しばらく歩いた後、白峰がぴたりと立ち止る。
相変わらずずっと同じ住宅と塀が続く、夕暮れの道。
白峰がその鼻で指し示すのは、なんの変哲もない住宅の前の玄関。
そこに何の違いがあるのかは俺にはさっぱり分からない。

「ここ?」

けれど天が聞くと、白峰は一つ頷いた。
自らの使鬼の肯定に、天はその玄関を確かめるようにぺたぺたと触る。
そして、天も一つ頷いた。

「白峰、ありがとう」

白峰が得意そうに、犬に似た鳴き声で甘えるように鳴く。
天は懐剣を鞘から取り出し、両脇に従えた使鬼に穏やかに微笑む。
そういえば黒輝と白峰には、栞ちゃんと同じように甘くて優しいかもしれない。

「少しくらいは、痛い目を見て欲しいよね。まあ、この術者だけが原因じゃないけど」

ぼそりと、独白のようにつぶやく。
どういう意味かと問おうとする前に、天は剣に力を注ぎ、呪を唱え始めた。

「我が道を閉ざし意志よ、我が宮守の力を持って、そのまやかしを………」

そして術を組み立てる終わると、その剣を振りかぶる。
白い力が懐剣から溢れんばかりに輝いている。
眩しくて何も寄せ付けない、真っ白な力。

「我が前に、道を開け」

そして発動の呪を唱えると、そのまま懐剣を振り下ろした。
玄関がまるでチーズのようにすっと溶けるように切り裂かれる。

ギギギギギギ。

音ではなく、脳内に直接響くような不快な音が、響く。
この世界が軋む、音がする。
思わず顔を顰めて耳を塞ぐ。

パン!

すると、何かがはじけるような音がして、一瞬世界が真っ赤に光ってスパークした。
眩しさに反射的に目を瞑る。
そして急いで目を開いたその時には、赤い世界は、なくなっていた。

「………あ」

そこには変わらない静かな住宅街が広がっていた。
けれど、遠くから車のエンジンの音がする。
人の話し声が聞こえる。
夕餉の匂いや、お風呂の匂いなんかが漂っている。
そして空は赤くなく、すでに藍色に染まっていた。

「元の、道?」
「みたいだね」

天もぐるりと辺りを見渡してから、剣を鞘に仕舞った。
そして地面に落ちていたバッグを拾い上げ、コートのポケットではなく、その中に放り込む。
いつの間にか手放していた俺のバッグも、すぐ傍に落ちていたので慌てて拾う。

「………一時間」

辺りがあまりにも暗いので腕時計を確かめると、たい焼きを食べ終え帰路についた時から一時間経っていた。
あんなにも長く感じたのに、たったの一時間しか経っていなかったのだ。
あの中では時間の感覚も狂っていたのかもしれない。

「はあ、疲れた。制服もボロボロ。とんだ災難」

天のため息交じりの声。
まるで今までのあの世界が幻だったかのように感じるが、俺の喉はいまだにひりひりしている。
大分消化出来たがいまだに腹の中に溜まる力は、痛みと気持ち悪さを訴えている。
そして天の言うとおり、制服もコートも所々破け、汚れていた。

「さっさと帰ろう」

天がさっさと歩きだす。
俺はその背中を見て、慌てて後ろを付いていく。

「あ」

追い掛けながら思いついた言葉を、告げることを少しだけ躊躇う。
けれど、勇気を振り絞って、口を開いた。

「し、四天」
「何?」

天はすたすたと歩きながら、後ろを振り向きもせずに言う。
少しだけその態度にムっとしたが、苛立ちやムカつきは押し殺す。
一々天の言動に振り回されていたら、何も話は進まない。
だから、俺は一つ大人になって、やるべきことをやるだけ。

「………その、ありがとう」
「………」

天がちらりと肩越しにこちらを振り向く。
感謝するべきところは、感謝する。
そう、決めた。

「お前に、術も破ってもらったし、助かった。だから、ありがとう」
「………どういたしまして」

天は、小さくそれだけ言った。
やっぱりその態度は少しだけムカつくが、嫌みがないだけマシだ。
足手まといがいて面倒だった、とか言われるの覚悟してたし。
天への礼は、とりあえず終わり。
そして、もう一人、俺は礼を言わなければいけない。
隣を歩いていた人を見上げる。

「志藤さんも、ありがとうございました。あなたがいなかったら俺、もっとひどいことになってただろうし」

志藤さんはこちらを見て、ぶんぶんと首を横にふる。
慌てたように手をパタパタと無意味に動かす。

「あ、いえ、そんな。私こそ、私のせいでご迷惑をおかけして………」
「いえ、本当にお世話になりました」
「いえ、こ、こちらこそ!」

なんだか、随分前にも感じるが、この流れは今日あったはずだ。
志藤さんも同じことを思ったのか、二人同時に黙りこむ。
それから、やっぱり同時にお互い苦笑する。

「………また繰り返しですね」
「はい、ではお互い様で」

志藤さんは照れたようにはにかんで、そう言ってくれた。
多分俺の方が今回は助けられた比率が大きいけれど、それを言っていたらまたキリがなくなるだろう。
だから、お互い助かった、でしめておく。
それでいいだろう。

「ありがとうございました!」
「私こそ、ありがとうございます」

志藤さんはそれから、前を歩く天にも話しかける。

「………四天さん。その、宗家の方のお手を煩わせて申し訳ございませんでした。四天さんのお力のおかげで、こうして無事に戻ることが出来ました。心より感謝いたします」
「………」

天がぴたりと立ち止って、振り返る。
そしてじっと志藤さんを見上げた。

「あ、あの」

その強い視線に怯んだように志藤さんが、何度も瞬きして口ごもる。
すると天は、少しだけ笑った。

「いえ、こちらこそ助かりました。ありがとうございます」
「そ、そんな!」

まさか天にそんなことを言われるとは思ってなかったのだろう。
慌ててまたぶんぶんと首を横にふる。
俺も天の言葉に、少しびっくりした。

「あなたは、結構使える人ですね」
「え、あ?」

天は褒めてるんだか、そうじゃないんだかよく分からない言葉で志藤さんを評した。
いくらなんでも失礼な気もする。
けれど志藤さんは恐縮しきりと言った感じで、焦ったようにポケットから何かを取り出す。

「あ、あの、これ、お借りしていた水晶です。お返しいたします。ありがとうございました。申し訳ございません、半分は使ってしまったのですが………」
「どうも」

天はその水晶を受け取って、じっと見つめる。
そういえば、いつの間にか黒輝も白峰もいなくなっていた。

「………」

それからしばらく何かを考えた後、水晶のストラップを取り出し、いくつかをまた取り外す。
そして志藤さんの横にいた俺に、返却された水晶と一緒に差し出してきた。

「兄さん」
「な、何」
「これ、持っておいて。何かあったら黒輝使っていいから」
「え」
「使い方は分かるよね」
「あ、う、うん」

志藤さんのやり方も見ていたし、術を組み立てることは出来るだろう。
でも、どういうつもりなのだろうか。

「え、黒輝貸してくれるの?」
「うん」
「お、お前は平気なのか?黒輝、借りても」
「ああ、別にその水晶に封じ込められてるとかじゃないから。それは媒介。呼び出すためのね。俺が必要な時は使えるから問題ない。まあ、俺が使ってる時は兄さん呼び出せないけどね」
「あ、そうなんだ」

そういう仕様になっているのか。
俺は使鬼を扱ったことがないから、よくわからない。
使鬼を使えるだけの力は、俺にはない。

「え、と、なんで?」
「またこういうことが起ったら面倒だから」

天はなんでもないように言った。
俺は差し出された水晶を受け取って、天の顔をまじまじと見てしまう。
確かにこういうことが起ったら、一人で対処できる自信がない。
黒輝がいれば、とても心強いだろう。

「でも、いいのか?」
「悪かったら貸さない」
「あ、ありがとう」

天がそう言うのなら、いいのだろう。
それなら、ありがたく借りておこう。
俺は、周りの力を借りずに一人で解決出来るというほど、強くはない。
未熟さを認めて力を借りるのは悪いことではない。
そう雫さんに言ったのは、俺だ。

「兄さんは力のストックが少ないから、何があっても使い切る前に還してね」
「う、うん」

天の水晶に込められた力を全て使ってしまえば、俺の力を喰うしかない。
でも、黒輝を顕現させておくだけの力なんて使ったら、俺はすぐに干からびてしまうだろう。
天の、気まぐれでもなんでも、気を使ってくれたのは、嬉しい。

「………」

ぎゅっと、水晶を握りしめると、俺の熱を吸って水晶はほんのり温かかった。
天は、意味のない行動は、しない。

「………天」
「何?」
「さっきの話だけど」

また蒸し返すと、天が嫌そうに眉を顰める。
天は意味のない行動は、しない。
それなら、黙っているのも、何か意味があるのだろう。
それが俺にとっていいことなのか、悪いことなのか、判断は出来ないけれど。

「前に、迷ってるけど、結論出したらお前が何を考えているのか教えてくれるって言ったこと、あったよな」
「あるね」

天が何を思って、あんなことをしたのか。
何を考えているのか、考えがまとまったら教えてくれると言った。

「俺の過去のことも、その時に、一緒に教えてもらえるような、ことか?」

なんとなく、俺の過去と、天の考えは繋がっているような気がした。
もしかしたらものすごく見当外れなのかもしれないけれど。

「………」

じっと天の目を見据えると、天も俺を検分するようにじっと見つめ返す。
そして、10秒ほどして一つ頷いた。

「そうだね。その時に、一緒に話すよ」
「本当か!?」
「うん」

約束を取り付けて、声が弾んでしまう。
本当ならいますぐ教えてほしいし、気になって仕方ないけれど、いつか言ってくれるというなら我慢できる。
何もないなら不安でいてもたってもいられないが、確約があるのならば待っていられる。

「兄さんには、確かに分からないことだらけで、不安だし、理不尽だよね」

天はすっと視線を逸らして、地面を見つめる。
それから、ふっとため息をついた。

「それは分かる。ごめん」
「え!」

そして天から零れた言葉に、俺は思わず大きな声を上げてしまう。
天が鼻に皺を寄せる。

「何、その反応」
「だ、だってお前が謝るとか………」
「前にも言ったけど、俺は自分が悪いと認める時はちゃんと謝るし、敬意を払うべき人には払うし、礼を言うべき時は礼を言うよ」
「………だって」

俺は敬意を払うべき相手ではなくて、礼を言うべき相手ではないってことか。
でもそれにしても、天が普通に謝ることなんてほとんどない。
嫌みたらしく、というか嫌みとして謝るぐらいだ。
俺が悪いことも多いけれど、絶対天の態度にも問題あると思う。
天はもう一度ため息をついて、話を打ち切る。

「まあ、とにかくそういうこと。今度必ず言うよ」
「………うん」

天は、必ずと言ってくれた。
それなら待とう。
天は、約束を、破らない。

「うん。待つ。それで、お前を信じる」
「………それはどうも」

目をちゃんと見据えて頷くと、天はきゅっと眉を寄せてから振り返った。
性格悪くて態度悪くて偉そうで生意気な弟だけれど、約束は破らない。
それは、知っている。

「さっさと帰ろうっか」
「うん」

そしてまた三人で歩きはじめる。
もう夜と言っていいほどに暗くなってしまったけれど、赤い世界じゃないのがほっとする。

「志藤さんの怪我は大丈夫ですか?」

歩きながらなんとはなしに、隣の志藤さんに話しかける。
志藤さんは微笑みながら頷いてくれた。

「はい、大したことはありません。でもすいません。今回の件は私に一因があるようなので………」
「あ、で、でも、志藤さん悪くないし、熊沢さんも悪気はなかったんだろうし!」

自分を責めようとする志藤さんに慌ててフォローをいれる。
実際志藤さんは何も悪くないだろう。
けれど志藤さんは沈痛な面持ちで首を横にふった。

「いえ、熊沢さんには悪意はあると思います。昔からそうです、あの人は………。気付かなかった私にも責任があります」
「し、志藤さん」
「本当にもう、あの人はいつもいつも………。今回は三薙さんと四天さんまで巻き込んで………」

いつもと違って剣呑な雰囲気を漂わせる志藤さんを、俺はただじっと見つめることしか出来なかった。





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