「落ち着け、落ち着け落ち着け」 きっと、何かの間違いだ。 勘違いだ。 俺の思い違いだ。 父さんから、奥宮の気配がするなんてこと、ない。 「………そう、きっと、そうだ。そうだ。俺の勘違いだ」 もう一回父さんに会ったら、こんな考え馬鹿馬鹿しいって思うはずだ。 そう、もう一回会ったら、分かる。 「………っ」 では、もう一度父さんに会って確かめることが出来るのか。 すぐに自分で否定して、頭を横に振る。 嫌だ、怖い。 会いたくない。 会って、対峙したくない。 その、現実を見たくない。 なぜ、見たくないんだ。 勘違いなら、対峙することなんて、何も怖くないはずだ。 「怖く、ない、はずだ」 でも、怖い。 だって、もう一度会ったらはっきりしてしまう。 俺が見たくないことが、分かってしまう。 これは、逃避か。 逃避、なのか。 また逃げようとしているのか。 楽な思考に逃げようとしているのか。 「でも、決まってない。そんなの、分からない………」 そうだ、分からない。 全て俺の勘違いかもしれない。 勘違いなら、いい。 それでいい。 「でも、もし、もし」 もし、俺の予想があたっていたら、どうなる。 あの二人に、つながりがあったとして、どうなる。 「父さんと、二葉叔母さんがつながってるとして、それが共番の儀をしたせいだとして、それは、何を、意味をしているのか」 共番の儀は、力の足りない俺のために、二人が力を分けてくれる儀式。 そのはずだ。 だったら、二葉叔母さんも俺と同じように力が足りなくて、父さんに供給を受けていたのかもしれない。 それは、考えられる。 それならつながっているのも、おかしくない。 そういう、ことなのかもしれない。 「そうだ、そうに、決まってる」 聞いてみればいい。 そうしたら、すぐに分かるはずだ。 なんだって思うはずだ。 こんな不安なんて、消え去ってしまうはずだ。 誰に聞けばいい。 二葉叔母さんのことを知っていて、そして父さんとの関係も知っている人。 誰が、知っているのだろう。 父さん、そしてたぶん叔父さん達と叔母さん。 一兄、天、双兄。 この中から、事情を聞けるとしたら、誰だ。 教えてくれるとしたら誰だ。 「………双兄」 父さんや叔父や叔母は、教えてくれるとは思えない。 そして一兄と天も、正直に答えてくれるとは思えない。 そこまで考えて、ぐちゃぐちゃでどろどろなものでいっぱいになった頭をかきむしる。 「なんで………っ」 なんでこんなこと、考えなきゃいけないんだ。 頭の中がぐちゃぐちゃで、いっぱいいっぱいで、溢れだしてしまいそうだ。 頭を抱えて、膝に顔を埋める。 「なんで、二人が嘘をつくと、思ってるんだっ」 なんで、信じられないんだ。 兄と弟が、信じられない。 二人を、信頼しているのに。 誰よりも信じられる二人なのに。 なぜ、疑ったんだ。 なぜ、双兄の方が信じられると、思ってしまったんだ。 どうして、二人が俺に教えてくれるとは思えないんだ。 「………いや、だ」 でも、だって、なんで、双兄はあの時、俺を奥宮にまで連れて行ったんだ。 一兄は後で俺にも全て言うつもりだったと言った。 だったら、双兄がばらすのは、別にあのタイミングじゃなくてもよかったはずだ。 俺はどうせ、いずれ知ることになるのだから。 むしろ、双兄が暴走をしたせいで色々と混乱した。 でも、双兄も、色々考えた末の行動だったみたいだった。 双兄は、俺に何をさせたかったんだ。 奥宮を見せて、どうしたかったんだ。 あの日、雨の中を俺を引きずるようにしてあそこに連れ出した次兄は、見たこともない怖い顔をしていた。 まるで何かから逃れるように、切羽詰まっていた。 双姉と熊沢さんに止められているようなことを言っていた。 なぜ、双姉と熊沢さんは止めた。 なぜ、それでも止まらなかった。 「双兄、そういえば、あれから会ってない」 もうあれから一週間以上経っている。 確かに、双兄はいつも家を空けてばかりで、一月顔を合わせないなんてこともあった。 だから、そう珍しいことでもない。 でも、あの出来事から、一度も顔を見ていない。 それどころか、メールすら来ていない。 俺に何かを言いたかったんじゃないのか。 俺に何かを伝えたかったんじゃないのか。 だったら、なぜ、あれから一度も姿を見せないんだ。 「………」 じわりじわりと、焦りと恐怖が胸を浸していく。 なんで俺は、今まで何も疑問を抱かなかったんだ。 風邪で寝込んでいるというなら、分かる。 でも、治ったなら、なぜ一言も言ってこない。 俺に言いたいことがあったんじゃないのか。 隠れている? 逃げている? 俺から、逃げている? なぜ、逃げる。 双兄は都合の悪いことが起こると、すぐ逃げ出す癖はあった。 でも、連れて行ったのは双兄だ。 なぜ、今更、隠れる。 携帯は、どこだっけ。 鞄の中だ。 立ち上がって机に向かい、鞄の中から携帯を取り出す。 次兄の電話番号を呼び出して、発信を押す。 すぐに、それは反応した。 『おかけになった電話番号は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため、かかりません』 「なんで………」 電源を切って、携帯を机に置く。 電源が切れてる? 飲み明かしていて、電池が切れてしまったのかもしれない。 有り得ない話じゃない。 最近、双兄はずっと、酒浸りだったから。 そう、最近だ。 最近、双兄は、何かから逃げるようにアルコールにのめり込んでいた。 いつからだ。 いつから、酒浸りになった。 それまでも酒好きではあった。 けれど、あそこまで、前後不覚になるまで飲むなんてめったになかった。 なんだかんだで、自制心が強い人だった。 「いつ、からだ」 頭を押さえて、なんとか思い出そうとする。 日常は何気なく、さりげなく、徐々に形を変えていくから、いつから変わったのかが分からない。 劇的に変わったわけじゃなく、少しづつ少しづつ、季節の移り変わりのように日常が表情を変えていった。 「………共番の儀をするって、決まったのは、いつだったっけ」 あの頃には、もう双兄は酒浸りになっていたっけ。 いや、もっと前からだった気がする。 もっと前に酒を飲んだ双兄に、絡まれた、覚えがある。 共番の儀について父さんから告げられたのは、正月明けだった。 そうだ、休み中に体調を崩して、ようやく治って、学校に行った。 皆と会えたのが嬉しかったのを覚えている。 その後に、衝撃的なことを告げられたのを覚えている。 なんで、体調を崩したんだっけ。 なんで、俺は倒れたんだっけ。 あれは、祭りの後だった。 「謳宮祭」 宮を寿ぎ謳う祭り。 宮守の、大事な祭りの一つだ。 あそこで俺は奉納舞を舞って、倒れた。 なぜ、倒れたのか。 宮を、寿ぐ。 宮とは、なんだ。 「奥宮の、声が聞こえた」 そう、あの時、急に俺をあの声が包み込んだ。 叫び声のような、不快な音が、辺りに木霊した。 音ではない、脳内に直接響くような不快な音。 自分の一番柔らかいところを引っ掻き汚されるような、不快感。 「あれは、奥宮の、声だった」 あの時は分からなかった。 忘れていた。 けれど、あれは確かに、奥宮の声だった。 あの声を聞いて、俺は倒れた。 あの時倒れたのは、俺だった。 一緒に舞っていたのは、三人だった。 「俺と、五十鈴姉さんと、栞ちゃん」 五十鈴姉さんの力は俺と同系統。 受け入れる力の方が、強い人だ。 栞ちゃんの力は、なんだったっけ。 金森の家は、自分の体内の力を操るのが上手だって、言ってたっけ。 二人とも、宮守の血に連なる人間。 そして、少なくとも五十鈴姉さんは、俺と、同じタイプの人間だ。 あの時倒れたのは、俺一人。 あの二人は、あの声を、聞いたのだろうか。 俺だけ聞いたのだろうか。 俺だけだったとしたら、それは、なぜ。 「………」 栞ちゃんの携帯番号は知っている。 五十鈴姉さんは分からない。 栞ちゃんに、電話をかけてみようか。 あの時声を聞いたのか、知りたい。 でも、栞ちゃんに聞いたら、四天にまで伝わるだろうか。 そうすると、どうなる。 そこから、どう事態が動く。 「………落ち着け」 大きく息を吸って、吐く。 今俺は、混乱している。 焦って行動しても、何もいいことはなかった。 そうだ、かっとなって動くのは、俺の悪い癖だ。 落ち着け。 落ち着け落ち着け落ち着け。 よく考えろ。 また、誤魔化されないように。 誤魔化す? 誰が誤魔化してるんだ。 誰が、俺を誤魔化しているんだ。 何も誤魔化されていない。 「………落ち着け」 焦っても、何もいいことはない。 落ち着け。 そして、周りをよく見よう。 焦れば、また霧の中に迷い込む。 もう、誤魔化されたくはない。 頭が痛くなってきて、家から出たくて、少し散歩に出ようと部屋を出る。 すると、玄関先で、一人の男性が立っていた。 どこか冴えない印象のスーツを着た、短く刈った髪と眼鏡の結構ガタイのいい体育会系サラリーマン風の人。 一見優しそうに見えるが、眼鏡に隠された鋭い目は剣呑な雰囲気を感じさせる。 「おや、これは三薙さん、お久しぶりです」 俺の姿を認めて、とても親しげに笑いかけてくれる。 けれど、その笑顔がどこか嘘くさく感じて、怖い。 「………沢渡さん、こんにちは」 管理者の管理監督をしている神祇院の人間。 ここの人たちは底知れない感じがして、苦手だ。 「お元気でしたか」 「はい、おかげさまで」 「その割には、随分とお顔色が悪い」 心配そうに首を傾げる様子は、本当に気遣っているように見える。 「ちょっと、寝不足なんです」 「そうですか。お体は大事になさってくださいね」 「………はい、ありがとうございます」 体を大事にして、どうなるのだろう。 俺の体を大事にするのは、誰のためになるんだろう。 誰のために、体を大事にするんだ。 駄目だ、今は、考えるな。 後で、また考えよう。 「沢渡さんは、なぜ今日は、こちらに」 「先宮へのご機嫌伺いですよ。神祇院にとっても宮守は大事な家ですから」 「それは、ご足労をおかけしています」 「いえいえ、先宮にお会いするのは、楽しみなんですよ」 沢渡さんはにこにこと笑いながら眼鏡を直す。 けれど眼鏡の奥の鋭い目は、やっぱり笑っていない。 「この家の統治力と、先宮の強大なお力は、尊敬しておりますから」 「そう、なんですか」 「ええ、弟子入りしたいぐらいです」 他の管理者たちを見てきたといっても、わずかだ。 この家がどれだけ力を持っているなんて、俺は分からない。 「沢渡様、お待たせいたしました。どうぞおあがりください」 そこで後ろから声がして、びくりと跳ね上がってしまう。 全然気配がしなかった。 後ろを振り返ると、そこには宮城さんと使用人の人が立っていた。 向かい合っていた沢渡さんは驚いた様子なく、さっさと靴を脱いで上り込む。 「どうもありがとうございます。では三薙さん、失礼します。また今度ゆっくりお話しさせてください」 「はい。また、今度」 話したくなんてないけれど、社交辞令的に笑って見せる。 それににこりと笑って、沢渡さんは使用人の人と、一緒に屋敷の中に入っていく。 ああ、でも、話したいことあるかもしれない。 あの人は、何かを知っているだろうか。 この家のことを、知っているおだろうか。 「あまり、神祇院の人間にはお関わり合いになりませぬよう」 けれどその場にとどまった宮城さんが、釘を刺す様に言った。 大きくもないのによく通るしゃがれた声。 「あ、はい」 「あの者たちは、この家の力を快く思ってない。隙あらば、力をそぎ落とそうと考えている。お心を許してはいけません」 宮城さんが、珍しく饒舌に話している。 いつも必要以上のことは、話さない人なのに。 それほどまでに神祇院のことを嫌っているのだろうか。 「………うちは、そんなに、力があるんですか」 「ええ、そんじょそこらの管理者たちとは格が違います」 無表情ながら誇らしげに頷く宮城さんは、うちの家に対する敬愛が見え隠れする。 「ですから、ああいう犬が入り込む。決して、お関わり合いになりませんように」 「は、い」 進んで関わり合いになりたいわけじゃない。 俺だって、あの人たちは苦手だ。 話を聞いてみたい気がするけれど、怖い。 「では、私はこれで失礼いたします」 「あ」 宮城さんがそっとその場を立ち去ろうとする。 思わず、その背中に声をかけてしまった。 「………あの」 「はい、どうなさいましたか」 「双兄か、熊沢さんは、いますか?」 熊沢さんが捕まれば、双兄も捕まるだろう。 どちらでもいい、話を聞きたい。 双兄が、なぜ、あんなことをしたのか、知りたい。 そして何より、双兄の姿が見たい。 「ただいま、双馬様はおでかけになっていて、熊沢も所用で出ております。何かご用事がありましたか」 けれど宮城さんが冷たくそう言い放っただけだった。 双兄は、どこにいるのだろう。 なぜ、連絡がつかないのだろう。 「………いいえ。なんでもないです。帰ってきたら、教えてください」 「承知いたしました」 駄目だ、ここにいると、また頭がぐちゃぐちゃになってしまう。 気分を、変えよう。 早く、外に行こう。 「どちらかにお出かけですか?」 「はい、散歩に」 「今日はお疲れでしょう。あまり無理はなさないでください」 「………はい、ありがとうございます」 儀式のことはそういえば、この人も知っているのだ。 前は羞恥からいたたまれなくなったが、今では別の感情を抱く。 「………いってまいります」 外に出ると昨日とは打って変わって、空は曇り空だった。 でも、春の温かな日差しと風が、気持ちがいい。 後ろをちらりと見るが、誰も追ってこない。 家からは出られる。 まだ、そこまで制限されていない。 まだ、俺は動ける。 だったら、俺はこれから、どこにいけばいい。 何をすればいい。 |