ざわざわと、放課後の学校はいつにも増して喧騒に満ちている。 明後日に近づいた文化祭に、学校中が活気に溢れていた。 笑い声、叫び声、椅子を引く音、何かを落とした音、楽器の音。 どこか遠くで聞こえるようなその雑多な音の集合は、嫌いじゃない。 生き生きとした人たちの中にいるのは、嫌いじゃない。 飾りの花を作りながら、俺は隅の席でぼうっとそれを聞いていた。 「バイト先でさあ、店長が………」 「階段が……」 「………あの女がさ、超ムカついて」 「……七不思議……願いごとを入れて……」 「あの映画楽しかった………」 色々な単語が入ってきては、消えていく。 空気と一体化するような時間。 ここにいることが許されているような時間が、心地よかった。 「宮守」 「………」 「宮守?」 「え、あ…藤吉」 花を作る作業に没頭していて、呼ばれたことに気付かなかった。 そんなに、学校で名前呼ばれることもないし。 顔を上げると眼鏡をかけた性格の良さそうな柔和な顔の男がいる。 俺にとって数少ない友人と呼べる人間だ。 いや、友人と呼んでいいのだろうか。 俺と違って、朗らかで明るい性格の藤吉は、いつでも割と人に囲まれている。 同じ中学だったから声をかけてくれるけど、どこか距離を感じる。 「手、空いてる?」 「えっと、花作ってるけど」 「あ、そか」 「どうかしたのか?」 「ああ、暗幕取りに行くの手伝ってほしかったんだ」 「あ、行くよ!これ後回しにできるし」 「そっか、ありがと」 眼鏡の下の目を細めて、にこっと笑う。 その人懐こい笑顔は、人見知りの俺でも警戒心を解くにも十分だ。 俺もつられて、ちょっと笑う。 藤吉は、いい奴だ。 中学でも色々とあって、薄気味悪い奴って思われてた俺を特に気にする様子はない。 クラスで外れ気味なのを気遣って、事あるごとに声をかけてくれる。 人付き合いは苦手だけど、藤吉の春のような空気は、一緒にいて落ち着く。 友達のいない俺がそれでも浮きすぎないのは、こいつのおかげと言ってもいいかもしれない。 「どこ?」 「第一資料室」 立ちあがって、藤吉の後に続く。 教室を出る時、視線を感じて振り返った。 「………あ」 まただ。 明る過ぎる色の髪、目鼻立ちを際立たせる濃いめの化粧。 岡野がまた、俺を見ていた。 何かを言いたげに、こちらをじっと見ている。 苦いものが、口の中に広がる。 誤魔化すように唇を噛んで、目をそらした。 あれからずっと、岡野は俺を見ている。 声をかけようと、近づかれたこともある。 その度に、捕まらないように逃げ出した。 「どうした?」 「あ、なんでもない、ごめん!」 三歩先にいた藤吉が不思議そうについてこない俺を振り返る。 慌てて、駆け足でその後を追う。 岡野の絡みつく視線から、逃げるように。 見ないで、ほしい。 ごめんなさい。 守れなかった俺を、見ないで。 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。 「第一資料室ってどこだっけ」 「三階の西側。音楽室とかある方」 「へー」 他愛のない話をしながら、一緒に歩く。 藤吉は俺と一緒にいても特に気負うこともなく、距離を置くこともなく自然に接してくれる。 身内以外、誰と話していても緊張するけど、藤吉にはそれがない。 「あ、そこそこ」 四階にある教室からは、一階降りただけだけど、反対側にあるから結構遠かった。 西側の方はどの階にも音楽室とか家庭科室とか特別教室がおさまっている。 その中に紛れるようにして、小さな扉があった。 教室みたいにスライド式の二枚重ねのドアではなく、普通のやすっちいプラスチックの片開きのドアだ。 「ここ、開いてんだよね」 「え」 藤吉は俺が聞く暇もなくドアを開いてしまう。 言った通り、簡単にそれは開いた。 部屋の中は半分暗幕のカーテンで閉ざされていて、薄暗い。 ドアに反して、部屋の中はだいぶ広かった。 「あ、やっぱりあったあった。暗幕」 「………あったって、許可取ってないの?」 「ないよ。前にここにあった気がしたんだよね」 「え、ちょ!?」 藤吉は何か聞く前に、すたすたと部屋に入っていってしまう。 俺も慌ててそれに続いて、部屋を閉めた。 資料でいっぱいの部屋は、埃と淀んだ匂いで、嫌な空気だった。 怯んで、一瞬立ち止まってしまう。 そうしている間に、藤吉は暗幕の前で腕まくりをする。 「さって、取り外すか」 「おい、まずくねえの!?」 「大丈夫だよ。誰も気づかないって、こんなの。割り当て分じゃ足りなくてさ」 「ええ!?」 委員長なんてやっていて成績もいい優等生のくせに、藤吉はこういう大胆なところがある。 そこがまた付き合いやすいのだが、ビビリの俺は怯んでしまう。 どうしようかとオロオロとしていると、視界の隅に何かが映った。 「わ!」 「え?」 影が動いたように見えて、驚いて飛びのく。 その声に驚いて、藤吉も一歩ひいてからこちらを見る。 そして眼鏡の位置を直して、薄暗い隅っこをまじまじと見る。 「あれ、お前」 俺達の死角の位置に、ぼさっとした髪をしたどこか暗そうな男がつったっていた。 生気を感じない、青白い顔。 ちらりと隣に視線を送ると、藤吉の視線もちゃんとその男に合っている。 よかった、俺だけに見えているんじゃなかった。 こういう状況で、何回も失敗してきたから、胸を撫でおろす。 「お前、何してんの?」 藤吉が不思議そうに問いかける。 けれど答えることもなく、そいつは黙ってドアから出て行った。 なんか、変な奴。 「今の、田代だったよな?」 「誰か知ってんの?」 閉められたドアを見ながら、首を傾げる藤吉。 だったよな、と言われても分からなくて、疑問に疑問を返す。 俺の言葉に、藤吉が苦笑する。 「同じ学年だよ。結構有名だけど、相変わらずうといな、こういうの」 「………うん、まあ」 反論できずにもごもごと答える。 正直、俺の記憶ではクラスメイトすら怪しい。 関わり合いのない人間は、一切覚えられない。 同じ学年だったのか。 なんか、生きてはいないものだと言われても納得してしまいそうな奴だった。 「何してたんだろ」 「まあ、いいよ。とりあえず暗幕ひっぺがして帰ろう」 「………なあ、本当に大丈夫なのか」 「平気平気。たぶん」 朗らかに笑って、怖いことを言う藤吉。 先生に怒られるのやだなあ、とか資料が傷まないための暗幕なんじゃないのかなあ、とか思うが笑顔でてきぱきと暗幕を引っぺがしていく眼鏡の男を止めることはできない。 仕方なくそれを手伝う。 六枚あった暗幕のうち三枚を収穫として、俺達は資料室を後にした。 なんとはなしに後ろめたい気持ちで歩いていると、藤吉がふいに問いかけられる。 「なあ、宮守」 「何?」 「佐藤たちと、なんかあった?」 会話の合間の何気ない様子に、構えてなかった俺は言葉に詰まる。 足が、止まってしまう。 「な、んで………」 「前に、佐藤からお前のこと色々聞かれてさ。興味があったみたいで、ほら、夏休み前はよく話しかけられてただろ。でもぱったりそれがなくなったから」 血の気が引いた気がした。 一気に体温が下がる。 景色がぐにゃりと、歪んだ気がした。 夏休み明けに姿を消した、クラスメイト。 佐藤たちと仲がよかった、明るい男。 あいつがいなくなって、あのグループも、静かになっている。 でも、もう誰も違和感を感じなくなっている。 家出扱いだから、腫れもののように触れてはいけない話になっている。 それも手伝って、誰もあいつを気にしない。 そんな奴いなかったように、文化祭を楽しんでいる。 「………何も、ないよ」 声の震えを押さえられなかった。 藤吉はそれに気付いただろうに、軽く頷いた。 「そっか。んじゃ教室戻ろう」 「………うん」 平田がいなくなったことに、俺が関わっていると知ったら藤吉は、どういう態度をとるだろう。 また昔のように、この優しいクラスメイトも失うのだろうか。 いや、だな。 本当は、そんなこと望んじゃいけないのかもしれないけど。 あいつはもう、ここには戻ってこれないのに。 それなのに、俺がこんなことを思っちゃいけないのかもしれないけれど。 でも、この春のような空気の男が、俺を冷たい目で見るのはいやだと思った。 |