中学校から家までの帰り道
滑り台とブランコとベンチぐらいしかない小さな児童公園に立ち寄った。

「何飲みたい?コーラ?」
「うん」

公園の前の自動販売機でジュースを買って渡す。
天はその見かけとは裏腹に子供味覚でジャンクなものが大好きだ。

「はい」
「ありがとう」

俺はウーロン茶を買って、なんとなしにブランコを囲う鉄製のシンプルな柵に腰掛ける。
天も俺の隣に腰掛ける。
二人でプルトップを開ける音が響いた。

「………」

どうやって切りだそうか、言葉を探す。
見つかる前に、一口コーラを煽った天から話しかけてきた。

「なんか、仕事大変だったらしいね」
「………うん。色々トラブルが、あって、後始末は、父さんと度会家の次期当主でするってことだったけど」
「ま、いつものパターンだね」

後のことは結界を張り直しに訪れた家の人間に任せて俺達は一足先に帰った。
度会さんの処分については度会家と父さんとで話し合うらしい。
どうなるのか知りたいが、この前の時と同じく俺が知ることは出来ないだろう。

「兄さんは本当に引きがいいなあ。管理者の家の不祥事って多いことは多いけど、神祇省はともかく他家に不祥事を晒すことってほとんどないのにね。すごいね」
「………」

感心したように笑って手を叩く。
まるで俺が行ったことによって、その家に災厄が訪れたような気分になる。
天は、分かっていて、やっているのだろうけど。
そうだ天はいつも、俺を怒らせるような言動をする。

「………お前って、どうしてそういう言い方すんだよ」
「気に障った?ごめんね」

そうやってくすくすと嫌みに笑うのも、いつものこと。
天は栞ちゃん以外の人間には総じて慇懃無礼だ。
けれど、こんな風に挑戦的で怒らせるような言い方をするのは、俺だけ。
よく考えれば、そうだ。
天の挑発的な言動は、俺だけに向けられたもの。
だったら、俺に言いたいことが、きっとあるのだ。

「それで、わざわざ学校にまでお出迎えに来てくれて、どうしたの?」
「………突然、悪い。その………」
「うん」

目を閉じて、ひとつ息をつく。
憎まれているのだろうか、と思った。
俺の天への態度は、お世辞にもいいとは言えなかった。
嫌われても憎まれても、当然だ。
でも、双兄も双姉も、そして天自身も、俺を嫌ってはないと言う。

「俺は」
「うん?」
「俺は、お前のことが、天の事が知りたい」

顔をあげて隣に向き直り、まっすぐに目を見つめて告げる。
俺に言いたいことがあるなら知りたい。
嫌われてないなら、どうしてそんな挑発的な態度を取るのか知りたい。

「………」

天は面喰ったように目を丸くして、何度か瞬きする。
そして、一瞬後にくっとおかしそうに噴き出す。

「天?」
「また唐突だね。まるで愛の告白みたい」

そして意地悪く笑いながらそんなことを言った。
俺は自分の言葉の意味を反芻して、何を言ったのかようやく気付く。

「え!?ち、ちが!」
「あんなこともしちゃった仲だしね。愛が芽生えちゃった?」
「ば!」
「でもごめんね、俺には栞がいるんだ」

天が、馬鹿にするようにくすくすと笑う。
馬鹿にするように、じゃない。
まさしく馬鹿にしてるのだ。

「そんな風に茶化すな!」

怒りが腹の中をぐるぐると渦巻く。
俺がどんなに真面目にこいつに向き合おうとしても、天はいつだってこんな風に逃げる。
向き合ってくれさえ、しない。

「お前は、いっつもそうだ!俺が真面目に話そうとしても、すぐにそうやってふざけてはぐらかす!」
「そんなつもりはないけど」
「嘘だ!」

つい堪え切れずに、叫んでしまう。
天は俺の怒りに一つため息をついて肩をすくめた。

「はいはい、落ち着いて。ここ外だから」
「あ………」

そこで、また頭に血が上ってしまったことに気付いた。
いつだってそうだ。
天に馬鹿にされ、からかわれ、はぐらかされる。
今度こそ冷静に、向き合おうと思っていたのに。

「………」

黙りこんだ俺に、天が一つため息をつく。
けれど、いつもと違ってこれ以上茶化すことはなく真面目な顔に戻る。

「それで、何が知りたいの?」
「あ」

落ち着け。
俺よりずっと天は頭が回る。
気を抜けばすぐにはぐらかされてしまう。

「………前にも言ったかもしれないけど、お前が何を考えてるのか、なんであんなことをするのか知りたい」

天は俺の言葉に首を小さく傾げる。

「前にも言ったかもしれないけど、俺の感情なんて兄さんが知る必要はない」
「でも俺は知りたい」
「………」

知る必要がなくても、知りたい。
いや、知る必要、なんて天が決めることじゃない。
俺が、天のことを知りたいのだ。
俺には、それが必要なのだ。

「今回、仕事して、お前に教えられたこと、役に立った。お前の言うこときつくて、ムカつくけど、正しいことが、多い。それは、すごく感謝してる。お前には色々フォローしてもらったし、教えてもらったのに、一方的に嫌うばかりで、お前の言葉を素直に聞こうとしなかった。今までずっとお前のこと、知ろうとしなかった。それは、悪かったと思ってる」
「………別に教えようと思ったことも、兄さんのためになることをしようと思ったことも一切ないんだけどね」
「それでも、俺は感謝してる」

天がまた馬鹿にするように言うが、それを遮るように告げる。
挑発に乗ったら、駄目だ。
天は少しだけ不快そうに眉を潜めた。

「そう」

口の中が渇いていて、張り付く。
一つ唾を飲みこんだ。
ただ弟と向き合うだけなのに、なんでこんな緊張しているのだろう。

「お前がなんであんなことをしたのか、なんで俺にきついことを言うのか、お前の行動を意味を知りたい」

天は俺を嫌いじゃない。
でも、俺は、どうなんだろう。
嫌いで、憎いとすら思っていた。
コンプレックスを突きつけてばかりで俺を馬鹿にする弟が大嫌いだった。

「栞ちゃんは言った。お前が意味のない行動をすることはないって。俺もそう思う。だからお前がすることは、何か意味があるんだ」

でも、天だって別に化け物じゃないって知って、傷ついたりする普通の人間だって知って、俺の弟なんだって分かった。
そんな当たり前のことをようやく知って、違う感情が生まれてきた。
ただ一方的に嫌っていた自分が恥ずかしくなった。
俺に力がないのも、天に力があるのも、俺達のどちらのせいでもない。
天の性格には色々言いたいことはあるけれど、でも、それでもただ嫌うだけなのは、やめたい。

「俺は、それが知りたい」

天が仕事の時のような冷静な目で、俺をじっと見つめている。
冷たい光を帯びる黒い瞳が恐ろしく感じるが、歯を食いしばって見つめ返す。

「知ってどうするの?あんなことをした俺を許すの?」
「………それは、聞いてから考える」
「兄さんはすぐそうやっていい子になろうとするね?理不尽な扱いをされても我慢して悲劇のヒーロー気取り?性善説の申し子だね。すごいなあ」

からかうように問う言葉。
天はすぐに俺に問いかける。
まるで試すように何度も何度も問いかける。

「お前は」

ぎゅっと手を握りしめる。
気押されるな、引くな、冷静さを忘れるな。
でも、腹の中をぐるぐると焼く熱が、全身に広がる。
感情的になっては駄目だと思うのに、頭に血が上る。

「お前は、俺に聞くばっかりで、俺の質問に一つも答えない!お前は聞くばっかりだ!いつもいつもそうだ!お前が俺に何を求めてるのか、言ってもらえないと俺だって分からない!」

天は俺に聞くばっかりで、答えようとしない。
俺の問いかけには、何一つ答えてくれやしない。

「お前は勝手に思わせぶりなことばっかり言って、俺が求める答えを出さないと不満そうだ!でもいきなりそんなこと言われても分かんない!分かんない!」

判断する材料をくれないくせに、決断を迫る。
方程式もヒントもくれないくせに、数字だけ与えて答えを出せと言う。
そんなの俺には、分からない。

「お前はいっつも、俺を馬鹿にするだろ!そうなんだよ、俺は馬鹿なんだよ!お前は頭が良くて口があるんだろ!なんか俺に伝えたいことがあるなら言えよ!今のお前は駄々っ子みたいだ!察してもらうのが当然で、伝えてないのに、俺が気付かなきゃ怒りだす!」

俺を嬲るように気まぐれを繰り返し、答えを間違えると怒って馬鹿にする。
考えてみれば理不尽だ。
俺だって悪いところはいっぱいある。
でも天にだって悪いところはいっぱいある。

「お前はガキだ!超ガキ!幼稚園児!駄々をこねたって伝わらないんだよ!怒り方分かりづらいし!言いたいことがあるならはっきり言え!」

でも、知りたい。
天を知りたい。
だから言ってほしい。

「俺は、お前の兄ちゃんなんだからな!」

興奮して声が裏返ってしまった。
握りしめた手に力が入りすぎて爪を突きたてた手の平が痛む。

「………」

天はまるで鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
珍しい本当に驚いているような顔。
それは年相応に、いやそれ以上にとても幼く感じた。

「なんか言いたいこと、あるんだろ!言えよ!」

いつのまにか呼吸が乱れて、肩で息をする。
頭に血が上って、くらくらする。

「く」

天が口を覆う。
それから堪えるように身を丸めるが、抑えきれなくなった。

「く、くくく、あは」

手で口を覆いながら、身を振わせる。
けれどすぐに口から手を離して腹を抱える。

「あ、はははは、あは、あははは、あっははははは!」

そして大声で笑い始めた。
夕暮れの誰もいない公園に響き渡るような、大声で。

「て、天」

天がこんな風に大笑いする姿なんて、見たことがない。
いつだって皮肉げに押さえた笑い方をするだけだ。

「あはははは、あはは、あはははは」

涙を浮かべて顔を赤くして腹を抑えて笑う人間が、いつもクールな弟には思えない。
天は楽しそうにひたすらに体を震わせる。

「はっ、あっは、ひっ、く、面白いなあ、兄さんは、あっはは、あは」

しゃくりあげて軽く咳き込みながらも、笑い続ける。
まるでコメディ映画に入っている演出の声みたいだ。
最初は驚いて何も言えなかったが、だんだんと腹も立ってくる。
俺は真面目な話をしているのに。

「何が面白いんだよ!」
「ごめんごめん、くっくく、くっ、は、はは」
「天!」
「は、はは、ごめん、馬鹿にしてる訳じゃないんだよ」

ようやく少し収まってきたのか、目に浮かんだ涙を拭いながらそんなことを言う。
それでもいまだに目は笑っていて、声も震えている。

「………」
「ごめんってば」

乱れた呼吸を整えるように、天が何度か深呼吸する。
そしてふっと小さくため息をついた。

「うん、確かにそうだね。兄さんはいきなり訳の分からないことを言われて、嫌がらせされて、更にそれで怒らないことに詰られるなんて、理不尽だよね」

目を少し伏せて、頷く。

「確かに、そうだ」

もう一度、自分に言い聞かせるように繰り返す。
俺に返事は期待していないように、すぐに顔をあげる。
すでに天は、いつもの皮肉げな笑いを浮かべている。

「兄さんは本当に、変わらないね」

笑いを含んでいるが、どこか投げやりな言い方だった。
諦めを宿した、老人のような声。
別に天はいつも通りなのに、そんな風に感じた。

「昔から、変わらない」

そして、コーラを一口煽る。
それから飛び跳ねるように柵から立ち上がった。
いつのまにかすっかり薄暗くなった公園で、天の影が長く伸びている。

「俺が、何を考えてるか、か」

くるりと振り返って、俺に向き合う。
天は笑っていた。

「俺はね、ガキだよ、兄さんの言うとおりね。世の中の理不尽に腹が立って仕方ない思春期のガキ。反抗期だからあらゆるものに文句をつけるんだ」

天が思春期の反抗期っていうのも似合わない単語だ。
けれど天はもう一度、俺はガキだ、と繰り返す。

「ガキだからね、今だって腹が立って仕方ないんだ。兄さんが変わらないことに、馬鹿なことばっかり言ってることに、それなのにこんな風に楽しくなってしまう自分に」
「………天?」
「兄さんの疑問には、そうだな。ちょっと待ってもらってもいいかな」
「………」
「今は俺も迷ってる最中なんだ。だから心の準備が出来たら全部話すよ」

それからにっこりと笑って、俺の目をじっと見る。

「待っててくれる?」
「それは、いいけど」

天がこんな風に話してくれるだけでも、大分進歩した。
それなら、少し待つぐらいどうってことない。
今まで10年ぐらいはずっと、すれ違ってばかりいたんだから。
今更時間が少し伸びたって、待てない訳がない。

「ねえ、兄さん」

天がすっと笑顔を消す。
真面目な顔と声で、じっと見つめる。
薄暗い夕暮れの中、それでも天の顔は白く見える。

「何?」
「俺が兄さんにものすごい理不尽な、それこそ、この前のこと以上に理不尽で最低なことをしても、そんな風に理由が知りたいって思うの?俺を理解したいって思うの?」
「………」
「俺を殴りたいと思わないの?殺してでも仕返ししたいと思わないの?」

そう言われて、考える。
あれ以上に理不尽で最低なことってどんなことだろう。
でも、どちらにせよ、答えは一緒だ。
これまで散々悩んで、答えを出したのだ。
俺もじっと弟の引きこまれそうに黒い目を見つめる。

「………お前は本当にムカつくし、苛々するし、この前のことだって怒ってる」
「うん」
「でも」

殴ることは、あるかもしれない。
傷つけることはあるかもしれない。

「四天、俺は人を、なるべく傷つけたくない。そんなの嫌だ。自分が傷つけられても、暴力で解決したりしたくない。俺は弱虫だから、血も痛みも嫌いだ。だから、出来れば、話で解決したい」

痛いのは嫌い。
苦しいのは嫌い。
だからそれを人に与えるのも嫌い。

「嫌いな奴も、分かりあえない奴も沢山いる。それは仕方ない。そういう人達にはもしかしたら、傷つけたいと思うこともあるかもしれない」

世界中全ての人と分かりあえるとは思っていない。
それこそ俺が想像もつかないような悪人もいるだろう。
そんな人達に会ったら、暴力は嫌だなんて言ってられないかもしれない。

「でも、お前は、俺の弟だから」

生まれた頃から、天を知っている。
幼い頃後ろをついてきてくれた足音を、つないだ小さな手を覚えている。
今はこんなにすれ違ってしまったけれど、あの頃とても愛しかったのを覚えている。

「だから、痛みや、血や、そんなものは見たくない。そんなもので解決したくない。俺は天を傷つけたりしたくない」

天は俺の言葉を聞いて、そっと目を閉じた。
長い睫が、白い頬に影を作る。

「………そう」

弟は、ため息を共に密やかにそれだけ言った。
そして目を開いて、一つ頷いた。

「分かった」
「天?」

天が、飲みほしたコーラの缶を公園の片隅に投げる。
放射線を描き、空き缶は見事にゴミ箱に収まった。

「帰ろう。お腹減った」
「………うん」

天の質問の意味が知りたくて、返事が曖昧なものになってしまう。
それに気付いたのか天が小さく笑った。

「俺が自分の行動を決めるまで少し待ってね、兄さん。決まったら言うから」

天が出口に向かって歩き出す。
俺も立ち上がって、その後ろを追いかける。

「信じる?」

公園から出る寸前に、弟が肩越しに振り返って、挑むように眉をあげる。
その答えは迷うことはない。

「お前は約束は破らない。俺はそれを知ってる」
「………」
「だから、信じられる」

天が怒りたいような困ったような、選択に迷ったような中途半端な表情を見せた。
そして小さく肩をすくめる。

「本当に、変わらないよね」

変わらない、のだろうか。
俺には分からない。
大分成長はしたし、汚い面も増えたとは思う。

「たい焼き食べて帰ろうか。ジュースのお礼におごるよ」

天の唐突な誘いに、俺は勢いよく頷いた。

「うん!」

疑問は沢山ある。
結局天が何を考えているのか分からなかった。

でも、これまでで一番、天を身近に感じた。





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