冷静であれ。 穏やかであれ。 非情であれ。 情け深くあれ。 親しみやすくあれ。 近寄りがたくあれ。 よき兄であれ。 よき友人であれ。 家を愛せ。 家族を愛せ。 周りの人間を愛せ。 常に周りの人間を見ろ。 隙を見せるな、警戒心を与えるな、舐められるな、必要以上に怯えられるな。 威圧感をもって、けれど信頼される存在であれ。 お前は、宮守のためによき当主たれ。 まだ若い女性の教師が、俺に向かって礼を言う。 「宮守君、クラスをまとめてくれてありがとう」 「いえ、推薦してくれてありがとうございます。精いっぱい頑張ります」 クラス委員に推薦されて、クラスをまとめることになった。 少し忙しくなって面倒だったが、やりがいはある。 人がどう考え、どう動くのか、勉強になる。 「あなたがいてくれて助かるわ。すごくうちのクラス、まとまりがいいもの」 「どうもありがとうございます」 こうして、教師のウケもいい。 人から信頼され、敬われる対象になるには、こういったことも大切だろう。 「宮守、サッカーしようぜ!」 教室から出て校庭を歩いていると、クラスメイトが話しかけてくる。 クラスである程度仲良くしている奴だ。 最初のスポーツテストの時の結果で、クラスの人間にはすごいと言われて近寄ってこられるようになった。 大人は勉強、子供は特にスポーツでよい成績を残すと、親しみを持ってくる。 人に交り、慕われることは、大切だ。 「ごめん、今日は用事があるんだ」 「えー」 「ごめん、今度な」 「しょーがねーな!じゃあ、次な!」 「ありがと。また誘ってくれよ!」 忙しいけど、何回かに一回は、参加したほうがいいだろう。 あまり断るのが続く、悪感情を持たれることになるかもしれない。 嫌われたりするのは、あまり好ましくない。 「宮守君!」 「あ、何?」 校門から出るところで、今度は女子に話しかけられる。 学年があがってからこういうのも増えた気がする。 ちょうど、恋愛なんかに興味を持つ頃だ。 男子も女子も、そういう会話が増えてきた。 まだ恋愛に興味はまだないから、少し煩わしい。 だが、女子は男子よりも、難しい。 どこで怒り出すか分からない。 扱いには要注意だ。 「あのさ、帰りなら、一緒に、帰ろう?」 「うん、いいよ」 この子はクラスでもリーダー格の子だ。 顔を赤らめる様子は可愛いと言えるかもしれないが、大人しい女子をからかっているところを見たことがある。 男と女の前では態度がこんなにも違うものか。 とりあえず今のところは、断らない方がいいだろう。 この子に敵対すれば、クラスの女子すべてに敵対することになりそうだ。 だが必要以上に、好意を持たれるわけにはいかない。 この子と一緒にいる時間を作る余裕ないし、この子に興味もない。 それに、女子と仲良くなりすぎると、男子に反感を買うだろう。 「あの先生がさ」 「そうなんだ」 わずかに笑いながら頷くだけで、彼女は満足そうだ。 あまり会話をする気もないのだろう。 俺という目立つ飾りを連れて、自分の話をすることが楽しいのだ。 「じゃあね、宮守君」 交差点で、彼女は満足げに手をひらひらとふって別れていった。 ため息をつきそうになって、こらえる。 ため息は、周りの人間に疲れていると思われる。 不満があると思われる。 つけこまれる。 自分が意図した時じゃない限り、ため息なんてつくな。 自分がコントロールできない感情なんて、必要ない。 「ただいま」 家に入るとすぐにお手伝いさんが来て、俺の荷物をもっていく。 そのまま自室に向かって、今日の予定を考える。 今日は師匠が来るから、舞の練習だ。 その後は父から、家についての話と術を教わる。 「双馬か?」 つらつらと考えながら歩いていると、廊下の角に気配を感じた。 よく知る気配に声をかけると、角から恐る恐ると顔を出したのは、すぐ下の弟。 枝のように細い手足と、母に似た少女めいた繊細な顔立ちをしている。 その後ろには最近つけた、双馬の友人役の使用人の子供もいる。 「………おにいちゃん」 今日は、お兄ちゃん、か。 おどおどとした様子で、こちらをじっと見ている。 物心ついた時から情緒不安定で、普段は大人しいが、独り言が多く、時折急に錯乱して暴れたりする。 そのため、人と交わったり、外に出たりすることが出来ない。 勉強や、その他の社会生活には普段は影響はあまり出ていないため、医者も様子見を進めている。 「ただいま、双馬」 近寄り頭を撫でると、ガラス球のような目でじっと俺を見てくる。 今日は随分落ち着いているようだ。 相変わらず、不思議な力の流れをしている。 ぐちゃぐちゃになって、混戦しているような、複雑な力の流れ。 「今日は学校に行けたのか」 弟は無表情のまま、首を横にぶんぶんと振る。 予想通りの答えではあった。 家庭教師は前からつけている。 それに、友人を付けるよう両親に進言した結果、前よりはだいぶよくはなっている。 だが、ずっと、このままでもいけないだろう。 この弟を、今後どうするか、そろそろ真剣に考えるべきかもしれない。 「………」 黙り込んだ俺に不安を覚えたのか、双馬の顔に怯えの色が走る。 まるで小動物のようにびくびくとして、俺のシャツを掴む。 「そうか、まあ無理しなくていい。頑張ろうな」 笑顔を作りその頭を撫でると、ほっとして肩を撫で下ろす。 人の感情に敏感で繊細な、弱く哀れな弟。 本来なら俺と一緒に次期当主見込として修業を受けるべきなのだが、双馬はそれもできない。 これでは、家のために役に立つことはできないだろう。 落ちこぼれではあるが、守るべき大切な弟。 「お兄ちゃん、双馬、勉強してくる。先生が来る」 「ああ、偉いな。頑張れ。ちゃんと勉強するんだぞ」 双馬はふわりと笑って頷く。 そして楽しげな様子で廊下を去って行った。 あいつを今後どうするか、それも俺が考えなければいけないことだ。 「………あの」 双馬が去っていったのに、お付きの少年はその場に残っていた。 恐る恐る、話しかけてくる。 「ん、どうした?お前は、熊沢だったな」 宮城が選定してつけた、双馬の遊び相手。 この少年がついてから、双馬もだいぶ落ち着いている。 力もそこそこにあり、賢く将来有望だとも聞いている。 「はい、あの、ちょっと、いいですか」 「双馬のことか?」 「はい」 「俺でいいのか?」 「はい、まずは一矢さんに聞いてもらおうと思って。双馬さんも、一矢さんには犬みたいに懐いてるから、って、あ、失礼なこといいました!」 不敬にあたる言葉をうっかり出してしまったようだが、そこに害意はあまり感じない。 むしろ、親愛の響きを感じた。 どうやら、関係はうまくいっているようだ。 「構わない。どうした?」 俺を前に緊張しているようなので、少し表情を和らげる。 熊沢はやはり強張った顔立ちで、でも、何度か深呼吸をしてから口を開く。 「その、双馬さん、なんか、変なんです」 唐突な言葉に、首を傾げる。 「いつものあの様子のことではなくてか?」 「………えっと、うまく言えないんですけど、双馬さん、一人じゃないって感じがするっていうか。なんか、たまに、別人みたいに、思う時があるんです。双馬さんだけど、別の双馬さんっていうか」 「………」 「あ、すいません!変なこと言って!でも、えと………」 「いや、分かった。いいことを聞いた。ありがとう」 お兄ちゃんと、兄さんで会うたびに呼び方が違う理由。 不思議な、まるで混線しているようなぐちゃぐちゃな力の流れ。 独り言や、急に激昂する不安定な心。 熊沢の言葉で、ようやく双馬に感じていた違和感の元を理解することが出来た気がする。 「あ、いえ!すいません、突然!」 「いや、構わない。とても参考になった」 双馬の中に、誰かががいるのだろうか。 それは、どういう存在なのだろう。 邪や鬼などといったものだったら、父が気付かないわけがない。 ただ、熊沢の言うことはとても的を射ている気がする。 「双馬の様子を後で見てみよう。君が教えてくれたおかげで、何か分かるかもしれない」 そう告げると、熊沢はあからさまに安堵を見せる。 「はい、お願いします、双馬さん、時々、とても、辛そうなんです。だから、その、元気になってほしくて」 「ああ」 労わる言葉は、心から出たように見える。 双馬を任せるに足る、信用できる人間と言えるだろうか。 まだ判断は早いかもしれない。 だが、少なくとも双馬には今のところいい影響を与えているようだ。 「熊沢は、双馬と友達になってくれたんだな」 その肩を軽く叩いてねぎらう。 すると熊沢は戸惑うように俯く。 「そんな、俺みたいなのが」 「そんなこと言わなくていい。どうか、これからもあいつと仲良くしてくれるだろうか。不安定な双馬の側に君みたいな人間がいてよかった」 「はい、それは、勿論です」 力強く頷く様子には、一応嘘偽りは見えない。 身寄りのない子供だから、宮守から出ていく可能性も低い。 なら、しばらくは様子をみるためにもこのままでいて問題ないだろう。 「ありがとう。頼んだぞ」 「はい!」 後で、双馬のことも、父さんに報告と相談した方がいいだろう。 解決策を考えてくれるはずだ。 一つ問題が解決しそうな気配に、心が少しだけ軽くなる。 双馬の顔を見たせいか、ふと気が向いて、母の部屋に向かう。 奥まった場所にあるその部屋の前で、小さく中に声をかける。 「母さん、入ってもよろしいでしょうか」 「あら、一矢さん?いいわよ、どうぞ」 すぐに声は帰ってきた。 そっと襖をあけて中を見ると、もうすぐ一歳になる末の弟が、母の膝の上で眠っているところだった。 「ただいま、母さん、四天」 声を潜めて挨拶をすると、四人の母となってもいまだ若く見える母が優しく笑う。 「お帰りなさい、一矢さん」 「ただいま、母さん。四天は今日はどうだった?」 「ええ、四天さんはとてもいい子でしたよ」 「そうか。いい子だな、四天」 近づいて、そっとその柔らかい額に口づける。 今は瞑っていて見えないが、瞼の下にはまるで黒曜石のような瞳があるはずだ。 その身に秘める力と同様に、力強く輝く瞳が。 「何かご用事があるの?」 「ううん、四天を見に来たんだ」 「ふふ、一矢さんは本当に弟想いね」 母は嬉しそうに笑い、俺の頭を撫でてくれる。 いつか俺も、こんな風に母に抱かれていたことがあったのだろうか。 あまり想像できない。 俺も双馬も三薙も、母とは一歳ほどで引き離された。 当主の妻である母は、実家の稼業である呪具作りや、裏の仕事の手伝い、表の仕事の社長夫人として、父と同様多忙な日々を送っている。 「早く大きくなれよ、四天」 「気が早いこと」 眠る四天の頭をそっと撫でると、母さんがころころと笑う。 「楽しみだな」 早く大きくなればいい。 こんな赤ん坊なのに、四天の潜在的な力は感じる。 大きくなれば、俺よりも強くなるかもしれない。 そうなれば、俺と同様、先宮候補となるだろう。 今のままでは、俺しか候補がいない。 双馬は先宮になるには脆弱すぎる。 分家筋にも、今はめぼしい人間がいない。 それでは、俺に何かがあった時に、換えがいない。 そもそも、俺が当主となるとも決まってもいない。 宮守の家のために、候補は後一人か二人は、必要だ。 それまで、この弟も、慈しみ守らないといけないだろう。 もし、この力を秘める弟が当主になれば、俺が解放されることもあるのだろうか。 解放? 何を考えているんだ。 俺は、宮守の家を愛し、守るためにいるのに。 「早く大きくなれよ、四天」 母に挨拶を告げ、今度こそ部屋に戻ろうとする。 すると俺の部屋の前では、小さな子供が立っていた。 その子供は、俺の顔を認めて、満面の笑みを見せる。 「にいちゃ、おかーり!」 舌足らずな声を嬉しそうに弾ませ、バランスの悪い危なっかしい様子で走ってくる。 成長がやや遅い三男は、同年代の子供より小さく細い。 「ただいま、三薙」 笑いながら腰をかがめると、三薙は手を伸ばして抱っこを強請る。 その手をとって抱き上げると、嬉しそうに声をあげる。 純粋で清らかで、愛情をいっぱいに表現をする弟は愛しい。 「いい子にしてたか?」 「うん!」 「いたずらしてないか?」 「みなぎ、いいこ」 「古川さんを困らせたりしてないか?」 「ちーちゃん、いいこだよ」 意思の疎通はまだ難しいが、一所懸命話している様子は愛らしい。 三薙の後ろでベビーシッターが困ったように笑っている。 「すいません、どうしても一矢さんに会うとおっしゃって」 「かまいませんよ」 こんなの我儘にも入らない。 俺は、三男の一番の信頼と愛情を、得なければいけない。 厳しく優しく慈しんで、このまま純粋で清らかな存在に育てなければいけない。 「にいちゃ、がっこ?」 「ああ、学校に行って帰ってきた。三薙は今日は何してたんだ?」 「あのね、ちーちゃんとね、いけでね、いしがね、ぽちゃんってなった」 「そうか」 池で遊んでいたということしか分からないが頷くと、三薙は嬉しそうに話してくれる。 俺を好きでたまらないのを隠しもせず、抱きついてくる。 その体は温かく、柔らかい太陽の匂いがする。 「いい子だな、三薙。大好きだよ」 「ぼくも、にいちゃ、だいすき!」 導き、敏し、叱り、褒めて、抱きしめ、慈しみ、そして愛する。 そうするだけで、弟たちは簡単に俺に信頼と愛情を向けてくれる。 こんな、なんの疑いも曇りもなく、絶対の信頼と敬愛を捧げてくる純粋な存在を、どうして愛さずにいられるだろう。 「いい子の三薙は、大好きだよ」 愛しい愛しい、俺の奥宮。 冷静であれ。 穏やかであれ。 非情であれ。 情け深くあれ。 親しみやすくあれ。 近寄りがたくあれ。 よき兄であれ。 よき友人であれ。 家を愛せ。 家族を愛せ。 周りの人間を愛せ。 常に周りの人間を見ろ。 隙を見せるな、警戒心を与えるな、舐められるな、必要以上に怯えられるな。 威圧感をもって、けれど信頼される存在であれ。 家に尽くし、全てを捧げろ、 宮守のためによき当主たれ。 俺はそれを為すために、ここに存在するのだから。 |