朝食はダイニングで、揃えば家族一緒にとる。
それぞれに忙しいから、なるべくこの時間だけは顔を合わせるようにしている。
まあ、俺だけはいつでも暇なんだけど。

宮守の家は見た目純和風だが、改装を重ねているから洋風のダイニングも和室の居間もある。
朝食はだいたい、ダイニングになっている。
メニューも洋食、和食、日替わりだ。
純和風の家でなんだか違和感があるが、昔双兄がたまにはトーストとコーヒーの朝がいいって言った辺りから始まったみたいだ。
父さんも母さんも、特にこだわりはないらしくいつも普通にトーストに齧りついている。
今日は父さんと一兄はいないが、和服で洋食をつつくその姿は、いつ見ても奇妙だ。

「ふ、ああ」

双兄が形のいい口を大きく開けてあくびをする。
長い髪も今日は結ばれずに解かれた状態だ。
どこか気だるい様子は、なんだか女性的な色気がある。
どうせ今日も朝帰りなんだろう。
それでもきっちり朝食を一緒にするところが、妙に律義だ。

「双馬さん」
「はひ、すいません」

母さんに叱責されるが、反省した色なしにまだ眠気のさめやらない口調で返事をする。
思わず小さく笑うと、双兄は片眉を器用にあげて笑って見せた。
そういう茶目っけたっぷりな仕草が、似合う人なのだ。

「昨日も遅かったの?勉強大丈夫なのかよ」
「いやあ、大学生は色々忙しいのだよ」
「飲み会が、だろ?」
「馬鹿にすんな。飲み会も、だ。後はデートにサークルに友達づきあい。人気者は大変だ」

真面目な顔で返す双兄に、もうこらえきれなくて笑ってしまった。
そんな俺達に、母さんが頭が痛いというようにはあっとため息をついた。

「ほどほどにしてくださいね、双馬さん。いつでも体調は万全に整えておくように」
「はい、心得ております」
「まったくもう」

また真剣な顔で返す双兄に、母さんは根負けしたように小さく笑う。
いつでも隙なく着こなした着物に厳しい表情をした母さんだが、笑うと年よりもずっと若く見える。
我が母ながら、綺麗な人だとは思う。
双兄にかかっては、母さんも怒ってばっかりもいられない。
これでちゃんと仕事も学業もしっかりこなすのだから、文句も言えない。

「三薙さん。お弁当です」

それから大学生活がどうだとかそういう話になっていると、家政婦の杉田さんがお弁当を持ってきてくれる。
俺は礼を言って、それを受け取った。

双兄はもちろん、給食のある四天も弁当はない。
あいつが給食を食べている姿っていうのがどうにも思い浮かばないが。
デザートの残り物じゃんけんとか参加すんのかな。
育ち盛りで、腹も減るよな。
そんなことを考えているところで、言わなきゃいけないことを思い出す。

「あ、母さん。俺今日遅くなるので、夕飯はいりません」
「ああ、文化祭の準備ですか?」
「はい、準備で遅くなりそうなので」
「そう。わかりました。頑張ってくださいね」

母さんはにっこりと笑ってそう言ってくれた。
励まされて、ふつふつと嬉しくなる。
部活も入ってないし友達もいないから、こういうイベントごとにはいつも積極的に参加しない。
今回は藤吉に頼まれて、会場設営を手伝う予定なのだ。
帰宅部の自由さを買われてのことだろうが、クラスのイベントに参加できるというのは、なんだかワクワクする。

「お父様や私は行けませんが、一矢さんと四天さんが行くのでしょう。楽しんでくださいね」
「え、あ、う………」

言葉につまって、隣の四天をちらりと覗く。
弟は特に何を言うこともなく黙々とサラダを食べていた。
からかわれる様子はないようだ。
ちょっとほっとすると、思わぬところから不満の声があがった。

「なんだあ、みつ。なんで兄貴と四天だけなんだ?俺はどうした、俺は」

わざわざいつのまにか俺の後ろに回っていて、ヘッドロックを喰らわせられる。
苦しさから必死でもがいて、その手から逃れようとする。
しかし、双兄の細いがしっかりとした長い手足からは逃げられない。

「だ、だって、双兄いなかったじゃん」
「うるさい!ケータイとかあるだろう!誘え!なぜ俺だけ誘わない!ひいきだ!不公平だ!」

子供のような、頑是ない駄々をこねる双兄。
う、少し酒臭い。
酒抜けてねえな。
いつも土日なんて仕事でもない限り家にいないくせに。

「双兄、土日なんて、空いてるのかよ!」
「うん、空いてない」
「うぜー!!なら言うな!」
「うるさい!誘われたか誘われてないかが問題なんだ!誘え!寂しいだろう!このお兄様を誘え!」

理不尽なことを繰り返す双兄に、もう面倒くさくて観念した。
このプチ酔っぱらいから早いとこ逃れられるならなんでもいい。

「わ、分かった。分かったよ!双兄も来る!?」
「心がこもってない!」

わざわざ俺の方が折れたというのに、双兄は更に馬鹿なことを言い出す。
どうしろっていうんだ、この酔っ払い。
まあ、酔ってなくても特に性格変わらないけど。

「なんだよ、それ!なんて言えばいいんだよ!」
「もっとかわいく言え」
「ムチャ言うな!」
「ほら、もう一回」
「なんて言えばいいんだよ!」
「お兄ちゃん、文化祭来て、括弧ハート括弧閉じる!」
「俺に言われて嬉しいか、それ!?」
「あんま嬉しくない!」
「じゃあ言うな!」

カタン。
なおもぎゃあぎゃあと騒ぎ続ける俺達に、母さんが静かに箸を置いた。
それで、俺達はぴたりと動きを止める。

「二人とも、子供のような真似はやめなさい。きちんと食事は取ってください」
『はい、ごめんなさい』

声に感情がこもっていない。
これはマジで怒りだす一歩手前だ。
窘められるぐらいならともかく、母さんがマジで怒ると本当に怖い。
俺達は静かになって、双兄も大人しく席に戻る。
父さんや一兄がいないと、どうしても俺達はうるさくなる。
あの二人がいる場合は、こんなおふざけもできないのだけれど。

一人我関せずと言わんばかりに食事をとっていた四天が箸を置く。
頭を下げて、挨拶をする。

「御馳走様です。お先に失礼いたします」
「はい、四天さん、いってらっしゃいませ」
「はい、行ってまいります」

くそ、あのいい子ちゃんめ。
父さんの前でも母さんの前でも、あの性悪な本性を少しも見せることがない。
要領のいい奴め。

四天が立って、慌てて腕時計を確かめる。
去年の誕生日に一兄に買ってもらった、ごつい俺好みの時計。
時計の針はそろそろ食事を終えなきゃいけない時間を指している。

「あ、やべ。俺も遅刻する。ご馳走様でした!」
「はい、いってらっしゃいませ。全く、慌ただしいこと。もっと余裕を持ちなさい」
「ちゃんとメシ食わないと倒れるぞ」
「誰が邪魔したんだよ!」

テーブルの上にはまだ3分の1ぐらい食事が残っていた。
だが悠長に食べていては遅刻する。
ぶちぶちと文句を言いながら席を立つと、双兄はキラリと光るものを放る。
咄嗟に受け取ると、それは五百円玉だった。

「それでパンでも買え」
「まったくもう」
「気を付けてな。がんばってこーい。俺は寝る」
「大学生は気楽でいいよな」

お気楽全開な事を言う次兄に文句を言いながら、五百円玉をポケットに入れる。
ダイニングを出る直前に、ちょっと躊躇ってからそれでも振り返る。

「………その、双兄」
「なんだ?」
「………えっと、もし来れるなら、一兄に、チケット二枚、渡してあるから」

それだけ言って、さっさと行こうとすると、椅子に座ったままの双兄に腕をがしっと掴まれる。
そして引き寄せられ頭をわしわしと掻きまわされた。
というか、ぐりぐりゲンコツ喰らわせられた。

「全くお前はなんでそうかわいいんだろうなあ」
「いだ!痛い!!痛い!握るな!」

本当に遅刻寸前になるまで、そのまま構われ続けた。



***




また双兄のせいで更に余裕がなくなり、急いで歯を磨いて鞄を取って家を出ようとする。
この時間ならまだ走らなくても大丈夫だ。
しかし扉に手をかけようとしたその時、後ろから声がかかった。

「ああ、三薙さん」

振り向くと、母さんが玄関先に立っている。
ていうかうちの人たちはどうしてこう気配がないんだろう。

「はい、どうしました?」
「今日は遅くなるのでしょう?あんまり遅くなるようだったら家に連絡をいれてください。迎えを遣わせます」
「………そんな、子供や女の子じゃないんですから」

夜道に何があるっていうんだ。
やんわりと断ろうとすると、母さんは厳しい顔をした。
一切の甘えを許さない、宮守の人間としての顔。

「あなたは邪は魅入られやすい。用心するに越したことはありません」

だから、俺は大人しく頷いた。
姿勢を正して、当主の妻の言葉を聞く。

「………はい」

母さんは頷いて、袂から札を三枚ほど取り出す。
そして俺に差し出してきた。

「これを」
「これは?」
「破邪の札です。何もないとは思いますが」

母さんは元々宮守の人間ではなく、父さんや兄さんたちほど力は強くない。
だが、こう言った呪具を作る力に長けていた。
元々、そちらを専門にしていた家系の出だ。
そんな大げさなって本当は思ったけど、母の好意だ。
大人しく受け取る。

「………はい。ありがとうございます」
「いってらっしゃい。気を付けて」

そこでようやく母さんは笑ってくれた。
父さんや母さんの前では、いつでも緊張してしまう。
だから、ふとした時の笑顔が、とても好きだった。

「はい、いってきます!」

そして俺は、タイムリミットと戦うため、駆けだした。



***




教室の中は、今日も喧騒に満ちている。
その中に心地よく身を委ねながら、教室に安っぽい飾り付けをする。
手作り感満載の、いかにもって感じの装飾だ。
でもアジアっぽい布とか飾って、雰囲気は出ている。
つたないところがなんとも文化祭で、なんだか楽しかった。

もうそろそろ準備も終わりだ。
窓から覗く校庭が、すでに白線も見えないぐらい暗い。
校舎の廊下からの明かりで、辛うじて手前だけ見えるぐらいだ。

「わあ、もう九時過ぎてんじゃん」
「何時までいれんだっけ?」
「十時。そろそろ帰らないと怒られる」

一息ついて皆も時計を見始めたのか、ざわざわとより騒がしくなる。
俺も疲れで、大きく息をついた。

「大丈夫か、宮守?」
「うん、へーき。つっかれたあ」
「ああ、そろそろ帰ろう。他のクラスも軒並み帰ってるぽい」
「うん。なんとかなったな」

最後のテーブルクロスをかけて、藤吉と俺は同時に笑った。
疲れたけれど、それ以上の達成感がある。

「ありがとうな、宮守」
「へ?」
「いや、もうクラスで残ってんのも十人程度だし。遅くまで手伝ってくれてありがとう」

言われて見回すと、うちのクラスの中の人も少ない。
分担してあったので、自分の分を終えた人はさっさと帰ったようだ。
後は委員とか自分のが終わってない衣装班とかが残っている。

「いや、俺も楽しかったから。誘ってくれてありがと、藤吉」

こういうの、ちょっと憧れだったんだよな。
クラスのこと、手伝えて嬉しい
一緒に、なんか出来て、嬉しい。
手伝っているうちに、何人かの奴と話せたし、このクラスではうまくやっていけるかな。
藤吉とも、仲良くできるかな。
友達に、なりたいな。

「あ、あのさ、藤吉」
「ん?あ、そっち歪んでるからちょっと引っ張って」
「あ、了解」

テーブルクロスを固定して、なんとかこれで作業は終わり。
衣装班も終わりのようで、部屋の中に和やかなムードが流れている。
学校の中にはもう、本当にちらほらとしか人が残っていないようだ。
窓から覗く教室からは、ほとんど明かりはない。

そろそろ担任も追い出しにかかってくるだろう。
こんな時間まで付き合わせて、申し訳ないとしか言えない。

「で、何か言いかけた?」
「あ、えっと、その………」

これからも仲良くしてください。
とか、馬鹿だよな。
友達になってください。
言えるか、アホか。

「………なんでもない」

そもそも、俺にそんなこと言う資格あるのかな。
クラスメイトを一人犠牲にした、俺に。

「………宮守」

そんなことを考えていた時に、後ろから話しかけられた。
女の子にしては少し低めの、でも綺麗な声。
ふりむくと、そこには俺よりも少しだけ目線が低いだけの、背の高い女の子がいた。

「え、あ、岡野!?」

岡野も、残ってたのか。
心臓が、ぎゅっと軋む音がした。

「な、何………?」
「あのさ………」

どうしようどうしようどうしよう。
あのことを、聞きたいのだろうか。
何を、言えばいいのだろうか。
もう、逃げられないのだろうか。
指先が冷たくなっていく。
手を強く握りしめて、岡野の次の言葉を待つ。

だが、岡野が続ける前に、廊下から奇妙な声が響いた。
叫んでいる様子ではないのに、はっきりと耳に届く。

「じゅーう、きゅーう、はーち、なーな」

それは、子供のようなあどけない声。
けれど、その声を聞いて、なぜか背筋に寒気が走った。





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