シュっと、風を切って、太い鎖が四天に向かう。
それは物理的な質量など持たないはずなのに、重い音と質感を持つ。

「天!」

慌てて立ち上がろうとするが、キィ、ンと音を立てて四天はなんなく両手で持った剣で鎖を切り払う。
その隙にも、もう一つ、更にもう一つと、鎖が襲う。

「四天!!」
「下がって。兄さんは結界の強化をして隅で隠れてて。ていうか逃げて」
「でもっ」
「足手まとい」

短く言って、四天は向かってくる鎖を避け、切り払う。
それでも何本も何本も鎖は四天を襲う。

「早く!」

珍しく荒げた声で、促される。
ああ、そうか、俺が後ろにいるから四天は動けないのか。
駄目だ、動かなきゃ。
震える足を叩いて立ち上がり、四天から距離を取る。
出来る限りの力を叩きこみ、結界を強化する。

飛び出して、術を使って加勢は出来るだろうか。
考えて、すぐにそれを却下した。
俺の腕では、本当に足手まといにしかならないだろう。
こんな攻撃的な相手と、対峙したことはない。

ああ、こんな時にも、俺は何も出来ない。
ただ、守られかばわれる、存在だ。
今、俺に出来るのは息を顰めて、この争いが終わるのを待つだけ。

「祐樹さん!祐樹さん、やめてください!」
「………三薙さん」

鎖を体に巻き付かせた祐樹さんは、まるで縛られているかのように見える。
それを操り四天を襲いながらも、距離をとった俺をちらりと見る。

「祓いを、行えば、きっとまだっ!」

身の内を巣食う闇を祓えば、まだ間に合うのではないだろうか。
きっと、全てが元通りだ。
元の祐樹さんに戻って、それで、雫さんとも、これまで通り仲のいい兄妹として、一緒に家を守っていく。
それが、可能なのでは、ないのか。

「無理だよ」
「無理ですね」

けれどあっさり四天と祐樹さん双方に否定される。

「………そ、んな」

なんで、まだ間に合うかもしれないのに。
どうして。
祐樹さんはすでに顔にまで巻き付いた鎖の向こうで、困ったように笑う。

「すいません、もうどこからどこまでが自分の意志かもよく分からないんです。三つ目の石を解放した辺りから、痛みも苦しみも、なくなってきました。自分が何をしているのか、分からない時も多い。多分もう、切り離すのは無理かと思います」
「というか、その状態でよくまだ正気を保ってますね。巫女としての才能は本物だったのに、もったいない」
「ありがとうございます。でも今の私は正気なんですかね?」
「まあ、こんなことしでかしてる時点で、正気ではないんじゃないですか」
「違いない」

こんな時なのにほがらかに会話する二人。
けれどその内容は絶望に満ちている。
四天は力を纏わせた剣を操り鎖を払いながら、祐樹さんに近づこうと走って回りこもうとする。
けれど祐樹さんはそれを許さず、鎖を巧みに使って追い払いながら攻撃する。

「そんな」
「………ありがとうございます、三薙さん。でも、そういう甘さはいけないと言ったでしょう?」
「え」

祐樹さんが軽く手を振う。
それと同時に太い鎖が、俺に向かって伸びてきた。

「結界の強化!」
「あ」

四天の声に、咄嗟に力を結界に注ぎ込む。
母さんの力を借りた結界は、いつもよりも強度は高く、鎖をなんとか跳ね返す。
びりっと痺れるような感触がして、力が抜け落ちて行く感じがする。
更に鎖は、一重二重と、結界を突き破ろうとして攻撃を加えてくる。

「祐樹さん!やめてください、祐樹さん!」

立ち上がり、鎖の攻撃から逃げる。
結界で防ぐにも、いつかは限界がきそうだ。
現に今、少しづつ力を奪われている。
動く自分の周りに維持し続けるのと、濃い闇を防ぎ続けるためにただでさえ消費が激しい。
札はまだあるが、ここでこうしていても、仕方ない。

「やめられない、と言ったでしょう?だから、そういう弱みを見せてはいけませんよ」
「祐樹さん!」

一際大きな鎖が、結界を襲う。
衝撃を受けて、その場に倒れ込んだ。

「まったくもう!」

祐樹さんの後ろに回り込もうとしていた四天が、舌うちしてこちらに向かおうとする。
ああ、駄目だ、これ以上、四天の迷惑になる訳にはいかない。

「ほら、力のないあなたは四天さんの足手まといになっている。力がないというのは、罪ですね」
「………っ、祐樹さん」

今、俺に何が出来る。
四天の足手まといにだけは、ならないようにしないと。
俺に余計な力を割かせる訳には、いかない。
この鎖だって、きっと無尽蔵な力ではない。
天と、やり合えば、絶対に天が打ち勝つ。
天なら、なんとかしてくれる。

じゃあ、どうすればいい。
逃げる。
それが一番だ。
それには、この鎖をどうにかしないと。
術で、消滅させるか。
駄目だ、俺の腕では、出来ないだろう。
俺に出来ることは。

「兄さん!」

ポケットからもう一枚札を取り出す。
結界は、外から来るものは防ぐが、中から出て行くものを止めることはない。
自分に纏わりつかせていた結界をその場に固定させて、腕を出す。
四天が苛立ちの満ちた声を上げる。

「大丈夫!」

祐樹さんも驚いたように鎖の向こうで、目を見開いている。
鎖の動きが少しだけ、緩む。
その隙に、それを掴んだ。
そんな訳ないのだが、手がじゅっと音を立てて焼ける感触がした。

「ぐ」

四天がこちらに来ようとしているが、鎖に阻まれ出来ないでいる。
大丈夫、四天は、祐樹さんを止めることに優先してくれ。

「宮守の血において命ずる。黒き鎖、我が力となれ!」

暴れる鎖を掴んで、ねじ伏せる。
これは鎖に見えるが、ただの闇、そして力。
黒い黒い力を、自分の中に飲み込む。
振り払うことは、俺には出来ない。
だったら、取り込むしかない。
それに、こうしたら、少しでも祐樹さんの力を削ぐことができないだろうか。

「ぐうぅ、くっ」

食い荒らそうと、力が体の中で暴れまわれる。
苦しい、痛い。
でも、今は力はフルチャージされている。
大丈夫、ねじ伏せられる。
呪を唱えて、持っていた札で、自分の中に結界を作るイメージをする。
力を中に隔離するように、閉じ込め、少し収まったところで、無理矢理力を自分のものにする。
徐々に抵抗は弱まり、無事に、黒い力が青く染まる。

「は、あ、はあはあ、はっ」

身の内の攻撃が、止む。
大丈夫だ、飲み込めた。
でも、変換した力よりも、抑え込むのに使った力の方が、大きい。
これは何度も出来ない。
札の効力だっていつまで持つか分からない。
今のうちに、逃げない、と。
また、四天の足手まといになる。

「馬鹿なことを」
「ご、め、四天。大丈夫。もう、やめて、祐樹さん」

結界をまた自分の周りに戻して、なんとか立ち上がる。
さあ、逃げなきゃ。

でも、雫さんは大丈夫だろうか。
雫さんだけは、きっと祐樹さんは攻撃しない。
絶対にしない。
今だって足元にいるのに、鎖は雫さんだけは避けて這う。
けれど、祐樹さんは、いつまでそれを続けられるだろう。
闇に飲まれて完全に意識がなくなれば、そんな気遣いすら、出来ないだろう。
大丈夫だろうか。
でも今ここにいても、俺は何もできない。

「………すごいですね、力を飲んだんですか?」

力はまだある。
無理矢理変換して自分のものにした力も、ちゃんと使えそうだ。
でも、消耗した力の方が激しいのは確かだ。
駄目だ、やっぱり逃げよう。
足をそっと、後ろに下げる。

「どれくらいまで、飲めるんでしょうね」
「祐樹さん!」

鎖が五本、まとめて俺に向かってくる。
結界で、耐えきれるだろうか。
それとも、多少無茶でも飲み込んだ方がいいだろうか。
逃げ切れは、しないだろう。

「兄さん、結界強化して逃げる!」
「………っ分かった!」

四天はまた祐樹さんの後ろに回り込もうと鎖をはじきながら、走り始める。
俺は結界に力を込めて、弱まった分、厚くする。
鎖の攻撃をなんとか防ぎつつ、じりじりと後退する。

「あ」

鎖がその隙にも結界を突き破ろうと、何度も攻撃を仕掛ける。
大丈夫、まだ平気。
もう少し離れたら、後ろを向いて走って、逃げる。
それで、家に連絡をして、助けを呼ぶのも、いい。
ああ、でもそんな簡単には来れないだろう。
そう思っていると、五つの鎖がまとまり一際大きなものとなって、結界を突き破ろうとする。
大きく結界を揺らされて、また倒れ込みそうになる。
力以上に、体力が奪われているのか、足がもつれやすい。

「う、わ!」

けれど、顔から突っ込むかとおもった体は、何かに受け止められた。

「よかった、間に合った」

堅い腕が、俺の体を支えている。
慌てて顔を上げると、そこにはいつものようにどこか何か企んでそうな顔で笑う。

「熊沢さん!」
「なんか俺、真打登場って感じでおいしくないですか?」
「あ、は」

見知った顔に思わずほっとして、そんな軽口に笑ってしまう。
結界をなんとか熊沢さんの分まで広げて、鎖の攻撃から守る。
熊沢さんはありがとうございますと言って、俺を立たせてくれた。

「馬鹿なこと言ってないで、どうだったんですか?」

四天は変わらず走りながら、鎖をさばいている。
さすがに息が上がっているが、まだまだその動きには余裕がある。
大丈夫、四天なら、平気。

「あのお嬢さんの最後の通話記録と足取りの裏も取れて、報告しようとしてたところだったんですけどね。先にこんなことになっちゃって」
「遅いからですよ。それで?」

すげない四天の言葉に、熊沢さんは肩をすくめる。
そして、祐樹さんとちらりと見てから、四天にそれを告げた。

「はい、石塚家のご当主から、闇に堕ち、管理地に災いをなし混乱を起こした原因を祓い、場を鎮めるよう、改めて正式に依頼を受け賜わりました。関わっている者の、命の有無は問わず、だそうです。先宮にもご許可をいただきました」
「そうですか、ありがとうございます。では心置きなく」
「今までは心置きあったんですか」
「ありましたよ。仮にも管理者の家の人間を無許可で殺したら後が面倒だ」

その言葉に、冷水をかけられたように、体が冷たくなった。
四天も熊沢さんも、特に気負うでもなく、普通にそれを受け止めている。

「ころ、す」
「殺すよ」
「そんな、なんで」

その剣で、祐樹さんを、殺す、のか。
それで、人を、殺めるのか。

「そりゃそうでしょ。何を今更。剣で刺したら闇も祓えるけど、普通に人は死ぬね」
「そんな、駄目だ、四天、駄目だ!」
「じゃあ、どうするの?」

そうだ。
そんなの考えなくても分かることだ。
闇に同化してしまった祐樹さんを止めるには、それしか、ないのだろう。
本人も、もう無理だと言っている。

「このままでいたら意識なんて飲まれて死ぬのと一緒なんだから、早いか遅いかの差だよ。むしろこれ以上変なことさせられないよう、その前に殺してあげるのが優しさでしょ」
「………四天」

四天の言っていることは、正しいのだろう。
管理者の家の仕事は、時には人の命に関わる。
そんなのは、知っている。
人の死に、関わったことだってある。

けれど、簡単に人を殺すという弟が酷く、冷たく、恐ろしいものに映る。
四天は正しい。
分かっている。
分かっているのだけれど。

「熊沢さん、兄さんを頼みます」
「はい」

そんな俺を冷たい目で一瞥して、四天は小さく笑う。
我儘を言っている馬鹿な奴を、あざ笑うように。

「て、ことで、許可も頂きましたので、改めていきますよ」
「………父が」

祐樹さんは、ぽつりと、それだけ言った。

「そうですか」

家に、不要だと言われた人間。
けれど、笑う祐樹さんは、どこかほっとしているように見えた。





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