「う、ぐっ、くぅ」

腹の中を食い荒らす闇の力はいまだに暴れまわっている。
眠っている女性のことを聞きたいけれど、それよりも今はこの体の中の力をどうにかするのが先だ。
大分使ってしまったとはいえ、力はまだ残っている。
なんとか押さえこまないと。

「三薙さん!?」

志藤さんが呻く俺を覗き込んで、焦ったように名前を呼ぶ。
答えたいが今声を出したらきっと叫び声になってしまうだろう。

「志藤君、三薙さんの中を綺麗にしてあげてください」
「あ、えっと」
「普通に祓えば平気です」
「は、はい」

熊沢さんの落ち着いた声が響く。
すると、苦しさから丸めた体を横たえられて腕を抑えられる。
志藤さんの暖かな手が俺の額に触れる。

「三薙さん、失礼します」
「んっ」

額をとおって喉、胸の真ん中を突かれる。
そして志藤さんの高めの声が呪を唱え始める。

「汝、闇を身に宿し清きものよ、その闇、我が力によって打ち祓うべく………」

志藤さんの力がじわりと胸から伝って、腹の中を食い荒らす闇を抑え込もうとする。
祓われているとは分かっているが、志藤さんの力と黒い獣の力がぶつかる衝撃に、体が跳ねる。

「う、くっ、あぅ」
「すいませんっ」

志藤さんの申し訳なさそうな声に、こちらも申し訳なくなる。
そんな謝ることなんてない。
一人では抑え込めない、俺が悪いのに。
早く祓ってしまわなければ。
自分の力も足して、なんとか暴れまわる黒い力を抑え込む。

「く、ぐぅ」

志藤さんの力と俺の力で合わせて、なんとか最後の一欠片まで消滅させる。
終わった頃には全身汗びっしょりで、指先を動かすのも億劫なほど疲れていた。

「大丈夫ですか、三薙さん?」
「は、い………、ありがとうございます。楽に、なりました」
「………よかった」

志藤さんが頬に張り付いた俺の髪を払ってくれる。
それからハンカチで汗を拭ってくれた。
いまだに心配そうな目をして、俺をじっと見ている。
なんだか飼い主の帰りを待つ犬のようだ、なんて失礼なことを思って少し笑ってしまった。

「結界の綻びは修繕しました。後はここで立て籠って朝を待つだけです」
「くま、さわさん」

熊沢さんも俺の傍らに来てしゃがみこむ。
倒れ込んだまま、室内に視線を巡らせる。
隣に双兄が穏やかに眠っているのを見て胸をなでおろす。
その隣には縛られ自由を奪われた度会さん。

更に視線を映すと、わずかな明かりしかない薄暗い部屋には、よく分からない機械がところせましと詰められていた。
その機械から伸びる配線やチューブ。
チューブは、部屋の真ん中に眠る女性に繋がれていた。

「………この人が、順子ちゃん、ですか?」
「はい。その通りです」

熊沢さんが特に気負うことなく、なんでもないことのように言った。
俺が夢の中で出会った小さく無邪気な少女。
けれど目の前にいる女性は明らかに、俺よりも父さんよりも年上だ。
わずかに、夢の中の少女の面影は残ってはいるが。

「あの、順子ちゃん、なんですか?」
「そうですね。7歳の頃からずっと眠っています。そろそろ60年ぐらい経つんですかね」

60年。
その一口では語れないほどの長さに、言葉を失う。
熊沢さんは相変わらず朗らかに笑っている。
そして顔を腫らし血にまみれて横たわっている度会家当主に話しかける。

「ねえ、度会さん?」

度会さんは無表情に口をつぐんでいるだけだった。
しかし、それは否定ではないのだろう。

「なん、で………」
「………」

俺の思わず漏れてしまった言葉に、度会さんが僅かに身じろぎする。
けれど何も言わず、答えてくれたのは熊沢さんだった。

「夢をずっと見ているんですよ、度会家のためにね。彼女の予知が、度会家の繁栄の礎です」

未来を読む巫女。
その予知により繁栄してきた一族。

「三つ目神、って」
「お山の上に住んでいる三つ目神、ですね。元々遠見の力を持っている神だったみたいです。その力の源を奪って、巫女に宿した。それから巫女はずっと予知を見る」
「なんで、眠って」

起きていても、いいじゃないか。
眠って予知を見れるなら、それ以外の時は起きていればいいじゃないか。
けれど熊沢さんはあっさりと否定する。

「起きてるとあいつが取り返しに来るんです。短期間ならともかく長期間に渡ると防ぎきれなくなりますからね。だから用のない時はずっと深い眠りについているんです」
「………用って」
「失礼。巫女の安全を慮って気配を悟られないようにしてるんです」

隣の部屋からは相変わらず濃厚な闇の気配がする。
あの黒い獣がいるのだろう。
金色の目を二つ持つ、黒い獣の姿をした神。

「元々三つ目神は人に友好的な優しい神だったそうですよ。人の子達を優しく見守っていたそうです。それが今じゃあんなですけどね」

朗らかな口調は、けれどどこか揶揄しているように感じる。
まるで天が人を馬鹿にする時のようなで、少しだけ不快感を覚えた。

「それで半年から一年に一度、夢問いをして、予知を授かる。その間巫女の気配が濃くなるために、三つ目神が目を取り返しにくるんです」

返して返してと繰り返す、力を失った神。
人の子をくらって目を探す神。
けれどそもそも、奪ったのは人間だ。

「昔はせいぜい10年から20年ぐらいだったらしいんですけどね。巫女の代替わりのスパンも。でも」

熊沢さんが顎で部屋の中を指し示す。
所狭しと敷き詰められた機械の数々。
それらは全て布団の上の女性に繋がれている。

「この通り科学が発達したせいでもっと持つようになっちゃったみたいです。だから、順子ちゃんは60年間ずっと眠り続けている」
「………」

無邪気に笑う少女。
7歳の、幼い少女。

「く、そ!」

度会さんのしわがれた声が響いて、咄嗟にそちらを振り向く。
満身創痍で縛られた老人は、それでも力を振おうとしている。

「まだそんな力があるんですか」

呆れたように言って熊沢さんが度会さんに近づく。

「熊沢さん、駄目です!」

いまだに普段とは違う不穏な気配を漂わせる人を止めるために、俺もなんとか起き上がる。
そして熊沢さんと度会さんの間に入った。

「三薙さん?」
「俺がやります」

それだけ言って、度会さんに向き合う。
これ以上の暴力は見たくない。
人が痛めつけられるところは、見たくない。
俺もそろそろ辛いが、これくらいなら出来るはずだ。

「………すいません、度会さん」
「みなぎ、さん」

度会さんの額に手を置く。
血に濡れて腫れた顔は痛々しいけれど、それでも挑むように俺を睨みつけている。
そこまでして、この人は三つ目神に力を返したかったのか。
それは、誰のためか。
そんなの、考えるまでもない。

「………あなたが、かっちゃんだったんですね」
「………っ」

度会、和則。
順子ちゃんの大好きな、かっちゃん。

「少し苦しいかと思いますけど、すいません」

呪を唱えて、力を集中する。
栞ちゃんにこの前施された技。
体内の力の調整を狂わせる術。
それを少しアレンジして、度会さんの力の源を塞ぐ。

「っ」

初めて人に使う術だったが、うまくいったらしい。
度会さんの全身に溢れていた力が収束していく。
そしてしばらくして限界がきたのか、度会さんの全身から力が抜けた。

「………気を失った、みたいです」

床に体を投げ出した度会さんは、眉を寄せた苦しそうな顔のまま意識を失っていた。
そもそも動くのは、もう限界だったのだろう。

「三薙さんは優しいですね」

熊沢さんがにこやかに笑いながら朗らかに言う。
いつも優しい明るい人だが、今はその明るさがそぐわない。
酷く歪つに感じた。

「………これで、正しかったんでしょうか」
「宮守家にとっては間違いなく」

それは、そうだ。
ここで度会さんの思惑通り三つ目神の侵入を許していたら、仕事は失敗だ。
原因が度会にあるとしても、宮守の名に傷はついただろう。
宗家が二人も出張っているのだ。

「双馬さんの身の安全的にも、最善の行動でした」

熊沢さんが重ねて告げる。
確かに、順子ちゃんが襲われていたら双兄だってどうなっていたか分からない。
それなら、これが俺のできる最善。

「………です、よね」

それは分かっているのに、なぜか胸に苦しいものが燻ぶっていた。





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