「はい、では今日はここまで」

桐生さんのパンと手を叩く音が、今日のお稽古が終わったことを告げた。
俺と栞ちゃんと五十鈴姉さんは、顔に滲んだ汗を拭いながら頭を下げる。

「ありがとうございました!」

それに答えて桐生さんが珍しく優しげににっこりと笑う。

「これが、謳宮祭前の、最後のお稽古となります。皆さん、形は申し分ありません。後は心を込めて舞ってくださいね」
「はい」

最後だからねぎらってくれるらしい。
その言葉でようやく達成感と自信を得て、三人同時にため息をついて肩から力を抜く。
本当に、桐生さんは厳しかった。
毎回、謳宮祭の時はこんなに厳しいのだろうか。
ここまでお稽古してるところは見たことがない気がするのだが、近くに謳宮祭の時に舞ったことのある女性がいなかったからよく分からない。

「でも、これからが本番ですからね。気を引き締めてください」
「はい!」

最後に釘を刺すことを忘れないのは、さすがの桐生さんだ。
何はともあれ後は本番のみだ。
とりあえずはお稽古が終わった解放感にひたることにしよう。
今日は休日だからこれからはまだゆっくりと出来る。

「三薙さん、とてもいい舞でしたよ」
「あ、ありがとうございます!」

部屋から出ていこうとすると、桐生さんに呼びとめられた。
振り向くと桐生さんが目を細めて懐かしげに俺を見ている。

「本当に、二葉さんにそっくりな舞だわ」
「………えっと」

これを言われるのは二回目だっけ。
桐生さんが本当に優しい顔をしているから、そうなんですかと言って去るのも悪い気がする。
俺が生まれる前には亡くなっていた二葉叔母さん。
話を聞いたことなんて、ほとんどない。

「二葉叔母さんって、どんな人だったんですか?父さんにも、叔父さん達にも聞いたこと、ないから」
「そうね」

桐生さんはそっと目を伏せて、長い睫で白い頬に影を落とす。
遠い過去を懐かしむようにはにかんだ様子は、いつもよりずっと若く見えた。

「いつだって朗らかで明るくて、笑顔がとてもかわいい人だったわ。すぐに考え込んでしまって落ち込んでしまう弱いところもあったけれど、そんなところも含めて、いるだけで周りの人が笑顔になれるような、そんな周囲に愛される、いい人だった」

父も叔父も叔母も、二葉叔母さんの話は一切しない。
だから俺はそんな人がいたんだ、という認識でしかない。

「ドジでお茶目で優しくて。私、大好きだったわ」

今、桐生さんが楽しそうに語っていても身内だという気持ちは沸かない。
ただ、桐生さんにいい友達がいたんだな、と寂しくも優しい気持ちを覚える
桐生さんが俺を見て、目を細める。

「そうね、性格も三薙さんに似ていたかしら」
「えっと、褒めて、るんですかね」

ドジでお茶目って、なんか昔の漫画とかに出てきそうなスペックだ。
少なくとも男が言われて嬉しい言葉ではなくて、複雑な気分だ。

「勿論よ」

けれど桐生さんが自信満々に頷くからなんとも言えなくなってしまった。
でも、その人物評は、なんだか俺よりも別の人に当てはまる気がする。

「でも、なんかそれ、俺っていうより、五十鈴姉さんみたいじゃないですか?」
「ああ、確かに。五十鈴さんにも似ているわ」

あれ、にもってことは、結局俺にも似てるってことか。
つまり俺と五十鈴さんも似てるってことになるのか。
それは、失礼かもしれないが、ちょっと微妙に、嫌かもしれない。

「小野さんともとても仲がよくてね」
「え、小野さんが!」
「ええ、よく二葉さんを取り合って、喧嘩したものだわ」

俺たちの術の師匠でもある小野さんは、昔からいたという話は聞いていた。
けれど今のあの無口で厳しくて怖い人が、桐生さんとそんな楽しそうなやりとりをしていたとは意外だ。
今度、話を聞いてみようかな。

「大切な大切な友人だったわ」

桐生さんはちょっと寂しそうに笑った。



***




「遅かったですね、三薙さん」
「大丈夫、三薙ちゃん?」
「うん、全然平気。お疲れ様、二人とも」
「三薙さんこそ、お疲れ様です」

もう、三薙ちゃんはやめてと言う努力をするのも疲れた。
気にしないでおこう。

「でも、もう後少しだな」
「早いわねえ。頑張りましょう」
「はい!私、お二人よりもずっと綺麗に舞ってみせますから!」
「あら、それは私の台詞よ」

冗談交じりに、挑戦的に握りこぶしを作る栞ちゃんに、五十鈴姉さんも対抗してみせる。
どっちがより綺麗、なんていうのはなんでもいいけれど、でも三人で綺麗に舞えるといいな。

「三人とも終わったのか」

そんな話をしていると低く通りのいい声が響く。
耳によく馴染んだその心地よい声の方を向くと、そこには汗を拭っている稽古着姿の長兄の姿があった。

「一兄」
「か、一矢さん!」
「こんにちは、一矢さん」

声を上擦らせる五十鈴姉さんと、落ち着いて挨拶をする栞ちゃんに一兄がにっこりと笑う。
剣か体術の稽古をしていたらしく汗を滲ませて髪が下りている様子は、男の俺でもどきっとするほどかっこいい。
案の定五十鈴姉さんの顔が、みるみるうちに赤くなっていく。

「一兄、道場に行ってたの?」
「ああ、最近サボリがちだったから、鈍らないようにな」

一兄はよほど忙しくない限り、朝に稽古の時間や走る時間を設けているが社会人だから毎日という訳にはいかない。
それでもこうして暇を見つけては稽古をしているのだから、頭が下がる。
俺なんてただの学生で、部活もしてないんだから、少しの稽古で文句を言っている場合ではない。

「これから会社に少し行くが、送っていくか?」
「はい!」

即座に勢いよく答えたのは五十鈴姉さん。
挙手でもしかねない勢いの返事に、一兄が苦笑して五十鈴姉さんの頭をポンポンと撫でる。

「元気だな、五十鈴」
「あ、や、やだ、私ったら」
「昔から変わらないな」

途端に耳まで真っ赤になる五十鈴姉さん。
本当に傍から見ていて微笑ましい程にバレバレなんだが、一兄は分かってないのだろうか。
妹みたいに思っているから対象外で気付かないとか。
でも、敏い一兄が、分かってないはずもないと思うんだが。

「栞ちゃんは?」
「私は、今回は遠慮しておきますね。寄って行きたいところがあるので。ありがとうございます」
「またふられたな」
「綺麗どころが一人いるから十分じゃないですか」
「確かにそうだな。贅沢は言わないでおこう」

栞ちゃんが冗談めかして言った『綺麗どころ』のところで、五十鈴さんがわたわたと慌てる。
なんかもう、本当にかわいい人だな。
でもやっぱり俺とは似てないと思う。

「じゃあ、五十鈴、着替えてくるから少し待っててくれ」
「はい!すぐに私も着替えてきます」

舞の稽古着のままだった五十鈴さんも慌てて荷物が置いてある部屋に早足で向かう。
すでに俺たちの存在すら忘れているかもしれない。
一兄も俺たちに軽く挨拶をして去っていく。

「五十鈴姉さん、本当にかわいいよな」
「本当ですね」

俺と栞ちゃんは苦笑しながらその後ろ姿を見守る。
それから、俺たちも着替えに向かうために歩きはじめると、栞ちゃんが愛らしく微笑んでこちらを見てくる。

「そういえば、しいちゃんと仲直りしたんですね」
「………したっていうか、なんていうか。でも、うん。一応普通に話せるようには、なった」
「そっか、よかったです」

仲直りは、出来たのだろうか。
俺にはいまだに何も分からない。
俺から失われている過去も、現在の天の態度の意味も、何もかもが、分からない。
ただ、天が話してくれるのをじっと待つしかない。
分からないのに、仲直り出来たっていうのかな。

「しいちゃんは完璧に近いけど、やっぱりまだまだ弱いところもあるから。三薙さんも大目に見てあげてください」
「あいつをそんな風に言えるのは栞ちゃんぐらいだよ」
「そうですか?」

天の弱いところって、どこなんだろう。
怪我をしても辛い目にあっても、弱音を吐くことはないし感情を揺らすこともない。
やや愚痴っぽくはあるものの、いつだって冷静で物事を投げ出したりもしない。
栞ちゃん以外の人間には、自分の弱さなんて見せることはないのだろう。

「でも、俺も、もうちょっと歩み寄るよ。分からないことだらけだけど、兄弟なんだから、いがみ合うような仲にはなりたくない」

元々俺が、嫉妬して嫌って憎みすらした。
それでも、やっぱり血が繋がった兄弟で、大事な人間だ。
あいつは力を持っている訳の分からない化け物なんかではない。
怪我だってする、俺の弟だ。
話して、歩み寄って、あいつの弱さや苦しさを少しでも理解したい。

「三薙さんは強いですね」
「え、な、なんで」

栞ちゃんはただにっこりと笑うだけだ。
なんとなく落ち着かなくて、俺は話を変える。

「あ、あのさ、栞ちゃんって、これから忙しいの?」
「え、いえ。お邪魔するのが申し訳ないからああ言いましたけど、特に予定ないです」
「天は?」
「しいちゃんは今日はお仕事みたいなので」

今日は休日で、まだ日は高い。
実は栞ちゃんにお願いしたいことがあったのだ。

「じゃ、じゃあ、あの、お願いがあるんだけど」
「はい?どうしたんですか?」

なんと言ったらいいか分からなくて、口ごもる。
優しい栞ちゃんはうだうだとしている俺に怒ったりせずに、穏やかに笑いながら俺の言葉を待っていてくれる。

「あ、あのさ!」
「あ、三薙、栞ちゃん!」

勇気を振り絞って口を開いた途端、今度は低めの、けれど女性の声が響いた。
俺と栞ちゃんは同時にそちらを向く。
そこには長身でショートカットの、すらりとした女性の姿。

「雫さん」
「あ、こんにちは、雫さん」

今日もジーンズと長袖のシャツというシンプルな格好をした雫さんはにこにこと笑いながら近づいてくる。

「舞のお稽古あったの?」
「うん、もう終わったけど、雫さんは?」
「私も終わり。じゃあ、一緒にお茶でもしない?」

雫さんとはそう長い付き合いでもないけれど、話してみたいことはいっぱいある。
基本付き合いのいい栞ちゃんも嬉しそうに手を叩く。

「いいですね!あ、でも、なんか三薙さんが今日用事があるって」
「そうなの?そっか、残念」
「あ、別に、お茶は全然いいんだ。ただ、栞ちゃんに買物に付き合って欲しくて」

どうせ街に出る予定だったから、お茶を飲むぐらい全然構わない。
というか雫さんとはもっと話してみたいし。

「買物?」

栞ちゃんと雫さんが不思議そうに同時に首を傾げる。
雫さんに言うのは少し恥ずかしくて、つい視線を下げてしまう。

「その、プレゼント。明日、友達とクリスマスのパーティーするから」
「ああ、言ってましたね!三薙さんの祝!脱家族クリスマス!」
「何それ?」

栞ちゃんが余計なことを言ってしまい、雫さんが興味を持つ。
俺がますます恥ずかしくなって俯くと、栞ちゃんがにこにことしながら説明をする。

「あっはははははは」

すると雫さんは容赦なく大声で笑った。
ああ、遠慮がなくて清々しいぐらいだ。

「………笑えばいいさ」
「家族に愛されてていいじゃん!」
「………」

そう言いながらも、雫さんは目尻に涙を浮かべて笑っている。
まあ、いいんだけどさ。
双兄はともかく一兄の好意は嬉しいし、天だって栞ちゃんがいるのに毎回付き合っててくれて申し訳ない。

「でも、じゃあ、今年は家族のはないんだ。ちょっと寂しいね」
「まあ、明後日は家族でもやるんだけどさ」
「やるんだ」
「うん。皆空けててくれてたから。あ、栞ちゃんは大丈夫なの?全然天と出かけてくれちゃっていいんだけど」
「大丈夫ですよ。明日は二人で過ごしますし」
「そっか」

日本人の不思議な風習で、クリスマスは24日と25日、今は23日もあるのか。
三日ともどれもクリスマス扱いだ。
むしろ本番は24日のイブみたいだし。

「兄妹っていいね。私も、よくお兄ちゃんとクリスマスやったな」

雫さんが、どこか寂しい笑顔で言った。
最近笑うようになったが、俺はまだ、怒ったり泣いたり、痛々しい姿の雫さんが脳裏に焼き付いている。
まだ、祐樹さんを亡くしてから、全然時間は経っていない。
忘れられるはずなんて、ない。

「で、プレゼントって?」

けれど雫さんは話を変えるように、明るく聞いてきた。
その笑顔に、ますます胸が痛くなった。

「あ、えっと」
「プレゼント交換のですか?」

藤吉達と遊ぶと知っている栞ちゃんには、前にプレゼント交換するという話をした。
俺はなんて答えたらいいのか分からなくて、視線をまた下げて廊下の木目をなぞる。

「………その、女の子って、どんなもの貰ったら、喜ぶのかな、って」
「プレゼント交換、藤吉さんもいますよね。女物じゃまずくないですか」
「あ………、えっと、それとは別に」

そこで栞ちゃんと雫さんは同時に、声を上げた。

『岡野さんだ!』
「な、なんで二人で!?」

思わず顔を上げてしまうと、栞ちゃんと雫さんはにやにやにやにやしながらテンションを上げている。
岡野には色々世話になったし、色々心配もかけたから、なんかお礼がしたくて、天と仲直りできたのも岡野のおかげもあるからそのお礼で、他の人達にも交換とは別に買うつもりだけど、でも岡野にはちょっと気の効いたもの送りたいかな、なんて。
とか色々言い訳を考えていたのだが、二人はそんなこと聞いてくれる気配もない。

「あー、なるほどです。分かりました!いくらでもお付き合いしましょう!さあ行きましょう!」
「私も行く行く!何買おっか!」
「え、ちょ、ちょっと」

俺はそのまま、いきなりテンションマックスになった二人に、為すすべもなく街へと連れ出された。



***




そして二人に半ば引きずられるようにして訪れた繁華街で、俺は一つ学ぶことになる。

「お菓子は?」
「後に残るほうが嬉しくないですか?」
「いやー、好きでもない男から形に残るもの貰ってもなあ」
「でも、少し好意があるなら、やっぱり形に残るものがいいですよ」
「えー、じゃあ、うーん、これは。でも、指輪は、ちょっとな」
「指輪は重いですよね。フォトフレームとかどうでしょう」
「写真飾る人かな。デジタルフォトフレームとか」
「でも、あまり高価なものも重いですよね」

女性だからと言って、必ずしも買物の参考になる訳じゃないのだと。
人の嗜好は、それぞれなのだと。
そりゃそうだ、男だって色々好みがあるんだから、女性にだって色々好みがあるのは当然だ。

「………」

クリスマスのプレゼント用に目立つようにディスプレイされている品物を次々に見ては、二人は楽しそうに口論を交わしている。
華やかに彩られたファッションビルは見ていてうきうきするものだが、俺は完全に置いてけぼりだ。
買物に時間がかかって騒がしいっていうのは、女性全員に共通する習性なのだろうか。
この前岡野達に付き合った時も、女性陣のテンションの高さについていけなかったっけ。

「三薙さん!どれがいいんですか!」
「ちゃんと選んでるの!?」
「す、すいません!」

ぼけっと見ていると、栞ちゃんと雫さんは俺を振り返って叱咤する。
怖い、二人とも怖い。

「えっと」

恐る恐る、二人が見ていた雑貨屋に近づきながら、商品棚を見つめる。
キラキラチカチカしていて、やっぱりよく分からない。
岡野と言えば、ごつごつした指輪を一杯つけていたのを思い出す。
攻撃力ありそうだなあっていつも思っていたのだ。

「えっと、指輪は、重いんだっけ」
「うーん、ものにもよると思いますが、そもそもサイズ分かりますか?」
「………分かりません。服は」
「あんまり趣味じゃないの貰っても困るし」
「………食べ物」
「まあ、無難かもしれませんね」
「ちょっとした小物がついたお菓子とかこの時期あるよね。見て来ようか」

一緒に来たことを一瞬後悔しかけたが、やっぱり頼もしい。
何がいけなくて何がいいのかとかも分からない。
同性の友達すらいなかった俺が、女の子が喜ぶものなんて分かる訳がない。

「………あ」

そしてお菓子屋さんに移ろうとした時に、片隅に目に入ったものに声をあげる。
栞ちゃんが、足を止めてくれて首を傾げる。

「どうしました?」
「その、これは、どうかな」

目についたものを持ち上げると、雫さんも戻ってきて覗き込む。

「ピアス?あ、かわいいじゃん」
「そうですね。ピアスならそれほど負担じゃないですし」
「じゃあ、これにしようかな」

女性二人の同意を得て、自信を持つことが出来る。
そういえば前にいた時にもピアスが目に入ったし、俺はピアスが好きなのかな。
ネックレスや指輪とかより形がバラエティに富んでいて面白いってのはある。

「すずらんですか」
「うん。前に岡野、すずらんのネックレスも買ってたし、ちょうどいいかな、って」

選んだそれは、前に岡野が選んでいたすずらんのものとちょっと似た、小さな白いスズランが3つほど連なったピアス。
それほど大きくもないし、邪魔にはならないと思う。

「三薙さんにとって、岡野さんはすずらんのイメージなんですね」
「い、イメージっていうか、似合うなって」

特にそこまで気にしたことはなかった。
しかし女性二人はそこで盛り上がってしまったらしい。

「すずらんの花言葉、ってなんだっけ」
「調べてみますね」
「え、え」

栞ちゃんがスマフォを取り出して、なにやら操作し始める。
そして検索できたらしくて、すずらんの花言葉を教えてくれる。

「純潔、純愛、意識しない美しさ」

おおー、と雫さんが栞ちゃんの横でスマフォを眺めながら感嘆の声を上げる。
純潔、純愛、意識しない美しさ。
なんだか顔が熱くなってくる。

「それと、幸福の訪れ、幸福の再来、だそうです」
「………そっか」

それはなぜかしっくりと、胸に落ち着いた。
幸福の訪れ。
岡野の照れたように笑う顔が、脳裏によみがえる。

「ふふふ」
「ふふふふ」
「な、何だよ」

ぼうっとすずらんのピアスを見ていると、二人がにやにやと笑っている。
恥ずかしくなって答える声が乱暴になる。
けれど全く相手は堪える様子はない。

「いえ、喜んでもらえるといいですね!」
「結果教えてね!」
「………」

結局女性には、敵うことなんて出来ないのだ。





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