非常灯に照らされてキラキラと光るビー玉を見て、違和感が更に強くなる。 それは昼、俺が転ばされたものと同じものだった。 そうだ、やっぱりなんか違うんだ。 「どうした、三薙?」 「なんか、ね。なんかおかしいんだ。なんだろ、なんか変」 ビー玉を大きな手で弄んでいた一兄が、俺の声に振り向く。 自分の感じた違和感をどうにかして伝えようとして、けれどうまく言葉に出来なくてもどかしい。 変なことは分かるのだ。 けれど具体的に、どこが変、というのが伝えられない。 一兄は俺のつたない言葉を馬鹿にしたりせず、辛抱強くもう一度聞いてくれる。 「どの辺がおかしいんだ?」 だから俺は一つ深呼吸して、ゆっくりと違和感をまとめようとする。 落ち着け落ち着け、一兄は急かしたりしないんだから。 「えっと、今、悪戯されたじゃん」 「ああ」 「………そっか。うん、そうなんだよな。悪戯なんだ」 そして口にした言葉に、違和感の正体が分かった。 お昼に『罰』を受けた時も同じことを感じたのだ。 『罰』なんて大層な言葉を使う割には、とても些細な、『悪戯』。 こんなのが『罰』なのか、と拍子抜けしてしまったのだ。 「俺達が来る前に起ったことも、悪戯、だよね」 黒板の泥、窓が開け放たれたり、スモッグが隠されたり、コオロギが校庭にばらまかれていたり。 それは、規模が大きく集まると性質が悪いが、一つ一つを見るといかにも子供がしそうな『悪戯』だ。 きっともっと小さくて一回きりだったら、子供の誰かがやったんだろうということになったんじゃないだろうか。 「でもさ、島田先生のって、悪戯じゃ、ないよね」 けれど、島田先生のロッカーと机は、明確な悪意を感じた。 今までの悪戯とは異質な、島田先生個人に対する感情が見え隠れしていた。 それは子供の悪戯、というよりは島田先生への攻撃、だ そう、他の人達だって、島田先生が何か恨まれてるんじゃないか、なんて思ってた。 でも、これまで続いていた悪戯には、個人の対象はいなかった。 勿論俺は個人攻撃を食らったが、それは俺が嘘つきだったからだ。 島田先生は、ギイギイに対して何もしてないはずだ。 もしかしたらしたのだろうか。 でも、島田先生は何も知らないと言っていた。 「ビー玉はあっちに続いているな」 考えに耽っていると一兄の声に、我に返る。 ビー玉は転々と転がり、突き当たりのドアまで続いていた。 まるで、道案内するように。 そこは、職員室がある場所だ。 「行ってみよ!」 「ああ、そうだな」 もしかしたら罠かなんかしれないけれど、行ってみなければ何も分からない。 明日の朝、子供達が転んだら大変だから、ビー玉を回収しながら職員室へ向かう。 辿りつく頃にはポケットが一杯になってしまった。 やっぱり結構性質が悪いかもしれない。 「………開くよ?」 「落ち着いて行動しろよ」 「分かった」 中から何が出てくるか分からず、恐る恐るドアを開く。 変な気配はしないけれど、開いたらいきなり何かが飛び出してくるとか嫌だな。 あ、想像して怖くなった。 「………何も、ない?」 けれどドアから何かが飛び出てくる気配もなく、室内にも何かいることもない。 おっかなびっくり中を覗き込むが、賑やかな装飾が施された教室と違ってシンプルな部屋がただ暗闇の中で佇んでいるだけだ。 けれど、一兄が顎で室内を促す 「三薙、よく見てみろ」 「え」 「ほら」 一兄の言葉に、俺は室内をゆっくりともう一度見回す。 そして、それに気付いた。 「あ!」 「どういう意味だと思う?」 ギイギイは怖い存在。 でも、ギイギイはいい奴でもある。 悪いことする奴にはお仕置きするけれど、いい子にしてたら遊びとかを教えてくれる。 「やっぱ、島田先生の件は、違うんだと思う!」 そしてギイギイは、やっぱり悪いばっかりの奴じゃ、ない。 一兄は俺の言葉に、頬を軽く緩ませた。 「起ったことをメモするように言っていたな」 「あ、うん」 そうだ、仕事が始まる前にメモを取る癖をつけろと言われていたのだ。 だから、仕事中に感じた違和感や、起ったことを都度メモするようにしていた。 言われて尻のポケットに入った小さなノートを取り出す。 「見返して、違和感を感じたことを書きだしてみたらどうだ」 「あ、う、うん。分かった」 今までもメモを見ながら色々考えていたけれど、もう一度整理してみるのもいいかもしれない。 俺達は教室に戻ると、子供の小さな机を出してきてメモを広げる。 走り書きのメモは自分自身でも分かりづらかったけど、とりあえず時系列に並べてみることにする。 「えっと、月曜日に調査開始して、とりあえず情報収集して、何もないってことになって、火曜日には、年長組と一緒にご飯食べたんだ。で、健吾君とみさきちゃんとあおいちゃんと優君と遊んでたら、変な態度とられて………」 ギイギイが関わったと思われる出来事に丸をつけて強調して見る。 急に態度の変わった子供達。 一人足りないけんけんぱ。 何かを隠す子供達。 ギイギイという言葉を初めて聞いたのは、木曜日。 そっか、昨日なんだ。 「………あれ」 書き出して印をつけていくと、さっき感じていた違和感とは、また別なことに気付く。 もう一度見返して、それが確かに、そうなっていることを確かめる。 そしてそこにまた印をつけていく。 「ね、ねえ、一兄」 「どうした?」 焦って話しかけると、俺のすることを黙って見ていた一兄は、落ち着いた様子で聞いてくれた。 その穏やかな低い声に自分が興奮していたことに気づき、また一つ深呼吸。 だから落ち着け、俺。 すぐに感情的になるのは、悪い癖だ。 「あのさ、これ」 少し落ち着いてから、もう一度一兄にそのことを伝える。 一兄は俺の思ったことを馬鹿にしたりしないで聞いてくれて、頷いてくれた。 そして静かにその深い深い黒い目で俺を見る。 その深い黒は、やっぱり天とよく似ている。 「それで、どうする」 どうするか。 本人に聞いてみようか。 その前に、そうだ、あの子が言っていたことで一つ気になったことがあった。 「………多分、夏休みに、何かあったんじゃないかなって思う。先生なら、知ってるかな」 「じゃあ、明日、確かめてみるか」 「うん!」 ようやく見つかったかもしれないとっかかりに、心臓が逸る。 考えれば考えるほど、これが正解な気がしてくる。 他にも気付くことがないかメモをまた一から見返していると、不意に一兄の声が降ってくる。 「三薙、お前が小さい頃、公園に連れていったことがあったな」 「え、う、うん」 友達のいなかった俺は、兄弟達が遊び相手だった。 いつもは庭で双兄や天と遊ぶことが多かったが、たまに一兄が外に連れ出してくれることがあった。 幼稚園にもろくにいけなかったから、家にはない遊具に溢れた公園は俺にとっては別世界だった。 一兄はあの頃から忙しくてなかなか遊んでもらうことが出来なかったから、それも含めて俺は公園が大好きだった。 「お前は、なんの遊具が好きだった?」 一兄は懐かしそうに目を細めて、俺を見ている。 唐突な質問だったけれど、一兄の質問に答えない訳にはいないから必死に思い返す。 幼い頃、一兄に手をひかれて訪れた公園で、夢中で遊んだ。 今思えば小さい公園は、あの頃にはとても大きく感じた。 子供がいっぱいいて、遊具を使うのも結構大変だったな。 順番待ちして横入りされたり、乱暴な子供に突き飛ばされたり。 「えっと、なんでも好きだったかな。滑り台だろ、ブランコ、鉄棒は、ちょっと苦手だったけど」 「ああ。お前逆上がり中々出来なかったもんな。出来るようになったのか?」 「今は出来るよ!」 「そうか、それはよかった」 「もう!」 くすくすと楽しそうに一兄が笑って、俺の頭をぽんぽんと叩く。 小さい頃からなんでも知られているってのは、不利だ。 どんなに強がったって昔のことを持ちだされたら、俺が一兄や双兄に敵うことはないんだから。 まあ、天に敵うこともないんだけどさ。 いやいや、そうじゃなくて。 「それがどうしたの?」 俺をからかうために、こんな時にこんなことを聞いた訳じゃないだろう。 案の定一兄は、出来の悪い生徒を見るような困った顔で苦笑した。 「何か、おかしいと思わなかったか?」 その言葉に、俺は首を傾げた。 土曜日の幼稚園は自由登園らしく、いつもよりは子供達が少ない。 けれど今日も園内は賑やかで、明るい笑い声やけたたましい泣き声なんかが響き渡っている。 ほぼ貫徹の身には、太陽が黄色く見えて、子供の高い声が耳に突き刺さって若干辛い。 一兄は一旦会社に顔を出すと言って戻ってしまった。 大丈夫かな、全然寝てないのに。 「三薙君、昨日泊まったんでしょう?大丈夫だった?」 うまく働かない頭のまま、ぼうっと廊下で突っ立っていると、島田先生が話しかけてきた。 今日の自由登園の当番らしい。 軽く頭を振って、笑顔を作る。 一番怖がっている人だろうし、これ以上不安にさせてもいけない。 「はい、大丈夫ですよ」 「なんかあった?」 「少しだけ。でも問題はなかったですよ」 なんとか笑って、精一杯落ち着いて答える。 一兄や天のように、頼もしい言葉に聞こえているのならいいのだけれど。 「そう、それならいいんだけれど。三薙君に怪我とかはないのね」 「ないですよ」 思わずちょっと笑ってしまった。 島田先生を心配していたつもりだったのだが、逆に俺が心配されているのか。 そういえばいつの間にか君呼びになっている。 三薙さんって呼ばれていた気がするんだけれど、俺ってそんなに頼りないだろうか。 ちょっとへこむ。 「そうだ、島田先生、聞きたいことがあるんです」 「何かしら?」 落ち込みそうになったので話を変える。 それは昨日から、誰かに聞こうと思っていたことだ。 担任である島田先生が、一番詳しいのではないだろうか。 「夏休みに、何か変なことってありませんでした?」 「変、て、今みたいに気味の悪い事は特になかったけど」 「あ、いえ、こういうことじゃなくて、もっと、なんか子供達に関わった、事件とか、普段とは違ったこととか」 そして一人の子供の名前を出すと、島田先生は悩むように少し黙りこんだ。 思い返すようにこめかみを押さえて、眉を顰める。 「えっと、あの子は、うん、そうね、夏休みに預かり保育でよく来てたわ。そうそう、夏休み限定で預かり保育していた子がいて、その子とすごい仲良くなってたわね。卓也君て子だったわ」 「夏休み限定で預かり保育していた子?」 「そう。おじいちゃんの家に夏休みだけ来てるってことで、日中はうちで預かってたの」 「へえ、その卓也君は」 「もう地元に戻っちゃったから、それきりね。ちょっと変わったところのある子だったけど、いい子だったわ」 夏休みの間だけ来ていた、卓也君。 卓也君と、仲が良かった。 「あ、そうそう、卓也君、最後の日に怪我しちゃって大変だったのよね。ちょっと目を離した隙に勝手に遊んじゃって」 「怪我!?」 「あ、大したことはなかったのよ。でも結構血は出てて、そうだ、あの子もそれ見てすごい泣いてたっけ。しばらく友達がいなくなっちゃったから暗くなってたけど、今はすっかり元通りだし」 怪我をして、それきり来なくなった子供。 そしてその子と仲が良かった子供。 「それがどうかしたの?」 「いえ、ちょっと気になったんです」 「そうなの?」 島田先生の言葉に曖昧に頷き、園庭に視線を映す。 無邪気に笑いながら遊ぶ子供達と、それを監督する先生たち。 ここ一週間、毎日見ている、変わらない風景。 大人気の滑り台。 砂場、ブランコ、鉄棒、タイヤ、三輪車。 「あ!」 「な、何!?」 島田先生の驚いた声に、答えることは出来なかった。 ここ一週間ずっと見ていた風景。 そしてようやく気付いた不思議なこと。 『何か、おかしいと思わないか?』 一兄の言葉が、脳裏にくっきりと浮かびあがる。 確かにおかしい。 これは絶対におかしい。 なんで今まで気付かなかったのだろう。 「そっか。だから、ギイギイ、なんだ」 そしてようやく、カチリとすべてがあるべき場所におさまった気がした。 |