昼食後の園庭での遊びの時間。
今日も子供特有の高い笑い声を響かせながら、皆が力いっぱい遊んでいる。
やっぱり一番人気は、滑り台で、その次はタイヤが人気なのかもしれない。

先ほどの年中の組の子に何人か話を聞いたのだが、ほとんどの子はただ不思議そうにきょとんとした顔をするだけだった。
ただ、何人かの子はちょっとだけ顔を曇らせていたけれど何も言うことはなかった。
これは、どういうことなのだろう。

「一君、楓君、陽翔君」

年長の顔見知りの子が、園庭の隅っこでボールを蹴っていた。
俺の姿を認めると、一君がボールを止めてこちらを見て笑ってくれる。
やんちゃなガキ大将タイプの子達だが、そんな反応はとても素直だ。

「あ、兄ちゃん!」

俺も手を振って近づいて、話の中に入る。

「サッカー?」
「ていうか、蹴りっこ。この人数じゃサッカーできねえもん。あんまり大勢でボールやると先生に怒られるし」
「そっか」

サッカーって何人でやるんだっけ。
11人だよな、確か。
俺が小さい頃は野球をやってる子が多かった気がするけど、今はサッカーなのかな。
俺は、授業以外ではどっちもやったことないけど。

「俺も入れて」
「しょーがねーなー」

くすくすと三人が顔を見合わせて笑い、それでも入れてくれる。
ボール遊びは単純で簡単。
ボールを蹴って、取り合う。
それでゴールに見立てた水飲み用の水道の台に当てれば勝ち。

「兄ちゃん遅い!」
「ほら、ボールはここだよ!」

皆素早しこい上に小さいから、中々ボールを取ることができない。
そもそもボール遊びなんて全然したことないし、要領も分からない。
下手すると皆自体を蹴ってしまいそうで怖い。

「はい、ゴール!」
「あはは、兄ちゃん、ほら早く!」

陽翔君がボールを蹴って、水道の台の壁にぶつかってボールが跳ねる。
皆が大きな笑い声を立てて、俺を囃したてる。
ちくしょう、悔しいな。

「よーし、そら!」

跳ねたボールを拾って、一度スタート地点まで持ってくる。
そして軽く蹴りながら、また水道を目指す。
男の子たちは笑いながら俺の足元を狙ってくる。

「こら、痛い!蹴るな!」
「こんなので痛がってたらサッカー選手になれないよ!」

いや、なるつもりないし。
俺は体を庇いつつ、ボールなんとか奪われないようにドリブルをする。
しかしやっぱり慣れてないせいかボールは簡単に俺の足から転がっていってしまう。

「チャンス!」
「取れ!」

三人が三人ともそのボールに群がって足を伸ばす。
すると陽翔君の足が一君に当たったのか、一君が大きくバランスを崩す。

「危ない!」

俺は慌ててその体を後ろから支える。
しかしちょっとだけ遅くて、一君は地面に膝をついて擦り傷を作っていた。
僅かに皮膚がすりむけて、血がちょっと滲んでいる。

「大丈夫か?」
「こんくらい平気」

強がって笑って見せる一君に、俺も微笑ましくて笑う。
体について砂を払ってやっていると、その体にはいくつもの絆創膏が見え隠れしていた。
絆創膏を貼ってない擦り傷見たいのもいっぱいある。
どんだけやんちゃなんだろう。

「最近、怪我する子が増えてるみたいだから、気をつけろよ。ていうか一君、怪我だらけだな」

普段危ない遊びをしまくってるんだろうななんて思いながら笑って、一君の頭をぽんぽんと撫でる。
そして何気なく聞いた。

「なんか危ない遊びでも流行ってるの?」
「お、俺のはギイギイじゃないよ!」

本当に何気なく聞いたのだが、返ってきた言葉は予想外のものだった。
予想外と言うか、初めて聞く単語だ。
俺は一君を見下ろして、今聞いた単語を繰り返す。

「ギイギイ?」
「一!」

すると楓君が大きな声で、非難するように一君の名を呼んだ。
そちらを見ると、楓君はなんだか怖い顔をしている。

「あ、な、なんでもない!」

一君が首を思い切り横に振って、俺の腕から逃げ出す。
咄嗟にその肩を掴めて、引き戻す。

「待った」

一君は青い顔をして、なんだか怖がっているようだった。
楓君と陽翔君も一君が捕まっているから逃げられないのか、少しだけ遠巻きに俺を見ている。

「ギイギイって、何?」
「し、知らないよ」
「楓君と陽翔君は?」
「知らない!」

なんて、そんな青い顔をされていたら信じられる訳がない。
子供は嘘をつかない、なんてのはそれこそ嘘だ。

「そっか」

どうしようかと、少しだけ考える。
そして、嘘には嘘で対抗することにした。
少しだけ罪悪感で胸が痛むけど。

「………俺は、ギイギイをどうにかするために、ここに来たんだ」

まあ、でも多分、これは嘘じゃない。
この子たちがこんなにも怯えた様子を見せるもの。
それは、俺が突き止めたいナニか、と関わりがあるものではないだろうか。
この幼稚園の、あの急に様子を変えた子供達の、原因となるものではないだろうか。

「何か、知らない?」

一君の体を離して、しゃがみこむ。
そして俺は声を柔らかくして、もう一度聞く。
一君は逃げたそうに後ずさりするけれど、それでも逃げずに答えてくれた。

「………知らないよ」
「………そっか」

俺は小さくため息ついて、それでも笑った。
これ以上無理矢理聞きだすことがいいことか分からない。
一度一兄に、相談させてもらおう。

「ごめんね。急に掴んだりして。それより怪我してるから手当てしてこよう。楓君と陽翔君も来る?」
「………」

三人は顔を見合せて、何か目で会話するように視線を交わす。
俺は立ち上がって、そんな三人をじっと待つ。

「………兄ちゃん」

しばらくして、口を開いたのは楓君だった。

「何?」
「兄ちゃんは、ギイギイを、やっつけにきたの?」
「………うん」

少しだけ躊躇ってから、俺は頷いた。
すると、楓君も同じように躊躇って、5秒ぐらい逡巡してから口をゆっくりと開いた。

「………ギイギイは悪いことすると、転ばせたりするんだ。だから皆怪我するんだ」
「ギイギイって何?」
「知らない」
「知らないの?」

確かめるために聞くと、疑われたのかと思ったのか楓君が怒ったように口を尖らせた。

「本当に、知らない!」
「分かった。ごめん。ありがとう」

俺は楓君の小さな頭を撫でてお礼を言う。
これは、何かの手がかりになるだろうか。
初めての単語、子供達を怪我させるという、ナニか。
子供達がそわそわしているというのは、これが理由なのだろうか。

「兄ちゃん、俺が言ったこと言わないで、お願い!」
「え」

考え込んでいると、いきなりしがみつくようにジーンズを掴まれた。
俺を見上げる顔は、とても必死に真面目に訴えかけている。

「ギイギイのこと、誰にも言わないで。言っちゃ駄目だよ!先生にも誰にも言わないで!」
「う、うん」

勢いに気押されるように、頷く。
なおも必死に、楓君は言い募る。
一君と陽翔君も怯えたように俺を見ている。

「ギイギイは、大人に言っちゃ、駄目なんだ。そうすると、怪我させられるんだ」

大人に言っちゃいけないもの。
悪いことをすると怪我をさせられるもの。

「ギイギイに会ったこと、ある?」

しがみついている楓君の頭を安心させたくて撫でながら、三人の顔を見渡す。
すぐに応えてくれたのは、楓君だった。

「俺ない」

残りの二人も続けて同じように首を横に振る。

「俺もないよ」
「ない」

けれど、誰にも正体は分からない。
誰も見たことがない。
なんだかまるで海外のおとぎ話の妖精のようだ。

「内緒にして、お願い」
「うん、分かった。先生には絶対に言わないから」
「うん」

俺は一応子供だし、いいのかな。
大人じゃないよな。
でもこれ、一兄には言わないと駄目だよな。
先生には、って言ってるからいいかな。
罪悪感で胸がちくちくと痛む。

「絶対絶対、内緒だからな!」
「分かった」

何度も何度も念を押すと、三人はようやく安心したようにため息をついた。
そしてやっと怪我の手当てをしにいくことになる。
一君の手をひきながら、俺は今聞いたことを反芻する。

ギイギイ、か。
幼稚園内にはやっぱり特に変わった様子はない。

進展してるんだかしてないんだかよく分からない状態に、俺は小さくため息をついた。





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