下駄箱で靴を履いていると、後ろから声をかけられた。

「三薙!」

聞いているとこっちが元気になれそうな明るい声。
振り向くと今日も髪を複雑に結い上げた佐藤の姿があった。

「佐藤」
「千津!」
「う、ご、ごめん」

そろそろ佐藤も諦めてくれればいいのに。
やっぱり女の子を名前で呼ぶのは難しい。
佐藤は一応いつものように厳しく言うが、すぐに許してにかっと笑う。

「もー。ま、いいや。一緒に帰ろ!」
「うん、喜んで」

あ、これは、槇からタラシぽいって言われたんだっけ。
あれは褒め言葉なのかそうじゃないのか、どっちだ。

「ありがと!」

なんて考えこんでいると、佐藤は明るく笑ってさっと自分の靴を履いてしまう。
色々考えすぎだった。
そうだよな、俺の言葉でタラシなんてあるわけないよな、うん。

「佐藤は、今日は予備校?」

気を取り直して、歩きながら質問する。
佐藤は疲れたようにふうっとため息を漏らす。

「そうー。お勉強しなきゃね。受験やだなあ」
「うん、嫌だな。気持ちが暗くなる」
「でも、三薙、勉強楽しそうだよね」
「え、そう見える?」
「うん、大学のパンフレットとか見てる時にこにこしてるし。勉強、最近もっと頑張ってるよね。前から頭いいけどさー」

見られていたのか。
恥ずかしくなってきた。
学校に置いてある学校案内やパンフレットを見ていると、ついにやけてしまう。
いけるかいけないかは学力の問題はあるが、行けないと考えていた時より、選択肢が出来たのは嬉しい。
目的が出来たことによって、勉強にも身が入るのは確かだ。

「勉強は暇でしてたから。俺、大学進学考えてなかったから、大学行けるかもしれないの、嬉しくて」
「へ、大学行かないつもりだったの?」
「あ、えっと、うん、まあ、いけるようになりそうなんだけど」

体の調子は、すこぶるいい。
いつでも力を使える状態というのは、こんなにも身軽なのかと日々感動する毎日だ。
枯渇する心配がないだけで、明るい気分になれる。
あの二人には迷惑をかけるんだけど、本当に嬉しい。

「またおうちの事情?でも三薙はお金はあるよね?」
「俺がある訳じゃないけど、まあ、うちは裕福な方かな」

金の問題は、多分ないだろう。
自分の意志がはっきりしていれば、私立大学でも行かせてもらえるとは思う。
後は、体の問題だった。

「俺、ちょっと持病があったから、家からあまり離れられなかったんだ」
「え、大丈夫になったの!?」
「うん。一兄と天に、助けてもらって、大丈夫になりそう、なんだ。多分」
「そっかあ、それならよかった」

佐藤がにこっと笑って、そう言ってくれる。
詳しい話とかはそれ以上つっこまないけれど、自分のことのように喜んでくれる。
こういう明るく朗らかなところは、とても好きだ。
佐藤への好意が、恋なのかもしれないと思ったこともあった。
その頃と今で、向ける好意は変わっていないのに、これは恋ではないと分かる。
好意の種類にも色々あるって、不思議だ、

「三薙の家って本当に兄弟仲いいよね」
「う、ん、そうかな。そうかも。俺は、皆に助けられてるから、皆に感謝してる」

一兄にも双兄にも天にも、俺は支えられて生きている。
今では実際に一兄と天に、寄生している。
迷惑をかけるのは心苦しいし、感謝はしてもしたりない。
利用してるってこともあるけど、それがなくても大切な存在だ。
これが、仲がいいっていうのか分からないけど。

「いいなー、私も兄弟欲しかったな」
「一人っ子だっけ?」
「うん、兄弟いたら楽しかっただろうな。一矢さんとかいいよね。頼もしくて、いいお兄ちゃんぽいよね」

その言葉には、素直に頷ける。
面倒見が良くて厳しくて優しくて頼りになる、俺の憧れの兄だ。
今はちょっと気まずいけど、でも尊敬は変わらない。
またあんなことしなきゃいけないと考えると恥ずかしくて仕方ないけど。

「うん、一兄は理想のお兄ちゃんだと思う」
「ね!きっと、楽しかっただろうな!色々一緒に遊ぶんだー」

ドライブ行って、一緒に服買いに行ってと語る佐藤は、無邪気でかわいい。
ふと、佐藤みたいな妹がいたらと思った。

「俺にも妹いたら、多分皆で可愛がったんだろうな。妹もいいな」
「私みたいな妹?」

佐藤が悪戯っぽく笑って、自分を指さす。

「うん、いいな。佐藤みたいな妹がいたら楽しそう」
「へへ。でしょでしょ。きっと楽しいよ!私も三薙が弟だったら楽しかったな!」
「え、俺が弟!?」
「え、あれ?」

俺が兄って話になってなかったか。
どういうことだ。
佐藤は自分の言葉に首を傾げて、唸る。

「うーん、三薙がお兄ちゃんかあ」
「何が言いたいんだよ!」
「いやー、いいんだけどさあ」

その口調がすでによくないと言っている。

「どーせ、俺は兄貴らしくないよ」
「あはは、嘘嘘。三薙がお兄ちゃんでも楽しいだろうな。三薙で遊ぶんだ」
「で、ってなんだ!」

佐藤がどこまでも酷い。
一応これでも弟がいる兄なのに。
まあ、弟はアレだけど。
佐藤がぽんぽんと俺の肩を叩く。

「まーまー、妹とかいいかもね、一緒に買物いって服買って、髪とかお揃いにしてー」

結局俺へのフォローはなしか。
でも無邪気に目をキラキラとさせる佐藤を見てると何も言えなくなってしまう。
一つため息をついて、俺も気持ちを切り替える。

「いいな。かわいいんだろうな」
「うん、あ、栞ちゃんとかいいなー。かわいい妹になりそう」
「それは確かに。あの子はかわいい妹になるよ」

俺にとって、妹のような存在といったら栞ちゃんだろう。
かわいい幼馴染の遠縁の少女。
でも、栞ちゃんとも、昔ほど親しくはしなくなったし、ちょっと寂しい。

「女子としての会話が出来そう!髪サラサラでアレンジしがいありそうだし!」
「そういえば佐藤の髪型、すごくいつもかわいいよな」
「ひひっ、そう?ありがと!」

佐藤がちょっと照れくさそうに声をあげて笑う。
佐藤の髪型はいつも工夫してあってかわいい。
お団子はお団子でも髪飾りや後れ毛などのアレンジが違って感心する。
たまに下ろす感じの髪型してる時はなんだか別人のようにドキっとしてしまう。

「お母さんがうまいの?そういうの」
「ううん。これは自己流だよ。うまいでしょー」
「うん、すごいかわいい」
「三薙って褒め上手だよね、ありがと!嬉しい!」
「だ、抱きつかないで!」

人懐こい佐藤が俺の腕にぎゅっと抱きついてくる。
慌ててそっと手を振りほどいて逃げ出す。
柔らかい。
いやいやいやいや、こう言うのは駄目だ。
嬉しいけど。
いやいやいやいや。

「えっと、ち、小さい頃から、うまかったの?」
「ううん、小さい頃とか、私、髪すっごい短くて男の子みたいだったんだよ」
「え、そうなの?想像つかない」

いつもかわいい小物を身につけて髪型もアレンジしている佐藤は、とても女性らしくてかわいい。
岡野も槇も佐藤も三人とも全くタイプは違うが、全員とても女性らしくてかわいい。

「ズボンとかばっかりだったし、動きまわって服汚してばっかりだったなー」

でも活発だったというのは分かる。
走り回って明るく笑っている子供時代なら、想像がつくかもしれない。

「三薙は?」
「俺も、家から出ることは少なかったけど、よく庭で駆けまわってたな」
「三薙の家でかいもんねえ」
「うん。庭で遊ぶのでも、小さい頃だったら十分だった」

いつからか、あの庭でも遊ばなくなってしまったんだろう。
昔はあそこでよく遊んだのに。
双兄と天と、駆けまわって、木に登って、庭でおやつを食べた。

「一矢さんも遊んだりしたの?」
「一兄はあまり。双兄が遊びを教えてくれて、俺と四天と一緒になって遊んだ。一兄はたまに監督で入るぐらい」

年の離れた長兄は、俺たちが危ないことをしないか見ることはしていたけど、遊びに参加することはあまりなかった。

「でも何回か、四人で遊んだことあるな。かくれんぼとかしたな。楽しかったなあ」

そうだ、俺と天が、一兄の手を引いて遊びに誘ったんだ。
双兄は嫌がっていたけど、しぶしぶ了解した。
一兄は困ったように笑いながら、遊びに入ってくれた。
家は、幼い俺たちにとってはとても広くて、隠れるところがいっぱいだった。

「一兄が鬼になって、手加減して探してくれて、でも俺と天は見つかっちゃって、双兄がすごい変なところ隠れて、一兄と俺と天で探したんだ」

一兄は、すぐにばれてしまうようなところに隠れてる俺と天を、時間をかけて探してくれた。
今思えば、かなり気を使ってくれてたんだろうな。
代わりに双兄が押し入れの天袋とかに隠れて、難易度をあげていた。
一兄の命令で、双兄を探して家の中や外を駆けまわったのは、とても楽しかった。
それから何度も一兄に遊ぼうとせがんで、困らせた。

「楽しかったなあ」

双兄が見つかって悔しそうにして、一兄は笑っていた。
俺と天も楽しくて、ずっと笑っていた。
すごく小さい頃だったけど、今もよく覚えている。

「やっぱりいいね、兄弟って」
「………うん、いいね」

大事な大事な、人達だ。
色々とすれ違ったりもしたし、複雑な関係にもなってしまったけど、でも、それでも大事な人達だ。
小さい頃を思い出せば、いつだって胸が痛くなるほど楽しかった記憶ばかりだ。
今まで俺はその関係に縋ってずっと生きてきた。

「でも、俺もそろそろ自立しないとな」

力の面では、二人に迷惑をかけて生きるしかない。
でも、だったらせめて経済的精神的な自立は、そろそろ考えないといけない。
もう、俺は家にいないと生きていけないなんて、言い訳はできないんだから。
自分で道を選ぶことが出来るようになるんだから。

「じゃあ、とりあえずやっぱり受験だね!」
「はは、そうだな」

そうだ、それにはまず、大学進学について考えてみよう。
今の俺にはすぐに働けるほどの熱意もスキルも覚悟もない。
何も、考えていなかったんだから。

「まあ、兄弟離れして寂しくなったらいつだって私が妹になってあげてもいいよ」

胸を誇らしげに叩く佐藤に、つい苦笑してしまう。

「じゃあ、俺がお兄ちゃんだな」
「でもやっぱりなー」
「おい!」

つっこむと、佐藤は朗らかに声を立てて笑った。
そして上目遣いに俺の目を覗き込む。

「じゃあ、千津って呼んでよ」

佐藤の悪戯っぽい表情に、心臓が跳ね上がる。
なんだか、凄く印象的な表情だった。

「藤吉は呼んでるのにー。私の方が先に言ったのに」
「で、でも」
「はい、どうぞ」
「だってさ」
「はい!」

今回は逃がしてくれなくて、詰め寄られ、観念する。

「………ち、ちづ」

絞り出すように小さく言うだけでも、なんだかすごく恥ずかしい。
でも、佐藤は許してくれて満足げに頷く。

「あはは、よく出来ました。ありがと。ま、無理しなくていいけど」
「う、うん」
「佐藤、でもいいよ。名前呼んでくれるの嬉しいけどね」

最後にそう言ってくれて、手をひらひらと振る。
いつの間にか分かれ道に来ていたようだ。

「じゃ、私こっち。ばいばい、三薙。お互い頑張ろうね」
「うん。頑張って、佐藤」

お団子を揺らして手を振る佐藤を見送って、俺も大きく手を振った。





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