温かな光が瞼を開けろと促す。 まだもうちょっとこの微睡みの中にいたい気がする。 ふわふわと、空に浮かんでいるような、いい気持ち。 久々に、ぐっすりと眠った気がする。 「ん………」 もうちょっと目を瞑っていたかったが、動き始めた頭ではもう眠りの世界に戻れなかった。 しぶしぶ目を開けると、そこは見慣れない天井。 「………」 明るい。 そして、なんだか、とても気分がいい。 寝起きなのに思考がはっきりして、指先まで軽い。 それと同時に、体の中に、何か違和感を感じる。 「おはよ」 ぼうっとしていると、隣から聞きなれた声が聞こえた。 顔を横に向けると、そこには眠たげにぼんやりとしている四天がいた。 そういえば、この前の時も、こんな無防備な姿を見せていたっけ。 いつも嫌味なぐらいに完璧な弟だから、こんな姿は親しみを覚えて笑ってしまう。 「おはよう」 挨拶を返すと天は小さく笑って体を起こし、腕を上に大きく伸ばす。 ゆったりとした装束から覗く腕は綺麗な筋肉がついているが、やっぱり一兄なんかと比べると細い。 春の温かな光に照らされる弟は、白くて、作り物のようだ。 芸術家が作った、緻密な彫刻。 「体は大丈夫?」 天に見とれていたことに気づいて、我に返る。 散々見慣れているのに、いまだにこんな風に気を取られる時がある。 一兄には憧れや尊敬で目を奪われるが、天には、芸術品に接しているような気分になる。 「………うん」 天の問いかけに苦笑しながら、ゆっくりと体を起こす。 体は多少軋んで痛むが、動けないほどではない。 一定に注がれる力は、変わらず俺を満たしてくれる。 それどころか、今まで以上に、つながりが強くなったのを感じる。 ああ、これだ。 さっき感じた体の中の違和感。 「………なんか、お前の、力が分かる」 天の力を、今までよりももっと、明確に感じる。 回路が一本増えたように、天の存在がしっかり根付いている。 自分のものではないものが体の中にあるのは、なんだかひどく違和感がある。 天の気配を、感じる。 「そうだね。結構リアルに感じるもんだね」 「うん」 天も自分の胸元を抑えて、ちょっと不可解そうに眉を顰める。 自分のものではない靴を履いてしまったような、嫌いなものが入ってると分からずに食べた後に気づいたような、ついこの間まであった店がいつのまにかなくなっていたような。 そんな、些細で、けれど見逃せない違和感。 体が、作り変えられていく。 「変な感じ」 「確かに」 天もなんだか嫌そうだ。 俺も慣れなくて、少し気持ち悪い。 「でも、お前がいるの、分かる」 自分の胸を抑える。 まるで、鼓動が二つあるようだ。 誰かの存在を、感じる。 それは、違和感と気持ち悪さも感じるけど、それと共に安堵を覚える。 一人じゃ、ない。 「………お前が、いる」 「………」 一人は、嫌だ。 一人は、寂しい。 でも、こうしていると、一人じゃないと分かる。 「………」 顔を上げると、天がじっとこちらを見ていた。 その視線が思いのほか強くて、たじろぐ。 「何?」 「いや」 天がゆるりと首をふりながらも、視線を逸らさない。 深い黒い瞳が、じっと俺を見ている。 急に、羞恥心が沸きあがってくる。 昨夜、この目は、俺をじっと見ていた。 視線を逸らして、はだけていた胸元をかき寄せ、装束を直す。 「………あんまり、見るな」 視線から逃れるように、膝を抱える。 すると天は、ふっとため息をついた。 ちらりとそちらを見ると、天は苦笑していた。 「なんだよ」 「凶悪だな」 「は?」 長めの髪を掻き上げて、眉を寄せて唇を歪める。 「いや、本当に、よくできると思っただけ」 「何が?」 何を言ってるか分からなくて、もう一度問う。 天は笑いながら俺の腕を引き寄せた。 「え」 そのまま綺麗な顔を近づけて、唇が触れる。 「ん」 咄嗟に目を瞑ると、天がそのまま深く唇を重ねてくる。 ゆるく開いた唇のあわいから、舌が入り込んでくる。 驚いで逃げ込んだ俺の舌先をつつき、絡め取る。 深く入り込んで、口の中を探る。 「ふっ、ん」 舌を軽く噛まれて、鼻から息が漏れる。 最後にからかうように吸われて、そっと離れていく。 唾液が絡まり、俺と天の間を伝う。 「な、に」 突然のことに意味が分からず聞くが、天はただ笑うだけだった。 楽しげに見せつけるように自分の唇を舐める。 その濡れた唇に、心臓が震える。 腹の中が、ずくりと、熱くなる。 「何、すんだよ」 慌てて天から離れて、息を整える。 もう、儀式は終わった。 供給もいらない。 こんなのは、いらない。 こんなのは、おかしい。 「もう一つの意味で体は大丈夫?」 天は俺の問いには答えずに、質問を投げ返してきた。 もう一つの意味。 それは、力ではなく、俺の身体的なダメージについて聞いてるんだろう。 顔がさすがに熱くなってきて、天の顔が見れなくなる。 「………平気」 この前ほど、ひどい痛みもだるさもない。 考えたくないが、慣れてきたのだろうか。 こんなもの、慣れても仕方ないんだけど。 「そう。よく眠れたみたいだしね」 ああ、体が軽いのは力が満ち溢れているのもそうだが、それもあった。 儀式の後は、気絶するように意識を失って眠った。 頭が真っ白になって、何かを考える余裕すらなかった。 「うん、夢見なかった。よく眠れた」 久しぶりに、ぐっすり眠れた。 頭の痛みと重みが、消えている。 「やっぱり適度な運動はいいんだね。昨日は兄さんもノリノリだったし」 「っ」 そうしてまた茶化す弟の頭をはたく。 よけられただろうに、天はわざと叩かれてくすくすと笑う。 「あはは、ごめんごめん。でも、眠れてよかったね」 すごく恥ずかくて、苦しくて、熱くて、痛くて、ぐちゃぐちゃになった。 でも、体が楽になったのは本当だし、よく眠れたのは確かだ。 俺よりも、付き合う天の方が、嫌な立場だ。 天は、付き合ってくれてるんだ。 我慢しろ、大人になれ。 「………ありがと」 でも素直に礼は言えなくて、目を逸らした。 「どういたしまして」 天は咎めることなく、そう言った。 嫌な話の流れが終わったかとほっとした瞬間、また天が楽しそうに笑う。 「次は一矢兄さんだ。頑張ってね」 「だから!」 また頭をはたこうとすると、今度は受け止められた。 俺の手を握ったまま、くすくすと笑う。 「俺たちって、本当に仲良し兄弟だね」 「いい加減にしろ!」 もう一方の手で殴りつけると、天は更に声をあげて笑った。 二人並んで、先宮たる父さんに対峙する。 儀式が無事に済んだことの報告だ。 逃げ出したくなるほど恥ずかしいが、これも仕事の一環だと割り切るしかない。 それにしてもやっぱり、兄弟で、あんなことをして、父に報告するって、絶対おかしい。 絶対、変だ。 「ご苦労だった」 「はい」 けれど恥ずかしくって顔をあげられないのは俺だけで、父さんも四天もいつも通りだ。 先宮たる父は、今日も近づき難い威圧感をもって坐している。 こんな報告をしても感情を揺らすような、人間味はない。 ここにいる父は、父ではない。 広間にいる父さんは、圧倒されるようで、普段より余計に緊張してしまう。 「三薙、体調は大丈夫か」 「はい、大丈夫です………」 「そうか。無理はするな。今日は休め」 「はい」 気遣ってくれるのは、とても嬉しいけれど、恥ずかしい。 顔を見ることが出来ない。 「四天、お前も変調などはないか」 「はい、変わりなく」 「そうか、それならいい」 父さんが、わずかに笑った気配がする。 この部屋で父さんが笑うなんて、珍しい。 ちらりと見上げると、けれどやっぱり難しい顔をしていた。 「不調があるようなら言え」 「承知いたしました。ありがとうございます」 他人行儀なやり取り。 この場にいる限りは父と息子ではなく、当主とその一族のものだ。 でも、やっぱり、ちょっと寂しくなる。 「それでは、下がっていい」 「はい、失礼いたします」 「は、はい」 よかった。 部屋から出ていいと聞いて、ほっとする。 こんな報告をするのもいたたまれないし、この広間も好きじゃない。 父の存在感に覆われたこの部屋は、息苦しさすら感じて落ち着かない。 「三薙」 「は、はい!」 そそくさと天の後ろについて部屋から出ようとすると、呼びとめられる。 飛び上がりそうになるのをなんとかこらえて振り返ると、父さんもゆったりと立ち上がった。 そして近づいてきて、俺の前に立った。 「と………、先宮、何か、ありましたか」 いつも険しい顔をして威厳と威圧感があるけれど、外見は驚くほどに若々しい。 父さんの弟妹である叔父や叔母よりも、下手すると年下に見える。 その大きな手を伸ばされて、身を竦める。 小さいころから、父さんの前にいる時は、緊張してしまう。 「わ………」 大きな手は、予想に反して俺の頭をくしゃりと撫でる。 温かい、優しい手。 驚いて顔を上げると、父さんは目を細めて優しい表情で俺を見下ろしていた。 「無理はするな」 「は、はい」 その顔がとても優しくて、驚いて一瞬言葉を失ってしまう。 それと、何か、不思議な感じがする。 「お前には苦労をかけてすまない」 父さんがもう一度頭をくしゃりと撫でると、手を離す。 もうちょっと、撫でてほしかったかもしれない。 父さんにこんな風に接触されるなんて、あまりないことだから、嬉しい。 「学校は、楽しいか」 父さんがこんなに近くにいるのも、久々だ。 そういえば、供給も父さんにしてもらうことはほとんどなかった。 抱き上げてもらった記憶もあまりない。 「はい、とても、楽しいです」 「そうか。それならいい」 父さんは、こんな風だったっけ。 威圧感は変わらない。 圧倒される、気配。 気を抜くと飲まれてしまいそうな、強い力。 「さあ、ゆっくり休め」 「はい、ありがとうございます」 父さんは、こんな強い力を感じたっけ。 なんだろう。 こんな風に感じたことって、なかった。 わずかに、気づかないほどに、違和感を感じる。 今、俺は一兄と天の二人の力で満たされているからだろうか。 なんだか、気配に敏感になった気がする。 父さんから、何か不思議な気配を感じる。 この威圧感を感じたことがある。 どこかで、触れたことがある。 かすかだけれど、どこかで感じた匂いがする。 なんだったっけ。 「………その、父さん」 「どうした?」 「あ、いえ」 なんだっけ。 なんだろう。 落ち着かない。 怖い。 考えたくない。 なんだろう。 なぜ、父さんが怖いんだ。 「し、失礼します」 俺は、この力を知っている。 この匂いを知っている。 父さんの奥からわずかに感じる、この気配を知っている。 逃げるように広間から飛び出すと、天が廊下で立って待っていた。 出てきた俺に、小首をかしげて見せる。 「先宮、なんだって?」 「えっと、無理するなって。それだけ」 「そう」 天は自分で聞いてきたくせにどうでもいいように肩を竦める。 けれど、今は、そんな態度もどうでもいい。 さっき感じた違和感の正体が気にかかる。 なんだろう。 父さんから感じた、気配。 俺が知っている、気配。 「あの、さ、天」 「ん?」 聞いてはみたものの、先が続かない。 駄目だ、分からない。 自分が何が言いたいのか分からない。 「いや、なんでもない」 「ふーん?」 頭を振って、考えを振り払う。 突き詰めては、いけない気がする。 「………」 なぜだ。 なぜ、考えようとしない。 気になるのに。 気になる。 それなのになぜ、自分を誤魔化そうとする。 「んー。じゃあ、俺は道場で一汗流してくるよ」 「あ、そうか。頑張れ」 天が伸びをして、すたすたと歩き始める。 慌てて、その背に声をかける。 「どうも。兄さんは、無理しないでね。腰とかね」 天は振り返って、にやりと笑った。 あてこすられたことに、悩みも吹っ飛んで顔が熱くなる。 「だから、お前、もう本当にやだ!」 「あはは。じゃね」 手をひらひらとふって、天が道場の方に向かう。 その背中を見送って、俺は自室に足を向ける。 天の態度に羞恥と苛立ちを感じながらも、歩いているうちにだんだん治まってくる。 「………」 そして一人、静かな廊下を歩いて気になるのは、やっぱり父さんから感じた気配。 誤魔化すことなんて、できない。 確かに、感じた。 父さんから、感じた匂い、存在。 「………存在」 そうだ、存在だ。 俺はあれを知ってる。 父さんから感じる威圧感。 今までそれが何かは分からなかったけど、今はあれを知っている。 知っている。 違う、思い出した。 そうだ、思い出した。 思い出したんだ。 「父さんから、した、匂い」 父さんの奥から、かすかに感じる、力、存在。 黒い黒い、深く濃く、うずくまる、闇の気配。 それは、最近、また、触れた。 血、肉、苦しみ、恨み、憎しみ、そんなものが詰まった強い闇。 それを、俺は知ってる。 「………奥宮」 そう、あれは、奥宮の気配だ。 父さんから感じたのは、奥宮の、匂い。 父さんから感じた。 なんでだ。 なぜ、父さんから、奥宮の気配を感じるんだ。 「勘違い、かな」 今までは何も感じなかった。 いや、父さんを怖いと思っていた。 尊敬して好きだったけれど、畏怖の対象でもあった。 近づくと威圧感で、怖いと感じた。 それは、奥宮の匂いがしていたから、なのか。 「………っ」 なんだか、嫌な考えが、浮かんでくる。 胸のあたりが、どろどろとしたものに覆われていく。 ぐちゃぐちゃの泥の中に沈み込んでいくようだ。 逃げるように足を速めて、自室に飛び込む。 家の人間に、会いたくなかった。 ドアをしっかりとしめて、いつもはかけない鍵をかける。 その場にずるずると、座り込む。 「奥宮と、先宮」 先宮たる父さんと、奥宮たる二葉叔母さん。 父さんからする、二葉叔母さんの気配。 「二人は、繋がっている?」 繋がる。 繋がるって、どういうことだ。 その符号は、何かを連想させる。 奥宮と、先宮は、つながっている。 次代の奥宮の候補は、誰だ。 そして、次代の先宮の候補は、誰だ。 奥宮と、先宮は、繋がっている。 「………共番の、儀」 その儀式の意味は、なんだ。 |