「この前の仕事、すぐに結界が張れた。ここでの修行のおかげかも」 「ええ、イメージトレーニングにいいのよ。ここは」 乳白色のふわふわとした空間で、双姉は優しく目を細める。 今日も稽古をつけてもらって、終わりに一時の会話を楽しむ。 何もないがらんとした空間に、英国の庭園にでもありそうな白い瀟洒なテーブルと椅子が置いてある。 テーブルの上には俺が双姉のために買ってきたクッキーと紅茶。 クッキーを齧ると、夢に入る前に食べた時と同じ味がして、なんだか不思議だった。 夢の中では、体験の追憶が出来る。 食べた物や見たものや触れたものは、双兄と双姉の力を使えばかなりリアルに再現することが可能らしい。 反面、経験したことのないことは、想像した通りにしかならない。 こんな味かなって思った通りの味になるらしい。 しかもそれにはかなりの想像力が必要だから、大体はなんの味もしないか、作り出すことすら出来ないらしい。 「明後日からいよいよ旅行なのね」 「うん!」 こうして見ると、やっぱり双兄と顔立ちがよく似ている。 それでも女性らしい繊細な作りをしていて、男女の別ははっきりと分かる。 双兄は女性的な顔立ちだと思っていたが、それでも女性ではないのだな、と双姉を見ていると思う。 「初めてでしょう。楽しんできてね」 「うん、友達と、旅行行くの初めてだし、一兄達と旅行行くのも初めて。すっげー、嬉しい」 「よかったわね」 双姉はにこにことしながら、白くて細い手を伸ばして頭を撫でてくる。 俺は照れくさくて頭を横にふってその手から逃れる。 「頭撫でるのやめろよ。俺、子供じゃない」 すると双姉の綺麗な形の眉をきゅっと持ちあがり、眉間に皺が寄る。 う、怖い。 「弟を可愛がって何が悪いの!」 「だ、だって、俺もう高校生だよ!」 「兄さんにはやらせて私にはやらせないっていうの!」 「う………」 確かに一兄はよく俺の頭をくしゃくしゃにするけど、それは小さい頃からの習い性だから仕方ないっていうか、やめてって言っても聞いてくれないっていうか。 「そ、それは、その、そういうことじゃなくて」 「どういうことよ」 「だ、だから」 「兄さんはよくて、私に頭を撫でさせない理由をちゃんと論理的に述べて頂戴」 「う……、で、でも双姉に撫でられるのは嫌だ…」 「なんですってー!!!」 激昂して立ち上がる双姉。 間にあったテーブルを横に放り投げて詰め寄り、俺の服の襟首を掴む。 こ、怖い。 「どういうことよ!」 「だ、だって、双姉は、その、女の人だし、俺、男だから、そういう、子供扱い、されたくないっ」 女の人に、子供扱いは、されたくない。 なんだか馬鹿にされた気もするし、プライドが刺激されて、悔しい。 天なんて、俺より年下なのにこんな扱いされることはほとんどない。 なんか、言っててまた哀しくなってきたぞ。 「………」 双姉は目をパチパチと瞬きして、俺の顔をじっと見ている。 落ち着いてくれたようなので、なんとか説得してようと言葉をひねり出す。 「だ、だから、こういうのは、って、うわあ!」 「か、かわいい!」 言いかけた言葉はいきなり抱きつかれて最後まで言うことは出来なかった。 双姉は座った俺の首にぎゅうぎゅうと抱き付いて、頭をくしゃくしゃにしてしまう。 や、柔らかい、ぐにゃぐにゃしてる。 「どうして三薙はこうなの!ああ、もうかわいい!かわいいわ!」 「や、やめろってば!やめろ!やめて!」 どこを触ったらいいか分からず、なんとか身じろぎするが、双姉の拘束は離れない。 力が強い。 ていうかここが双姉の世界だからなのか。 「双姉!」 なんとか肩を掴んで、思い切り引きはがす。 するとようやく落ち着いてくれたらしい双姉が、また目をパチパチと瞬かせる。 そして俺が怒っているのにようやく気付いたのか、決まりが悪そうに苦笑いする。 「ご、ごめんなさい」 「………」 子供扱いされるのは、嫌だって言ってるのに。 どうして一兄も双兄も双姉も、聞いてくれないんだ。 俺が頼りないのが悪いのかもしれないけどさ。 「そんな拗ねないで」 「拗ねてない!」 黙りこんだ俺に、双姉が機嫌を取るように覗き込んでくる。 それからもう一度ごめんなさい、と続ける。 「でもそうよね、三薙は男の子だもんね。かわいいって言うのはあんまりよくないわよね」 「………いやだ」 「そうね、ごめんなさい。つい、会えたばっかりだから、今までの分もかわいがりたくなっちゃうのよ。それに、双馬とも四天とも違うから、どうしたらいいのか分からないのね、きっと」 会えたばっかり、ってそう言われると怒りも途端に霧散してしまう。 初めての姉という存在に、戸惑っているのは俺も同じだ。 一兄とも双兄とも四天とも違う、女性の姉弟。 何を話したらいいのか、どう扱っていいのか、正直分からないことだらけだ。 双姉が明るくてポンポン話してくれる人だから、助かってるけど。 いつも女性に感じる気構えは、そこまでなく、まだ出会って四回目だというのにこんな風に気軽に話せる。 「それに年とか関係なく、弟ってかわいいものでしょ」 「そうかもしれないけど、あんまり子供扱いされるの、やだ」 「分かったわ。出来る限り努力するわ。努力はするわ」 なんかひっかかる言い方だが、これ以上追及しても仕方ないので黙る。 双姉は横に転がったままだった机を戻して、クッキーを箱から出して新たに皿に盛る。 乳白色の空間に転がっていた古いクッキーはいつの間にかすっかり姿を消している。 便利だな、これ。 「旅行の準備はもう終わったの?」 「うん、後ちょっと」 「そう。楽しんできてね」 クッキーに齧りつきながら、首を傾げる。 「双姉も行くんだろ?」 「え」 「だって、双兄が体験したことは、双姉も同じように感じられるんだよな」 双兄と双姉は、感覚を共有しているらしい。 だから、双姉と何かを食べたかったら、双兄とまず一緒に食べる。 ここに来る前に、双兄と紅茶とクッキーでお茶をした。 すると双姉も、それを再現できる。 「………ええ、そうね」 「じゃあ、双姉も一緒だろ。兄弟で皆一緒だ」 一兄と双兄と双姉と四天と俺。 それに藤吉と岡野と槇と佐藤。 大切な人達が皆一緒。 それが何より、嬉しい。 「うわあ!」 思わずにやにやしていると、双姉がまたテーブルをひっくり返して抱きついてきた。 ぎゅーっと苦しいくらいに締め付けられる。 「ありがとう、三薙。大好き、大好きよ。ああ、もう我慢できないわ、かわいい!かわいすぎるわ!」 「ちょ、や、やめてって!やめろってば!やめろって言ったばっかじゃん!」 「無理!」 絶対努力してないだろ。 なんてことは聞いてくれるはずがなく、ひとしきり抱きつかれて頭をくしゃくしゃにして、双姉はようやく離れてくれた。 乱れた髪を直しながら、俺はさすがに双姉に文句を言う。 「人の話聞けよ!」 「ごめんごめん、だって三薙があまりにもかわいいんだもの」 「かわいいって言うな!」 本当に双兄と双子だ。 タチが悪いところも、それでいて憎めないところもそっくりだ。 それからしばらく話すと、双姉はパチンと手を叩いた。 すると目の前にあったテーブルがあっさりと消え去る。 「それじゃ、そろそろ帰りなさい。力も大分消耗してきたみたいだし」 「うん」 潜ってる最中は力を結構使うらしく、あまり長い間はいれない。 名残惜しいけれど、双兄も消耗するらしいし、仕方ない。 また、来ればいいのだ。 いつだって、会えるのだから。 「あ、そうだ、熊沢さんが会いたいって言ってたよ」 「え、亮君が?」 目を覚ます前に、伝言を伝えると、双姉はぽかんとした顔をした。 初めて見る、とても無防備な表情だった。 それに加えて、聞いたことのない名前に首を傾げる。 「亮君?」 「あ、ああ、えっと、く、熊沢さんが、そ、そんなこと言ってたの?」 双姉は慌てたように手を無意味にパタパタと動かす。 しかし声は上擦っているし、顔はなんだか赤いし、動揺が全く隠せてない。 「あ、そっか、熊沢さん、亮平っていう名前だったっけ」 「そ、そうそう。私と双馬は熊沢さんと幼馴染だからね」 あははっと誤魔化すように笑う双姉は、やっぱり様子がおかしい。 白い肌が、朱に染まっている。 いつもはちょっと怖い双姉がなんだかかわいく見える。 なんでだろう。 「あ」 そこで、ようやく、それに思い至る。 「そ、双姉って、もしかして、熊沢さんのこと………」 「きゃーきゃーきゃーきゃー!」 「うわ!」 言いかけたところで、手をぶんぶんと振り回してきた双姉から逃れる。 なんか風を切る音がしてるぞ。 当たると痛そうだ。 ていうか多分俺が痛そうって思ってる時点で、当たったら痛いんだろうな。 「ば、馬鹿なこといわないでちょうだい。熊沢さんは、その、幼馴染でお兄ちゃんみたいっていうか、なんていうか、そういう………」 「………」 「なんでそんな目で見てるのよ!」 しどろもどろに話す双姉は、今までの余裕たっぷりな様子と違って、まるで年下の女の子のようにも見える。 だから、つい言ってしまった。 「双姉、かわいい」 「なっ」 双姉が息を飲みこみ、顔を一気に赤くした。 それもかわいいなあなんて思ってると、綺麗な色を塗られた爪を持つ指が俺のほっぺたをつまみあげる。 「生意気よ!姉をからかおうなんて100年早いわよ!」 「いたいたいたいた!」 ぎゅうぎゅうとつねりあげて、たまらず悲鳴を上げる。 これも体験の追憶なのか。 ものすごくリアルに痛いぞ。 「そういうんじゃ、ないんだから!」 双姉はぷいっと横を向いてしまう。 そんな仕草すらかわいい。 「でも、双姉と熊沢さんなら、お似合いだけどな」 二人が横に並ぶ姿を思い浮かべる。 双姉は背が高いけれど、熊沢さんも結構高いし、整った顔立ちをしている。 大人で優しい熊沢さんだったら、ちょっと勝気な双姉でもうまくいなしてくれそうだ。 「………ありがと」 「あ」 双姉が困ったように笑う。 そこで、俺は自分が言ったことが大失敗だったことに気付いた。 例え二人がどんなにお似合いでも、現実で会うことすら出来ない。 なんて、無神経なんだろう、俺は。 「ほらほら、そんな顔しない。ありがと三薙」 逆に慰めるようにぽんぽんと肩を叩いてくれる双姉。 こんな風に同情を誘うようなことをしてしまうことに、また自己嫌悪だ。 けれど双姉はにっこりと笑う。 「三薙は私を、姉として認めてくれているのね。とっても嬉しい」 「そんなの、当たり前だろ!」 出会えてからまだ四回目。 けれどこの人は、間違いなく、俺の姉だ。 理屈ではなく、いつの間にかそう感じているのだ。 一兄と双兄と四天と、同じように、俺と血の分けた兄弟だ。 「ありがとう。大好きよ。だーいすき」 双姉が柔らかく笑って、また俺に抱きついてくる。 今度は、振り払うことはできなかった。 「三薙はいい子ね。本当にいい子。優しい子」 「な、何」 「私は三薙が大好きよ」 「う………」 優しい抱擁に身動きが取れないし、ストレートに告げられる言葉が恥ずかしくて何も言えない。 双姉は恥じらいもなく更に言葉を重ねる。 「三薙が頼むなら、お姉ちゃんなんだってやったげるから。お姉ちゃん、三薙のためなら、なんだって出来るわ」 「い、いいから!」 「まあ、こんな体だから出来ることも限られてるんだけどね」 「………」 「と、またやっちゃった。気にしないで。私は十分幸せだから」 そこでようやく双姉は体を離してくれる。 本人が言うとおり陰りも何もない笑顔に見える。 でも、胸がきりきりと痛む。 これも傲慢なのだろうか。 ここで謝ったりするのは、逆に双姉を傷つけることになるのだろうか。 分からない。 「………俺も、双姉のこと、好きだよ」 だから、俺は、正直にそれだけを伝えた。 例え、現実の世界で会えなくても、双姉は俺の姉だ。 そして、大切な人だ。 「だからそれがかわいいんだってば!」 「うわ!」 「もー、この子は!この子は!」 「もう、勘弁して!」 そして何度目になるか分からないやりとりを繰り返すことになった。 目を開くと、整った女性的な顔がすぐ目の前にあった。 ついさっきまで目の前にあった顔と、よく似通っている。 けれど違うものもある。 甘い香水の匂い。 薄い体と高い身長。 「………そう、にい?」 名前を呼ぶと、長い睫がぴくりと揺れた。 俺を抱きこんでいた腕を離して、額に手を置く。 「………つっ」 頭痛がしているように眉間に皺を寄せると、小さく呻く。 そしてのそりと上半身を起こした。 俺も同じようにベッドの上に体を起こす。 ベッドの周りは足の踏み場がないほどに散らかっている。 そうだ、ここは、双兄の部屋。 「大丈夫?」 「ああ」 まだ額を抑えていた双兄に問うと、双兄は頭を一つ振って頷いた。 結んでない長い髪がぱさりと音を立てて、翻る。 「三薙」 「何?」 「お前、やばいぞ」 「え!?」 真面目な顔で双兄が、俺の顔を覗き込んでくる。 修行で何か失敗でもしたかと焦って、姿勢を正す。 「お前、あいつに遊ばれまくりだし、同級生の女の子にも遊ばれてるし、どこまでも弄られキャラだ。結局、三薙君っていい人だよね、で終わるタイプだ。可哀そうに」 「縁起でもないことを言うな!」 「あー、可哀そう。あれだ、熟女狙え、熟女。かわいいわねって言ってくれるような熟女。弄ばれキャラで行け。それでボロボロになるまで弄ばれろ」 「なんの呪いだ!」 真面目な顔をしていると思ったらこれだ。 真面目に聞いて馬鹿を見るのはいつものことなのに、いつも引っかかってしまう。 双兄は可哀そうに可哀そうにと言いながら頭を撫でてくる。 激しくムカつく。 「離せよ!」 「そういや旅行行くのって、この前の女の子達だよな」 「変なことするなよ!」 「俺は紳士だ。する訳ないだろ。まあ、向こうが惚れるのは仕方ないけどな」 「ふざけんな!」 もしかして双兄を連れていくのは失敗だったんじゃないだろうか。 旅行中は絶対に女子を俺がガードしなきゃ、と決意していると、双兄が腕を首に回してくる。 そして俺を引き寄せると、声を顰めて聞いてくる。 「それでさ」 「何!」 「お前、あの子達の中に本命いるの?」 「なっ」 「どれよ。ケバめ、ぽちゃめ、お団子」 「なんか色々失礼だ!」 岡野と槇と佐藤のことだろう。 それで分かってしまうのもなんだか、失礼な気がする。 ああ、もう、なんでこんな気持ちにならないきゃいけないんだ。 怒っても、双兄は全然悪びれない。 「どれもかわいかったじゃん。で、どれよ」 「な、そ、そんなの、いないっ」 「えー。本当はいるだろう」 「いないってば!」 いるだろうっと言われて、真っ先に浮かんでしまった子はいたが、そういうことじゃない。 そういうことじゃない、はずだ。 「ふーん」 双兄の探るような視線から逃れるために顔をそむけてベッドから降りる。 これ以上追及されると、変なことを言ってしまいそうだ。 「もう部屋に戻る!」 「お前準備終わったのか。ちゃんとパスポート持ったか?」 「どこに行くんだよ!」 「県外に出るには必要なんだぞ」 「一秒でばれる嘘をつくな!」 荷物って何がいるんだろうと相談した俺に、あることないこと吹き込みやがって。 まあ、双兄に聞いた俺も俺なんだけどさ。 絶対もう相談なんかしない。 「まったく、かわいくなくなっちゃったなあ。昔はあんなにお兄ちゃんお兄ちゃんってかわいかったのに」 「かわいくなくて、結構!」 「あいつには抱っこされてたくせに」 「俺は嫌だって言ってるだろ!」 双姉に抱きつかれるのだって、嫌だ。 いや、嫌って訳じゃないけど、でも、嫌だ。 恥ずかしいし、子供扱いは悔しい。 「もう、双兄も双姉もタチ悪い!」 そのまま道なき道を掻きわけてドアに向かう。 ドアノブに手をかけたところで、後ろから声がかかった。 「ああ、そうだ」 「何!」 苛立ちのまま声を荒げて振り向くと、存外双兄は真面目な顔をしていた。 「熊沢には言うなよ」 「え」 「あいつのこと」 あいつとは、双姉のことだろう。 熊沢さんは双姉の存在のことは知っている。 てことは、双兄が指しているのは先ほどのことだろう。 「………熊沢さん、知らないの?」 「さあな。知ってるかもしれないし、知らないかもしれない。聞いたことはない。聞く気もない」 「………そっか」 双姉にも熊沢さんにも俺よりもずっと近しい存在である双兄の意見が正しいのだろう。 それなら、俺が口出すことじゃない。 そもそも、例え双姉が現実に存在している女性だったとしても、人から気持ちを告げられるというのは反則だ。 告白は、本人からするのが、ルールだろう。 「言うなよ」 「………うん、分かった」 だから、ただ俺は頷いた。 双兄も、ちらりと笑って頷くと、ばったりとベッドに横になる。 「んじゃ、ガキは早く寝ろ」 「うっさい。おやすみ」 「はあいー。おやすみなさーい」 双兄はベッドに倒れ込んだまま、おざなりに手をひらひらと振った。 |