「今回も海じゃなくて残念ですね」 自然にステアリングを操りながら、熊沢さんがバックミラーでちらりとこちらを見る。 相変わらずその隔たりのない楽しそうな話し方にはほっとする。 俺も少しだけ笑って頷く。 「はい」 「次は海だといいですねえ」 「仕事ですから。仕方ないです」 確かに海は見たかったけれど、これは遊びじゃない、仕事だ。 見れればラッキーだけれど、それを目的としている訳じゃない。 「おお、なんだ三男坊。随分しっかりとした答えじゃねーか」 「いた、いたいたいた、痛い!」 俺の答えに、隣にいた双兄がガシガシと頭を撫でる、というか叩いてくる。 大きな手で握りつぶすかのように力を込められると、痛い。 慌てて押しのけて距離を取ろうとするが、双兄は放してくれない。 「一人前になっちゃって。お兄ちゃんは嬉しい!」 「痛いってば!双兄の馬鹿!」 「誰が馬鹿だ!このチビ助が!」 「チビっていうな!」 後部座席でバタバタと喧嘩していると、熊沢さんがちらりとこちら見てにこにこと笑う。 「いやあ、仲がいいですね。羨ましいです」 「熊沢さん。前を見て運転してください」 そしてそれを助手席にいた志藤さんが冷静につっこみをいれた。 「はいはい。失礼しました」 熊沢さんは特に気を悪くした様子もなく前を向き直す。 志藤さんは、家の使用人の一人。 フレームの細い眼鏡が似合う、やや長めの髪と女性的な作りの綺麗な顔をした、少し神経質なイメージな人だ。 熊沢さんと同じ本家住みの人で顔を合わせることも多いが、いかにも使用人な人で宗家の人間とは一線を引いているので親しく会話したことなどはない。 まあ、熊沢さんが規格外なんだけど。 「三薙さん。海はいいんですか?」 「はい」 「おや、あんなに見たがってたのに」 確かに海は見たくて見たくて仕方がない。 青い青い、太陽の光を反射して輝く海が見てみたい。 でも、今はそこまで焦ってはいない。 「海は、来年友達と一緒に行きます」 だって、俺には約束があるから。 岡野と、一緒に海に行く約束が、あるから。 皆を誘って、皆で海に行く。 そう考えるだけで幸せな気持ちになれる。 「おっともだちが出来たんだもんなあ、みつは」 思わず想像して頬が緩んでいると、双兄が肩を組んで引き寄せてくる。 にやにやとして、からかう気満々の双兄の手を思いっきり振り払う。 「う、うっさいな!!」 「いやいやいや、お兄ちゃんは嬉しいのよ?お友達のいなかった三薙君がこんなに立派になって」 「だからうるさい!」 そしてまたからもうとする双兄を拒んでバタバタと攻防戦を繰り広げる。。 狭い車内で、車体が揺れそうなほど暴れていると、熊沢さんの笑い交じりの声が入る。 「ほらほら二人とも、車の中では暴れないでください。志藤君に怒られますよ」 「はーい」 「あ、は、はい」 慌てて返事をして、椅子に座り直す。 ちらりと覗いた志藤さんの顔は、無表情だったけれど、どこか呆れているように見えた。 「………」 ちょっとはしゃぎすぎたかもしれない。 気を引き締めなきゃ、また怪我をしてしまうかもしれない。 俺は気持ちを改めて背筋を伸ばした。 到着した家は、またかなり古く大きな家だった。 郊外にあるここは、住宅が立ち並んでいるが緑も多く、畑なんかもちらほらと見えたりする。 気温も、俺達の土地よりもずっと低く感じる。 塀で囲われた管理者の家は、一見しただけではどこまで続いているのか分からない。 宮守の家と同じか、それ以上に大きいかもしれない。 門から結構離れたところにある家は、古い平屋の日本家屋だ。 「また、大きな家だね」 「まあ、管理者の家だったらこんなもんだろ」 「まあね」 宮守の家と、その分家の家。 管理者の家ぐらいしか基本的に出入りしたことないから、俺としては普通だ。 でも、岡野とかの反応を見る限り、普通じゃないんだろうな。 塀から一歩入ると、他人の結界に入る時のなんとも言えないぞわりとした感触がした。 結構強めの結界が張ってあるようだ。 「双馬さん」 玄関先まで辿りつくと訪れを察知したのか、髪に白いものが混じった初老の男性と、更に年配らしい厳しい顔の和服の女性、それとほっそりとした中年の女性が家の中から出てくる。 穏やかな顔をした男性が、ゆっくりと頭を下げる。 「遠いところご足労をおかけいたしました。この度もおいでくださいましたこと、心から感謝申し上げます」 「お久しぶりです、度会(わたらい)さん。またお世話になります。こちらは宮守宗家の三薙と申します。今回は仕事の補佐をさせますのでよろしくお願いいたします」 双兄もよそゆきの顔と声で、頭を下げる。 紹介された俺も、慌てて双兄に続けて頭を下げた。 俺を見て度会と呼ばれた初老の男性が目を細める。 「はい、宮守家のご当主から伺っております。お初にお目にかかります、三薙さん。度会家当主、度会和則と申します。宮守家には大変お世話になっております。こちらは母の里です。三薙さんにおかれましても、以後お見知りおきいただきますようお願いいたします」 「ようこそおいでくださいました。里と申します。どうぞよろしくお願いいたします」 度会さんが隣にいた老女を紹介してくれ、里さんも頭を深々と下げる。 もう80歳ぐらいにはなっているだろうに、当主の母らしいきびきびとした所作だった。 紹介されない中年の女性はきっと家政婦さんか何かなのだろう。 「初めまして。宮守三薙と申します。まだ至らぬ身ですが宮守の名に恥じぬよう務めさせていただきますのでよろしくお願いいたします」 「お若いのにしっかりなさっている。どうぞ、中へ。仕事の前にどうぞおくつろぎくださいませ」 車を車庫に回していた熊沢さんと志藤さんも追いついて、すぐに家の中に案内してくれる。 中年の女性が荷物を持ってくれたから、やっぱり家政婦さんなのだろう。 女性に荷物を持たれるってのは、なんとなく落ち着かない。 「では、すぐにお茶をお持ちしますね」 「はい、ありがとうございます、佐々木さん」 双兄は女性の名前を知っているらしく、軽く笑って頭を下げた。 佐々木さんと呼ばれた人はにっこりと笑って頭を下げた。 ほんわかとした感じのいい人だ。 「ふう」 通された12畳ほどの和室に、座り込む。 やっぱり緊張していたので、身内だけにされるとほっとする。 それを見た双兄がにやにやと意地の悪い笑顔を浮かべてこっちを見ている。 「………なんだよ」 「お若いのにしっかりしてる、だってー」 「な!」 「いやいや、三薙君たらー。しっかりお仕事しちゃってるじゃないー」 「茶化すなよ!」 ああ、もうこの人は本当に仕方がないんだから。 からかわれて、顔が熱くなってくる。 一応俺だって今まで何回か仕事はしてきてるんだから、おかしなことじゃない。 でも、こんな風に言われると恥ずかしくなってくる。 「ちゃんと成長してるのね。偉い偉い」 「痛い!痛いってば、もう!何が悪いんだよ!」 「悪いなんて言ってないだろ!お兄ちゃんは弟の成長が嬉しいだけだ!」 今度は頬をつねってくるので、その手を振り払って逃げ出す。 すると追いかけてきて、プロレス技をかけて来ようとするので慌てて逃げる。 そしてバタバタとしていると、すっと志藤さんが立ち上がった。 「私は、外を見てまいります」 そのまま一礼して外に出て行ってしまう。 元々冷たい印象を受ける人だが、やっぱりどこか怒っているように感じる。 にこにことしていた熊沢さんに恐る恐る聞いてみる。 「志藤さん、なんか怒ってます?」 「彼は真面目ですからねえ。双馬さんみたいにふざけてるのが我慢できないんでしょう」 「俺はこんなに真面目じゃないか!」 「はいはい」 じゃれあう二人は、やっぱり気安い。 双兄もふざけているのは変わらないけど、やっぱり兄弟に対するものとどこか違う。 不思議な印象を受けていると、熊沢さんはにっこりと笑う。 「ま、あまり気にしないでいいですよ。仕事はするでしょうし」 「は、はい」 ちょっと気になるけど、気にしていても仕方ない。 使用人と必要以上に仲良くする必要はないと宮城さんや一兄からも言われている。 寂しいけれど、これくらいでいいのかもしれない。 俺としては熊沢さんぐらいの方がいいんだけど。 「それで、今回の仕事って、結局俺ってどうしたらいいの?」 夢に入って女の子と一緒に遊ぶ、としか聞いていない。 度会さんも慣れているからか特に詳細は言わないし、結局何をしたらいいのか分からない。 双兄はごろりと畳にだらしなく寝そべる。 「この奥に小さな離れがある。そこにいる子の夢に入って遊ぶ。それだけだ。お前はあいつと一緒にその子の相手してくれればいい」 「それだけ?」 「それだけ」 来る前聞いたのと同じことを繰り返される。 双姉と一緒に遊ぶってのは嬉しいけれど、なんだか仕事って感じがしない。 双兄は肘を立てて、手に頭を乗せる。 「まあ、その子の夢を開くと、変なものがうようよ寄ってくる。だから厳重に家の周りに結界を張ってから夢に入ることになる」 「変なもの?」 「オバケがいっぱい寄ってくるんだよ。ただ眠ってるだけならいいんだけどな。夢に入るために意識を開くと、彼女の匂いを嗅ぎつけて寄ってくる」 匂いを、嗅ぎつける。 どういうことなのだろう。 その子は闇なんかに狙われる存在なのだろうか。 「結界を張って、お二人を守るのは俺と志藤で請け負います」 首を傾げていると、熊沢さんが付けたす。 双兄はぱたぱたと手をふって、投げやりにいった。 「ま、お前はあまり気にせず遊んでればオーケー。寝て遊んでればいいんだ。いい仕事だろ。誰にでも出来る簡単なお仕事です」 それはそれでいいけれど、もっと聞きたいことは色々ある。 とりあえず、それはおいおい聞くしかないか。 「その子の名前はなんて言うの?」 双兄がにやりといやらしい笑い方をする。 「順子ちゃん。かわいいぜえ。お前手出すなよ」 「出さないよ!」 どうして本当にこの人はこういうことばっかりしか言わないのか。 そもそも小さい子なんだろう。 「ていうか何歳だよ」 「7歳だよ」 「出さねえよ!」 「16歳とかだったら出したのか」 「出さない!」 俺がムキになって噛みつくと、双兄と熊沢さんが声を上げて笑った。 |