「あのね」
「大丈夫か?」

一兄が心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
今日はカジュアルな格好をした一兄のセーターの袖をつかんだままでいると、徐々に恐怖が薄れてきた。
昔から傍にあったお香の匂いは、ひどく安心する。
落ち着いてくると自分の取り乱しっぷりが恥ずかしくなって、慌てて手を離す。

「うん、ごめん、落ち着いた、ちょっとびっくりして」
「どうしたんだ?」
「なんか、子供が、変なんだ?」
「変?」

お昼の時と、今と、奇妙な子供達の急激な変化。
なんて説明したらいいのか分からなかったが、なんとか頭の中を整理して、一兄に伝える。
うまくもない説明だったが、一兄は辛抱強く、時折質問を交えながら聞いてくれた。

「なるほど、何かその時に気配とかは感じたか?」
「ううん。最初は、何も感じなかった。それまでは、全然普通だったんだ。でもいきなり人が変わったように、本当にすっと、変わったんだ。あ、でもその時何か嫌な感じがしたかも。でも、気のせいかも」

よく、覚えていない。
あまりにも唐突過ぎて、気配を探ることも出来なかった。
冷静さを失っていた自分が恥ずかしくて、情けなくて、俯いてしまう。
冷静に落ち着けって、いつも自分に言い聞かせているのに。

「………ごめん」
「気にするな。急な変化だったみたいだしな。分かった」

一兄はぽんと頭を叩いて、慰めてくれる。
こんな時、四天だったら馬鹿にしたように笑うんだろうな。
やっぱり、一兄は優しい。
でも、それにずるずる甘えてばっかりではいけない。
とにかく落ち込む前に反省して、自分に出来ることをしなきゃ。

「どういうこと、なんだろう。子供達に何か憑いているのかな」
「まだ、分からないな。けれど、子供達が何か知っているのは間違いなさそうだな」
「………うん」

不自然に何も知らないという子供達、急に変わった表情、一つ多かった石。
そこにはきっと、何かが隠されている。

「先生方は?」
「やっぱり子供達に変なところはないって」
「そうか。ただ、怪我が増えた気がする、か」

そうだ、昨日言っていたっけ、最近前より怪我が増えた気がするって。
それも関係があるのだろうか。
少しの変化も見逃すな。
今までだって、関係ないって思ったことも、関係あったじゃないか。

「次はどうする?」

声をかけられて、慌てて顔を上げる。
一兄が静かに俺を見下ろしていた。
そうだ、今回は、俺が考えて、動かなきゃ。
一兄に頼ってばっかりじゃ、駄目だ。

「えっと、別の子にも、聞いてみようかと思う。園内は見て回ったし、先生方は何か知っている様子もない。やっぱり子供が知っている気がする」

一兄は軽く頷いて、俺の考えを肯定してくれた。
テストが終わった時みたいにほっとして、肩から力が抜ける。

「一兄も一緒に聞いてもらってもいい?」
「ああ、今度は中に入るか」
「うん」

園庭を後にして、建物の中に入ることにする。
預かり保育の時間は園児の数が減るためか、お昼寝とかをする部屋と遊ぶ部屋の二部屋に集められていた。
俺たちが遊ぶための部屋に入り込むと、中で監督していた静波先生が椅子から慌てて立ち上がる。
ちょっと派手な印象を受ける、綺麗な人だ。

「あ、こんにちは一矢さん!」
「お邪魔します。子供にちょっとお話聞かせてもらってもいいですか?」
「勿論です!お願いしますね」
「ありがとうございます」

今日俺が挨拶をした時とは随分テンションが違う。
やっぱり、一兄がいると、女性の態度が全然違う。
いや、こんなことでいじけてる場合じゃない。
落ち着け、平常心だ。
俺が一人で懊悩しているうちに、一兄はすたすたと中に入り椅子をくっつけて遊んでいた女の子たちに近付いていた。

「こんにちは」
「………こんにちは」

優しげに笑う一兄を、子供達は警戒心たっぷりな顔で見上げる。
大人しい女の子たちの集まりなのかもしれない。
中の一人は、一緒にご飯を食べたクラスの子だ。
おかっぱで目の大きい、確か美優ちゃん。
美優ちゃんは困ったように小さな声で、俺に聞いてくる。

「………お兄ちゃん、この人誰?」
「あ、俺のお兄ちゃん。お兄ちゃんも、幼稚園の先生なんだ」
「………ふーん」

事前に打ち合わせしてあった肩書だ。
まあ、胡散臭いが、他に言いようもない。
美優ちゃん納得したような納得していないような顔で頷いて、もう一度一兄に視線を移す。

「一矢と言います。よろしく」

けれど一兄がしゃがみこんで視線を合わせてにっこりと笑うと、小さな顔を赤らめた。
そして、よろしく、と小さな声で呟いた。
小さくても、女の子は、女の子だ。

「み、美優です」
「私は、西野茜だよ」
「香織です!」
「ありがとう。よろしくね」

美優ちゃんが自己紹介すると、他の二人も口々に名前を教えてくれる。
一兄が極上の笑顔で頭を下げると、やっぱり嬉しそうに笑う。
一兄、卑怯くさい。
このタラシ、女の敵、ていうか男の敵。

「何をしてるんだい?」
「皆で、折り紙折ってるんだよ」
「上手だね」
「………うん」

褒められて、三人は嬉しそうにくすくすと顔を見合わせて笑う。
一兄はにこにこと笑ったまま、近くの椅子を持ってきて傍においてしまう。
小さな椅子に大きな体の一兄はひどく不釣り合いで、なんだか面白い。

「俺たちにも教えてもらってもいいかい?」
「………う、うん」
「うん」
「い、いいよ」
「ありがとう」

女の子たちは最初の警戒心はどこへやら、すんなりと突然やってきた大人の男を受け入れてくれた。
複雑な気分だが、俺も椅子を持ってきて、机にくっつける。

「よろしくね」
「うん!」

女の子たちは、折り紙で色々なものを折っていた。
風船や折り鶴といったオーソドックスなものからネクタイやイカなんて変わり物まで。
二枚使って折るようなものもあって、折り紙も中々奥が深い。
折り紙なんて、今じゃ札や御幣なんかを作るぐらいだから、勝手が分からない。

「あ、結構難しい」
「お前、不器用だな」
「一兄だって歪んでるじゃん!」
「お前よりはマシだ」
「どっちもどっちだよ!」

教本を見ながらとりあえず折り鶴を折ってみるが、二人して歪んでいる。
俺のは羽が不格好だが、一兄のは頭がおかしい。

「ふふ」
「あはは、お兄ちゃん下手だね!」

美優ちゃん達は低レベルな争いを繰り広げる俺たちを見てくすくすと笑う。
そんな笑顔を見ていると、こっちまで顔を緩んでしまう。
三人の手元にある折り紙はとても綺麗だ。

「皆うまいなあ」
「私たち折り紙大好きだもん」
「そっかあ」

もう一枚俺たちが折り紙をとると、茜ちゃんは隣の一兄のお手本を見せる。

「あのね、一矢お兄ちゃん、ここはこうするんだよ。先に折り目をつけると綺麗に折れるの」
「あ、本当だ。うまく出来た」
「うふふ」
「ありがとう」

その通りに折ってみせると、本当に折り紙は綺麗に折れた。
一兄がお礼を言うと、茜ちゃんは嬉しそうに頬を赤らめる。
そのまま三個目の折り紙に取り掛かり始めると共に、一兄はさりげなく話を切り出す。

「ねえ、茜ちゃん?」
「なあに?」
「最近、幼稚園で変わったこととかってある?」
「変わったこと?」
「変な人を見たりとか、変な話とか、不思議な出来事とか」

三人の手が、ぴたりと止まる。
俺はちらりと一兄を見ると、一兄も小さく頷く。

「………」
「………」
「………」

三人は顔を見合わせて、困ったように口をつぐんでいる。
顔には、不安げな表情が浮かんでいる。
最初に口を開いたのは、茜ちゃんだった。

「ないよ、ね」

問うように、残りの二人にも同意を求める。
二人も、同時に大きく頷く。

「うん、ないよ」
「知らないよ」

さっきの子たちとはまた違った反応だ。
けれど、何か隠している様子なのは、一緒。

「知らないの?」
「知らないよ」
「知らない!」

癇癪をおこしたように、香織ちゃん大きな声を上げる。
先生が驚いてにこちらを見た。
俺は大丈夫だというように先生の方を見て小さく頷く。
先生は不安そうな顔をしていたが、頷き返してくれた。

「そうか、ごめんね」
「………うん」

一兄はゆっくりと頷いて、その話を打ち切った。
その後はその話をすることもなく、折り紙をして遊んだ。
子供達はどこかそわそわしていたけれど。

もう一組室内で遊んでいた子達に話を聞いたが、その子たちも美優ちゃんと同じような反応だった。
頑なに、知らないと言い張る子供達。

預かり保育の時間も終わって、俺と一兄は今日のところは帰途につくことにした。
一兄はハンドルを操作しながら、ふっとため息をつく。

「やっぱり、何か変だな」
「うん、でも、なんか、違う」
「お前の時とは、違う反応か?」
「うん。なんかもっと、変な感じだった。あんな風に戸惑う感じなんてなかった。感情がなくなった感じで、なんか仮面みたいだった」

そうだ、なんか、仮面のようで、まるで、別の生き物になったかのような違和感を感じた。
美優ちゃん達は、何か隠している様子でも、それでも感情が、あった。

「それで、どうする?」
「明日、もうちょっと話を聞いて、それで何も分からなかったら、次は夜泊まり込み、しようかと思う。異変が起こるのはいつだって夜だったよね?」
「ああ」

焦ることはない。
けれど、子供達に何か起こっているというのなら、早く解決しなければ。
危害が加えられてからでは、遅いのだ。

「それで、大丈夫かな?」

最後にどうしても不安になって、一兄を見上げて確認を取る。
一兄はちらりと横目でこちらを見て、頷いてくれる。

「いいと思う。じゃあ、明日も頑張るぞ」
「うん!」

頼もしい兄の同意に、俺も力いっぱい頷いた。


***



今日は一兄も真っ直ぐ帰れるらしく二人で家に帰ると、居間では制服姿の女の子がお茶を飲んでいた。
俺たちを見上げて、ソファから立ち上がり頭を下げる。

「あ、おかえりなさい、一矢さん、三薙さん!」
「栞ちゃん、いらっしゃい」
「いらっしゃい」

短く切りそろえられた前髪が古風な印象を受ける、和風美少女。
遠縁の少女は、今日も朗らかににこにこと笑っていた。

「お仕事だったんですよね。お疲れさまでした」
「ありがとう」

労いの言葉に、自然にお礼の言葉が出てくる。
優しく気遣いの出来る栞ちゃんは、話しているだけでやっぱり和む。

「四天に会いに来たの?」
「いいえ、しいちゃん今日は学校の補講で遅くなるって。ちょっと家のお遣いです。もう帰ります」
「そうなんだ、ご苦労さま」

金森の家は遠縁だけれど力のある家らしく、ちょくちょく栞ちゃんも栞ちゃんの両親も出入りしている。
栞ちゃんの弟は確か四天より二つ下だったはずだが、そちらは正月ぐらいしか顔を出さない。

「一矢さんはお久しぶりですね。お元気でした?」

栞ちゃんは今度は一兄に視線を移す。
小さい頃から出入りしているので、一兄とも特に壁はなく親しくしている。

「ああ、変わりないよ。栞ちゃんはしばらく見ない内に本当に綺麗になったね」

なんだ、その笑顔でその発言。
知ってはいたけれどやっぱり一兄は女の敵かつ男の敵だ。
栞ちゃんもくすくすと笑いながら、おばちゃんのように一兄の胸を叩く。

「もう、一矢さんてばタラシ発言!うまいんですから!」
「正直な感想だよ」
「一矢さんみたいなかっこいい人に言われると、ドキドキしちゃいますよ」
「じゃあ、四天じゃなくて、俺に乗り換える?」
「心揺れちゃいますが、やっぱり私の中ではしいちゃんが一番です」
「はは、ふられたな」

なんだこの会話。
いや、一兄は女の人にモテるって知ってたけどさ。
聞いてるこっちがいたたまれない気分になるぞ。

「もう遅い、車を出させよう」
「いいですよ、慣れてますから」
「駄目だ。何かあったら金森の人達に申し訳が立たない。ここは言うこと聞きなさい」
「………はい」

打って変わってびしりと少し厳しい口調で言うと、栞ちゃんもさすがに頷く。
俺や天では栞ちゃんも気安い感じだが、やっぱり一兄にはそこまでではないらしい。
まあ、一兄の言葉って迫力があって有無を言わさない感じがあるんだけど。

「私だって少しは力使えるんだから、普通の人になんて負けないんですけどね」
「集団で来られたり、耐性のある人間とかだったらどうなるか分からないよ。さあ、我儘言ってないで、さっさと送られなさい。それとも寄り道しようとしていたのかな?」
「ないですよ!真面目な女子高校生はさっさと家に帰ります」
「はい、よろしい」

そして一兄は栞ちゃんの小さな頭をぽんぽんと撫でる。
栞ちゃんはちょっと困ったように笑って、俺の方を見てちらりと舌を出した。
俺も小さく肩をすくめる。

「三薙、今車を回してもらうから、玄関先まで栞ちゃんを見送って来い」
「はい」
「いいですったら!」

栞ちゃんは慌てて手を振って拒否するが、一兄がそんなの聞くはずはない。
俺はそっと幼馴染の少女の耳元に小さく囁く。

「駄目だよ、栞ちゃん。こういう時の一兄は絶対言うこと翻さないんだから」
「うーん、ごめんなさい」
「全然いいよ。俺も栞ちゃんと話せるのは嬉しい」
「もう、皆さん本当にうまいんですから」

一兄が人を呼びに行く間に、俺たちは玄関先に向かう。
他愛のない話をしている内に、さっきの一兄と栞ちゃんの会話が蘇った。

「栞ちゃんはやっぱり、一兄よりも天の方がいいの?」

まあ、付き合ってるなら当然だろうけど、俺としては一兄の方がダントツで格が上だ。
あんな冷血で兄を兄とも思わないような人間、栞ちゃんはどこがいいのだろう。
けれど案の定、栞ちゃんはちょっと頬を赤らめて頷く。

「一矢さんはとっても素敵な人ですけど、私にとっては、やっぱりしいちゃんが一番なんです。ていうか一矢さんは私には高嶺の花過ぎますよ」
「天は手近な花?」
「あ、あ、勿論しいちゃんも私にはもったいないですよ!?」

慌てたようにパタパタと手を振る栞ちゃんは、とてもかわいい。
俺がこんな風にからかったり出来る女の子って、そういえば栞ちゃんぐらいかも。
女の子は強くてたくましくて、でもかわいくて柔らかくて、どうやって扱ったらいいのかよく分からない。

「じゃあ、双兄と天は?」
「双馬さんも勿論素敵な人ですよ。楽しくて優しくて背が高くてかっこいい。宮守家はみんなみんなかっこいい人ばっかりです。勿論三薙さんも優しくてかっこいいです」

フォローするように言われても、ちょっと傷つく。
いいんだ、俺なんて本当に十人並み以外の何者でもないから。
あの兄達や弟と同じ物から出来ているんだから、素材は悪くないはずなのに。

「でも、やっぱり天なんだ」
「はい!私にとってはどんな素敵なハリウッドスターだろうとイケメン大富豪だろうと、しいちゃんが一番なんです!」

握りこぶしで力説する栞ちゃんを見ていると、天が羨ましくなってくる。
栞ちゃんと恋愛関係になりたい、とかはないけれど、こんな風に言ってもられる相手がいるっていうのは羨ましい。
やっぱり彼女、欲しいなあ。

「天は幸せ者だな」
「幸せ者なのは、私の方です」

上気した顔で、とろけるように笑う。
本当に、どうしてこんないい子が、あんな冷血人間の彼女なんだ。
世の中間違っている。
まあ、顔が良くて頭が良くて大人びていて、仕事も出来て、力も強いけどさ。

「天のどの辺が好きなの?」
「うーん、優しいところとか、強いところとか、しっかりしてるところとか、頼れるところとか」

優しいのはまず間違いなく栞ちゃん限定だと思うけれど。
あいつが栞ちゃん以外に優しくしているところ、見たことないぞ。
本当に見たことがないな。
指折り数えて好きなところを上げていく栞ちゃんは、最後に小さく笑う。

「まあ、一番の理由は、なんていうか、夢が一緒なんです」
「夢?」
「はい、将来の夢っていうか目標、っていうのかな。それが、一緒なんです」
「へえ、どんな夢なの?」

それは初耳だ。
ていうか天に夢なんてあったのか。
夢とかくだらないとか言い捨てそうなのに。
興味を引かれて軽い気持ちで聞くが、栞ちゃんは指を一本立てて俺を見上げる。

「それは私としいちゃんだけの内緒なんです。ごめんなさい」

その悪戯っぽい表情がとても大人びて見えて、ちょっとドキっとした。
ものすごい惚気られた気分だ。

「残念」
「もしも叶ったら、三薙さんにも教えますね。それまでは内緒です」
「楽しみにしてる」

そんなことを話しているうちに、家の前に車が来た。
栞ちゃんはひらひらと手をふって、笑顔で去っていった。
残されたのは、俺一人。

「四天の夢、か」

二人で温かい家庭を築こう、とかだったら殴り倒そう、なんて思った。





BACK   TOP   NEXT