「………う」

人が入ってきた気配で、浅い眠りについていた意識がゆり起こされる。
ゆっくりと布団の上に体を起こすが、軽い頭痛と吐き気に襲われて、もう一度うつぶせに倒れ込む。

「大丈夫?」
「………ちょっと、気持ち悪い」

明りをつけた天が近づいてきて、無造作に俺をひっくり返す。
乱暴に揺らされると、さっきの夕食が出てきてしまいそうだ。
なんか、ひどくなっている気がする。
寝ていたら、楽になるはずなのに。
天が、俺の顎を持ち上げて、観察するように冷たい目で見下ろしてくる。

「まだ、邪気が溜まってる。大丈夫そうだけど、ついでに供給もしておこう」
「………うん、頼む」
「弱ってると、素直だね」

馬鹿にしたように小さく笑って、そのまま綺麗な顔が近づいてきた。
反感を覚えている体力もなかった。
簡易な呪を唱える声がして、柔らかい感触が口を覆う。

「………んっ」

今日はまだ力が十分にあり、そこまで飢えてないせいか、緩やかな力の流入を穏やかに受け入れる。
背中に手が回って、少し体を起こされる。
同時にそこからも天の白い力が入ってきて、俺の中に溜まったものを掃除していく。
綺麗な水が、泥を洗い流していくような感触に、気持ち良くて目が眩む。
倒れこまないように、天の首に腕を回す。
より近づくと、体中にシャワーのように天の力を浴びて、指先まで快感が走る。

「………は、ぁ」

中を綺麗にされて、満たされて、体を離す。
とろとろとまた眠くなるが、今回はそれほど急激な供給じゃなかったからなんとか意識を保てる。
上から天が、顔を覗き込んでいる。

「どう?」
「………うん、楽になった。寝不足が辛いけど」
「それは俺も辛い」

小さく天が笑う。
辛いと言いつつ、涼しい表情には疲れた様子はない。
こいつの体力は化け物か。
まだ、中学生なのに。
反面、俺は情けなくグロッキー。

「こっちきてからずっと邪気酔いしてて、辛い。捨邪地、入り浸ってるせいかな」
「ああ、原因特定したかったから。兄さんには無理させた。ごめんね」
「え?」
「協力してもらうって、最初に言ってたでしょ?助かったよ、ありがとう」
「え?え?」
「まあ、それだけでも今回は役に立ったよ」

何のことか分からなくて、眠気で重い体をなんとか持ち上げて布団の上に座りこむ。
ああ、でも、随分体が楽だ。
それにしても、協力した?
俺は全然何もしていない。
昨日の夜も失敗して、天の手を煩わせたばかりだ。

「天?」

どういうことなのか聞こうとすると、天は俺の目の下をそっと触れた。

「クマ、出来てるね」
「………そうか?」
「ひどい」

確かにトイレで見た自分の顔は、クマがくっきりで若干頬がこけて、貧相な顔が余計に貧相になっていた。
この距離で見て分かったけれど、天にもクマが出来ている。
そういえば、こいつは、俺よりも寝ていないんだ。

「………お前も、クマがある」
「寝てないからね」

軽く肩をすくめて、仕方ないと言う。
でもやっぱり、疲れは見えない。
こいつが疲れたところなんて、見たことがない。
いつだって冷静に飄々として、なんだってこなしてしまう。
焦ったところも、感情を揺らすことも、ない。

「………お前って、ロボットみたい」
「何が?」
「全然、辛そうに見えない」
「そう」

俺の、弟とは思えない。
一兄と双兄ですら、もっと人間味がある。
天は片眉を持ち上げて、くっと、喉の奥で笑った。

「慣れてるから。兄さんと違ってね」
「………」

分かっているさ。
お前が俺の何倍も何十倍も有能で、小さい頃から仕事をこなし続けて、父さんからも一兄からも一統からも他家からも信頼と賞賛を受けているのなんて、知っている。
分かっている。

四天は、俺とは違う。



***




「やっぱり、何もなしか」
「やっぱり?」
「まあ、何もないとは思ったけどね」

熊沢さんと天と、今日も夜の見張り。
夜の捨邪地は昼よりもさらに闇が濃かったが、異変はなかった。
今度は不死石に罅が増えていることもなかった。
周りを夜中までうろついてみるが、今日はやはり何も起こらない。

「………終わった、のかな」
「まあ、これ以上は俺たちは必要ないみたいだから、父さんに今日中にさっさと帰ろっか」
「………いいのか?」
「石塚が判断したなら、いいんでしょ。俺たちにはこれ以上は関係ない。最後に、今後何があっても俺たちの手落ちじゃないってことは念押ししていくけどね。これ以上巻き込まれないうちにさっさと帰ろう」

天は軽く肩を竦める。
随分と投げやりな言い方だ。
やっぱり、あのおっさんとのやりとりにかなり怒ってたのかな。
いつも冷静な天らしくない態度だったけど。
熊沢さんが伸びをして、嬉しそうに笑う。

「それじゃあ、車を回してきますか」
「お願いします」
「はいはい。こう連日徹夜じゃお肌も荒れちゃいますしね。早く終わるならそれに越したことはないです」

こっちはこっちで随分いい加減な言い方だ。
悪い意味じゃないけど、どうにも軽い印象の人。
まあ、仕事で失敗したって話も聞かないから、それだけじゃないんだろうけど。

「………大丈夫、かな」

こんなことで、いいのだろうか。
確かに怪異は祓った。
けれど、やっぱりしっくりといかない。

「多分大丈夫じゃないと思うよ」
「なら!」

天は表情を変えずに、あっさりと応える。
詰め寄る俺を、鬱陶しそうに軽く手をふって制した。

「でも、仕事が打ち切られたら仕方ないし。勝手にやるのはナワバリ荒らし。それに、ボランティアやる気はないし。言ってるでしょ、俺たちは正義のヒーローでもなんでもない」
「………」
「邪を思うどおりに支配できると思ってるなら、とんだ思い上がりだけどね」
「え」

そこで、熊沢さんが車の用意が出来たと呼びに来た。
四天が真剣を持ち直して、くるりと踵を返す。

「さ、帰って寝よう」

納得いかない。
しっくりいかない。
まだ、何か出来るんじゃないかと、思う。
怪異がまた起こって、また被害者が出たらと思うと、何かしたいと思う。

「………うん」

けれど、俺には何もできない。
天の判断が、多分一番正しい。
天は間違えることは、ないのだから。
俺に出来るのは、天に従うことだけ。

「………あ、でも、最後に、雫さんの話だけ聞きたいんだけど、いいかな?」
「あの随分と元気なお姉さん?」
「………そう」
「会えるの?」
「朝なら会えるかもしれないってことだだから、聞いてみようかなって。雫さんの言ったこと、気になるから」

せめて、雫さんが苦しんでいるものを、なんとかできないだろうか。
雫さんが何を背負っているのか分からないけど、俺にあんな風に漏らすってことは、誰かに言いたいんじゃないかな。
一人で、背負っていられないんじゃないかと思う。
今回のことに関係があるかどうか、分からない。
聞いたからって何か出来る訳じゃない。
聞くだけしかできないかもしれないけど。
でも、せめて雫さんがこれ以上無茶をしないように、したい。
何も出来なかった俺の、自己満足かもしれないけれど。
天はちょっと考えてから、小さく頷いた。

「うん、別にいいよ。あんまり意味はないとは思うけど」
「でも、なんか分かるかもしれないだろ」
「兄さんの気が済むなら、それでいいよ。ああ、でも絶対にそれ以上の勝手な行動はしないでね」
「分かった」

ぞんざいな言い方にやはり腹が立つが、なんとか堪えた。
意味がない、なんて分かってるんだ。
お前が分からなかったことが、俺に分かるはずがない。

ただ、無駄でも、少しでも何かをしたって思いたい。
足掻きたいんだ。



***




「うわ!」
「雫さん、おはよ」

雫さんの部屋のちょっと先の廊下で座っていると、朝の6時頃に部屋から人が出てきた。
スウェットのパンツとTシャツの、ラフな格好の雫さん。
あ、なんか寝ぐせ、ついてるかも。
すごい無防備な姿に、もしかして俺がしたことはものすごく失礼なことだったんじゃないかと今更思い至る。
でも、今度は逃がしたくないから、つい、こんなところで待ってしまった。
ああ、でもなんか、目のやり場に困る。

「何してんのよ!」

雫さんも気のせいか少しだけ顔を赤くして、小さな声で怒鳴る。
思いもよらない気まずさに目を逸らしつつ、正直に答える。

「えっと、その、雫さんと、お話したくて」
「………待ち伏せ、してたの?」
「………うん」
「………キモイ」
「う………」

うん、なんか自分でもそんな気はしてた。
自分の行動が、ちょっと痛いんじゃないかって思った。
今更だけど思った。
もっと早く気付けばよかった。
俺ってなんでこう、女心とか、分からないんだろう。
だからモテないのかな。
でも、今はそんなことを言っていられない。

「あ、あのさ、えっと、あのさ、ちょっとだけお話、しても、いい?」

目を逸らしつつ言うと、すぐには答えが返ってこなかった。
窓の外からは、鳥の鳴き声が聞こえる。
ああ、雀が元気だなあ、とか思った時に、小さく答えが返ってきた。

「………いいよ。ちょっと着替えてくるから待ってて」
「うん、ありがとう。ごめん」

一旦部屋に戻ってから10分ぐらいで、雫さんは出てきた。
ジーンズとシャツっていう、やっぱりラフな格好。
でも、スタイルのいい雫さんにはとても似合っていると思う。
ていうか10分って、化粧とかしてないのかな。
髪はすっかり綺麗になってるけど。
女性って、身支度に時間かかるって聞いてたけど、雫さんそんなことないんだな。

「外いこ」
「あ、うん」

馬鹿なことを考えていると、雫さんがさっさと歩きだしてしまう。
俺は慌ててその後を追う。
家のお手伝いさんか誰かはもう働き始めているみたいで、どこかで人の気配がした。
見つからないように、そっと玄関から出る。
残暑がまだ残るけれど、朝はやっぱり少し肌寒い。
上着、来てくればよかった。

「それで、何?」

日曜の早朝には、家の周りには人気はない。
別にあてがあった訳じゃないようで、歩き始めてしばらくして、雫さんが口を開く。

「あ、昨日、言ってた………」
「………祥子の、こと?」
「………うん」

沈黙。
前を歩く雫さんはどんな表情をしているのか分からない。
きっと、あの辛そうな、唇を噛みしめるような顔をしているんじゃないかと、思った。

「フシイシに、祥子を連れて行ったの、私なの」

雫さんは立ち止まらないまま、きっぱりとした声で言った。





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