「三薙さん!」

後ろから女の子の高く甘い声が聞こえて、振り返った。
制服姿の長い黒髪の少女が、小さく駆けてくる。

「栞ちゃん」

立ち止まって待つと遠縁の少女は傍らまで来て、少し息を切らせて俺を見上げる。
和服の似合いそうな古風な容姿にそぐわず、制服はチェックのスカートに白いシャツと現代風だ。
でも、美少女は何を着ていてもかわいい。
上気した小さな顔で、にっこりと笑う。

「うちに来るところだったの?」
「はい、三薙さんは、もうお体は大丈夫ですか?」
「………うん、ありがとう。もう大丈夫」

初仕事の時の怪我で、俺は残りの夏休みをほとんどベッドの中で過ごした。
もう怪我は治ったけれど、痕が残っているものも少しだけある。
クーラーなんかで体が冷えると、気のせいかまだ痺れるような感じも残っている。

高校二年生の夏なんて、もっと輝かしいものなはずなのに。
まあ、どうせ友達なんてほとんどいないけど。

それに、遊ぶ気になんて、なれなかった。

目的は一緒だから連れだって歩きながら、世間話をする。
幼馴染の少女は、女の子に対して感じる緊張がなくて、楽だ。
残暑の強い昼下がり、まだまだ日差しはアスファルトを焼いている。
ヒグラシの声が響く。

「栞ちゃんは、夏休みは楽しめた?高校に入って初めてでしょ」
「はい、海とか行きましたよ。友達と」
「そっか、よかった。天とはどっか行った?」

弟の名前を出すと、栞ちゃんは顔をほんのり赤らめる。
はにかんだ様子が、更に彼女の美貌を輝かせる。
ああ、ムカつく。
なんであいつの彼女がこんないい子なんだよ。

「遠出は無理だけど、一緒にお買いものとか行きました」
「そっか、あいつ、忙しいもんな。大変だな」

つい、嫌みな口調になってしまった。
俺と違って才能溢れる弟は、夏休みの間も忙しそうに飛び回っていた。
それをただ、布団の中から見ていた。
焦燥と諦観と、羨望と嫉妬を抱えながら。

ああ、だめだ。
また、暗くなる。
駄目だと、一兄からも言われてるのに。

「しいちゃん、受験もあるし」
「………そういえば、あいつ受験生だっけ」
「そういえばって、忘れないでくださいよ」

くすくすと栞ちゃんが楽しそうに笑う。
つい、いつも忘れるが、四天はまだ中三だ。
人並みに勉強とか、受験とか、そういうことする歳なのだ。

「だって、なんかこう、あいつにそういう日常生活って想像つかない」
「これから、一緒に勉強するんです。でも、私が教えることなんてないんですけどね」

ちょっと寂しそうに、ぽつりと零す。
年上の彼女だが、一緒にいるところを見ても四天の方が年上に見えたりする。
背の高くない俺でも見下ろせるぐらい小さいってこともあるが、天が大人びている。
ていうか、じじくさい。

「ほんっと、あいつかわいくないよな」
「しいちゃん、しっかりしてるから」
「じじくさい」
「三薙さんでも、しいちゃんの悪口は駄目ですよ」

俺と四天がよく言い争ってる姿を知っている少女はたしなめるようにぴしりと叱る。
別に本当に怒ったり気分を害している訳ではない。
小さな子供のケンカを仲裁するような優しさが含まれている。

「本当、あいつかわいくない。あんなじじくさいくせにこんなかわいい彼女までいて」
「もう、相変わらずなんだから。しいちゃんは三薙さんのことあんなに好きなのに」
「はあ!?」

思いもよらないことを言われて、俺は思わず立ち止まる。
栞ちゃんが一歩前に出て、くるりと振り返って小首をかしげて笑う。

「しいちゃん、三薙さんにすっごい懐いてますよ」
「………あのね、栞ちゃん………」
「しいちゃんがあんな態度とるの、三薙さんだけだもの」

頭が痛くなってきた。
あんな態度ってあれか。
馬鹿にして嫌みを言って物みたいに扱って。
敬意の一つも見えない、厄介者扱いのあれか。
まあ、俺がほとんど悪いんだけどさ。

でも、この子が四天が好きなのはよく分かった。
恋は盲目にもほどがある。
栞ちゃんにはきっと、四天の全てが好意的に見えるのだろう。

「………」

黙り込んで、再度歩きだした俺を気にせず、栞ちゃんは隣に並ぶ。
もうどうでもよくなった俺にかまわず、先を続ける。

「しいちゃん、一矢さんや双馬さんやおじさまやおばさまにも、誰にもあんな態度とらないでしょ。私にだって、すごく優しくて怒ったりしないです。ちょっと寂しいです」
「………いや、それは単に俺があいつを一番イラつかせるってことで…。むしろ嫌われてるっていうか………」
「しいちゃん、嫌っている人には無視か慇懃無礼です。怒るって、愛されてるんですよ」
「…………」

もう、何を言っても無駄な気がしてきた。
いい子なんだけどな。
どうしてここまであの嫌み野郎に盲目になれるんだろう。
可哀そうだ。
騙されてる。

「………栞ちゃんが、天を大好きなのはよく分かった」
「もう、しいちゃんが分かりづらいのもいけないんだけど、三薙さんも意地っ張り」
「………まあ、俺は確かにひねくれてるけどさ」

でも、あれは絶対、ただ怒っているだけだ。
面倒なことを起こす俺をうざがっているだけだ。
俺が悪いってことは、よく分かっているが。

「あ、しいちゃん!」

栞ちゃんが急に弾んだ声を上げて、駆けだしていく。
清楚な膝少し上の丈のスカートが翻って白い足が露わになた。
少しだけドキドキする。

「いらっしゃい、栞」

門前でまだ鞄を持って制服姿の四天がにっこりと笑って迎える。
蕩けてしまいそうなほど優しい笑顔。
彼女にはこんな顔するんだな、このコールドブラッドが。
栞ちゃんが先ほどよりは明らかに糖度の高い甘い声で、四天を見上げる。

「偶然だね、今帰ってきたの?」
「ううん。栞が来そうだから、待ってた」

その言葉に、栞ちゃんが頬を朱に染めて言葉を失う。
恥ずかしげな様子はとんでもなくかわいい。

……砂吐きそう。
よくあんなこと言えるな。
このタラシが。
あんなに底意地悪い癖に。

栞ちゃんだけを見ていた天が、顔をあげた。
そして、こちらにようやく気付く。

「兄さんもいたの?」
「………いたんです」
「そう、お帰り」
「………ただいま」

いて悪かったな、と言わなかった俺を褒めてやりたい。
なんとなく三人連れだって門をくぐり、屋敷までの長い道のりを歩く。
気まずい。
ていうか俺、完全お邪魔虫。
いたたまれない。

「三薙さんと偶然会って話してたんだけど、しいちゃん、三薙さんのこと好きだよね?」
「栞ちゃん!?」

突然先ほどの話を蒸し返され、焦って声を上げる。
天は何度か目を瞬かせ俺と栞ちゃんに交互に視線を見る。
そして不思議そうに首をかしげる。

「どうしたの、突然?」
「三薙さんが、しいちゃんに嫌われてると思ってるの。嫌ってないよね?」
「いや、だから栞ちゃん、それはいいから!」

なんだかそんな話し方だと、俺が天に嫌われているのを気にしているかのようじゃないか。
そう思われるのはかなり嫌だ。
別に天に嫌われようがなんだろうが、俺はどうでもいいのに。
四天は特に気にした様子はなく、答える。

「行動はムカくし苛立つし面倒だけど、別に嫌いじゃないよ?」
「………ムカついてイラついて面倒で、悪かったな」
「そういう卑屈なところも面倒だよね」
「うるさい!」

ああ、だからこいつは嫌いなんだ。
俺のコンプレックスの全てを刺激する。
どうしてこんな奴が、俺の弟なんだろう。

「はい、ストップ」

険悪なムードが漂い始めた空間で、栞ちゃんが制止する。
真ん中で、俺たち二人を睨みつけて、頬を膨らませた。

「もう、二人とも素直じゃない!」

だから栞ちゃん、俺はこの件についてはこの上なく素直なんだけど。
相変わらず、女の子って、わからない。





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