「あのさ、一兄、今日、子供と話していたらさ」

一兄の運転する車で帰宅途中、俺は今日会ったことを報告する。
大人に話さないと言う約束を破るのは、罪悪感が疼くが仕事なので仕方ない。
悪いようにはしないし、他の人には話さないのでどうか許してくれ、と都合のいい言い訳を自分にする。

「ギイギイ、か。その子達はギイギイという存在が何かは知らないんだな」

一兄はステアリングを綺麗に操作して、前を見たまま頷く。
あの子たちはギイギイは見たことないし、どんな外見をしているかも知らないと言っていた。
ただ、その存在だけを知っている。

「うん、知らないって。あの後も何人かにギイギイのことは出さずに聞いてみたんだけど、なんかね、変な態度取るのは年長の子が多くて、年中、年少は全然変なところがないんだよな。少しはいるんだけどさ。変な態度とる子達は、ギイギイのこと、知ってるんじゃないかな。予想だけど」
「年長の子達の中で広がっている噂、か」

恐らくは年長の子達の間で広まり、恐れられている噂。
ということは、発生したのも、年長の子達の間、なのだろうか。
しかし先生方が誰も知らないってことは、子供達は本当に誰にも言ってないのか。
怖いことがあったら、小さい子なんて大人にすぐ話してしまうのではないだろうか。

「でも、そんな噂で、あんなに頑なに親にも誰にも秘密にするのかな。子供なのに」

思わず独り言のように呟いてしまうと、運転席の一兄が小さく笑った。

「子供は結構強情だぞ。お前だって俺の本を破った時、1週間黙って俺から逃げ続けたことがあったからな」
「え!?」

なんだそれ、覚えてないぞ。
一兄相手にそんな恐ろしいことをしていたのか、俺。
俺が慌てて隣を見ると、一兄が悪戯っぽくこちらを見てにやにやしている。
昔の失敗とかを話そうとする時の嫌な顔だ。

「覚えてないのか?」
「な、ない」
「まあ、一週間後に泣きながら謝ってきたけどな。俺はその本の存在も忘れてたんだが」

うわ、恥ずかしい。
どっちにしろ、一兄から逃げられるはずなんてないのに。
しかも泣きながら謝ってきたって、どんだけヘタレだよ。
双兄だったら男らしく最後まで誤魔化し通すようなところだろう。
その代わりバレたらより酷い目に合うのが双兄だけど。
四天だったら、どうだろう。
元々そんな失敗はしないな。

「子供ってのは時々驚くほど強情な時もある。しかも怪我をする、なんてオプション付きだ。より口も堅くなるかもな。中には親に言ってる子もいるかもしれないが、あまり取り合っていないのかもしれない。しかしそれにしては怖がり方が少ない気もするな」
「あ、確かに。怖がってるけど、そこまでじゃないよね」

悪いことして、ギイギイに怪我させられるのを怖がっていた。
確かに、ギイギイと言う存在について怖がってはいるものの、先生たちが気付かない程度。
様子もそこまで変わってないってことは、そこまでの怯えようではないのではないだろうか。
訳が分からなくなってきて唸っていると、一兄がかしこまって聞いてくる。

「まだ何かあるのかもしれないな。さて、次はどうされますか?ご指示をお願いします」
「やめてよ」

一兄にそんな態度をとられると、冗談だと分かっていても落ちつかない。
とりあえず子供達にもう少し話を聞いてみるとして、もう少し、まだまだ情報が欲しい。

「明日、幼稚園に泊まってみようかな。いい?」
「仰せのままに」
「だからやめろって!」

俺が噛みつくと、一兄は声を上げて笑った。



***




家の中に入ると玄関先では栞ちゃんが立っていて、笑って迎えてくれた。
かわいい女の子に迎えてもらえるってのは、なんだか一日の疲れも吹っ飛ぶ気がする。

「あ、今日も来てたんだ。いらっしゃい」
「お帰りなさいませ、お疲れ様です。はい、今日はしいちゃんに会いに来てました」
「ラブラブだなあ。帰りは?」

今日も車で送る送らないの押し問答をするのかと思ったら、栞ちゃんは困ったように笑って首を緩く振った。
綺麗に手入れされた黒い髪がさらりと揺れる。

「しいちゃんが車用意してくれました」

よかったと言って笑うと、栞ちゃんが頭を掻いて苦笑する。

「皆さん心配性です。まだ明るいのに」
「栞ちゃんはかわいいから、心配だよ」
「私だって結構強いんですよ」

握りこぶしを握って力瘤を作って見せるものの、その細腕で強いと言われても信用なんて出来ない。
小柄で細い美少女のその様子が愛らしくて、ただ微笑ましいような気持ちになるだけだ。

「ちらほらそれ言ってるよね。栞ちゃん体術とかやってたっけ」
「少しはやってますよ。それに、いざって時は力もありますから」
「栞ちゃんって、どんな風に力使うの?」

そういえば、栞ちゃんとそんな話はしたことなかったっけ。
金森家は遠縁だが、それなりに力を持つ家だ。
それなら、栞ちゃんも結構力があるのかもしれない。
この小さい女の子がどんな風に力を使うのか、ふと興味が沸いた。

「えっと」

栞ちゃんは考えるように口に手をあてて、首を傾げる。
それから悪戯っぽく笑った。

「今日は、一矢さんも、しいちゃんもいますよね?」
「え、あ、うん。天は知らないけどいるんだろ?一兄は外で電話してるけどすぐ帰ってくるよ」
「じゃあ、ちょっとだけ」

つぶやくように言って、俺にそっと近づいてくる。
それからそっと細くて白い手を俺の胸に置いた。

「し、栞ちゃん?」

そんなに近づかれたことは子供の頃以来なかったので、ドキドキしてしまう。
いや、栞ちゃんに変な感情なんて持ってないんだけど、女の子に近づかれるって、それだけで緊張する。
なんて誰も聞いてないのに、心の中で言い訳する。
栞ちゃんは俺の動揺を気にせず、遊びを思いついた時の双兄のような顔をして俺を見上げる。

「多分、私のやってることは三薙さんも出来ると思います」
「へ?」
「ちょっと、失礼しますね」

それから何か口の中で呪を唱える。
韻の踏み方や抑揚は宮守のものと似ていたが、若干言い回しが違う。
何をするのかとじっと見ていると、胸に置かれた栞ちゃんの手が服を通してでも分かるぐらい熱くなった。

「え」

急激にそこへ、俺の中の力が集まる。
そして、俺の中を流れる薄い青色をした水が、体から無理矢理引きずりだされる。
燃費の悪い俺の体は、いつでも壊れた蛇口のように少しづつ力が漏れ出している。
その蛇口がいきなり全開にされた感じがした。
元々少なくなっていた力が、栞ちゃんの手を伝って溢れだす。

「う、わ」

あまりにも急速な力の減少に、眩暈がして、立ちくらみを起こす。
全くの無防備だったので、術で防ぐこともできない。
体が支えられなくなって、その場に座りこんだ。

「あ、わ、三薙さん!?ちょっとやりすぎちゃいました!?大丈夫ですか!?」
「こ、れ、ちょっと………」
「やっばい!ごめんなさい!今、しいちゃん呼んできますね!」
「………あ」

焦る栞ちゃんを止めることもできない。
こんな情けない姿を天に見せたくはなかったけれど、ぐらぐらする頭では立ち上がることも、止める言葉を考えることも出来ない。
なにより訪れた飢えに、体が早急に力を必要としている。
苦しい苦しい苦しい苦しい。
喉が渇く、乾く。
体が冷たい、体が熱い、
頭が痛い。
かわくかわくかわく。
力が欲しい。

「………て、ん」

この前供給してもらったばっかりなのに。
いくら奪われたからと言っても、情けなすぎる。
でも、苦しい。

「あ!」
「栞ちゃん?………三薙?」
「ああ、一矢さん、ちょうどいいところに!」
「どうしたんだ?」

うずくまっているから顔を上げることができないが、心の底から安心する声がする。
落ちついた通りのいい、低い男の声。

「すいません!ちょっと護身術を披露してたら、やりすぎちゃって………」
「護身術?」
「三薙さんが大変なんです!」

足音が近づいてくる。
大きな手が、俺の顎を掬いあげる。
されるがままに顔をあげると、そこには端正な男らしい顔が俺をじっと見ていた。

「ああ、力が持ってかれてるのか」
「ご、ごめんなさいごめんなさい!!」

栞ちゃんが焦った声で何度も何度も謝っている。
そんなに謝らなくてもいいのにと思うが、喉が引きつれて声が出せない。
一兄が立ち上がって、栞ちゃんの頭を軽くゲンコツで叩く。

「まだ調整が難しいみたいだな。うまく使えないなら、みだりに力を使わない。いいね」
「………はい」
「じゃあ、もう帰りなさい。車が用意されてる」
「でも」

俺を見て心配そうに顔を歪める栞ちゃん。
そんな顔しなくて、いいのに。

「三薙は俺が見ておくから」
「………はい」
「いい子だ。じゃあ、気をつけて帰りなさい」
「分かりました」

まだ暗い顔をしていたが、栞ちゃんが俺の前に来て頭を下げる。
かわいい顔が、不安に曇っていて勿体ない。
頭を撫でてあげたくなった。

「本当にごめんなさい、三薙さん」
「だい、じょうぶ」
「ごめんなさい!また改めて謝りに来ますね!」

いいから、と言う前に、一兄が俺の体を抱き上げた。
栞ちゃんの前で恥ずかしいと思ったが、抵抗する力もない。

「さ、帰りなさい」
「はい」

そう言って、栞ちゃんは玄関から消えて行った。
一兄が歩いてどこかへ向かいながら、俺の顔を覗き込んでくる。

「さて、三薙。大丈夫か?」
「いちに、苦し………」

喉が渇いて渇いて渇いて、苦しい。
気持ち悪い。
脂汗をかいて、背中がぴっしょりと濡れている。
一兄が汗で濡れた俺の髪を掻きあげて、苦笑する。

「結構もってかれたな」
「なに、これ」
「力の調整を狂わされたんだ。金森の家の人間は、体内の力の動きを捕えることに長けている」

確かにこんなのが時間をかけずに出来るなら、そこらへんの人間では太刀打ちできないかもしれない。
自分を強いというのも、なんだか納得だ。
しかし、実践してくれる前に、口で説明してほしかった。

「とりあえずは、供給するか」
「おねがい、します」
「それにしても、次はもうちょっと抵抗しろ」

一兄がからかうように言う。
言い訳したがったが、そんな余力もない。
まさか栞ちゃんにこんなことされるとも思わずに、完全に無防備だった。

「ちょっと待ってろ」

一兄の部屋に連れていかれて、畳の上に下ろされる。
もう栞ちゃんもいないし虚勢もはってられずに、そのまま倒れ込む。
畳の上で丸くなって、飢えた体に耐える。

「宮守の血の絆に従いて約定を果たし」

部屋の清めを済ました一兄が、呪を唱えて横たわった俺の首筋に触れる。
その温かさに、強張った体の力が抜けていく。
一定のリズムで刻まれる言葉に、俺の呼吸もじんわりと楽になっていく。
一兄の深い青い力と、俺の薄い青の力が、重なっていく。

「与えるべき力を、与えられるべき者へ、与う」

唱え終った途端に、一兄の力が俺の体の中に入ってくる。
天の激しく強い白い力の奔流とは違う、優しく穏やかで確かな力が、流れ込む。
一兄の大きな手が俺の腰を抱いて、体が引き寄せられる。

「んっ」

密着した体から、より大きな力が流れ込み、気持ち良くて涙が出てくる。
昔々はこうやって、寝る前に一兄に供給してもらっていた。
調子の悪かった体が一兄と一緒に寝ると、驚くほど軽くなった。
だから俺は一兄と一緒に寝るのが、大好きだった。

「大丈夫か?」
「う、ん」

たくましい腕にしがみついて、俺はもっと更に力を享受する。
天の時よりも長い時間をかけて力を受け止めると、疲れもあってかじわじわと睡魔が襲ってくる。
うっすらと目を開けると、すぐ傍で一兄が笑っていた。
頼もしい、傍にいるだけで安心できる、大好きな兄。

「いち、に」
「おやすみ、三薙」

一兄が頭を撫でてたのを最後に記憶に、俺の意識は闇に落ちていった。





BACK   TOP   NEXT