「三薙、入るぞ、いいか?」

ドアの向こうから聞こえてきたのは、長兄の声だった。
ベッドで作業していた俺は、いいよーと気の抜けた返事を返す。
一兄は入ってくるなり、俺のベッドを見て軽く瞬きする。

「勉強してたのか?」

俺のベッドの上には教科書やらノートやら、おり紙やらが散乱していた。
勉強も読書もゲームも、なんでもベッドの上でやる癖のある俺は、いつも掃除の家政婦さんに怒られる。

「うん、後は、今度の文化祭の準備。ノルマなんだ、飾りの花100個」
「………それは多いな。何するんだ?」
「えっと、アジアンコスプレ喫茶?」
「………なんだそれ」
「よく分かんない。お客さんがなんか衣装着てアジア的なお茶するんだって」
「客がコスプレするのか」
「うん」

一兄は困惑したように形のいい男らしい眉をひそめている。
どんなものになるのか、いまいち分からないのだろう。
説明したくても、俺にもよく分からないのだから仕方ない。
想像を諦めたのか、一兄は近寄ってきてベッドに座り込んだ俺の頭をぽんと撫でる。

「お前は本当に真面目だな。少しはハメを外してもいいんだぞ」
「………て言われても、外し方がわかんないよ」

俺は頭がそんなによくないから、勉強しなきゃ成績を保てない。
面倒くせーからやらねーよ!って学校行事をサボるようなヤンチャをする気概もない。
自分が真面目だっていう気はしない。
別に、ゲームもするし、漫画も読んで、面倒な時は勉強もサボる。
でも、後で自分が困るから宿題をやらないってことはない。
家の役には立てないのだから、せめて学校生活では落ちこぼれにはなりたくない。
それに、一緒にハメ外すような友達もいないし。
また暗くなりそうな思考を振り払うために、俺は一兄に尋ねる。

「なんか用事あったの、一兄?」
「ああ、メシでも食いにいかないか。うまいもの食わせてやる」
「本当!?ラッキー!!」

その言葉に、折り紙を放り出して万歳をする。
一兄はガキみたいな俺の仕草に、目を細めて笑った。
忙しいのに、折りを見ては俺をこうして連れ出してくれる。
だから、一兄は大好きだ。

「何がいい?」
「魚!」

寿司もいいし、和食屋さんでもいい、魚メインの洋食でもいいかな。
仕事で色々出かけたり、友人とも一緒によく出かける食道楽の一兄の連れて行ってくれる店はどこもおいしい。
用意するために、ベッドから飛び降りる。

「四天もいるんだっけ?誘うか」
「あ、今栞ちゃん来てるよ」
「じゃあ、邪魔しないほうがいいか」

俺はうんうんと頷く。
あんまりデートもできない二人だし、二人きりにしてあげたい。
という気持ちも勿論あるが、せっかくうまいもん食うのに四天の顔なんて見たくない。
一兄は着替え始める俺に、面白がるような顔で聞いてくる。

「お前は彼女できたのか?」
「………殴るよ、一兄」
「はは、ま、焦るな」

友達もロクに作れないのに、彼女なんて作れるはずない。
女の子は大好きだ。
本当に好きだ。
大声で言ってもいい、好きだ。
でも、中々うまく話せない。
情けなくて、溜息と涙が出てくる。

嫌な気持ちは頭をふって振り払い、手早く服を選ぶ。
どうせ顔が顔なんだから、何着たって一緒だ。
適当にジーンズとシャツを身に付けて、パーカーを手に取る。

「お待たせ!」

一兄の前まで来ると、大きな節くれだった手が顎を掴んで持ち上げる。
厳しさを秘める深い黒い瞳と、じっと見つめあう形。
やっぱり、天と目の形と色が、似ている。
深い深い、引きこまれそうな黒。

「何?」

何がしたいのかよく分からなくて一兄の顔をじっと見ながら問う。
相変わらず、羨ましくなる男前ほどだ。
男らしい眉も、切れ長な目も、大きな口も、男らしさに溢れているものの繊細だ。
長兄はふっと目を細めて笑った。
そうするとどちらかというと怖い印象の顔が、驚くほど優しく見える。

「いや、ちゃんと供給しているみたいだな」
「………うん。もう、何もできないの、やだし」
「いい子だ」

髪に手を絡ませるように、頭をそっと丁寧に撫でられる。
大きな手は優しくて温かくて、ちょっと嬉しい。
でも俺は頭を振って、一歩一兄から飛びのいた。

「ガキ扱いやめてよ!」
「悪い悪い。力の扱いの方は、どうだ?」
「………やっぱり、うまく、練れない。小さいのしか使えない」
「まあ、お前はお前らしく、焦らなくてもいい。お前にしかできないことがあるんだから」
「………うん」

曖昧に、頷きながらもまた暗い気持が甦る。
そんなの、本当にあるんだろうか。
このまま、俺は家族に寄生して生き続けるしかないんだろうか。
力を使えなくても、いいんだ。
いや、使えた方がいいけど、でも、いいんだ。
ただせめて、誰にも迷惑をかけずに、生きたい。

俺の沈んだ顔に気付いて、もう一度、髪をくしゃりと撫でられる。
そして肩を掴まれ、促された。

「さ、行くぞ」
「双兄は?」
「またどっかで遊んでんだろ」
「元気だなあ」

大学生の次兄は、仕事がなくてもほとんど家では見かけない。
俺と違って友達も彼女?も多い双兄は、いつでも外を飛び回っている。
あの毒気があるのに人懐こい人は、いつでも人に囲まれていた。
ひょろりと細いのに精力に充ち溢れた兄を羨ましく思い、尊敬する。

「一兄は?忙しいでしょ、大丈夫?」

宮守は古い家だけあり、膨大な土地を持っている。
それを管理する企業、そこから派生した不動産、投資など、地元に密着した企業をいくつも運営している
地元の名士でもあるから、変な偉い人に呼ばれたりすることも多い。
ほとんどは総家ではなく分家が管理しているが、一兄は次期当主見込としてそれらの仕事にも関わっている。
管理者としての霊的なものだけではなく、表の仕事も沢山あるのだ。

「かわいい弟に付き合う時間ぐらいいくらでもあるさ」

一兄はまた俺の頭をくしゃくしゃにしてしまう。
禿げる!と言って抗議すると声を上げて笑った。
子供扱いされるのはそろそろ勘弁してほしいけど、でも、本当は嬉しい。
優しくて大好きな一兄。
厳しいところも、優しいところも、憧れてやまない。

「ああ、文化祭呼んでくれよ。久々に母校に顔出すのも悪くない」
「え」

突然の言葉に、俺は動きを止める。
更にその先に続けられた言葉に、俺は絶対の拒否を示した。

「四天と一緒に行くか。あいつもあの学校が一応第一志望だろ」
「絶対やだ!」
「なんでだ?」

俺の言葉に、一兄は面白がるように見下ろしてくる。

「………だって、一兄とか天とか………」

来たら、また『本当に俺の兄弟なの?』とか盛り上がる。
女の子から質問攻めにされる。
どうして俺はこんななんだろうねえ、とか言われる。
一兄はともかく、天と比べられるのはこの上ない屈辱だ。

それに、俺に友達がいないところが見られる。
地味に隅っこで細々と暮らしているのを知られているとは言え、一兄や天に改めて見られるのは、絶対にいやだ。

「呼んでくれないのか?」
「よ、呼ばない!」

一兄は小さく笑って、更につついてくる。
俺の髪をつんつんと引っ張って、しつこく繰り返す。

「呼んでくれよ。お前の普段の姿も見たい」
「絶対無理!!」

そんな風に騒ぎながら、夕食の時間まで俺はぐったりとしてしまった。





BACK   TOP   NEXT