気持ちのよい眠りから、徐々に現実へと意識が揺り戻される。
もう少しだけこの心地よさに浸っていたいが一旦感じてしまった布団の感触は、もう眠りの世界に戻してくれない。
仕方なく穏やかな暗闇から、攻撃的な光の中に戻るために目を開ける。

「………あ、れ、双兄?」

ちょっと離れたところで、双兄が同じように横になっていた。
いつも後ろで結んでいる髪をほどき、長い髪が顔にかかっている。
そうしていると中性的な顔立ちは余計に繊細に見えて、本当に女性のようだ。
そうだ、双姉に、よく似ている。

「………ん」

ゆっくりとふわふわの布団から体を起こす。
そういえば、双兄は布団も敷いてないのでちょっと体が痛そうだ。
枕も高くて堅そうだ、って思ったところで声がかけられた。

「三薙さん、起きましたか?」
「熊沢さん!?」

ぼんやりとしていた意識が急激に覚醒して、飛び起きる。
すぐ傍に壁に背を預けた熊沢さんが座っていた。
というか、双兄が枕にしているのは熊沢さんの膝だった。

「しー」

熊沢さんが悪戯っぽく笑って、指を一本立てる。
慌てて自分の手で口を塞ぐ。

「まだお昼ですよ。もう少し寝ていたらいかがですか?」
「いえ、目が覚めちゃったので」

どうやら四時間ほどしか寝ていなようだ。
けれど供給をしたせいか頭はすっきりしているし、体も軽い。
眠気はまだ脳の芯に残っているが、調子は悪くない。

「………えっと、熊沢さんこそ、寝てないでしょう」
「そうですねえ。双馬さんが起きたら少し休ませていただきます」

双兄は俺達がひそひそと話していても起きる気配がない。
そんなに寝心地はよくないだろう男性の膝に頭を預けて、あどけない顔をしてぐっすりと眠っている。
確かに起こしてしまうには忍びない、気持ちよさそうな寝顔だ。

「………代わりましょうか?」
「いえいえ、もうしばらくしたら起きるでしょう」

熊沢さんはにっこりと笑って首を横にふった。
迷惑そうな様子はなく、なんだかとても慣れているようにも見える。
それくらい双兄も熊沢さんも自然だった。
俺は双兄の兄の姿しか知らないから、こんな無防備な双兄なんて、初めて見たかもしれない。

「………こんな風に双兄、熊沢さんに甘えること、多いんですか?」
「甘えるなんて恐れ多いですが、小さい頃から一緒にいますからね。昔はこんな風に懐いてくれたこともあったんです」

そっと双兄の顔にかかった長い髪を指先で払う。
双兄がわずかに身じろぎして、顔を脚に摺り寄せる。

「寂しいことに最近はさっぱりだったんですけどね。今日はお疲れだったみたいで、話しているうちに眠ってしまったんです」
「なんか、兄弟みたいですね」

本当に、そう見えた。
ちょっとだけ悔しくて寂しいけれど、でもとても微笑ましくなる光景。
それに加えて、これをネタに双兄をからかうことが出来るかな、なんて思った。
俺のことをブラコンブラコン言うけど、兄代わりに甘えているのは双兄も一緒だ。

「そうですか、光栄ですね」
「はい」
「そうしたら三薙さんのお兄ちゃんでもありますね」
「あは、そうですね。そしたら楽しそうですね」

熊沢さんが兄だったら、それはそれで楽しかっただろう。
気さくで楽しくて優しくて、でも強くて頼もしい人。

「ん」

俺達がくすくすと笑っていると、双兄がむずがるように寝がえりをうつ。
慌てて笑うのをやめて、しばらく二人黙りこむ。
双兄の安らかな寝息が聞こえてきて、ほっと一息つく。

「俺、少し外に出てますね」
「はい。双馬さんが起きたら、度会さんに話を聞きましょう」
「はい」

そして俺は兄弟のように眠る二人を置いて、離れを後にした。



***




外はとてもいい天気だった。
冬のぼんやりとした陽射しが眩しくて、目がくらむ。
こうやって明るい所にいると昨日の長い夜が、まるで夢だったように感じる。

「おやまのうえにすんでいる、みつめがみ、やまのむこうの、ひとのこみつめる………」

高く澄んだ幼い声が、何かを歌っている。
独特の切なさと哀愁が漂う唄は、どこかで聞いたことがあるような気もした。

「誰だろ」

母屋の方から聞こえるから、そちらに足を運ぶ。
唄は止んで、代わりに何かを言い争う声が聞こえてきた。
声は二つ。
さっき歌っていた声と、もう一つ、大人の男性の声。

「ねー、いいじゃん」
「それは、承諾しかねます」
「しょうだくって何?」
「えっと」

母屋の前の庭は、順子ちゃんの夢では随分緑が多かったが、がらんとしている。
ああ、あの夢の庭より、随分植物自体がなくなっているんだ。
そこでは小さな少年と、細身の男性が何やら揉めていた。
というか男の子が詰め寄っていて、志藤さんが困ったように顔を顰めている。

「志藤さん?」
「あ、三薙さん!」

声をかけると志藤さんの顔を輝いた。
どうやら困り切っていたようで、縋るようにこちらを見てくる。

「えーと、君は?」

何がなにやら分からなくて、とりあえず小学校高学年ぐらいに見える少年に話しかける。
すると少年は偉そうに顎をあげて、鼻を鳴らす。

「お前が誰だよ」
「あっと、ごめん」

生意気な態度にちょっとムカっとしたが、名前を聞くならまず自分からってのは基本だ。
腰を少しかがめて、笑いかける。

「俺は、三薙。えーと、今、この家にお客さん来てるの、知ってる?」
「ああ、うん、お父さんが言ってた」
「そのお客さん。お父さんってことは、君は度会の家の子?」

そういえば、和臣さんには俺より少し年下の子供がいるって言ってたっけ。
ていうか少しじゃないぞ。
結構年下だぞ、これは。

「度会和彦」
「そっか。よろしく、和彦君」
「うん」

俺が改めて挨拶をすると、胸を張って偉そうに名乗ってくれた。
どうやら随分と勝気な性格らしくて、苦笑が漏れてしまう。

「それで、何してたの?」
「そっちのお兄ちゃんに遊ぼって言ってるのに遊んでくれねーの」
「ああ」

指さす和彦君につられて志藤さんに視線を向けると、志藤さんはバツが悪そうに俯いた。
別に怒ってたりする訳でもないのに、叱られた子供のようだ。

「双馬と亮平は遊んでくれたのに」
「へえ、あの二人が?」
「そうそう」

やっぱり偉そうに和彦君は頷く。
まあ、あの二人だったらノリノリで遊んでくれそうだ。

「じゃあ、俺とちょっと遊ぼっか」
「三薙が?」
「うん。お爺ちゃんとお父さんに用事があるから少ししか駄目だけどね」
「ま、しかたねーな。遊んでやるよ」

どこまでも上から目線な上に、いつのまにか呼び捨てだ。
なんだか清々しくなるほどにヤンチャって感じだな。
腹立つ前に面白くなってしまう。

「何してたんだ?そういえばさっき歌ってなかった?」
「ああ、これ」
「ボール?」

和彦君が脇に置いてあったオレンジ色のゴム製のボールをとる。
そして勢いよくそれを地面につき始める。

「おやまのうえにすんでいる、みつめがみ、やまのむこうの、ひとのこみつめる、よそみをしたら、ふためがみ、おやまにうえにすんでいる、ふためがみ、やまからおりて、ひとのこくらう、ひとのこくらってひとめをさがす」

哀愁漂う唄を元気よく歌って、和彦君がボールを操る。
地面につきながら足の間を何度かくぐらせて、最後は強くついてバウンドさせ、その場で一周りしてキャッチ。

「へー、うまいな!手鞠唄か」
「てまりうた?」
「えーと、そういうボールをついて歌う唄」
「へー」

和彦君はてまりうたてまりうたと何度か口の中で繰り返す。

「知らなかったの?」
「唄とボールだけ教わっただけだから」

ま、そんなもんか。
俺だって小さい頃、手鞠唄なんて言葉知らなかった。
いや、母さんに教えられて知ってたか。

「それで遊ぶ?」
「やだよ、こんなん。一人だったからこれしてただけで」
「そうなんだ。じゃあ、何すんの?」

聞くと腕を組んで考え込む。
それからぱっと顔をあげて、満面の笑みを浮かべる。

「じゃあ、サッカーしよう!」
「三人で?」
「え、私もやるんですか!?」

ナチュラルに数にいれていたら、志藤さんが驚いたように声を上げる。

「勿論ですよ」
「入れてやるよ」

俺達の言葉に志藤さんは口をぱくぱくとさせている。
眼鏡の下の目がまんまるになっていて、なんだか面白い。

「まあ、蹴り合いでいいよ」
「分かった」

しぶる志藤さんを無理矢理促して、ボールの取り合いを始める。
この前幼稚園で鍛えたから、ボール扱いは中々のもんだ。
小さくてすばしこい和彦君をなんとか逃がさないようにブロックしながら、そのボールを狙う。
志藤さんは困ったようにうろうろとしている。

「あれ、三薙、なんか変なの」
「は?」

ボールを奪い合っていると、和彦君が俺を見上げて瞬きする。
何かと思ってつい立ち止ってしまう。

「なんか、力の流れ方、変なんだな」
「え」

言葉の意味を考えていると、カラカラと音がして玄関から人が出てきた。
そして家の前の庭を見て、目を吊り上げた。

「和彦!」
「あ、爺ちゃん!」

怒気を含んだ声。
和彦君がしまったという顔をして跳ね上がる。

「お客様に何をしてるんだ!今日はこちらに来るなと言っておいただろう!」
「遊んでやってたんだよ!」
「こら!」

悪びれない態度でベロを出すと、近寄る度会さんから背を向ける。
そしてそのまま駆け出して、通りすがりに俺に手をふる。

「じゃーな、三薙」
「あ、うん、ばいばい」

俺はその素早い動きに反応出来ず、ただ手をひらひらと振る。
あまりにも鮮やかな逃亡に、放心してしまう。

「申し訳ございません、三薙さん」

度会さんが、すぐ傍まで来て頭を深々とさげる。
俺はただ苦笑しか出てこない。

「いえ、元気なお孫さんですね」
「元気すぎて困ってます」

心底といったようにため息をつくのに、また笑ってしまう。
なんだか昔の双兄みたいにヤンチャで暴君な子だった。

「こら、和彦!」
「うっせー、クソじじい!」
「こら!」

塀の外からまた言い争う声が聞こえてくる。
どうやら父親にも見つかったようだ。
思わず度会さんと顔を見合わせて笑ってしまう。

「本当に申し訳ない」
「いえ、とてもいい家ですね」
「お恥ずかしいばかりです」
「いえ、本当に、明るくて、なんだか、管理者の家じゃないみたいだ」

度会さんが困ったように眉を潜める。
それで自分の言ったことに気付いた。

「あ、すいません!」
「あはは、ありがとうございます」
「え、えっと、悪い意味とかじゃなくて………」
「分かっています」

度会さんは慌てる俺に、鷹揚として笑う。

「どうしても古い因習に縛られますからね、管理者というのは。あの子は縛られずにまっすぐに育ってほしいです」

俺が見てきたのは、仕事で関わった二家と、つながりのあるいくつかの家。
でも、そのどれもがどこか暗くどんよりとしているように感じた。
宮守の家さえも、例外ではない。
どうしてもどこが居心地の悪い暗闇を内包しているように感じる。

「そうですね。ただ、和彦君は力がありそうですね」

先ほどの、力のことを言及したことを思い出す。
どうやら俺の力の流れが、彼には見えていたらしい。
度会さんが苦笑しながら頷く。

「ええ、当家の中では恐らく一番才能があるでしょう。力に振り回されないといいのですが」
「………」

力があること、力がないこと。
どちらも、行き過ぎれば負担になるのだろうか。

「あ、すいません、このような話をしにきたのではなかったです。昼食の用意をしておりますが、いかがいたしますか?」
「あ、ありがとうございます。兄がまだ休んでいたのですが、ちょっと様子を見てきます」
「すいません、お願いいたします」

度会さんが頭を下げて、母屋の中へと戻って行く。
残された俺は一つため息をついて、急に静かになった庭を見渡す。
隣には先ほどから所在なさげに立っていた志藤さん。
そういえば志藤さんは休んだんだろうか。
この人も俺をずっと励ましながら起きていたから、寝ていないはずだ。

「志藤さんも行きましょうか」

志藤さんの休憩をどうするかも、聞いた方がいいだろう。
目の下にクマが浮かび、顔も青白い。
俺の言葉に頷いて、志藤さんが後ろからついてくる。

「………すごいですね、三薙さんは」
「何がですか?」
「………私は、あんな風に子供とも、他人とも、接することができません」

消え入りそうな声で、ぼそぼそと話す。
今度はそんなところで落ち込んでしまっていたらしい。

「………本当に私は迷惑かけてばかりです」

別にそんなことでは誰も怒ってないのに、志藤さんはしょんぼりと肩を落とす。
俺は立ち止って振り返り、志藤さんの手を握って、その目を見る。

「志藤さんは志藤さんらしく、していればいいと思いますよ。俺は志藤さんの真面目なところ、好きですよ」
「………」

志藤さんは納得していない様子で口を尖らせる。
なんだか本当に既視感を感じてしまう。

「ははっ」
「………どうしたんですか?」

思わず笑ってしまうと、志藤さんが自分が笑われたかと思ったのか声がより小さくなる。
俺は笑いながら首を横にふった。

「いや、俺もいじけてばっかりです。なんか、こんな風に偉そうに言ってるのって、変な感じ」
「三薙さんは、いじけているんですか?」
「後ろ向きで暗くて、いつだってネガティブでうじうじしてます」

そうだ。
何かあるたびに失敗して落ち込んで、それでまた復活して失敗して落ち込んで。
ぐるぐるぐるぐる繰り返し。
他人に迷惑をかけてばっかり。
いつも俺が言う言葉だ。

「………確かに、家にいる時に三薙さんはいつも萎縮しておどおどしているように見えました。だから頼りなくて見えて、これで宗家なんて平気なのかって、あ、すいません!」
「いえ、そのとおりです」

口を抑える志藤さんに笑って見せる。
だって、彼の言ったことは本当だ。
けれど笑って頷く俺に、志藤さんは眼鏡がとれそうなほど激しく首を横に振る。

「いいえ!話してみると全然違くて………、強くて優しいです」
「え、と、そんなじゃないけど………」

この人の中で俺はどんな評価になっちゃってるんだろう。
大分情けなかったと思うんだけど。
まあ、この人が慌てて落ち込んでくれてたおかげで、俺が落ち着いていられたってのがある。

「でも、落ち込んでばかりいても、仕方ないから」

いつまでも失敗ばっかり。
落ち込んでばっかり。
でもそれでも、落ち込んでばかりじゃ、仕方ない。
それは、分かっているから。
それでも、落ち込んでしまうんだけど。

「後一日、頑張りましょうね、志藤さん」

でも、こうやって強がりでも笑うしかない。
特に、俺のことを強いと言ってくれた岡野と志藤さんの前では、強くありたい。
落ち込んでも泣いても喚いても、最後には強くありたい。

「はい」

志藤さんはちょっと笑って頷いてくれた。





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