「一兄と一緒に仕事できるんだ」
「ああ」

先宮との話を終え、広間を二人で後にした。
俺はわくわくする心が抑えきれずに、声がちょっと弾んでしまっているかもしれない。
いけないいけない。
仕事なんだから気を引き締めなきゃいけないのに。
でも、久々に一兄と長い時間を過ごせると思うと、嬉しくなってしまう。

「でもそれなら早く言ってくれればいいのに」

けれど寸前まで内緒にされていたことに、つい恨み事を言ってしまう。
自然と拗ねた声になると、一兄が苦笑しながら俺の頭を掻きまわす。

「悪かった。寸前まで俺か熊沢か、五十鈴辺りか。誰になるか分からなかったんだ」
「五十鈴姉さんも候補になってたの?」
「ああ。あいつはお前と力の性質も似ている。参考になるところが多いだろう」

五十鈴姉さんは三千里叔父さんの子供で、俺とは従姉同士にあたる。
双兄よりも一つ年上の落ち着いた人で、親戚同士で集まるとよく面倒を見てもらった。
ごく稀にしか会わないが、みんなのお姉さんって感じの人だ。

「そっか。五十鈴姉さんにも久々に会いたかったな」
「なんだ、俺じゃ不満か?」
「まさか!一兄が一番いい!」

慌てて思わず本音を漏らしてしまうと、一兄が噴き出す。
子供っぽい反応を返してしまったのが恥ずかしくて、顔が熱くなってくる。
けれど双兄とは違って一兄はそれ以上つっこむこともなく、また俺の頭を撫でる。

「まあ、直に正月だ。その時に会えるだろ」
「うん」

正月には、親戚中が先宮たる父に会いに家に集まる。
色々な行事もあるから面倒なことも多いが、年の近い親戚に会えるのは楽しみだ。
最近は全員集まるっていうのも難しくなったが、昔は皆でよく遊んだものだ。

「とりあえず、明日お前が学校から帰ってきたら話を聞きに行くぞ」
「そんなにゆっくりでいいの?」
「ああ、逆にそっちの方がいいらしい。園児達になるべく不安を与えたくないそうだ」
「そっか」

今度の仕事は、幼稚園で起こる怪異をどうにかしてほしいという内容だった。
変なことが続いて園児がパニックを起こしたり、小さな怪我をしたりすることが増えている、ということだった。
大きな怪我などはないし些細なことばかりなので急は要していないらしいが、幼稚園教諭も不安が広がっていて今回呼ばれることになった。
一兄が出張るような仕事じゃないが、俺の修行にぴったりな案件、という訳だ。

「まあ、そうは言っても園児達の話を聞かなきゃいけないこともあるだろうけどな」
「………うん」
「まだまだ大したことないそうだが、早いところ終わらせよう」
「うん、子供がこれ以上怪我とかしちゃいけないしな」

小さな子達が怪我したり泣いたりっていうのは、あまり見たくない。
さっさと片付けて、安心して楽しく過ごせる幼稚園になってほしい。

「ああ、それに」

一兄が頭を撫でながら俺を見下ろして笑う。
その自信に満ちた笑い方は、いつだって頼もしくて安心出来る。

「すぐに旅行だろ?それまでに終わらせるぞ」
「うん!」

そうだ、もう後半月ちょっともすれば皆で行く旅行だ。
それまでにはなんとしてでも片付けなきゃ。
仕事が終わらなくていけない、なんて、絶対にごめんだ。

「じゃあ、久々に道場行くか。お前がどれだけ成長してるか、フルコースで見せてもらおう」

俺の返事に、一兄が優しく目を細めて道場に足を向ける。
フルコースってことは力の使い方から剣や体術、舞の方までやるのかな。
どれもこれも俺はまだまだ半人前もいいとこで、胸を張って見せられるものなんてない。

「うえー。俺、やっぱり剣は苦手なんだよな」
「苦手なものこそより努力して体に叩きこめ。苦手意識は余計に動きを鈍らせる」
「………うん」

低くなった一兄の声に、小さく頷く。
長兄は自分に厳しく、常に努力を続ける人だ。
そんな人にそう言われてしまえば、頷くほかない。

「今回は、あくまで俺は補佐だ。判断し、動くのは、お前だからな」
「………はい」
「よし」

一兄は確かに優しくて、双兄や四天と比較しても、俺に甘いだろう。
けれど大事なところでは甘えを許さないし、前に進む努力を怠れば酷く叱られ軽蔑されるだろう。
尊敬する人に不様な姿は絶対に見せたくない。
だから俺は、努力をしなければ。

「でも、気負いすぎて、平常心を忘れるな」
「はい」

もう一度一兄をしっかりと見上げて頷くと、一兄も頷き返しくれた。
それから厳しくしていた表情を和らげてくれる。

「学校は楽しいか?」
「うん、楽しいよ!」
「この前あった藤吉君や岡野さんや槇さん、彼らとも仲良くしてるのか」
「うん、この前もね、一緒にカラオケ行ってさ、俺初めてカラオケ行った!でさ、岡野がすっごい歌うまくて」
「ああ」

俺の話を、いつものように一兄は文句ひとつ言わずに聞いてくれる。
道場に行く間、俺は久々の兄との会話を楽しんだ。



***




「いいよ、入って」

部屋の前まで行くと、気配に敏感な弟はノックをする前に入室を促した。
だから怖えーよ。
せめてノックをした後に言えよ。

「失礼しまーす」

なんて心の中で毒づきながらも、ドアを開いて入り込む。
そして部屋の中の光景を見て、予想外の状況に驚いて一歩後ずさってしまった。

「うわ!」

部屋の中には、四天だけではなくでかい二人の男がいた。
一人は上から下まで黒づくめの目つきの鋭い悪役が似合う若手俳優って感じの男。
もう一人は一見女性に思える髪も肌も真っ白な、その高い背と筋肉のつき方からようやく男性だと分かる男。
サラサラの白い髪は、光に梳けると輝いてそれが銀色なのだと分かる。

「どうしたの?」

四天が驚く俺に、椅子に座ったまま軽く首を傾げる。
そこでようやく俺は目の前の二人が誰だか思い至る。
何度か会ったことのあるこの二人は。

「あ、黒輝と白峰!?」

天が気に入っている力溢れる二体の使鬼。
必要あって人型を取る時、そういえばこんな姿だったはずだ。

「うるさい、小僧」

俺の驚きの声に、白い男白峰はあからさまに眉を顰め不機嫌を全身で表現する。
こいつは天以外の人間はどうでもいいっていうか嫌いっていうかエサぐらいにしか思ってない。
俺を見て、心底嫌そうだ。

「………」

黒輝は俺を見ても特に表情は動かない。
こっちは特に人を好きでもなさそうだが、白峰ほど攻撃的でもない。
話しかけても気が向けば話してくれる程度には友好的だ。

「て、天、何してるんだ?」
「衣替え」

天は手にした男性向けのファッション雑誌を俺にひらひらとかざす。
意味が分からず首を傾げると、白峰の服を軽く顎でさす。

「たまに人型で動いてもらうから、あんまり変な格好されても困るし」

ああ、なるほど。
ファッション雑誌を見て、服を誂えているのか。
まあ、こいつらは別に服を買う必要はなくて、見れば作れるしな。
この姿自体イメージみたいなものだし。
ていうかもしかして毎季やってたのか。

「主殿、主殿、これはいかがでしょう?白峰に似合うとは思いませぬか?」

白峰が俺に対する態度とはうってかわって普段の姿なら尻尾でもふりそうなぐらいご機嫌で雑誌を指差す。
服を選ぶその様は、なんだかとても楽しそうだ。
そういえばこいつって、なんかいつもお洒落だよな。
天はそれを見て、軽く頷く。

「うん、いいんじゃない」
「ではこれにいたします!ああ、でもこちらもよいですね」

つられて白峰の手元を覗き込むと、そこには俺なら絶対できない原色遣いのコーディネートのモデルがかっこつけて座っていた。
まあ、白峰になら似合うかもしれない。
けれど、絶対これ、目立つよな。
思わずぽろりと本音が漏れる。

「うわ、………派手」
「お前になど聞いておらぬわ。黙れ」

白峰は俺を忌々しそうに睨みつけて威嚇する。
その口からはでかい牙が見れ隠れして、思わず身を引いてしまう。
ふん、と鼻を鳴らして、白峰はまた雑誌に目を落とし始めた。

「………どうしたの、その雑誌」
「双馬兄さんから借りた」
「ああ、なるほど」

双兄の部屋にはこういうのいっぱい落ちてるしな。
俺は白峰を避けるように、部屋の中を見まわす。
そして、部屋の隅で壁に背を預けて立っているもう一体の鬼に近付く。

「黒輝は、いいの?」

黒輝は特に雑誌を見る訳でもなく、天と白峰の様子を眺めていた。
派手な格好の白峰と違い、黒輝はブラックジーンズにダークグレイのシャツ、黒いジャケットという、お前はどこのスパイだ、という格好をしている。
まあ、野生味溢れる美形の黒輝には、よく似合っているのだが。
ていうか黒輝も白峰もかなり目立つけどいいのか。

「儂は今のままで構わない。今の世情に合わぬわけでもあるまい?」

黒輝は軽く肩をすくめる。
しかし二十代後半にしか見えない外見で儂とか言われると違和感バリバリで不思議な感じだ。

「うん、まあ、シンプルだしね」
「ああ」
「その言葉遣い以外は、別に変じゃない」
「必要ならば変える」

まあ、それくらいはそつなくやるだろう。
力も強いが、黒輝は器用で賢く使い勝手がいいと四天が言っていた。
確かにはしゃぐ白峰とは全く対照的な、落ち着いた大人の男と言った風情だ。

「………黒輝は落ち着いてるよな」
「まあ、白峰は生じてから日が浅い。人の世がまだまだ楽しいのだろう」
「黒輝は、楽しくないの?」

黒輝がちらりと俺を見下ろす。
その顔は、どこか不機嫌そうだ。

「あ、なんか、変なこと聞いた?こ、ごめん」
「いや」

それきり顔をまた元の位置に戻して黙りこむ。
白峰よりも友好的だと言っても、黒輝もまた人には興味はない。
人とは違う形態を持つ存在だ。
俺の尺度で測ってもしかたない。
けれど黙りこまれるのは哀しい小心者の性で落ち着かない。

「あ、そうだ、怪我平気?」
「怪我?」
「あの、俺を庇って、刺された」

四天は大丈夫だと言っていたけれど、ずっと気になっていたのだ。
けれど聞けるような機会がなくて延び延びになっていた。
黒輝は無表情のまま俺をちらりと見る。

「いつの話をしている」

まあ、確かにもう3カ月は経とうとしているのか。
仮にも鬼とか妖とか言われる存在だ。
傷なんて残ってる訳もないだろう。

「四天にとっくに力を喰わせてもらっている」
「そ、そっか」

それきりまた黙り込む。
黒輝の表情は全く動かない。
瞬きすらしない。
そこがこいつが人間じゃないんだな、と思わせる。

「それで、兄さんは、何しに来たの?」

白峰と服を見ていた天が、こちらに視線を移す。
沈黙に耐えきれなくなりそうだった俺は急いでここにきた用件を告げる。

「あ、いや、供給してもらおうかなって」
「この前やったばっかりだよね」
「あ、明日から仕事だから」
「ああ、そっか。一矢兄さんと仕事だっけ」
「うん」
「そう。分かった」

軽く頷いて、天は二つの大きな水晶の玉を取り出す。
何度も見たことのあるそれは白峰と黒輝が繋がれている呪具だ。

「黒輝、白峰。じゃあ今日はここまでで」
「ああ」

黒輝は一つ頷いて、瞬きする間に獣の姿に戻る。
そして伏せるとすっとその姿を消した。
強い力が天の手元に吸い込まれていったのが分かった。

「白峰、ほら」
「………はい」
「いい子だね」

不承不承と言う体だが、天が褒めてそっと頬を撫でてやると途端ににっこりと笑った。
人型になることができ人の言葉を解する力の強い鬼なのに、その顔は無邪気な子供のようだ。
見た目が立派に大人にしか見えないのもあり、とても違和感がある。
そして白峰もすっと美しい狐の姿になると、そのまま姿を消した。
四天は二つの水晶の玉を自分のストラップにまた繋ぐ。

「なんか、ごめんな」
「いいよ、別に。単なる受験勉強の息抜きだし」

単なる息抜きで、あんな力の強い使鬼を二体も呼び出して人型にするのか。
俺がやったら一瞬で干からびるような離れ業。

「………でも、力使うだろ?」
「これくらいで消費になると思う?」

椅子に座ったまま馬鹿にしたように笑って、肩を竦める。
その挑発するような態度に、怒鳴りこみそうになる。
ああ、力が強い人間はよかったな。
それくらい朝メシ前だよな。
けれど、こんなことで喧嘩を売っている訳にも行かない。
俺は感情を押し殺して、頷いた。

「………そうか、なら頼む」
「怒らなくなったね」
「………」

こいつはわざわざ怒らせようとしてるのかよ。
いっつもいっつも人を馬鹿にばっかして。
どうせ、こいつに俺の気持ちなんて分からない。

「まあ、明日からの仕事、頑張って」
「ああ」

そうだ、一兄と一緒に仕事が出来るなんて滅多にないチャンスだ。
一兄にサポートしてもらって、俺はもっと強くなるんだ。
父さんも一兄も、俺に期待しくれてるから、こうやって仕事をくれたりサポートしてくれたりするんだろうし。

「俺、もっと強くなるから」
「ふーん?」
「それで、絶対」
「何?」

お前に二度と、怪我なんてさせない。
俺のせいで傷ついたりは、させない。
あんな傷だらけの体に、もう傷を刻んだりしない。
俺のせいで、誰かが傷つくなんて、絶対に見たくないんだ。

「いや、次は、お前に迷惑かけないから」
「どうしたの?最近本当に気持ち悪いぐらいに謙虚だね」

こらえてきた感情が、そこで耐えきれなくなる。

「だから気持ち悪いとか謙虚とか、お前は一々言葉が余計なんだよ!」

どうして素直に、頑張ってね、とか言えないんだろう。
いっつもいっつも余計なことばっかり言う。
この嫌みさえなければ、俺はもっと天に優しく接することができるかもしれないのに。
ふてぶてしい四男は感情を荒げた兄を見つめて笑う。

「はいはい。でも、本当は大人しくしてるのが一番だと思うけどね」
「………」
「だから泣きそうな顔しないでよ」
「別に、そんな顔してない」

いつまでたっても、こいつの中での俺は足手まとい扱いだ。
強くなる努力すら、認められていない気分になる。
そんな努力は無駄だと、言いきられている気がする。

「………なあ、俺は、強くなる可能性は、ないのか?」

もしかして、それだから四天は、俺に強くなるなと言うのだろうか。
才能溢れ一族の中でも稀なほどに強い力を持つ弟には、それが分かっているのだろうか。

「さあ」

けれど四天はかぶりを横に振る。
それからまた馬鹿にしたように笑った。

「まあ、もっと要領よく立ちまわることはすぐにでもできるだろうけどね」
「………」

どうせ、俺は落ち着きがなくて頭が悪くて猪突猛進だ。
もっと落ち着いて動けば、天だって、怪我をしなかったかもしれない。

「はいはい、さっさと済まそう。はい、ベッドへ」
「………ああ」

また黙り込んだ俺を馬鹿にするように笑いながら、ベッドに促す。
天の好みの淡いグレーのシーツの上に座ると、ベッドのスプリングが微かに軋んだ。
冷たい手がそっと俺の首をつかみ引き寄せると、スプリングに跳ねて体が天に近付く。
至近距離に見える、黒く輝く深い深い瞳。

「宮守の血の絆に従い、此の者に恵みを」

簡略化された呪を唱え、黒い瞳が近づいてくる。
動きに会わせるように、眼を閉じた。
柔らかい感触が、唇に乗せられる。

「ん」

軽く開いた唇から濡れたものが忍び込んでくると、それと同時に白い力がどろりと体の中に流れ込む。
その感触に軽く眩暈を覚えて、体がかしぐ。
天のシャツを引っ張ると、天の体が倒れてきてベッドの上に二人倒れこむ。
二人分の重みに、スプリングがひどく軋んだ。

「ん、ぁ、は」

ベッドに倒れ込んで、二つの体をぴったりと重ねて、白い力を浴びるように貰う快感を享受する。
気持ちよさに涙が滲み、脳内が真っ白になって、体中が痺れて動かなくなりそうだ。
そのまま体の中がいっぱいになるまで、天からの力を受け止める。

「ん」

最後に溢れた唾液を拭うように、舌が俺の唇をなぞって、離れて行く。
失ったぬくもりが少し寂しくて、そのシャツをそっと引っ張る。

「………てん」
「おやすみ、寝ていいよ」

天の手が、そっと俺の目を覆う。
涙で滲んだ視界が閉じられ、俺の意識は急速に闇へと引き込まれていった。





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