それは気疲れのする夕食の時間。 会話のない胃が重くなるような食事の中で、石塚家の当主が切りだした。 「今夜も外に出られるのですか」 捨邪地の周りを探ってから、夕方はずっと文献を漁っていた。 けれど、特に収穫はなく、結局また夜に周辺を見回ることになった。 天が煮物を十分に咀嚼して飲みこんでから、ゆっくりと返事をする。 「ええ、まだ怪異が収まっているか分かりませんから」 「慎重なことで結構ですな。明日が一応期限となります。それまでにはなんとか成果を出していただけるとありがたい」 また勝手なことを言ってるな、このおじさん。 まあ、契約としては明日までだから、言ってることはもっともだけど。 苛々するが、この嫌みに耐えるのも仕事だとして我慢する。 こういうのの対応は、天に任せよう。 俺が口出しても、どうにもならない。 「ええ、最初のお約束は四日間でしたね。本来なら調査にもう少しお時間をいただきたかったのですが、石塚家のご希望で、宗家のものを短期間。こちらから提示させていただいた条件とは随分異なりますが」 て、あれ。 我慢するんじゃなかったのか。 ちらりと横目で見ると、四天はうっすらと笑いすら浮かべて石塚家の当主を見ていた。 当主はふんと、馬鹿にしたように鼻で笑う。 「おやおや、宮守宗家ともあろうかた方がそんな泣きごとを。最初に力は十分だと大言を吐かれたのをお忘れですか?」 「ええ、宮守の人間としての働きには十分ご期待ください。けれど、邪に向き合うには忍耐と時間が必要だと、当主様もご存じでしょう?人の常識の通じないものに、結果を焦るは愚の骨頂。どんなに力のある人間でも、闇の深さはそう簡単には分からない」 そこで、四天は眉を持ち上げて、くっと喉で低く笑った。 「ああ、でも、分家の方に理解は難しかったでしょうか?」 その瞬間、当主の顔色が一瞬にして劇的に変わった。 ゆでダコのように真っ赤になって、立ち上がりテーブルを強く叩く。 まだ乗ったままだった食器ががしゃんと音を立てて揺れる。 「失礼な!宮守家の人間だと思って大目に見ていれば、子供が偉そうに!」 「これは失礼を。ですが、当主様は事の重大さを少しご理解いただけてないようですので」 「まったく、宮守家は、子供に何を教えているんだ!不愉快だ!明日に結果を出せなければさっさと帰ってもらおう!」 怒気のこもった声に、心臓がきゅっと絞られたように竦む。 人の怒りは、無条件に、怖い けれど四天はご当主の怒りなんて、どこ吹く風で穏やかに笑ってすらいる。 「ご当主様のご随意に。我々は契約通り明日まで勤めを果たします。けれど、私からは今少し期日を伸ばされることをお勧めいたしますが」 「知るものか!そうやって金をせしめようとするつもりだろう!」 「ですから、宗家のものではなく一統のものにすればよろしかったのに。これで怪異が続いても、申し訳ございませんが我々はどうすることもできません。それは、ご承知置きください」 見栄を張った上にケチるから、こんなことになるのだと、そう言いたいのだろう。 ご当主はもう倒れそうなくらいに、こめかみに血管を浮き立たせている。 水をかけたら、しゅーって蒸発しそうだ。 「ハナから解決などせずに、更に災いをふりまき金を取るつもりなのだろう!まったく汚い商売だ!天下の宮守家がこんなことをしているとはな!失礼する!宮守家には正式に抗議させていただく!」 「ご理解いただけず、残念です。では明日まで全力を尽くさせていただきます」 天を視線で射殺そうというほどに睨みつけてから、当主は乱暴に椅子を蹴りあげた。 その音に、情けなくビクッと肩を竦めてしまう。 そのまま当主は居間を出て行ってしまった。 後に残されたのはビビった俺と、涼しい顔でお茶を啜っている天と熊沢さん。 そして、気まずい顔をした祐樹さん。 「………その」 「あ、えっと」 「………当家の当主が、失礼なことを」 祐樹さんが申し訳なさそうに顔を歪めて、深々と頭を下げる。 なんて言ったらいいか分からなくて、天と祐樹さんをきょろきょろと眺めてしまう。 天は穏やかに笑ったまま、続ける。 「お気になさらず。我々の立場としてのご意見は申し上げさせていただきました。ご納得いただけなかったのは残念ですが、契約通り動かせていただきます。明日までは全力で調査をいたしますので、ご協力お願いいたします」 「………ありがとうございます」 天のビジネスライクな冷たい言葉に、祐樹さんは苦しそうに再度頭を下げる。 なんか、もっと、言い方ないのかな。 祐樹さんは何も悪くないのに。 ていうかそもそも、こういう時は我慢するものじゃなかったのか。 「さて、ご馳走様でした。では、精一杯調査を続けましょうか」 揶揄するように言って、天と熊沢さんが立ち上がる。 俺も慌てて、箸を置いて立ち上がった。 「熊沢さん、ちょっといいですか?」 「はい」 天が手招きで熊沢さんを呼ぶので、俺も自然とその後に続こうとする。 しかしそれは、冷たく制された。 「兄さん、後でもう一度外に出るからそれまで休んでて」 「………分かった」 なんで俺だけ、って言いたかったが、俺は休むのも仕事だ。 天は俺を追い払いたいだけかもしれないが、ていうか絶対そうだが、体調管理も、仕事だろう。 実際、今も少しくらくらとする。 なので、仕方なく素直に頷いた。 「それじゃあ、ちゃんと休んでね」 「うん」 そのまま天と熊沢さんは屋敷の玄関に向かって言ってしまう。 廊下に残されたのは、俺と祐樹さん。 祐樹さんはいまだに暗い顔をしたまま、黙り込んでしまっている。 う、空気が重い。 「………あ、その、気にしないでください」 「いいえ、私どもが悪いのですから」 「いえ………」 疲れたように、それでも優しげに笑ってくれる。 声をかけたものの、何を言っていいか分からなくなってしまう。 ああ、俺って本当に馬鹿。 「連日の睡眠不足で辛くないですか?」 そんな俺を察したのか、祐樹さんが話を変えてくれる。 ありがたくそれに乗ることにした。 「少し、辛いです。俺体力ないし」 「三薙さんは影響を受けやすい人ですしね」 「………はい」 本当に嫌なところばっかり感覚が鋭敏で、なんの役に立たない。。 何一つ自分の思い通りにならない、忌々しいばかりの体。 「今も少し顔色が悪いです」 「そう、ですか?」 でも、やっぱり頭がくらくらする。 食欲も沸かなくて、夕食もかなり残してしまった。 食べなきゃ、もたないのにな。 「こちらに来てから、いつも体調が悪いのではないですか?」 「そうですね、ずっと捨邪地に入り浸りだから、邪気酔いがひどくて………」 「四天さんの言うとおり、少し休んだ方がいいでしょう」 「………そうですね」 四天の言うことは、いつだって正しい。 分かっている。 分かっているんだ。 「あの、雫さんは」 「………また、外に出てるみたいで」 「………そうですか」 解決したって、雫さんも思ってないのかな。 祥子さんと、何があったんだろう。 今度会ったら、嫌がるかもしれないけど、深く、聞いてみよう。 「雫に何か?」 「あ、いえ、ちょっと気になっただけです」 「何かありましたら言ってくださいね」 「いえ、全然、何もないですよ」 「家には帰っているようですので、朝でしたら会えるかもしれません」 そうだな、確かに朝は毎日見ていた。 なら、明日の朝は部屋の前で張ってみよう。 明日で終わりだ。 でも、俺だってやれることはあるかもしれない。 「体を、壊さないといいのですが」 祐樹さんは心配げに顔を曇らせて独り言のようにつぶやいた。 その言葉に、自然頬が緩んで、温かい気持ちが沸いてくる。 「祐樹さんは、本当に雫さんが大切なんですね」 「そうストレートに言われるとさすがに恥ずかしいですね」 「あはは」 こめかみを掻きながら、照れたように笑う祐樹さん。 そうすると、なんだか若い印象になる。 大人っぽいけど、俺と二つしか変わらないんだよな。 「雫さん、心配ですね」 「あの子には家のことなど気にせず、怪異と関わりなく、伸びやかに生きて欲しいです。俺に、もう少し力があれば………」 「はは」 笑ったら失礼だと思ったが、思わず笑ってしまった。 祐樹さんが不思議そうに目を丸くする。 「雫さんも、同じこと言ってました。力が欲しいって」 「雫が」 驚いたように何度も瞬きをする。 力が欲しいと、悔しそうに言った雫さん。 その気持ちだけは、よく分かる。 「きっと雫さんも、祐樹さんを守りたいんですね」 「………」 祐樹さんは黙り込んでしまう。 しばらくしてから、俯いてから、かろうじて聞こえるぐらいの声でつぶやいた。 「何が一番、雫のためなのでしょうね」 聞かれてる訳じゃないだろうから、答えることはしなかった。 俺には何も答えられないし。 この家にも、色々事情があるんだろうな。 あのおっさんが当主だったら、余計に問題多そうだし。 どうか、二人にはうまく仲直りしてほしいな。 「あ、失礼しました。またこんな話をしてしまった。俺はどうも三薙さんの前だと話しすぎてしまう」 「光栄です。俺も話しすぎちゃうから」 「ふふ」 祐樹さんはすっかりいつもの穏やかな優しい笑顔に戻ってしまう。 ああ、やっぱりこの人の笑顔は落ち着くな。 「それでは、お休みください」 「はい、ありがとうございます」 促され、部屋に戻るために歩きだす。 動くと電波障害みたいな感じで、景色が一瞬揺れた。 ああ、動くと分かる、やっぱり体調が悪い。 早く横になって、少しでも体力を回復させなきゃ。 今日の夜が、もたない。 そういえば、本当にこの家に来てからずっと邪気酔いしている気がする。 この家には結界が張ってあるから邪気は防がれているはずなのに、ずっと捨邪地に入り浸りだから、抜けきってないのかな。 部屋に早く戻らなきゃ。 あそこは、宮守の家と、同じ空気だから。 |