自分の家だが、うんざりするほど広い屋敷の中、当てもなく歩く。

帰ってきたとは聞いたが、自室にはいなかった。
多分道場か書斎辺りにいると思うんだけど。
でもさっき修行してた時はいなかったから、とりあえず書斎に行こうかな。
そう思っていると、前から作業用の野袴を身につけた老年の男性がやってきた。

「あ、宮城さん、いちに、一矢兄さんがどこにいるか知りませんか?」
「広間の方に、先宮とご一緒におられました」
「そうですか、ありがとうございます」

礼を言うと、表情を動かさないまま宮城さんは頭を下げた。
父よりも年上の人に深々と頭のてっぺんが見えるぐらい下げられて、居心地が悪い。
宮城さんは家の奥向きの仕事をしている人だ。
と言っても、料理や洗濯をしている訳ではなく、宮守の管理者としての仕事に関わる雑事を取り仕切っている。
俺が生まれる前から家にいるこの人は、どうにも苦手だ。
無表情な何も映さない目は、何もかもを見透かしているような気がする。

もう一度頭を下げて、俺は足早に広間に向かう。
廊下を曲がる時にちらりと後ろを振り向くと、音もたてずに宮城さんの姿はなくなっていた。
いつのまにか緊張して入っていた肩の力を、溜息と共に吐きだした。



***




宮守の家のほぼ真ん中に位置する広間は、よく仕事の話をする時とか親戚が集まる時に使われていた。
家の中でも一段と霊的に安定した場所で、なにかとフォーマルなことに使用している。
障子からは光が漏れている。
宮城さんが言った通り、父さんと一兄がいるようだ。
やっぱ、仕事の話かな。
まずいかな。

「それでは、お話ししたように」
「分かった、お前に任せる」
「はい、どうにか間に合わせます」

仕事の話が終わってないかと少しだけ近づくと、部屋の中の声が少しだけ漏れ出てくる。
これはやっぱり、仕事の話だよな。
立ち聞きは、まずいよな。
よし、出直そう。

「誰だ」

振り向いた瞬間、部屋の中から父の厳しい声が聞こえてきた。
思わず悲鳴を上げそうになって、リアルに10センチぐらい飛び上がった。
逃げる間もなく、カラリと障子を開かれる。
怪訝そうな顔の一兄と、奥にはこちらを睨みつけるような父さんの姿が見える。
威圧感に身が竦む。

「えっと、その、お話中に、すいません。一矢、兄さんを探してて」

一兄がふっと表情を緩めて、首を傾げる。

「どうした?なんか用事があったのか?」
「あ、大したことないから、後でも、いいんだけど………」

ぼそぼそと、語尾がどんどん口の中に消えていく。
ああ、どうして広間になんて来ちゃったんだろう。
部屋で待っていればよかった。
後悔しても時すでに遅し。
怒られるんじゃないかと怖くてビクビクしていると、一兄は後ろを振り返る。

「先宮、よろしいでしょうか」
「ああ、話は終わりだ。下がっていいぞ」

当主たる父は鷹揚に頷いて、それを許した。
ちらりと二人を伺うと、特に怒っている様子はない。
よ、よかった。
一兄が俺の肩を押して、促す。

「はい、それでは失礼いたします」
「あ、あ、失礼いたします」
「三薙」
「は、はい!」

早く逃げ出そうとして挨拶もそこそこ足を踏み出すと、急に呼びとめられてまた飛び上がる。
恐る恐る後ろを振り返ると、予想に反して父は優しげに表情を緩めていた。

「明後日は文化祭だろう。楽しむといい」
「は、はい!」

珍しい父の言葉に、一瞬びっくりして言葉を失ってしまう。
でも、やっぱり嬉しくて勢いよく頭を下げた。
父さんは笑って、頷いてくれた。
嬉しくて、頬が緩む。

もう一度頭を下げて、俺は広間を後にした。
広間から離れてしばらくして、俺はちらりと隣の一兄を見上げる。

「………大丈夫だった?」
「ああ、もう終わっていた」
「ごめんね、邪魔しちゃって」
「大丈夫だ。だが、広間には特に用事もなく近づくな。前にも言ったな」
「………はい、ごめんなさい」
「同じことを、繰り返すな」
「はい………」

厳しい声で、窘められる。
そう、仕事の邪魔はするな、と言われていた。
親戚の集まりとかでなければ、広間は俺が近づくべきではないところだ。
先ほどの浮き立っていた心はすっかりしぼんでしまう。
どうしてこう馬鹿なんだ。
迂闊すぎる自分の行動を呪う。
ただ、一刻も早く一兄を、見つけたくて失念していた。

なんとなく黙り込んだまま、一兄の部屋についてしまう。
促されて、気まずい気持ちのまま部屋の中に入り込む。
和室を無理やり洋室ぽく改造している俺の部屋と違って、純和風の部屋は落ち着く畳と香の匂いがする。
それだけは洋風のドアを閉めて、一兄はようやく口を開いた。

「それよりどうしたんだ?」
「えっと………」

あの後だから、なんだかますます気まずい。
こんな下らないことで、父さんと一兄の邪魔をしたと思うと恥ずかしくなる。
本当に、俺は馬鹿でガキっぽい。

「三薙?」

でも、もう一度促され、観念する。
渡さなければ、それこそ何をしにきたのかわからない。
俺はポケットにしまいこんで、少しよれた手のひら大の紙を取り出す。
畳に目を落としながら、そのまま一兄に差し出す。

「その、これ………」
「なんだ?」
「………文化祭の招待状と、うちのクラスのコーヒー券」

その言葉に、長兄は黙り込む。
返事がないのが怖くなって、恐る恐る顔を上げる。
やっぱり、呆れているのだろうか。
だが、一兄は目が合うと悪戯ぽく、小さく笑った。

「呼ばないんじゃなかったのか?」
「だって………」
「絶対来るなって言わなかったっけ?」

更にからかうように、問いかける。
その目は完全に、面白がっている。
俺をからかって、遊んでいる。

怒っていないってことが分かってほっとする。
そして、それと同時にからかわれたことが恥ずかしくてつい反発してしまう。

「だって、一兄が来たいって言うから!来ないならいいよ!返してよ!」
「ありがたくもらっておくよ」

くすくすと笑いながら、一兄はチケットをスーツのポケットにしまいこむ。
その明らかに楽しんでいる様子に、屈辱で頭に血がのぼる。

「本当に来なくていいんだからな!ていうか来んな!」
「寂しいこと言うな。絶対に行くさ。明後日は空いている」
「………来なくて、いいんだからな」

やっぱりやめればよかった。
手伝ってくれたお礼にってコーヒー券を藤吉がくれたから、だから、呼んでもいいかなってそう、ただ思っただけだったんだ。
ちょっと思っただけだったのに。
やっぱりやめればよかった。
くそ。

俯いて後悔し続けていると、不意に顎を持ち上げられた。
またからかわれるのかと噛みつこうかと思うと、予想外に一兄は真面目な顔をしていた。
だから俺も拍子ぬけして、瞬きする。

「何?」
「力が、足りないな」
「あ、うん、今日か明日にでも天に頼もうかと思ってた」

修行もしたし、前の供給からちょっと経って力がだいぶ減っていた。
まだもうちょっと持ちそうだが、念のため早めに頼もうと思っていたのだ。
もう、何もできなくて悔しい思いはしたくない。
弱いなら弱いなりに、自分の行動に責任を持たなければいけない。
意地もプライドも、やるべきことをやってからだ。
言われ続けていたことを、ようやく、本当にようやく、最近実行に移せている。
一兄はふっと表情を緩めた。

「今日は俺が供給するか」
「え、いいの?」
「たまにはいいだろ。これくらい親父だって大目に見てくれるさ」
「うん、じゃあ、お願い!」

弾んだ声で、大きく頷く。
やらなきゃいけないことだから仕方ないが、出来ることなら天には頼みたくない。
一兄がやってくれるっていうなら、願ったり叶ったりだ。

俺は供給をうけるべく、顔を持ち上げて背の高い長兄を見上げる。
そして、供給を待つ。
けれど、きょとんとした顔で一兄は首をかしげた。

「………三薙?」
「え?」
「用意してくれ」

言われて、しばらく考える。
だから用意してるのに、一兄は何を言ってるんだ。

「………て」

思い至り、じわじわと顔が熱くなってくる。
自分の行動の恥ずかしさに、ようやく気付く。

そうだ。
そうだよ、一兄とは、あんな恥ずかしい供給をしなくていいんだ。
馬鹿か、アホだろ、俺の馬鹿!

「ああ、うん!そうだよね!うん、今用意する!うん、ごめん!」
「三薙?」
「よ、用意するから!今用意するから!」

明らかに挙動不審な俺の態度を、一兄は不思議そうに見つめていた。
それを無視して、俺は部屋の真ん中に座り込む。
俯いて待っていると、一兄もとりあえず用意を開始した。

石で方陣を作り、手際よく清めの水と呪言で、場を清めていく。
天の簡略化された呪よりも少しだけ長い時間の後、部屋の中が一兄の深い青で沈む。
包まれていると眠気を感じてくるぐらい、心落ち着く深い深い群青に近い青。
俺の憧れの色。
たゆまぬ鍛錬の末に身につけた、一兄の惑わない意志と広い心を現すような青。

「三薙」
「うん」

跪いた一兄に引き寄せられ、長い腕の中に収まる。
大きな手がうなじを包むと、火傷しそうなくらいの熱で息を呑む。
頸動脈に一兄の大きな手を感じる。
目を閉じて、呼吸を合わせるために心音に耳を澄ませる。

「宮守の血の絆に従いて約定を果たし、末永き安寧のため我が力を礎に、恵みを与えるべく………」

低く通りのいい声が、一定のリズムで呪を紡ぐ。
ずれていた呼吸が、徐々に一つになっていく。
ゆらゆらと、眠くなるようなゆったりとした呼吸。
頸動脈に感じる心音が溶けあって、一兄の中に飲み込まれていく。
心地よい深い深い青に、包まれる。

「んっ」

意識が青く染まると大きな手から、熱が入り込んでくる。
体の中に、ゆったりと青い力が巡る。
慣れた白い力とは違う、久しぶりの一兄の力。
自分の力として溶け込ませるのに、少しだけ戸惑う。
けれどすぐに馴染んだ血は、それを自分のものとして取り込もうとする。

「………っ」

体の中が徐々に熱くなっていく。
いつもの膨大な力の奔流とは違う、染み渡るような力の供給。
もっともっとと急くような気持もあるが、眠くなるような安心感もあった。

いつもよりも長い時間をかけて、体の中が満たされいく。
すっかり満たされた後、体を離され満足から息をつく。

「は、あ」
「大丈夫か?」
「う、ん………」

供給後のだるい体を支えられず、ずるずると一兄の体にもたれかかる。
大きな手が、くしゃりと頭をかき回す。

「少し眠っていいぞ」
「………うん、ごめん」

ゆったりと頭をかき回される感触に、気持ちが良くて瞼が落ちる。
一兄が焚きしめている香の匂いがする。
ああ、懐かしいな。
昔、こうしてよく、一兄の腕の中で、眠った。

そう思った瞬間、意識が闇に引き込まれていった。



***




しばらく眠ると、体の調子は絶好調になっていた。
久々すぎて、なんだかちょっと一兄の力は違和感があるが、フルになった体は軽くて、頭は冴えている。

一兄の部屋を後にして、もうそろそろいつもなら眠る時間。
俺はもう一つの目的地に来ていた。

「………………」

そのドアの前で、何度も逡巡してもうかれこれ5分ぐらい突っ立っている。
やっぱりやめようか、そう思った瞬間。

「何、兄さん?」
「うわあ!」

後ろから聞きたくない声が聞こえて、俺はまたまた飛び上がった。
急いで後を振り向くと、そこには部屋の中にいるべき弟がいた。

「何、驚くなあ」

言いながら全然驚いてもいない、いつもどおりに冷静だ。。
俺は驚かされた恥ずかしさで、逆ギレ気味に天につっかかる。

「な、な、なんで後ろにいるんだよ!」
「お風呂入ってきたから」

そんな俺の態度を気にせず、軽く肩をすくめる。
何も言い返せず、黙りこむ俺に、天はつまらなそうに首を傾げる。

「なんか用?」
「よ、用なんてない!」
「そう。じゃあ、部屋に入るからどいて」

言われて、ドアの前に突っ立っていたことを思い出す。
違う。
そうじゃない。
そうじゃないんだ。

「あ、あ」

でも、次に言うべき言葉が喉から出てこなくて俺は馬鹿みたいに間抜けな声を上げる。
天はまだ少し濡れた髪を掻きあげる。
そうすると、歳よりずっと大人びて見える。

「何?」
「……………」

面倒くさそうにもう一度問い掛けられても、やっぱり何も言えない。
しばらくそうしてにらみ合っていると、天が大きくため息をついた。
そして表情を緩めて、小首を傾げる。

「何、聞くよ?」
「……………」

そうだ。
ここでこうしていても、どうしようもない。
明日も遅くまで準備をしなければいけない。
朝も早いし、夜も遅い。
だから早く寝なきゃいけない。
いやなことは、さっさと済まさなければ。

黙って、ポケットからくしゃくしゃの紙を取り出す。
ずいっと突き出すと、天はつられてそれを受け取った。

「何、これ?」
「………あ、明後日の、文化祭の、招待状」

ぺらぺらと光に透かすように眺めていた弟が、ぴたりと動きを止める。
そして驚きをにじませながら、俺を見つめてくる。

「………珍しいね、どうしたの?」
「い、一兄が行くっていうから!だから、一人じゃ、寂しいかなって、思って、だから!」
「ふーん、一矢兄さんがね」

そうだ、一兄が天と来るっていうから仕方なくだ。
本当は渡したくなんかないんだ。
でも、一兄一人で文化祭っていうのも、なんだかさみしい光景だ。
だから、仕方なくだ。

天は、またぺらぺらと仰ぐようにチケットを弄ぶ。
呆れられているような気がして、俺は慌てて言葉を追加する。

「用事あったら、来なくっても、いいんだからな!」
「明後日は特にないかな。たぶん行くよ」

恥ずかしくって顔を見てられなくって、廊下の壁を見つめる。
天は特にからかう様子も呆れる様子もなく普通に答えた。

「そ、そんな楽しく、ないんだからな」
「特に期待してもないよ。ありがとう」

くすっと小さく笑って礼を言われる。
弟の珍しい素直なお礼に、俺も小さく頷いた。

「………うん」

なんとも恥ずかしい用事を済ませたことに安堵して、俺は大きくため息をつく。
これで仕事は終わった。
天に一声かけてさっさと去ろうかと思って顔を上げると、顎をぐいっと掴まれた。

「あれ、供給されてるね」

何、と問いかける暇もなく天は俺の顔を覗き込む。

「あ、一兄が今回はしてくれた。だから、大丈夫」
「ふーん」

興味なさげな相槌をうたれ、手を放された。
なんなんだよ、と思いながら今度こそ部屋に帰ろうと一歩踏み出す。

「兄さんの学校生活、楽しみにしてるよ」

天は、俺が友達いないなんてこと、よく知っている。
だからこれは、あからさまな嫌みだ。
頭に一瞬にして血がのぼる。

「やっぱ、お前なんて来なくていい!」

俺が怒鳴りつけると、天は楽しそうに声を上げて笑った。





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