような言い方に、やっぱり反抗心が沸く。
むしゃくしゃして、気分が悪くなる。
うるさい、と怒鳴りつけたくなる。

『ちゃんとごめんなさいするんですよ』

でも、かわいらしい舌足らずの声が脳裏によみがえり、それをぐっと押さえつけた。
そうだ、悪いのは、俺だ。

「………ごめん」
「仕事で来てるんだよ?勝手に動いて何かあって、宮守の名に泥を塗るようなことをしたら大変なのは父さん達だよ?わかってる?兄さんがどうこうできる問題じゃないよ?」
「………」
「力がないのは兄さんのせいじゃないけど、その行動は兄さんが責任を持つべきものでしょ?」

次々に突きつけられる言葉が痛い。
そのどれもが、正しいものだから。
俺が力がないのは、俺のせいじゃない。
でも、仕事がしたいと望んだのは俺。
ここに来たのは、俺の意志。

その通りだ。
初仕事ということや、力がないのを免罪符にして、俺は甘ったれていた。
力がないのだから、自分の行動を制して、せめて天の足手まといにならないようにしなければならなかった。

偉そうな天にはムカつくけど、その言葉がすべて正しいから、ムカつくのだ。
まあ、もうちょっと言い方を考えろと言いたいが。
弟のくせに、本当に生意気だ。
もう少し、言い方が違うなら、俺だってもう少しは素直になれたかもしれないのに。
でもそう言ったら多分、だったら兄らしくしろと、言われるだろう。

「………ごめん、四天。もう、しない」
「そう願うよ」

何度も何度も約束を破っている俺の言葉を、天は全く信じない。
当たり前か。
すぐにかっとなって、本能で行動してしまう。
それでいつも後悔するのに。
それで、平田だって。
ああ、だめだ。
今は他にすることがある。

だから、もう一度謝る。

「本当に、ごめん」

四天は俺を冷たい目で見下ろして、鼻で笑った。
でももう言うことはないらしく、大きな手を差し伸べてくる。

「ほら、立って」

少しだけためらって、その大きな、けれど白く滑らかな手をとった。
ぐいっとひっぱりあげられる。

立ちあがって、ぐらりと視界が揺れた。
ああ、そうだ。
力が足りない。
喉が渇く。
体が冷たくて、気持ち悪い。

「はい、サンダル。これ、兄さんが履いてたんだよね」
「うん、あれ、なんで」
「あっちに転がってたよ」

そうか、逃げているうちに、脱げてしまったのか。
それともあの穴に中に、落ちたのか。
あれ、そういえばあの穴は。
だめだ、考えがまとまらない。

「あ………えっと」
「何?」
「もうそろそろ、案内の時間、だよな」
「そうだね。そろそろ帰った方がいいかも」
「………うん」

じゃあ、頼まない方がいいだろう。
供給は、天の力も消耗する。
何があるか分からないから、今は温存しておいたほうがいいだろう。
それに、こんなところではしたくない。
できれば絶対に誰もいないところでしたい。

だから俺は言葉を飲み込んだ。
今にも倒れそうな体を気力で支えて、天にばれないように表情を改める。
とりあえず早く座りたい。

「それは?」

必死でぐらつく体を押さえていると、そう問われた。
体を支えることに集中していたせいで、一瞬反応が遅れた。

何を聞かれたのか焦って辺りを見回す。
天が目でさしたのは、少しだけよれた花輪。
左手に、ちゃんとしっかりと握っていた。
逃げているうちに、少しだけ壊れてしまったけど。
でも、落とさなくてよかった。
雛子ちゃんの好意を無にしたくはない。

「えっと、なんか、あの家の孫娘だと思うけど、雛子ちゃんって女の子がくれた」
「………何してんの?」
「……何してるんだろう」

天が呆れたように聞いてくる。
そう聞かれても、俺も答えられない。
本当に、何してるんだろう。

ああ、今は何も考えられない。
早く、館につかないかな。

「そういえば、さっき力を使ってたね」
「あ、うん」

天は俺の血で出来た結晶を持っている。
俺は天の血で作った結晶を飲み込んでいる。
それで、どこにいても俺の状態が分かるようになっている。

すぐにいなくなる俺の居場所が分かるよう、父さんと母さんに術を施されていた。
プライバシーも何もないが、俺に何も言えるはずがない。

えっと、それで天は何を聞いていたんだっけ。
遠のきそうになる意識をつなぎとめるために、なんとかしゃべる。

「なんか、変な化け物が、出てきた。子供なんだけど、顔がしわくちゃで老人っていうか猿っていうか、ドラクエのドルイドみたいだった。笑うと超気持ち悪い。さっきの落とし穴………そういえば、落とし穴なかったな」
「どういうこと?」

天が歩いてきた方向だったはずだ。
でも、もうあの穴はなかった。
じゃあ、あいつらが作ったのか。
でも、説明が面倒だ。

「いや、なんか襲われた。二匹いた」
「ふうん、よく切り抜けたね」
「うん。あ、そうだ。天、ワラシモリってなんだっけ!」

そうだ、あの女の子。
あの女の子は確か、ワラシモリと言っていた。
どこかで、聞いたはずだ。

「兄さん、俺たちがここに何をしにきたか、知ってる?」
「それくらい分かる。祭りの前の邪気払いだろ」
「うん、その祭りの名前知ってる?」
「………いや、そこまでは聞いてないし」

父さんは、確かいってなかったはずだ。
だから知るはずない。
でも、天は馬鹿にしたようにまた溜息をつく。
くそ、ムカつく。

「さっきあの婆さんがちらっと言っただろ。ワラシモリの祭りって」
「………あ!」
「ここの祭神がワラシモリ。三日後の祭りは、21年に一度のワラシモリの大祭」

そうだ。
どこかで聞いたと思ったら、あのお婆さんが言っていたんだ。
三日後はワラシモリの祭りだって。

「そうでなくても、仕事の内容ぐらい、最初に確かめてきてよ」
「………う」
「ま、いいけど。で、ワラシモリがどうしたの?」
「さっき、会った」
「は?」
「ワラシモリって小さな女の子が、助けてくれた」

不審な顔をする天に、簡単に事情を説明する。
力の強い神が表れて、化け物を追い払ってくれた、と。
天は聞き終えて肩をすくめる。

「相変わらず、兄さんはそういうのに好かれるよねえ」
「………馬鹿にしてんのか」
「また卑屈になってる。それも才能だよ。立派なね」

そんな、才能いらない。
どうしてこんな足手まといにしかならない才能しかないんだろう。
もっともっと、別の力が欲しかった。

天のような、力が欲しかった。

「しかし土地神に会うなんてね」
「やっぱり、神様なんだ」
「ま、神なんていっても、化け物と変わりないけどね」

それは確かに、そうだ。
人間に恩恵をくれるものは神。
くれないものは邪。
名前の違いは、人間の都合。
でも、一応は神は人間側のものだ。
それにあの女の子は、とても親切だった。

「お前、そんなだから、ワラシモリに嫌われるんだ」
「何、俺、嫌われてるの?」
「うん、お前のこと嫌いだって」
「ふうん」

天はどうでもよさそうに頷く。
そして俺に向ってにっと片頬を上げて笑った。

「幼女二人に好かれて、兄さんはモッテモテだね。俺は同年代の女の子でいいや。そっちは譲るよ」
「………俺だってそっちがいい」

俺の負け惜しみに、天は楽しそうに声をあげて笑った。





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