後部座席の柔らかなソファに身を沈めて息をつく。 供給してもらったが、双兄も疲れているので満タンにはされてない。 体はわずかにだるさを感じていた。 「三薙さん、大丈夫ですか?」 「………はい、大丈夫です」 運転席にいる志藤さんが心配そうにバックミラーでこちらを見ている。 俺は笑って頷いた。 力の不足よりも、寝不足と疲れの方が問題だ。 「少し眠っていてくださいね」 自分も寝ていないだろうに、志藤さんが気遣ってくれる。 本当にいい人だ。 優しい人の言葉に、自然と礼が口をついて出ていた。 「ありがとうございます、志藤さん」 「いえ?」 「今回は志藤さんがいてくれて、本当に助かりました」 今回のことを全て含めた礼を言うと、志藤さんが何度も瞬きをした。 少し落ち着かないように身じろいだのが後ろから見える。 「………い、いえ、私なんて、全然お役に立てずに」 「助かりました。本当に俺一人だったら大変なことになっていたと思います」 志藤さんがいたから落ち着いていられた。 二人でいたから怖くなかった。 力を合わせて、夜を乗り切ることが出来た。 全部全部志藤さんのおかげだ。 俺一人じゃ、どうなっていたか分からない。 「そんなことありません!三薙さんは強い方です!」 「いや、そんな………」 力強く断言されて、言葉を失う。 それはさすがに、嬉しいけれど過大評価すぎる。 お世辞じゃなくて、本気で言っているようだからより困る。 「三薙さんのおかげで、私はここに無事でいれるんです!全部三薙さんの力です!」 「え、と」 さすがに恥ずかしくなってくる。 ていうかなんかいたたまれない。 黙りこむ俺に、助手席にいた熊沢さんが小さく笑う。 「いえ、でも本当に三薙さんの今回の働きは、俺が言うのも僭越ですが素晴らしかったと思います。現状認識、咄嗟の判断、経験不足の志藤君を補ってうまく使ってましたし、三薙さんがいらっしゃらなかったらそれこそ大変なことになってましたよ」 「いや、そんな」 なんだこれは、褒め殺しか。 新手の嫌がらせなのか。 「よくやったよ」 横にいた双兄が俺の頭をくしゃくしゃと撫でる。 その感触に驚いて跳ねあがる。 「そ、双兄」 「つーかお前、別に自分で卑下するほど駄目じゃないけどな。確かに力は少ないけど、自分の力を弁えた冷静な行動が出来てる。兄貴も言ってたしな」 いつも滅多に褒めない次兄の褒め言葉に、更に落ち着かなくなってくる。 顔が熱くなって、きっと真っ赤になっているだろう。 やっぱりこれは嫌がらせなのか。 俺はそんな風に言われる人間ではない。 「な、何、みんなして」 「だから、よくやったってねぎらってやってんだろ」 「嘘だ!なんかの嫌がらせだ!」 ついそんな風に言ってしまうと、頭を撫でていた手ががしっと頭を抑える。 そして万力のように力を入れる。 「俺が珍しく頑張って褒めてやってんだから素直に受け止めろよ!」 「いだ!いだだだだ!自分で珍しいとか言うな!」 手をなんとか振り払って、双兄から身を離して席の端に避難した。 上がってしまった呼吸を整えるために、深呼吸する。 頭がまだじんじんする。 「ま、とにかく、結構頑張ってたじゃない。お仕事ちゃんとこなしてたぜ?」 「………でも、それは」 それは、俺も少しは経験を積んだから。 落ち着いて行動する術を学んだから。 失敗を何度も繰り返したから。 「………」 その失敗をフォローして、俺の至らないところを突きつけたのは誰か。 役立たずの俺に、それでも分を弁えた行動を教えてくれたのは、誰だったか。 「三薙?」 「あ、いや」 黙りこんだ俺に、双兄が怪訝そうに問いかける。 首をふって考えを振り払う。 「今回は本当にご迷惑おかけしました。今後三薙さんのお力に少しでもなれるよう、精進いたします」 「そ、そんな、なんか………」 そんな風に言われるような働きもしてない。 俺の方が今度は志藤さんの役に立つように修行を積まないと駄目だ。 そう言おうとすると、その前に熊沢さんの声が割って入る。 「ああ、志藤君。家に帰ったら今みたいに三薙さんに馴れ馴れしくするのは駄目だよ」 「………はい、心得てます」 熊沢さんの飄々とした、けれど厳しい言葉に、志藤さんが堅い声で承諾し、一つ頷く。 その言葉に慌てるのは俺の方だ。 せっかく仲良くなれたのに、今更よそよそしくされるのは嫌だ。 「そんな、少しくらいなら!」 「お前もだ、三薙」 けれど、そんな俺を止めたのは双兄。 静かな声で前を向いたまま告げる。 「少なくとも親父と兄貴、宮城の前で志藤と親しくしたりするなよ」 「でも!」 確かにその人達は身分とか立場とか分を弁えるとか、そういったことを大事にする。 けれど少しぐらい親しくしたって、許してくれるだろう。 そんなの今の時代、本当に古臭い、くだらないしきたりだ。 「親しくしてるところを見つかって処分を受けるのはお前じゃなくて志藤だ」 「っ」 そう言われると、何も言えなくなる。 確かに俺は少し叱られるぐらいで済むだろう。 けれど志藤さんがどうなるかは分からない。 「いいな」 「………双兄と熊沢さんも仲がいいのに」 分かってはいるものの、最後にそんな恨みがましい言葉が出てしまう。 二人はこんなに仲がいいのに、俺だけが許されないなんて、ずるい。 けれど双兄は軽く肩をすくめる。 「俺と熊沢はまた別の事情があるからな」 「………」 そんなの、ずるい。 俺だって志藤さんと仲良くしたい。 理性では分かっていても、納得できない感情。 「ま、今度内緒で外に一緒に遊びにつれていってやるから」 黙りこんだ俺に、苦笑して双兄がまた頭を掻きまわす。 双兄に向き合って勢い込む。 「本当!?」 「ああ、それでいいよな、志藤も」 「え、ええ!?そ、そんな恐れ多いです!」 急に話をふられた志藤さんが飛び上がって首を横に振る。 ちょっと車が揺れて危ない。 「うっさい、命令。拒否は認めません」 「え、ええ!?」 慌てふためく志藤さんに、熊沢さんがハンドルとだけ告げる。 それでとりあえず運転は持ち直した。 目を白黒させる志藤さんが、なんだかかわいい。 「双馬さんも、甘いですねえ」 「お前が辛すぎるんだよ」 双兄の言葉に、熊沢さんは軽く肩をすくめた。 友人とは違うかもしれないが、この優しい人とこれからも親しくしていきたい。 隠れてこそこそ付き合うなんて、馬鹿馬鹿しい。 けれど余計なことをして、志藤さんに迷惑がかかるのも嫌だ。 「一緒に、遊びにいきましょうね。志藤さん」 「え、っと、その」 「楽しみにしてます」 一方的に言い切ると志藤さんは困ったように小さく呻いた。 けれど、それから一つ頷いてくれた。 その困惑した様子がおかしくて、俺と双兄と熊沢さんが同時に笑った。 家に帰る前に別の場所で下ろしてもらった。 ほんの少し前まで通っていたけれどひどく昔に感じる、懐かしい校舎。 門から少し離れて、帰宅していく生徒たちを眺める。 しばらくして目当ての人間は現れた。 遠目から見ても一際目立つ、存在感のある少年。 三人ほどの友人達と一緒に談笑しながら出てくる。 あいつ、友達いたんだな。 「………兄さん?」 綺麗な顔をした弟は俺の姿にすぐに気付いて、何度か瞬きした。 こんな風に向き合うのはいつぶりだろう。 「よ、ごめんな、急に」 軽く手をあげて、天に近づく。 天の周りにいた友人達が俺をじっと見てくる。 「お兄さん?」 「うん。ごめん、今日は兄さんと一緒に帰る」 「分かった。じゃあな」 「ばいばい」 「お兄さんもさよなら」 「ごめんな。ありがと」 手をふって友人達が去っていく。 残されたのは俺と天の二人。 登下校中の生徒が溢れる門の前で、ただ佇む。 「………」 なんだか、落ち着かない。 あんなことがあってから、まともに話してなんかいない。 けれど天は俺の動揺なんて気にせずいつも通り。 「帰ってきたんだ」 「うん、ついさっきな」 「で、なんの用?」 「………」 どうやって俺は天と話していたっけ。 何を話していたっけ。 思い出せない。 何も、思い出せない。 黙りこんだ俺に、これ見よがしに天がため息をつく。 「何?」 「その………」 「何度も言うけど、俺別に暇じゃないんだけど」 いつもと変わらない、嫌みたらしい言葉。 そうだ、これがいつもの天だ。 人を馬鹿にしたような憎たらしい態度。 そう、これが、天。 「うん。ごめん。少し話があるんだけど、時間貸してもらっても、いいかな」 |