「………なんだ、あの声」 「誰か子供でもいるの?」 「どっかのクラスで遊んでんのか?」 クラスに残っていた連中も、手を止めて顔を上げる。 小さな子供のような高いあどけない声は、なおも数を数える。 男とも女とも分からないその声は、むしろかわいいと言えるぐらい澄んでいる。 「ろーく、ごー、よーん、さーん」 けれど、なんだかその声にぞわぞわとしたものが体の中を這いずり回る。 違和感が血の流れにのって、巡っていく感じ。 気がつくと、空気がどろりと重くなっていた。 なんだ、これ。 さっきまで全然こんな気配なかったのに。 いつの間にか、喉が渇いていた。 ごくりと唾を飲み込むと、いやにその音が大きく感じた。 「にーい、いーち、ぜろ」 声が、ゼロまで数えきる。 みんな、何が起こるのかと耳をすませて、教室の中は変に静まりかえる。 「いくよ」 あどけない声が、短くそう告げた。 それから、しん、と静まり返る。 「………なんだ、これ」 「誰やってんだよ」 「なにこれ、鬼ごっこ?」 他のクラスの奴らの悪ふざけだろうと思っていても、なんとはなしに変な気配は感じとっているのだろう。 教室内が浮足立って、嫌な雰囲気になってくる。 藤吉と岡野も、怪訝そうにあたりを見渡している。 岡野はこちらをちらりと見て、何か言いたげに口を開く。 「きゃああ!!!」 「うわあ!!」 しかし岡野が言葉を紡ぐ前に、おそらく同じフロアの部屋。 うちが二年一組で廊下の端だから、四組か五組あたりだろうか。 それくらいの距離から、叫び声が聞こえてきた。 「つーかまえた。まずは三人」 遠くにいるはずなのにはっきりと聞こえるあどけない声。 教室内が静まりかえる。 「おーにさんこちら、てーのなるほうへ」 子供の声は、特に感情がこめることなく歌っている。 それがまた気味の悪さを引き立てている。 つっと、背筋に汗が伝う。 残暑とは言え秋に差しかかる今の季節、もう夜は寒い。 これは、脂汗か。 「………なに、これ」 「なんだよ。ちょっと見に行ってくる。ったく、誰だよ」 「あ、俺も行く。ふざけんなよ。そういや六組とかお化け屋敷だっけ」 怒りながら、クラスの中に残っていた男が3人ほど連れだって出て行く。 どこかのクラスの悪ふざけだと思っているようだ。 「あ!」 止める間もなく、そいつらは出て行ってしまう。 嫌な予感がする。 気がつくと、体が震えている。 声は、また数を数え始める。 「じゅーう、きゅーう、はーち、なーな、ろーく、ごー」 変な緊張で皆黙り込み、その声だけが教室に響く。 どこからかガタンガタンと音がする。 それから、出て行ったクラスメイト達の声が響く。 「………なんだよ!お前!」 「うわあ!」 会った、のだろうか。 焦っているのか、声が裏返っている。 「よーん、さーん、にー、いーち、ぜろ」 気にせず先を続ける何かの声。 また、ガタガタと音がする。 バタバタバタバタバタ。 廊下をかける音。 「わああああ!!」 恐怖に満ちた叫び声。 「つーかまえた。三人」 また、冷静な、澄んだかわいらしい声が響く。 クラスメイトの声は、しない。 教室内は静まりかえっている。 一瞬後。 「や、やだ。何これ、やだ!」 「あ、待って!!」 残っていた衣装班の女子の一人が、教室から逃げ出す。 後を追って、残りの三人も逃げ出す。 残ったのは、俺と、藤吉と岡野。 そして岡野に寄り添っていた槇の四人。 「何、これ………」 岡野が気の強そうな顔を青ざめさせて、誰ともなく聞く。 藤吉も槇も、顔を強張らせている。 俺も、頭の中が真っ白になっていたが、岡野の声で我に返る。 「………なんか、まずい。逃げた方が、いい」 「宮守?」 岡野が俺を不安げに見上げる。 気の強そうな少女のそんな顔は、ちょっとドキっとした。 庇護欲を奮い立たせられる。 よし、気合い入った。 「岡野、槇、藤吉、俺から、離れないで」 とにかく、逃げる。 出来ることをする。 こいつらを連れて逃げる。 他の奴らも心配だけど、とにかくこいつらを連れて逃げてから、考える。 それ以外は、考えない。 自分が出来る以上のことを、望むな。 俺は、弱いんだから。 「………ねえ、また、なんか変、なの?」 「分からない。この学校、そんな気配なかったのに……」 いくら俺でも、ここが捨邪地だったりとか、何か障りがあったりしたら気付く。 これまで普通に暮らしていた。 そりゃ人の集まる場所だから淀んだ気や、霊がいることなんてしょっちゅうだったけど。 でも、こんな変な化け物の気配は、初めて感じる。 なんだ、これ。 「じゅーう、きゅーう、はーち」 考える暇もなく、またカウントを開始する何かの声。 ………さっきより、近づいている。 とにかくこっからでなきゃ。 「とにかく、学校から出よう」 「う、うん」 俺の言葉に、岡野は素直に頷いた。 岡野の隣で震えていた槇の白いふっくらとした顔を覗き込む。 「大丈夫?」 「うん、大丈夫」 健気にも槇はにっこりと笑って震える声で頷いた。 本当にこの子は、いい子だな。 「藤吉は?」 「なんかもう、訳分かんないけど、とりあえず怖いから逃げよう」 眼鏡を直しながら、藤吉はこっくりと頷いた。 その言葉に、少しだけ笑ってしまった。 緊張が程良くほぐれる。 「じゃあ、行こう」 そして俺達は教室の、声がする方とは別の入口から逃げ出した。 |