「あ」

暗くなってから家に帰ると、ちょうど玄関先に一人の男性が立っていた。
どこか冴えない印象のスーツを着た、短く刈った髪と眼鏡の結構ガタイのいい体育会系サラリーマン風の人。
一見優しそうに見えるが、眼鏡に隠された鋭い目は剣呑な雰囲気を感じさせる。
その人は俺の姿を認めて、にっこりと笑って手を上げた。
笑っていても、なぜかやっぱり怖いと感じる。

「こんにちは、三薙さん」
「沢渡、さん、こんにちは」
「お久しぶりですね。お元気でしたか」
「………はい。おかげさまで」

二十代後半に見えるその人は、間違いなく俺より年上だろう。
けれど年下の俺にも敬語で礼儀正しく話す。
それもまたどこか居心地が悪い。
俺の困惑している様子に気づいているのか気付いていないのか、沢渡さんは去って行ってくれない。

「そういえば次の謳宮祭では奉納舞の舞手を務められるとか」
「は、はい」
「私は見ることが叶いませんが、とても美しい舞だそうですね。是非一度拝見したいものです。特に今回の祭りは特別なものですし」
「えっと」

なんて答えたらいいのかとまごついていると、後ろから名前を呼ぶ声が聞こえた。

「三薙」
「おや、これは双馬さん」

沢渡さんが、俺の後ろを見て右の眉を上げた。
俺もつられて後ろを見ると、双兄が歩いて近寄ってきて俺の肩に手を置いた。
苦手な人と二人きりではなくなって、ちょっとほっとする。

「沢渡さん、ご無沙汰しております。本日は当家に何かご用事でしょうか」

双兄は営業スマイルを浮かべて、穏やかに沢渡さんに接する。
そしてさりげなく俺を後ろに下げてくれて、間に入ってくれる。
沢渡さんも双兄を前にしてにこにこと笑っている。

「ああ、先宮にお会いした後なんです。そろそろ謳宮祭も近いでしょう。様子をうかがいに」
「そうですか。それはわざわざご足労いただきましてありがとうございます。此度の祭りも滞りなく準備を進めております。当主も申し上げているかと思いますが、ご心配には及びません」
「はい、先ほど先宮にお聞きいたしました。いやいや、心配なんてしていませんけどね。宮守家はさすが歴史ある名家。最近出来たばかりの管理者の家などとは比べ物にならないほどしっかりと管理されています。私が偉そうに口を出すことでもありませんね」
「いえ、宮守600年の安泰も、神祇院の皆様のお力添えのおかげです」
「本当に、宮守の方は弁えていらっしゃる」

俺は双兄の後ろで二人の会話をただじっと見ているだけ。
沢渡さんは、俺達管理者の管理監督をしている神祇院の人だ。
表向きにはかなり昔に廃止された機関だが、実はこうしてしっかりと存在しており、各地の管理地を総括している。
沢渡さんをはじめとして、何人か会ったことのある神祇院の人はどの人もどこか怖くて、苦手だ。

「では、私達はこれで」
「ああ、お引き留めして申し訳ございません」
「いえ、こちらこそ。失礼いたします」

双兄が卒なく会話を終えて、俺を促し門の中に入る。
無言のまま庭の中ほどまで来て、ちらりと後ろを振り返る。
もう沢渡さんは見えなくなっていて、俺はほっと息をついて全身の力を抜く。
同時に双兄も小さくため息をついた。

「あいつにはあんまり関わるな」
「いや、帰ってきたらいたから、挨拶ぐらいしかしてないけど」
「それでいい。礼儀だけ弁えて挨拶したら逃げろ」
「う、うん」

いつになく厳しい声で、双兄が言う。
一兄にも双兄にも言われていた。
あまり神祇院の人間とは関わるな、と。
言われなくても、あまり関わりたい人達じゃない。

「怖い人、多いよな、あそこの人って」
「陰険なのが多いし、化け物じみたのもいるからな、あそこは」

基本的には力を持ってはいるけれど管理地を持たない人達や、家を継ぐことのない管理者の家の人間が入ることが多いそうだ。
けれど中には神祇院に代々務めているような家系もあるらしく、かなりの力を持つ人間も少なくないらしい。
基本的に管理者はその家のやり方に任せられているし、不可侵で持ちつ持たれつの関係だが、ごくまれにトラブルも起きるらしくて気を許していい間柄ではない。
らしい。

「あー、嫌な奴に会った。明日帰ってくればよかったな」

双兄が忌々しそうに長い髪を掻きまわす。
俺にとっては確かに怖いけれど、そこまで嫌な人ではない。
昔、何かあったりしたのだろうか。
なんて考えて、双兄の言葉に我に返る。

「あ、明日って、駄目だよ。明後日から、一緒に仕事だろ?」
「ああ、聞いた聞いた」
「俺詳しい話聞いてないから、教えてもらっていい?」

双兄は俺の言葉に、にやりといやらしい笑みを浮かべた。
また何か下らないことを言いだす顔だ。

「そうだなあ、代わりに何してもらおうかな」
「なんでだよ!仕事だろ!」
「ノリ悪いな!お前は!」
「仕事にノリを持ちこむな!」
「ああ、もううちの兄弟はどいつもこいつも冗談の分からない奴らばっかりで、お兄ちゃん哀しい」
「双兄がふざけすぎなんだよ!」

まあ、だからこそ双兄が一番気楽で楽しいんだけれど。
友達のいない俺に、子供らしい遊びや悪戯、ふざけた会話なんかを教えてくれたのは全部全部双兄だ。
一兄は安心するし一緒にいると嬉しくなるけど、やっぱり保護者って感じなので気楽で楽しいって訳にはいかない。
四天は、どうなんだろうな。
ちょっと前までは、それでもまだ弟って、感じだった気がするんだけど。
今はもう、兄として、弟としての距離感すら、分からない。

「あの、さ」
「ん?」
「双兄は、四天と、どんな話するの?」

ふと、気になって聞いてみる。
四天は、俺以外とは、どんな話をしているのだろう。
まさかあんなことを一兄や双兄にしているとは思わないが、それでも他の兄弟にはどんな態度なのだろう。

「四天と?」
「そう、二人の時、どんな話するの?」
「………」

その間に家に辿りついて、俺達は二人帰宅の挨拶をして家の中に入り込む。

「お帰りなさいませ、双馬さん、三薙さん」

すぐに家政婦さんが出てきて夕飯の有無を聞いて去っていく。
それから、自室に向かって歩きながら、ようやく双兄が答えをくれる。

「いつも通りだな」
「いつも通り?」
「そ。お前がいる時と同じような、俺がちょっかい出して、あいつが馬鹿にして流すって感じ」
「………そっか」

いつもは双兄が馬鹿なことを言って俺をからかって、俺がムキになって言い返す。
時折双兄は四天にも絡むけれど、四天は冷たくいなしてスルーしてしまう。
昔はもっと違った気がするな。
双兄が率先して俺達を遊びに連れまわして、俺と四天はその後をついていった。
木登りや鬼ごっこ、なんでも出来る双兄を俺達はとても尊敬していたのだ。
そういえば、四天はいつからか双兄にも慇懃無礼な態度をとるようになっていた。
勿論俺よりはずっときつくないのだが。

「………そっか。双兄も馬鹿にされてるんだ」
「お、なんだ三薙君。随分と挑戦的じゃないか」
「いた、いたたたたた、いたい!ごめ!ごめんなさい!」

思わずぼそりと言ってしまうと、双兄がヘッドロックをかけてきた。
俺はその腕を叩きながら、慌てて謝る。
しばらくぎゅうぎゅうに絞められてから、今日はこれくらいにしておいてやると言いながら放してくれた。
ぐいぐい拘束された喉が、痛んだ。

「ま、あいつ、兄貴以外は兄とも思ってねえしなあ」
「一兄?」
「そう。あいつ、兄貴だけは尊敬してる。敬意を払うつーか、一目置いてるつーか」

そうだった、だろうか。
あの二人が話しているところってあまり見ない。
四人でいるときも、それぞれ話すが、一兄と天が話すところって、ほとんどない気がする。
勿論話せば普通に話しているのだが。
そういえば天は一兄の言うことは昔から素直に聞いていた気がする。
でも、確かに一兄は潜在的な能力の総量で天には及ばないとしても、バランス感覚、技の鍛錬、その場の判断、その全てにおいては勝るとも劣らない。
次期当主として、完璧に近い人間だと思う。

「まあ、四天は力も強すぎるし、頭もよすぎるから、仕方ないんだろうけどな」
「………」

天は、双兄に対しても、兄を兄とも思わない態度を取ってるってことなのか。
俺だけじゃなかったのか。
一番馬鹿にしているのは、俺だろうけど。

「どうした?供給禁止の件か?」
「うん、それもあるけど、最近、あいつの様子、おかしいから」
「様子、ねえ」

双兄が、天井を見上げて、自分の髪をくしゃくしゃと掻きまわす。
それからいつもと同じようににやりと笑った。

「まあほら、四天君も思春期だから、色々と悩むことが多いのよ、きっと」
「………うん」
「ここはお兄ちゃんらしくどーんと構えてなさい!」
「………うん、分かった」

天も、何かに悩んでいるのだろうか。
だからあんなことをして、あんな態度をとるのだろうか。
理由を聞いても、何も教えてくれないけれど。

「………」
「困ってるのか。お兄ちゃんがなんか言ってやろうか」
「………ううん」

嫌ってもいいし、憎んでもいいし、嫌なら逃げろと言われた。
なぜ殺すほどに憎まないのか、形振り構わず逃げないのか、とも言われた。
嫌いだし、憎いとすら思ったこともある。
傷つけたいと思ったことも、ないとは言えない。
けれど、殺す、なんてこと、考えたくもない。
逃げたいのだろうか。
分からない。
俺は、どうしたいのだろうか。

「仕事から帰ってきたら、ちょっと話そうと、思う」
「うん。それがいいかもな」

双兄が今度はくしゃくしゃと俺の頭を痛いほどに掻きまわす。
いつもなら痛いと抗議するところだが、激励を感じたので素直に受け止める。

どんなに考えても、天の考えていることは、分からない。
想像もつかない。
でも、知りたい。
少しでいいから、知りたい。
理由があるなら、知りたい。

「頑張れ。まあ、とりあえずは仕事を頑張るか」
「あ、そうだよ。それで、どんな仕事なの?」

本題を思い出した頃に双兄の部屋に辿りつく。
汚く荒れ果てた部屋に入り、なんとか椅子を見つけ出して座る。
双兄はベッドにどっかりと腰かける。

「常連さんだ。そんな難しい仕事じゃない。俺の能力にあった仕事、だな」
「能力って、夢喰いの?」
「そう」

双兄の力は、夢喰い。
夢を操り、悪夢を喰らう。

「場所は隣の県の管理者の家だ。そう遠くはない。車で二時間ほど。そこで俺はその管理者の家の人間の夢に入る。それでまあ、悪夢を見ないように相手をする、って感じかな」
「悪夢を見ないように、相手?」
「ああ。ずっと寝ている人間がそこにいる」
「ずっと、寝ている?」

その言葉に、ざわりと嫌な感じの不安感が胸を覆う。
双兄の力を使うと言うことは、夢に入るということだ。
ずっと、寝ているというのは、どういうことなのだろう。

「そう。小さな女の子だ。ずっと目を覚まさない、女の子。たまに行って、遊んでやる。それが仕事」

想像して、胸に冷たいものが落ちる。
ずっと、寝ている女の子。
目を覚まさない。

「今回はお前も来て、一緒に楽しく遊んでやってくれ」
「………うん」

俺はその子の前で、普通でいられるだろうか。
楽しく遊んでやれるだろうか。
でも、そうしなければいけない。
それが仕事だろうし、それに、暗い気持ちで接するのなんて、その子だって嫌だろう。
だったら全力で、楽しく遊ぼう。
昔双兄が、遊んでくれたように。

「頼むな。あいつも喜ぶ」
「双姉?」
「ああ」

そうか。
今度は双姉との仕事でもあるのだ。
夢の中で主導権を握っているのは双姉。
つまり、夢の中で一緒に遊ぶのは、双姉だ。
子供のように双姉と遊ぶ。
それは、楽しそうだ。

「そっか。双姉と、遊ぶんだ。あ、双姉、この前の旅行、楽しんでくれた?」
「ああ。楽しんでたよ。また行きたいってうるさいうるさい」
「よかった」

双姉も楽しんでくれたのなら、よかった。
皆、楽しんでほしかった。
それが果たされたなら、言うことはない。

「少し会っていくか?」

双兄が楽しげな表情で首を傾げる。
本当はもっと会いたいのだが、力の関係や双兄が遊びまわってることもあり中々会えない。
だから、会えるなら会いたい。

「いいの?」
「ああ。力使うから、少しだけな。ほら、来い」
「うん!」

俺は喜んで立ち上がり、双兄のベッドへ急いだ。





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