はじめての愛。

あの青い綺麗な石には、それにふさわしい綺麗な言葉が込められていたのか。
じんわりと、胸に、暖かくて、切ない気持ちが沁みてくる。
同時に、哀しくて、不安にもなる。
ぐちゃぐちゃになって、もやもやする。
そんな大事な言葉をもらえるほど、俺は、大した人間じゃ、ないのに。

「………俺だって、志藤さんは、好きです」
「………」

何度も、俺を大事だと言ってくれた。
それが嘘でも、最後まで信じさせてほしいと思った。
さっき、やっぱり、騙されたと思った。
でも、やっぱり志藤さんは、俺を騙してたりなんか、しなかった。
俺を、大事に思っていてくれたのか。
さっきの行動は、何がなんだか、分からなくて怖かった。
でも、言ってくれてることは、今思えば、俺のための言葉だった。
逃げよう、守ると、そう言ってくれた。
誰も、言ってくれなかったことを、言ってくれた。

「俺を、守ろうと、してくれたん、ですね」
「まあ、考え方もやり方も、一から十までまるっと間違ってますけどね」

目頭が熱くなって、涙が、出てくる。
胸が痛い。
肺が、苦しい。
息がうまくできなくて、しゃくり上げてしまう。

「ちゃんと、話して、欲しかったです。俺の言葉を、聞いてほしかった」

そうしたら、志藤さんの言葉を、聞けたのに。
怖くなんて、なかったのに。

「そんな理性が効くようなら、あんなポンコツになってませんよ」

最後の志藤さんの、傷ついた目が、脳裏に焼き付いている。
俺のためを、思ってくれていたんだ。
なのに、俺は気づかずに、傷つけてしまった。
酷いことを、してしまった。
俺のために行動してくれた人を、拒絶してしまった。

「あ、志藤さん、大丈夫、でしょうか!ひどいことに、なりませんか!?」

こんなの、宮守の家に知られたら、どうなるか分からない。
ただでさえ宗家に害したのだ。
それに、俺は、あの家にとって、とても大事な存在だろう。
そんなものに手を出したら、志藤さんがどうなるか分からない。
あの人たちが常識的で平和的な解決をするなんて、もう信じられない。
熊沢さんはちらりと俺を見て苦笑する。

「ひどいことは俺と少しだけ四天さんがしましたが、宮守の皆様に隠したいと思ってます。それでもよろしいでしょうか?」
「それは、勿論です!お願いします!」
「ありがとうございます。兄貴分として礼を言います。本当に三薙さんはお優しいですね」
「そんなこと、ないです。俺なんかのために、こんな………」

俺に差し伸べてくれた手を拒絶して、振り払い、傷つけた。
彼の言葉を、信じたいと思っていたのに。
志藤さんだけは、裏切らないと、そう言ってくれていたのに。
信じられなかった。
裏切ったのは、俺だ。

「俺なんか、ですか」
「だって、こんな、こんなの」

俺のなんかのために、そんなことをする必要はなかった。
危険を冒す必要なんて、なかった。

「こんなことまで、してくれなくて、いいのに。いくら、友達だからって」

いくら大事だと言ってくれたとしても、友達だとしても、志藤さんが傷つく方が、俺は嫌なのに。
守るって約束してくれたとしても、そんなの、本当に、してくれなくて、いいのに。

「………友達、ですかあ」
「え」
「三薙さん、志藤君は、あなたにどんな狼藉を働きました?」
「え、と?」

その言葉に、さっきの志藤さんのことを思い出す。
いつもの優しく穏やかな彼とは違う、怖い目で、強い力で、獰猛な、肉食獣のようだった。
まるで、別人だった。
怖くて、怖くて、意思を無視されて、ねじ伏せられるのが、嫌で仕方なかった。

「どんな無体をしましたかね」
「それは………」

熊沢さんが本当に申し訳なさそうに、声をひそめる。
どんなことをされたか。
押さえつけられて、拘束されて、服を破かれて。
とても、怖かった。
思い出して体が震えてしまい、自分の体を抑える。

「………無神経な質問ですいません。でも、出来れば、志藤君のあなたへの想いは、否定しないでくださいね」
「え?」
「いや、知った上でどう取り扱うかはもちろん三薙さんの自由なんですけどね」

熊沢さんは、肩を竦めて、また苦笑する。

「三薙さんは、志藤君が、とりあえず今までの志藤君は好きでしたか?」
「は、い。好きでした。とても好き、です」

好きだった。
好きだ。
今も好き?
分からない。

あの人が、大事だった。
大事な大切な大好きな、友人だった。
でも、怖かった。
裏切られたと思った。
志藤さんまで、俺の意思を無視するのかと思って、哀しかった。

「志藤君が、あなたのことを好きだということは、分かっていただけましたか?」

でも、志藤さんは、俺に酷いことをしたかったわけじゃないと、今なら分かる。
怖かったけれど、あれは、俺のためを想ってしてくれたのだ。
俺を、守ろうとしてくれたのだ。
俺を大事な存在だと、本当に思ってくれていたのだ。
それは、やっぱり、とても嬉しい。

「はい、大事に思ってくれてると思います。さっきは、ちょっと怖かったけど、でも、俺のため、なんですよね。俺は、志藤さんに酷いことをしました」
「いや、酷いことしたの、彼ですけどね」
「いいえ、俺、酷いことしました。まだ、志藤さんが、俺のこと、友達だと思ってくれてるのなら、もう一度、話したい」

もう一度、ちゃんと話したい。
落ち着いて、志藤さんが何を考えて、何を想ってるのか、知りたい。
あの人と、もう一度向き合いたい。

「あなたのそれは………」
「はい?」

熊沢さんがどこか呆れたような声を出す。
俯いて膝を見ていた視線を前に戻すと、熊沢さんはゆるりと首を振った。

「いえ、なんでもありません。まあ、その通り、あの無駄高性能暴走ポンコツは悪意はなかったんです。受け入れろとも、許せとも言いませんけどね」
「………はい」

受け入れられるか、許すか、まだ分からない。
でも、俺も謝りたい。
もう一度ちゃんと話して、それから考えたい。
その機会が、もう一度与えられるか、分からないけど。
でも、こんなの、こんな終わりは嫌だ。
もう一度、会いたい。

「話をしたいと仰ってくださるなら、四天さんあたりに相談して、どこかで考えてみます」
「あ、お願いします!」
「いやー、俺も力ないんで出来るかは分からないですけどね?双馬さんも今は役に立ちませんしねえ」

その言葉に、次兄の顔が思い浮かぶ。
最後に会った時は、髭を生やし痩せこけ憔悴しきった姿だった。
今回、志藤さんに俺のことを話したのも双兄のようだった。

「あ、双兄は、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫です。結局あの人は安全圏から出てくることはあまりないんで。あの人は本当にもう仕方ない。あんな馬鹿に言いくるめられるほどに馬鹿なんですから。もー、まったくもー。仕事増やしてからに」

ぶつぶつと、本当に不満そうに愚痴をこぼす熊沢さんに少し笑ってしまう。
この人たちは、本当に兄弟のようだ。
仲のいい二人に、いつも憧れていた。
双兄と熊沢さんのような関係の友人が、欲しかった。
ああ、本当に、俺たち兄弟よりも、ずっと、兄弟らしい。

「………仲がいいんですね。熊沢さんがついてくれているなら、双兄は、大丈夫ですね」

なら、この人が、付いてくれているのなら、双兄は大丈夫だ。
それなら、よかった。
縋りつく双兄を、あんな弱弱しい次兄を、もう見たくない。
双兄は、いつだって明るくて飄々として少し意地悪で、でも優しくて楽しい人だった。
もう、あんな姿は、見たくないんだ。

「三薙さん。あなたは、双馬さんのことなんて気にしなくていいんです」
「え」

熊沢さんが、静かな声で、そう言った。
ミラー越しの視線は、とても真摯で、真っ直ぐだった。

「あなたは、あなたのことだけを考えてください」
「おれの、こと?」
「なんて、俺の立場で言えることじゃないんですけどね」

自嘲するように、苦く、笑う。

「俺はあなたの味方ではありません。どちらかというと宮守家の人間です。なのであなたを助けたり、支えになったりすることは出来ないし、しない」

それは、知っていた。
この人は、俺を助けることは、なかった。
こんな風にたまに手を出してくれることはあるけど、それは全部双兄や志藤さん絡みの時だけだった。
もとより期待は、してない。
でも、改めてはっきり言われると、胸がちくりと痛む。

「でも、あなたを好きです。出来れば、あなたにとって優しい未来があればいいと思っています」

優しい未来。
そんなものが、俺には残されてるのだろうか。
そんな可能性は、あるのだろうか。
逃げて飢えて死ぬか、奥宮となって長い年月を化け物として苦しむか。
その二つの選択肢以外、俺には、分からない。

「本当に勝手なんですけどね。でも、一矢さんも双馬さんも四天さんも、そして志藤君も俺も、自分のことしか考えてません。だからあなたも自分のことだけ、考えていいんですよ」
「………」

俺のことだけ考える。
でも、考えても答えなんか、見つからないんだ。
本当なら逃げたい。
何もかも忘れて、逃げたい。
でも、逃げたら、岡野や槇がひどい目に遭うかもしれない。
それに、逃げても、栞ちゃんと五十鈴姉さんが犠牲になるだけで、俺はいずれ枯渇して死ぬ。
そんなの、嫌だ。
じゃあ、奥宮になる方がいいのだろうか。
それだって、嫌だ。

「でも、人のことを考えずに思うがままにふるまうなんて出来ないのが、あなたがあなたである所以なんでしょうけど、ね」

それは、違う。
俺だって結局自分のことしか考えてない。

考えても考えても、答えなんか、見つからないだけだ。



***




『話があるから部屋に来て。宮城に行かせる』

離れの部屋で色々なことを考えていると、天からメールが入った。
その後しばらくして、本当に離れの玄関が開く。

「夜分に失礼いたします、三薙様。四天様がお呼びです」
「………はい」

夜の森は、浴衣だけだと少し肌寒く感じた。
暗い中、ただ、宮城さんの背中を見て、ついていく。
いつもながら人形めいた小柄な老人は、感情のない目をしていた。
この人は、苦手だ。
何もかも、見透かされているような気がする。

「………」

大丈夫だ。
天と熊沢さんがシャツを用意しておいてくれたから、辛うじて変な格好で家に入ることは免れた。
少し頬や腕を擦っていたけれど、それもうまいこと見つからなかった。
俺さえ、黙っていれば、何があったかなんて、分からないだろう。
天や熊沢さんが、他に監視があったら気付かないはずがない。
だから、黙っていれば、平気。
志藤さんには、何もない。

「四天様。三薙様をお連れいたしました」
「ありがとう。入って、兄さん」

四天の部屋に入り、扉を閉める。
天はまだ制服のまま、机に座っていた。
その姿を見て、焦って一歩近づく。

「天、しと」

志藤さんはどうしたのかと、勢い込んで聞こうとすると、天は顔の前で指を一本立てた。
黙れという合図に、言葉を飲み込む。
すると天はにっこりと笑って首を傾げた。

「顔色悪いけど、平気?ちゃんと寝れてる?」
「………」
「そういう訳にもいかないか。運動でもする?よく眠れるかもよ」
「………」

からかうような軽口には、答える気がしない。
もう、疲れている。
余計なことは、話したくない。
もう、嘘も、遊びも、からかいも、全て、いらない。

「体調管理はしてね。自分のためだよ」
「お前らのため、じゃなくて?」
「それもある」

俺の言葉に天は、くすくすと笑った。
どこまでも悪びれる様子がない弟に、苛立ちを覚える。
どうして、こいつは、こういう話をするのだろう。
ちゃんと、俺を見て、俺の話を、聞いてほしい。

「天、なにか、話があるんだろう」
「うん」

天はそっと目を瞑り、一つ息をつく。
長いまつ毛が白い肌に影をつくり、宮城さんとは違った意味で、人形のようだと思う。
目を開き強い光が宿ると、途端に作り物らしさはなくなるのだけれど。

「あの人は、とりあえず熊沢さんの知り合いのところに預けた」

天は笑顔を消し、そっとそれだけ言った。
あの人が指すのが誰なのかは、すぐに分かった。

「あの顔でここに戻すわけにもいかないし。無事だよ。あれ以上何もしてない」
「ほん、とう?」
「してないって。する意味がない」
「………そっか」

天は、元々、酷く危害を加える気はなさそうだった。
剣を振るっている時だって、手加減していた。
なら、きっと平気だろう。
天だって、志藤さんを、気に入っているようだった。
安心して、全身から力が抜けていく。

「あの人を恨んでる?」

天は、特にからかうような気配はない。
真面目な顔で、聞いている。
だから、少しだけ考えて首を横に振った。

「ううん。志藤さんは、俺を、思って、くれたんだよな。助けようとしてくれたんだよな」
「そのようだね」
「俺のために、そんなこと、しなくてよかったのに」

自分を傷つけるようなこと、してほしくない。
志藤さんが傷つくところなんて、見たくない。

「もう会いたくない?」

その問いにも、首を横に振る。
怖かった。
別人のようだった。
でも、それは、俺のためだった。

「もう一度、話したい」
「そう」

四天は頷いて、一度目を閉じた。
それから軽く笑う。

「分かった。出来るようだったら機会を作るよ。勝手なことされるより、監視下に置いた方が楽だ」
「………」
「使い勝手がいまいちよくないね。あの犬」

その言いぐさは、不快に感じる。
志藤さんも俺も、ものじゃないし、犬でもない。

「人を、犬扱いするな」
「飼い主以外には噛みつく駄犬でしょ」

苛立ちから睨みつけると、天は肩を竦めた。
それからふっと笑う。

「用事はそれだけ」
「え」
「兄さんどうせ気になって聞いてくるでしょ。ところ構わず聞いてきそうだから、変なところで聞かれる前に呼んだの」

そういう、ことか。
確かにこの家では、どこで誰の耳が分からない。
離れも誰が来るか分からない。
ここが、一番ふさわしいのかもしれない。

「………」

でも、やっぱり、分からない。
どうして、こんなことしてくれるのだろう。
天のしたいことが、まったく、分からない。
俺の視線に、弟は軽く首を傾げる。

「なに?」
「………なんで、お前は、俺を志藤さんに会わせたの?」
「ん?」

俺を、志藤さんに会わせて、なんの得があるんだ。
今回だって、かばうようなことをして、何を、考えているんだ。
四天はどこまでも合理的で、面倒くさがりの人間だ。
こんな、面倒なこと、メリットが、見つからない。

「俺を、志藤さんに会わせることに、お前になんの意味があるんだ?」
「会わせたのは、双馬兄さんと熊沢さんでしょ」

確かに、きっかけをくれたのは双兄と熊沢さんだ。
俺と志藤さんに、それぞれ、友人を作ってあげたかったと、そう言っていた。
それがよかったのか、悪かったのか、俺には、分からないけど。

「その後、会う機会を作ってくれたのは、お前だ」

天は軽く首を傾げて、笑う。
何を考えているのかは、やっぱり分からない。
答えてはくれないので、先を続ける。

「それと、黒輝と、双兄は、共番の儀に、お前を選べって言った。誠司は、一兄を選べって、言った。なんの違いがあるんだ」

一兄も天も、宮守のために動いているのは同じだ。
二人に、なんの違いがある。

「そもそも、共番の儀には、なんの意味があるんだ?俺の延命のためじゃない。それは、分かる。じゃあ、お前たちになんの意味があるんだ」

俺に力を供給するための、儀式。
そう聞かされていた。
事実、そうなのだろう。
でも、それだけじゃない。
俺はいずれ、アレになる。
なら、延命の必要なんて、ない。
儀式は、俺のためじゃない。

「疑問だらけだね」
「誰も、教えてくれない。俺が、当事者なのに」
「分からない?」

天が試す様に俺をじっと見ている。
すぐに、こいつは疑問を疑問で返す。
でも、ここで、苛立って挑発に乗ってはいけないのは、もう分かってる。

「お前の気持ちは全く分からない。何を考えてるのか、さっぱり分からない」
「そう、寂しいね」

本当に寂しそうに眉を顰める四天。
こういう軽口に、惑わされてはいけない。
天は、それこそが嘘じゃないのなら、俺に嘘はついていない。
怒るな、落ち着け、冷静になれ。

「これも、いつか話してくれる約束の中に、きっと、入ってるんだよな」

じっと目を見据えて問うと、天は、少しだけためらうような間を見せる。
それから困ったように笑って頷いた。

「………そうだね」
「それは、いつ?俺は、それを、聞くことが出来るのか?」

ちゃんと聞くまでの時間は、俺には残っているのだろうか。
俺が俺のままでいるうちに、全てを知ることは、出来るのだろうか。

「それは、必ず。俺は約束を守る」

天は真っ直ぐな視線で、真摯な声で、ひとつ頷いた。
その眼をじっと見つめるが、天は目を逸らさらない。

「………分かった」

だから、俺も納得することにした。
どうせ、ここで問い詰めても答えはでない。
天が言う気になるまで、結局待つしかないのだ。
それでも、一番、天は俺に教えてようとしてくれている気がする。

「………最後のは、分かる、気がする」
「最後の?」
「先宮は、この地で、敵う者がいない。お前ですら敵わない。でも俺は父さんにそんな力を感じたことはない。でも、感じる時もある。奥宮の匂いがする時がある。暗い、怖い匂いがする。先宮と奥宮は繋がってる」

先宮がこの地で敵う者がいないと言ったのは、天だ。

「人の身で、人の形のままで、あいつらを好きになんて出来るはずない」

それも、天が言った言葉だ。
闇に飲まれ人としての存在を失った祐樹さんに向けて、そう言った。
人の身のままで、闇を制御なんて出来るはずがない。

「お前が言ったことだ。天。お前の言葉が正しいんだとすると」

だったら、人の身じゃなければ、制御できるのだろうか。
神祇院が知りたいもの。
宮守が力を持つ家系である意味。
誰よりも強大な力を持つ先宮。
対の存在である、先宮と奥宮。
こんなことを続けている訳。

「先宮の力の源は、奥宮?」

俺の言葉に、天は楽しそうににっこりと笑った。





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