目覚めると、頭がすっきりしていた。
一瞬だけ自分がどこにいるか分からずに体を起して周りを見渡す。

「起きた?」

耳に馴染んだ声が聞こえて、そちらを向くと天が勉強机に向かっていた。
こちらを見ないままペンを滑らせている。

「あ………、ごめん。また寝ちゃったのか」
「別にいいけど」

意識を失うようにして眠った時は、ベッドに腰掛けるようしていたはずだ。
ちゃんと横になってるってことは、天がやってくれたんだろう。
礼を言おうかどうしようか、迷う。
言わなければいけない、とは思う。
でもどうしても素直に口にすることができない。
どこまでも自分がガキで情けなくなる。
天は俺の存在なんて気にもせず、机に向かっていた。

「………お前、受験なんだよな」
「そうだよ」
「大変、だよな」
「まあね。でも兄さんの行ってる高校だし、別にそこまで」
「………」

こういうところが素直になれない原因だ。
どこまでも人を小馬鹿にしたような態度。
どうせお前は頭もいいし、力もあるし何でもできるよ。
でもあの学校は一兄だって双兄だって行った学校だし、別にそんな頭悪くないし、俺だって頭悪くない。
イライラしたまま何か言い返そうかと迷っていると、天がやっぱり振り返らないまま声をかけてきた。

「体、休めておけば?明日から仕事なんだし」
「………明日も、管理者の家だっけ」

父さんに簡単に聞いた話では、管理者の地で怪異が起こってるから沈めてほしい、ということだった。
この前よりは場所も近い。
俺に回ってくるくらいだから、難しい仕事ではないのだろう。

「うん、前みたいに含みはないといいけど。捨邪地はちゃんと管理出来ているみたいだけど、変な化け物が出るらしいから原因特定と問題解決がお仕事」
「化け物、か」
「詳しくは現地に行ってからだって。長引かないといいけど」

とりあえずは四日間とってあるが、長引けば更に学校を休まなければいけないだろう。
俺は別にいいけれど、受験を控えている天は大変だ。
長引かなければいい。

それに、化け物、か。
小さいころから、化け物は沢山見ていた。
鬼や邪と呼ばれる存在。
神と呼ばれる存在。
どれも力に溢れ、戯れに人に害成す存在。
捕まり死にかけたのは一度や二度ではない。
つい最近も、そんな目にあったばかりだ。

「………あんまり、変なのじゃないと、いいな」
「怖いなら見てるだけでいいよ」

天の言葉に、かっとなって即座に言い返す。
どうしてこいつはいつもいつも。

「こ、怖くなんかない!」
「そう?俺は怖いけどね」

そしてあっさりそう返されて、余計に悔しくなる。
俺の器が小さいと言われているようで。

怖いものを怖いと言えてしまう強さが、妬ましい。
怖いと言っても俺と四天の怖いは違う。
四天は化け物たちの恐ろしさを知ってなお、それに立ち向かう術を持ち、向き合える。
怖い、というよりは恐れを持って接することができるのだ。
俺はただ逃げることしか出来ない。
何もできない。
だからこそ、虚勢を張ることしかできない。

「………俺だって、仕事をこなして、強くなりたい」

せめて誰にも迷惑かけたくない。
少しでいいから、強くなりたい。
悔しくて悔しくてぐるぐるしていると、そんな本音を漏らしてしまう。
こんな奴の前で弱音を吐くのなんて、絶対に嫌なのに。
昼間考えていたことが、また不安となって甦る。

「………俺、いつかは、一人で何かできるようになるのかな。一人で暮らしていけるのかな。大学とか、いけるのかな」

ただ、守られかばわれ足手まといになるような存在ではいたくない。
肺が何かに圧迫されるように苦しくなって、胸元を掴む。
このまま掻きむしってしまいたい。
天が椅子を回して、ようやく視線をこちらに向ける。

「力を使うような生活なんてしなければいい。最低限の術だけ覚えて日常生活に専念すれば出来るはずだよ」
「………でも」
「何度も言うけど、兄さんは強くなる必要はない。仕事をする必要なんてないんだ」

それは、そうだ。
最低限に自分に害成すものだけを祓うぐらいの力さえあればいいのだ。
修行をせずに、邪には近付かず、静かに生きればいい。
大抵のものは母さんの作った札なんかでどうにかなるだろう。
力を使わず、供給を最低限に抑えれば一人で暮らしていくことも、少しくらいなら遠出もできるかもしれない。
父さんや一兄に、仕事はしたくないって言えば許してもらえる気はする。
どうせ足手まといなんだ。

「………でも、俺は、家の役に立ちたい」
「まあ、言っても無駄だと思ったけどね」
「お前には、迷惑かけるけど」
「本当にね」

天が肩をすくめてため息をつく。
供給や仕事で、一番迷惑をかけているのはこの弟だ。
忌み嫌い反発しながら、俺は一番こいつに頼っている。
こんな風に言われるのは、当然だ。
これは全て、俺の我儘でしかないのかもしれない。
俺は何もしないことが、一番みんなのためになれるのだろうか。

「………じゃあ、俺、部屋戻る。ありがとう」
「はいはい」

このままいたらまた八つ当たりしてしまいそうだったから、ベッドから降りて逃げ出すようにドアへ向かう。
ドアに手をかけたところで、後ろから声をかけられる。

「あ、ねえ、一つ気になってたんだけどさ」
「うん?」

後ろを振り向くと、天は椅子をこちらに向けていた。
そして真面目な顔で聞いてくる。

「供給されるのってどんな気分?」
「へ?」

なんの前振りもない質問に、俺は馬鹿みたいな声を出してしまう。
天は楽しげに小さく首をかしげる。

「兄さん、すっごい気持ちよさそうでしょ。終わると満足そうに寝てるし。どういう気分なのかな、って」

そんなこと聞かれるとは思わなくて、動揺してしまう。
供給の時のことは、触れられたくない。
理性が吹っ飛んで、後から考えると色々と恥ずかしいこととかとんでもないこととか言っていることがよくある。

「ど、どういうって、別に………普通だよ!」
「普通に気持ちいいの?」
「な、なんか嫌だからそういうこと言うな!あれはやらなくちゃいけないことだから、やってるだけで……」
「ねえ、俺にもちょっとやってみて」
「は!?」
「少しだけ、力ちょうだい」

俺の説明に耳を貸さずに、いつも自分の言いたいことしか言わない天はにっこりと笑ってそんなお願い事をしてきた。
弟の全くかわいくないお願いごとに、俺は声がひっくり返る。

「な、な、な、何言って」
「ね、ちょっとだけでいいから」
「そ、そんなのふざけてやるようなものじゃ……」
「別にふざけてる訳じゃないよ。それに兄さんの力の使い方の鍛錬にもなるでしょ?繊細な力の使い方はうまいんだし、今後何かの機会があるかもしれないし」
「………」

なんかもっともらしいこと言われてるが、絶対こいつただの興味本位だよな。
俺が頷く理由なんてない。
嫌になるほど力に充ち溢れているこいつに、供給が必要なことなんてあるわけないじゃないか。

「できない?」
「で、できなくはない!」

はず。
残念そうに聞かれるから、つい咄嗟に言い返してしまう。
すると四天はにっこりと笑った。

「じゃあ、ほら、やってみて?」
「う………」

はめられた。
でもここでやらないって言うと、本当にできないみたいだ。
できなくはない。
はず。
これくらいならできる。

仕方なく、俺は机の前で座る天の前に立つ。
弟はリラックスした様子で俺を見上げてきた。

「はい、方法は任せるよ」
「………」

はい、とそんな風に投げ出されても困る。
力なんてもらうことはあっても、与えることはない。
どうやったらいいんだ。

天は楽しげに俺を見ている。
くそ。
とりあえず、いつもと逆にすればいいんだ。
力を練って、受け渡せる形にして、伝える。
よし。

「宮守の血の絆に従いて、我が血族のものに我が力を与うべく………」

呪を唱えて、自分の中の力を伝えるための形に練っていく。
青い色を薄めて、透明に近づける。
学校や幽霊屋敷で、邪を飲み込んだ時と一緒だ。
透明に近づけて、使いやすい形にする。

「………ん」

かがむようにして天の唇に自分のそれを重ねる。
体勢が辛かったから肩に手をおいて、天の座る椅子の真ん中に膝をかけた。
舌をそっと潜ませると、迎え入れるように濡れたものが触れた。

「んぅ」

唾液を媒介にして、透明にした力を伝える。
なかなか難しい。
舌をもっと奥まで入れるために、椅子に乗り上げるようにして天に近付く。
飲み込むのは簡単だが、自分から放出するのは難しい。
えっと、体の中にある力を出すんだから、術を使う時と同じ感じで。

「んーっ」

だめだ、これじゃ天を攻撃してしまう。
こいつなら別にダメージにもならないだろうけど。
ここまで来ているのに。
息が苦しい。
一旦休憩。

「ぷはっ!」
「兄さん?これじゃそれこそただのキスだよ」
「う、うるさい!今やるから待ってろ!」

いつのまにか首にしがみつくような体勢になっていたようだ。
天の顔が思ったより近くにあって驚く。
馬鹿にしたようにうすら笑っているのがムカつく。

えーとえーと、攻撃じゃなくて。
純粋な力のまま、天に伝えればいいんだから。
色をつけなくていい。
透明なまま、天の中に送り込む。
そうしたら天の中で白くなる。

イメージする。
透明な水、味もない、色もない、匂いもない、純粋な水。
天の中に、注ぎ込む。
よし。
もう一度、簡略化した呪を唱えて、天に近付く。

「ふ、ん」
「ん」

天が小さく、鼻から息を漏らす。
俺の体を支えるように腰に手がそえられる。
すると、そこから温かいものがかすかに体中に巡った。
天の、力だ。

白い力が、導くように体内を巡り、俺の力と同化する。
さっき飲み込んだ天の力も、まだ中に残っている。
これと合わせるように自分の力を載せ、目の前の体へと伝える。

「………っ」
「ん」

どろりと、自分の力が、天の中に注ぎ込まれるのが分かった。
あ、なんだこうすればいいのか。
そのまま舌を絡ませ、より伝えやすいように唾液に力を載せる。
こくりと、天の喉が動いた。
ざわりと、羽毛に体をくすぐられたように全身に鳥肌が立つ。
少しだけ天の中に注ぎ込まれたのを確認して、体を離した。

「ふ、あ。ど、どうだ!」

さっき供給されたばっかりなのに、虚脱感に倒れそうになる。
腰に添えられたままの手に支えられて、なんとか椅子から転げ落ちるのは免れた。
天は少し首をかしげると、納得いかないように眉をひそめる。

「………うーん、変な感じ。なんか異物感。間違って他人の服着ちゃった、みたいな」
「お前な!やれとか自分からいっておいて変とか言うな!」
「弱いせいかな。もっと強い力なら兄さんみたいにトランスしちゃうのかな?」
「知るか!一兄にでもやってもらえばいいだろ!」

本当にこいつはかわいくない。
せっかく人がなけなしの力を与えてやったと言うのに。
苛立ち紛れに天の背中を拳で叩く。
すると天は全く反省してない様子で苦笑した。

「ごめんごめん。でもなんとなく分かった。ありがとう」
「………」
「力減っちゃったね。足しておこう」
「………」

謝られても全然嬉しくない。
この流れでまた天に頼むのは、ムカつきすぎる。
ていうかなんで力が減ったと思ってるんだ。

「今度は失敗したくないんじゃないの?」
「………分かった」

もっともな意見だから、しぶしぶ、頷いた。
ていうか本当に誰のせいで力がなくなったと思ってるんだ。
天が催促するように顔をあげる。
文句を言っても無駄だから、俺は先ほどと同じように椅子に膝立ちになったまま天に顔を寄せた。

「ん」
「う、ん」

今度は天が、俺を追うようにして舌を差し出してくる。
力が載せられた唾液を呑み込んで、天の白い力を受け取る。
なんだか、いつもよりやりやすい気がした。
自分が力の供給を行ったせいか、なんとかく供給される流れも分かったのだろうか。
ほんの少しの供給だから、すぐに終わった。

「………は」
「大丈夫?」
「うん、平気」

短い時間でもあったから、眠くもならない。
少しだるい感じはするが、我慢できるほどだった。

「供給の方法は分かった?」
「うん、あ、ていうかちょっと待った」
「何?」
「別にこのやり方でなくてもよかったんだよな」
「うん」
「言えよ!」
「まあ、これが一番合理的だし」

天はなんでもないことのように言う。
この非常識変態人間。
どうしてこの状況に疑問を抱かないんだ。
いくら合理的で楽で便利だからといって。

「だからってな、これおかしいだろ!何度も言うけど!」
「今回のは俺に言われても」
「………う」

確かにこの方法を選んだのは、俺だ。
まずい、俺も非常識になってきているのか。
天のせいだ。
何もかもこいつのせいだ。
ていうかこの格好もおかしい。
なんで俺はいまだにこいつにしがみついてるんだ。

「おーい、四天」
「うわああああ!」

と、考えていたところで急にドアが開かれた。
俺は驚き椅子から転げ落ちて、背中を打った。
双兄がそんな俺を見下ろして、不思議そうに首を傾げる。

「何やってるんだ、三薙?」
「の、ノックぐらいしろよ!」
「えー、なんで俺、三薙に怒られてるの?」
「いや、俺も何度も言ってるよね。ノックぐらいしてよ」
「はいはい。それでさ」

四天からの文句も、双兄は聞いちゃいない。
そんな二男に、天は軽くため息をついた。

どうやらばれていないようで、そっと胸をなでおろした。
駄目だ、このまま非常識変態人間になってはいけない。

真っ当な道に戻るべく、俺は決意を新たにした。





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